第13話
不動院家の別邸への帰路、そして帰宅してからも、俺は考え事をしていた。
どうやったら上手く霊脈を掴めるのか。
基本的な霊輪を組めるようになるにはいつまでかかる?
クラスメイトは話せば分かる奴らで良かった。
不動院家のためになる将来の道とは?
鋭鈴さんの動きは霊輪が関係しているのか聞いてみたい。
妹の月はもうすぐ退院できるみたいだがどこに編入させるべき?
俺の眼は生きてる怪異に通用するのか。
烈さんに禁じられていたが、一瞬使った俺の眼に泥人形の『亀裂』が見えていた。そこを突けば殺せていたのだろうか……?
とりとめのない、様々な言葉が浮かんでは消えていく。
そんな風に思考に没頭しすぎた結果、玄関の扉を開けた瞬間、大きなミスを犯してしまった。
「おかえりなさいませ、私の神様」
「……はい」
玄関で正座して出迎えてくれた灯さんに、上の空で適当な返事をして、そのまま通り過ぎようとしてしまったのだ。
「……っ」
背後から、スッと空気が冷える感覚がした。
慌てて振り返ると、灯さんがこの世の終わりのような、あるいは静かな怒りを秘めたような、ひどく切羽詰まった顔で俺を見つめていた。
「あ、ごめん灯さん! ちょっと今日の授業のことで頭がいっぱいで……」
「……疲れてるということは、お風呂、ですね。私が全身くまなく洗って差し上げます」
「えっ!?」
言い訳を聞くより早く、灯さんがずんずんと距離を詰めてくる。
目が据わっている。「私から意識を逸らした罰です」とでも言いたげな、逃がさないという執念を感じる。
「い、いや! 一人で入れるから! 汗かいたし!」
俺は慌てて脱衣所へ逃げ込む。
間一髪扉を閉め、離れる。
……外に灯さんがいる気配はするが、入ってきそうにない。
さすがに大丈夫か。
ほっと一息ついて、脱衣所に来たからにはシャワー浴びるか、とシャツを脱いで洗濯機に放り込んだ直後、ガチャっと扉が開いた。
「灯さん、ダメですよ!」
「閑様……やはり引き締まった良い体をしてますね。まぁ、助けたあの日に全身くまなく見たんだけど」
後半は小声早口で聞こえなかったが、なにか恐ろしいことを言ってたような。
そしてなぜか自身の制服の黒いニットベストを脱ぎ、シャツのボタンを外しながら近づいてくる灯さん。
「ちょ、ちょっと」
「私も脱がないと濡れてしまいます」
胸元が露わになって、もう直視できなかった。
俺は思わず視界を隠そうと腕を上げようとして、火傷痕を隠す包帯が洗面台の隙間に挟まってしまった。
スルスルと包帯が落ちていき、肘から手首にかけた禍々しい傷痕が晒される。
「あっ……」
それを見た瞬間、灯さんの動きがピタリと止まった。
さっきまでの切羽詰まった熱が冷め、彼女の顔に影がさしたように見えた。
「……ごめん。やっぱり気持ち悪いよな、これ。見せないようにしてたんだけど」
以前そんなことは無いと言ってくれたけど、本能的に見られるのが怖かった。
俺が隠そうとすると、灯さんは首を横に振り、そっと俺の火傷痕に冷たい指先を触れた。
「……違うんです。閑様」
彼女の唇が微かに震えている。
まるで、何か重い罪を告白しようと葛藤しているかのように。
「あの……。い、いえ……この火傷痕のおかげで、私は貴方を見つけられたんです」
「え?」
「あの日……井ノ原悠太が、ネットに動画を上げていました。自分の取り巻きと一緒に、酷い火傷痕のある貴方をいたぶっている動画を」
息が止まりそうになった。
そんな動画まで上げていたのか。
「動画の背景から場所を特定して、私は飛んでいきました。まさか、あの日も同じ場所にいるとは思いませんでしたが」
灯さんは、俺の火傷痕を愛おしむように撫でた。
「この傷が、私を閑様の元へ導いてくれました。だから……私には見せてください」
俺は、目頭が熱くなるのを感じた。
この醜い傷のせいで、俺は小春や周囲から気味悪がられてきた。
でも、あの日、俺が全てを諦めかけた日、これが灯さんに見つけてもらうための道しるべになったのか。
なぜ灯さんがこの火傷痕を持つ俺のことを神様だと言ってくれるのかはまだ分からない。
俺は神様じゃないのに。
あのリビングにある像を見る度にそんなことを思う。
でも、関係ない。俺にとっては救われたという事実があるだけだ。
「……ありがとう、灯さん。見つけてくれて」
俺が心からのお礼を伝えると、灯さんは顔を輝かせた。
「では、感謝のハグをお願いします。今夜、仕事があるんです。実は私、柄にもなく緊張してます」
「ハグくらいなら……って、えぇ!?」
灯さんは言い終わるや否や、スルスルと制服のシャツを脱ぎさり、上半身が下着のみになってしまった。
黒いレースに透けたようなデザインと、真っ白で滑らかな肌の豊満な胸の谷間が目の前に迫る。
「な、なにして……っ!」
「神様の素肌から直接エネルギーをもらうには、肌の接触面積が広い方が効率的という理屈です!」
「どんな理屈!?」
そのままドンッ、と柔らかい感触が胸に押し付けられ、華奢な腕が俺の背中に回された。
石鹸のような甘い香りと、温かい体温。
「……はぁ。たまりません。はぁぁあ……」
俺は宙を彷徨わせていた腕を、わずかに迷ったあと、背中に回した。
いくら灯さんが最強の守護者だとしても、怪異が怖くないわけがないと、確かに思ったからだ。
「大丈夫、大丈夫ですよ。灯さんならやり遂げられます」
「……うれしい。そう言ってくれると思ってました」
しばらく神妙な顔で灯さんをハグしていたが、もぞもぞと太腿を俺の方に擦り付けてきたので音を上げた。
ただでさえ柔らかくて大きな胸元を意識しないように耐えてたのにもう無理だ。
「……も、もう限界です! 危ないので離れてください!」
そう言う俺に、灯さんは不満そうな顔をしかけて、何かに気づいた。
「……はぁい。ゆっくり浸かってきてください」
顔を紅くしてほくそ笑む灯さんに、俺は羞恥の炎で焼かれそうだった。
☆
その夜。都内の某所。
大規模な交通規制の上に、大量の戦闘員が配置された道路を、歩く。
私──不動院灯は、集中の極みにいた。
今回の怪異出現は、集まる霊素からある程度予測されたものである。
予測されるということは、それだけ強くて大型の怪異の出現を示唆していた。
そして大型怪異の出現にかこつけて、小型の怪異がうじゃうじゃ湧いている。
それを守護者の戦闘員が必死に倒している。
みな命がけだ。
「……灯。無理に先代のあの神技を使わなくていいんだよ」
後方で指揮を執る母──不動院烈が、心配そうに声をかける。
灯は、ある一定以上の霊脈を解放することを無意識に恐れていた。
過去に一度、自身の『原初の焔』が暴走し、地獄の業火に焼かれた記憶は消えないからだ。
──それでも。
「やるわ。いつかは使わなくちゃいけないし……これで一人でも犠牲が減るなら、使わない理由はないでしょ」
「灯……なんか変わったわね」
全国千人規模の構成員を束ね、辣腕を振るう不動院家の当主でも、やはり母なのだろう。
心配の目線が消えることはない。
お母様がこれから私がやろうとしている神技を失敗したせいで『原初の焔』を継承できなかった話は聞いていたので、気持ちは痛いほど分かった。
──それでも。
灯は、目を閉じる。
思い出すのは、数時間前の出来事。
閑様の胸の温もり。
彼からかけられた感謝の言葉。彼が生きているという、確かな鼓動。
数十メートル先で、金城の怒声が響いた。
「大型怪異出たぞ!! 総員退避ッ!!!!」
失敗したらただじゃすまない距離まで引き付ける。
燃え盛る霊輪に対して、心は落ち着いていた。
なぜなら。
(私には、閑様がついてる──)
そして放った。
「────神技、『天照』」
灯が目を開いた瞬間、夜空が真昼のように白く染まった。
先代当主である熾が開発し、窮地の度に民を救った絶大なる奥義。
それが、一切の暴走を見せることなく、完璧なコントロール下で放たれ、大型怪異を一瞬にして塵へと変えた。
「ふぅ……」
少しよろけた私を、お母様がしっかり抱きとめてくれる。
戦っていた者たちの大歓声が上がった。
☆
私は、撤収作業をリムジンのトランクに腰掛けてお茶を飲みながら見ていた。
そこへ、拍手をしながら近づいてくる影があった。
「いやぁ、お見事! さすがは次期当主様やねぇ」
飄々とした関西弁。
着崩した制服に、耳にはピアス。
胡散臭い笑顔を浮かべたこの男を、私は知っていた。
「……ああ、来てたの」
「ほんまは序列的にまだ現場に出れんのやけど、君と仲良いってゴリ押しして来てもうたわ。いやー、凄かったな。あの奥義。あれのおかげで今回の作戦、死者ゼロやったらしいで」
「仲良い……? 私、あなたが天ツ風の人間ってことしか興味ないんだけど」
今回は不動院と同じ守護四家の一角、天ツ風の合同作戦だったのだ。
と言っても指揮も前線もメインの大型怪異も全部うちがやったんだけど。
「そう冷たいこと言わんといてや。……そういえば、君んとこが最近保護したっていうオモロイ少年、井ノ原と関係あるらしい……なぁ?」
は?
私の顔が相手を捉えた。
周囲の温度が、一気に数度上がった。
「……何か知ってるの?」
「いやいやいや、怒らんといて。うちの叔父貴がな、井ノ原と組んで裏でコソコソやってるらしいんやけど、最近なんか色々と焦っててな。……なんか知らんかなーと思うて」
「まずはそっちが知ってることを吐きなさい」
男は肩をすくめて、何も言わない。
クソ、こいつの名前は、──天ツ風 鏡介。
昔からこういう裏工作というかコソコソ嗅ぎ回るのが得意な人間で、私は嫌いだった。
「……まぁ、詳しいことはまた話そうや。俺ら、クラスメイトなんやし」
天ツ風鏡介は、睨めつける私に背を向け、闇に消えていった。




