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肌が汚いからと捨てられた悪役令嬢、前世の化粧品研究知識で世界一美しくなり、殿下の後悔が止まりません

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/02/04

「レティシア・ヴァルシュタイン。貴様との婚約は、本日をもって破棄する」


王太子アレクシスの冷たい声が、煌びやかな舞踏会場に響き渡った。


シャンデリアの魔導灯が無数の光を放つ中、レティシアは静かに目を伏せた。

周囲の令嬢たちが扇で口元を隠しながら、嘲笑混じりの視線を向けてくる。


「理由をお聞かせいただけますか、殿下」


「理由だと?」


アレクシスは美しい顔を歪めて笑った。


「鏡を見たことがないのか。その汚らしい肌で、未来の王妃を名乗るつもりだったのか」


会場にどよめきが走る。


直接的すぎる侮辱だった。だが、誰もアレクシスを諫める者はいない。

この国では、美しい肌は神々の祝福の証。肌荒れは穢れの象徴とされていた。


レティシアの頬には、幼少期から消えない赤みがあった。

額には時折吹き出物ができ、どんな高級魔法化粧品を使っても改善しない。

むしろ悪化する一方だった。


「殿下のおっしゃる通りでございますわね」


レティシアは穏やかに微笑んだ。

その瞬間、頭の奥で何かが弾けた。


走馬灯のように、見知らぬ記憶が流れ込んでくる。


白い研究室、試験管、成分表…『敏感肌用』と書かれた容器の山。


ああ、そうだ。私は…

私は、日本でオーガニック化粧品を開発していた研究者だったのか。

これが前世の記憶というものなのだろうか…?


「レティシア様? お顔の色が」


侍女の声が遠くに聞こえる。

前世の記憶が完全に蘇った瞬間、レティシアは自分の肌荒れの原因を即座に理解した。


魔法化粧品だ。


この世界の化粧品は、魔力で効果を増幅させている。

だが、魔力への過敏反応を起こす体質が存在することを、この世界の人々は知らない。


レティシアは生まれつきの敏感肌だった。

前世の知識で言えば、魔法成分に対するアレルギー反応を起こしているのだ。


「殿下」


レティシアは顔を上げた。


「婚約破棄、謹んでお受けいたします」


アレクシスが一瞬、虚を突かれた顔をした。

泣いて縋ると思っていたのだろう。


「ただ、一つだけ申し上げておきますわ」


レティシアは背筋を伸ばし、凛とした声で告げた。


「三ヶ月後の夜会で、また殿下にお会いできることを楽しみにしております」


意味深な笑みを残して、レティシアは舞踏会場を去った。




「お嬢様、本当によろしかったのですか」


屋敷に戻るなり、侍女のマリアが心配そうに尋ねた。


「ええ、むしろ好都合よ」


レティシアは自室に入ると、すぐさま行動を開始した。


まず、これまで使っていた魔法化粧品を全て捨てた。


次に、屋敷の薬草園から様々な植物を採取してきた。


ラベンダーに似た紫の花。蜂蜜に近い粘度を持つ樹液。

オリーブに似た実から取れる油。


レティシアがそれらに触れた瞬間、不思議な現象が起きた。


視界に、半透明の文字が浮かび上がったのだ。


『アズール草:抗炎症成分87%、鎮静効果、長期使用による副作用なし』


『聖樹の樹液:保湿成分92%、魔力含有率0.3%(微量)、敏感肌への刺激性:極めて低い』


「これは......」


成分が、見える。


触れただけで、その物質の構成要素、安全性、肌への影響が即座に分かる。

前世の知識と融合した、この世界で目覚めた能力だった。


レティシアは夢中になった。


屋敷中の植物、鉱石、水源。

手当たり次第に触れては、成分を分析していく。


「お嬢様、お食事を......お嬢様?」


マリアの声も耳に入らない。


三日三晩かけて、レティシアは膨大なデータを収集した。

そして、前世の化粧品開発の知識と組み合わせ、この世界の素材だけで作れる基礎化粧品のレシピを完成させた。


「マリア、これを見て」


「これは......何でございますか?」


小瓶に入った透明な液体と、白いクリーム状のもの。


「化粧水と保湿クリームよ。魔力を一切使っていない、純粋な植物由来の基礎化粧品」


マリアは困惑した顔をした。無理もない。

この世界では、魔力が入っていない化粧品など『効果がない粗悪品』と見なされるのだから。


「お嬢様、失礼ですが......魔力なしで、本当に効果があるのですか?」


「あるわ。というより、私の肌には魔力入りの化粧品が合わなかったの」


レティシアは説明した。


この世界の魔法化粧品は、魔力で成分の浸透力を高めている。


だが、レティシアのような魔力過敏体質の人間には、その魔力自体が刺激になる。

強い化粧品を使えば使うほど、肌は悪化していく悪循環だったのだ。


「まずは洗顔から変えましょう。ゴシゴシ擦るのは厳禁。ぬるま湯で優しく。

その後、この化粧水で水分を補給して、クリームで蓋をする」


「......蓋、でございますか?」


「水分は蒸発するの。油分で膜を作って、蒸発を防ぐのよ」


この世界では、油分は『ベタつく不純物』として嫌われていた。

だが前世の皮膚科学では、適度な油分こそが肌のバリア機能を維持する鍵だと分かっている。


マリアに手伝ってもらいながら、レティシアは毎日欠かさずスキンケアを続けた。





一ヶ月後、レティシアの肌は生まれて初めて、滑らかな象牙色の輝きを放っていた。


「お嬢様......お美しい......」


マリアが涙ぐんだ。


鏡を見て、レティシア自身も息を呑んだ。


肌荒れに隠されていた本来の造形が現れていた。


切れ長の翡翠色の瞳、形の良い眉、薄紅色の唇。

公爵家の血を引く端正な顔立ちが、曇りのない肌の上で輝いている。


「これで、第一段階は完了ね」


レティシアは微笑んだ。


復讐などという言葉は似合わない。ただ、正当な評価を取り戻すだけだ。



レティシアが次の夜会に姿を現した時、会場は一瞬で静まり返った。


象牙色の肌が、魔導灯の光を受けて真珠のように輝いている。

深紅のドレスとの対比が、その美しさを際立たせていた。


「あれが......レティシア様?」


「嘘でしょう?一ヶ月前とは別人だわ…」


囁きが波紋のように広がる。


レティシアは優雅に微笑みながら、会場を歩いた。

かつて自分を嘲笑した令嬢たちの前を、堂々と通り過ぎる。


「レティシア様!」


最初に声をかけてきたのは、伯爵令嬢のセリーナだった。

彼女もまた、軽度の肌荒れに悩んでいる一人だ。


「その肌......一体どうなさったの? どんな魔法化粧品を?」


「魔法化粧品は使っておりませんわ」


「え?!そ、そうなのですか?では何か別の物を使われたとか…?」


セリーナが目を丸くする。周囲の令嬢たちも、聞き耳を立てていた。


「魔力を一切含まない、植物由来の基礎化粧品を自作しましたの」


「魔力なしで......しかも自作!?そんなことが可能なの?」


「ええ。むしろ、魔力が肌に合わない方も少なくないのよ。成分の相性が大切なの」


レティシアは簡潔に説明した。


肌に優しい洗顔の方法。水分と油分のバランス。刺激を与えない重要性。

前世では当たり前の知識だが、この世界の人々にとっては革命的だった。


「あ、あの!私にも......教えていただけません?」


「私も!」


「お願いします、レティシア様!」


あっという間に、レティシアの周りに令嬢たちの輪ができた。


かつて自分を嘲笑った者もいる。だが、レティシアは誰も拒まなかった。


それは復讐心からではない。

正しい知識を広めることが、前世の自分が貫いてきた信念だからだ。


「まずは…皆様のお肌の状態を見せていただけます?」


レティシアは一人一人の手に触れ、成分可視化スキルで肌の状態を分析した。


「セリーナ様は乾燥肌ですわね。保湿を忘れず、油分を多めに。

エミリア様は皮脂が過剰なので、さっぱりタイプが合いますわ」


「す、すごい......触れただけでわかるの?」


「少々、得意なのよ」


レティシアは微笑んだ。


その夜のうちに、レティシアへの評価は完全に逆転した。

『肌の汚らしい悪役令嬢』から『美肌の秘密を知る賢女』へ。

その日から社交界の話題は、彼女の美容理論一色となった。






二ヶ月が過ぎた頃、予想外の来客があった。


「レティシア様、王太子殿下がお見えです」


侍女の報告に、レティシアは眉一つ動かさなかった。


「…お通しして」


応接間に現れたアレクシスは、以前より憔悴して見えた。


そして、彼の首筋から顎にかけて、赤い炎症が広がっているのがレティシアの目に入った。


「......座っても?」


「どうぞ」


アレクシスが向かいのソファに腰を下ろす。

いつもの傲慢さが、どこか影を潜めていた。


「単刀直入に言う。君の化粧品を、私にも分けてもらえないか」


「あら、どうしてですの?」


レティシアは穏やかに問い返した。


「殿下は、魔法化粧品がお好きでいらしたでしょう。

王宮御用達の最高級品をお使いのはず」


アレクシスの顔が歪んだ。


「それが......効かないんだ」


「?」


「どんな高級品を使っても、この赤くなった肌が改善しない。むしろ悪化していて…」


彼は首元の炎症を隠すように、襟を直した。


「…昔からだ。魔法化粧品を使えば使うほど、肌が荒れる。またその肌荒れを魔法化粧品で隠すしかない。だからその悪循環で......」


「…だから、肌荒れを持つ者を、必要以上に蔑んでいらしたのですね」


レティシアの言葉に、アレクシスは黙り込んだ。


彼女は理解した。

アレクシスの過剰な外見至上主義は、自身のコンプレックスの裏返しだったのだ。


「アレクシス様、手を出していただけますか」


「......なぜ」


「お肌の状態を、確認いたしますわ」


アレクシスが恐る恐る手を差し出す。

レティシアがその手に触れると、成分可視化スキルが発動した。


『魔力過敏体質:重度。魔法成分への炎症反応。長期使用による慢性化』


やはり、自分と同じだった。


「殿下も、魔力過敏体質ですわ。私と同じ」


「同じ......?」


「魔法化粧品が合わない体質は、珍しくありません。

ただ、この世界ではその概念自体が知られていないだけ」


レティシアは立ち上がり、自室から小瓶を持ってきた。


「こちらを、お使いになってみてください。

魔力を一切含まない、植物由来の基礎化粧品です」


アレクシスは小瓶を受け取り、複雑な表情で見つめた。


「なぜ......こんなにも私に親切にする」


「親切ではありませんわ」


レティシアは淡々と答えた。


「正しい知識を広めることが、私の信念だからです。

それに、殿下がご自身を許せるようになれば、他者を必要以上に傷つけることもなくなるでしょう」


アレクシスは何も言えずに小瓶を握りしめ、その場を去った。





三週間後。


アレクシスが再びヴァルシュタイン家を訪れた時、彼の肌は見違えるほど改善していた。

首筋の炎症は消え、顔色も以前よりかは健康的に見えた。


「レティシア」


アレクシスは真っ直ぐにレティシアを見つめた。


「私は......君に謝らなければならない」


「存じておりますわ」


「......」


「夜会で私を『肌が汚らしい』と公然と侮辱なさいましたね。

理由も聞かず、弁明の機会も与えず、一方的に婚約を破棄なさいました」


レティシアの声は穏やかだが、芯がある。


「殿下は、外見だけで人を判断なさった。

私がどれほど努力しても改善しなかった理由を、調べようともなさらなかった。

そして今、ご自身が同じ症状に苦しんで初めて、私の言葉に耳を傾けていらっしゃる」


アレクシスは反論できなかった。全て事実だったからだ。


「私は、殿下を恨んではおりません」


「......」


「けれど、あの時の殿下を許すこともいたしません。

許すということは、あの行為が容認されるということ。

それは、今後同じ苦しみを味わう人々への裏切りになりますわ」


レティシアは毅然と告げた。


「婚約は破棄されたまま。それは変わりません」


アレクシスの顔が蒼白になった。


「待ってくれ。私は......君なしでは......」


「殿下」


レティシアは遮った。


「お聞きになりたいことがあります」


「何だ」


「殿下は、私の何をお好きになられたのですか?」


「......」


「この美しくなった肌ですか?それとも、殿下の肌を治した技術ですか?

あるいは…周囲の評価が変わったから、私の価値が上がったとお考えですか?」


アレクシスは言葉を失った。


「私という人間を、殿下はご存知ないはずです。

婚約者だった三年間、殿下は一度も私の話を聞こうとなさらなかった。

私が何を考え、何に努力しているか、関心を持ってくださったことがありますか?」


沈黙が部屋を支配した。


「......ない」


アレクシスが絞り出すように言った。


「私は、君を見ていなかった。君の外見だけを見て、君の内面を知ろうとしなかった」


「ええ」


「私は......愚かだった」


アレクシスが膝をついた。


王太子が、公爵令嬢の前で跪く。それは前代未聞の光景だった。


「許してくれとは言わない。だが、やり直す機会をくれないか。

今度こそ、君という人間を知りたい」


レティシアは彼を見下ろした。


かつて自分を傷つけた男が、今、自分の前で跪いている。

痛快だと思う気持ちがないわけではない。


だが、それ以上に冷静な自分がいた。


「殿下、一つ条件がございます」


「何でも言ってくれ」


「私は、この美容の知識を広める事業を始めるつもりです。

王都に店を開き、魔力に頼らない化粧品と、正しいスキンケアの方法を広めたい」


「事業......?」


「身分のある令嬢だけでなく、平民の女性たちも肌荒れに苦しんでいます。

私の知識が、少しでも多くの人の助けになれば」


レティシアは続けた。


「この事業が軌道に乗るまで、私は婚約については考えません。

殿下が本当に私という人間に関心をお持ちなら、私の事業を見守っていただけますか?

金銭などの支援は不要です。ただ、口出しせず、私の努力を尊重していただきたいのです」


アレクシスは顔を上げた。


「…それが、条件か」


「ええ」


「......わかった」


アレクシスは立ち上がり、姿勢を正した。


「君の事業を見守ろう。

そして、君という人間を知る努力をする。五年、十年、いや…何年かかっても構わない」


「よろしいのですか?他の令嬢と縁談を進める選択肢もございますわよ」


「他の誰も、私の本質を見抜いてくれなかった」


アレクシスは静かに言った。


「私の傲慢さの原因を理解し、それでも憎まず、正面から向き合ってくれたのは君だけだ。

君以外と生涯を共にすることは、考えられない」


その言葉に、初めて誠実さが感じられた。


「では、まずは対等な関係から始めましょう」


レティシアは微笑んだ。


「殿下が私の努力を尊重してくださるなら、私も殿下の変化を見守りますわ」







そして一年後。


レティシアの美容店『ヴェリテ』は、王都で最も予約の取れない店となっていた。


ヴェリテとはフランス語で、真実。

多くの女性に真実を導きたいという意味を込めてティシアが名付けた。


魔力を使わない植物由来の化粧品。

一人一人の肌質に合わせたカウンセリング。正しいスキンケア知識の普及。


貴族から平民まで、レティシアの店には連日行列ができた。


「お嬢様、本日も予約で満席です」


マリアが嬉しそうに報告する。

彼女は今、店の責任者を務めていた。


「ありがとう、マリア。あなたのおかげよ」


「とんでもございません。全てお嬢様の努力の賜物です」


窓の外を見ると、馬車が止まっていた。

王家の紋章が入った馬車だ。


アレクシスが降りてくる。

以前より穏やかな表情になった彼は、約束通り一年間、レティシアの事業に一切口出ししなかった。

ただ時折訪れて、彼女の話を聞くだけ。


「繁盛しているようだな」


「おかげさまで」


「先日、王宮の侍女たちの間でも評判になっていた。『ヴェリテの化粧水で肌荒れが治った』と」


「嬉しいですわ」


アレクシスは少し緊張した面持ちで、小さな箱を差し出した。


「これは?」


「開けてみてくれ」


箱を開けると、銀細工の髪飾りが入っていた。

デザインは繊細で美しいが、華美すぎない。


「店で働く君に似合うものを探した。......気に入らなければ」


「いいえ、とても素敵ですわ」


レティシアは微笑んだ。


高価な宝石ではなく、働く女性に似合う実用的な品を選んだこと。

それは、アレクシスが確かに変わった証だった。


「レティシア」


「はい」


「改めて聞いても良いか」


アレクシスは真剣な目で彼女を見つめた。


「私と、もう一度婚約してくれないか。

今度は対等なパートナーとして、君の事業を支え、君の努力を尊重すると誓う」


レティシアは一拍置いてから答えた。


「条件がございますわ」


「ああ、何でも」


「私は、この店を続けます。王妃になっても、事業を手放すつもりはありません」


「構わない」


「それから、私の化粧品を王宮の正式採用品にしてください。

魔力過敏の方は、王族にも貴族にも平民にもいらっしゃいます。

正しい選択肢があることを、広く知らしめたいのです」


アレクシスは頷いた。


「約束する」


「では、この婚約、喜んでお受けいたしますわ」


レティシアはアレクシスの手を取った。






鏡の中の自分を見つめる。


象牙色に輝く滑らかな肌。

その奥に映るのは、努力で運命を変えた女性の瞳だった。


前世で積み重ねた知識。この世界で目覚めた能力。そして、決して諦めなかった心。


全てが噛み合って、今の自分がある。


魔法に頼らなくても、努力は報われる。

正しい知識は、人を救う。


そして、自分を愛することを諦めなければ、運命は必ず変えられる。


「お嬢様、お時間です」


「ええ、今行くわ」


レティシアは鏡から目を離し、店へと向かった。


今日もまた、彼女を頼りに訪れる人々がいる。

かつての自分と同じように、肌荒れに苦しみ、自信を失った人々が。


その全員に、レティシアは伝えるのだ。


大丈夫。あなたの肌に合う方法が、必ずある。


諦めないで。


努力は、裏切らないから。



【完】

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