97 【システムメッセージ: フレンド まつみ ログアウト】
「仮想の恋は本物なのか?
それとも恋そのものが、ただの幻なのか?
愛した相手が存在しないなら、愛そのものは存在するのか?
もし互いに一度も会ったことがなくても、感情は生まれるのか?」
その問いが、テープの残響のようにまつみの頭の中で何度も繰り返された。
……
Kanatheonギルド最上階・議事ホール――
「昨夜はパシュスが失礼しちゃって、ごめんね」
まこは買ったばかりの黒と赤のミニスカ衣装で、苦笑した。
「大丈夫なの? 最後、まっすぐ歩くことすらできなかったよね」
ニフェトは口元を押さえてくすくす笑う。
「心配しなくていいよ。昨日は家の人が駅まで迎えに来たし。男の子って無理するんだよね。しょうたも来てたら絶対笑い転げてたよ、ははは……あ、そうだ! ニフェトって思ったよりずっと綺麗だね。目は私より大きいし、髪も私よりさらさら。まこ、悔しいなぁ。私も短くしようかな」
まこは頬をふくらませ、負けず嫌いに言った。
「そ……そう? パシュス、何か言ってた?」
ニフェトは頬を赤らめ、細い指で髪を耳にかける。
「ううん~。乗った瞬間からずっと吐いてたよ……はは」
ニフェトは一瞬固まり、がっくりとうつむいた。
【システムメッセージ: フレンド むぐち やよい ログイン】
「よっ」
むぐち やよいが軽く手を上げて合図した。
「おはよう、むぐちお姉ちゃん~」
まこは弾むように手を振る。
「うわ! 一日でハググの居住プレイヤー102人増えてる。街の面積も11%増だって!」
むぐちはインターフェースを開き、ハググの経済指標が大きく伸びているのを見て目を輝かせた。
「そんなに?」
ニフェトも待ちきれない様子でインターフェースを開いて確認する。
どん、と地面が一度だけ揺れた。
「ニフェト領主。港に来客です。名は――アンドリア、と名乗っています」
NPCの獣人が扉を開けて告げた。
三人は顔を見合わせ、湖畔へ向かう。そこには石竜にまたがったアンドリアがいた。
灰青の鎧に着替えていて、いつもの銀鎧に赤マントの凛々しさはない。
むぐち やよいが手を振り、渡ってくるよう合図する。アンドリアはうなずき、振り返ってひとりを抱え上げて渡ってきた――まつみだ。
まつみは気絶していない。だが目は死んだ魚みたいに空っぽで、ひと言も発しない。
「まつみ?」
まこが体を揺すっても、反応はなかった。人形みたいに、ぼんやり前だけを見つめている。
「二時間ずっと話しかけたけど……返事がない……」
アンドリアは悲しげで、いつもの傲慢さが消えていた。
「どうしたの?」
ニフェトが眉をひそめる。
アンドリアは深くため息をつき、無力そうに首を振った。
……
Kanatheonギルドホール――
「AI?!」
皆が一斉に息をのむ。
アンドリアは無表情に肩をすくめ、角でうずくまって落ち込むまつみを、申し訳なさそうにちらりと見た。
「そんなはずないよ。かみこって、冷静すぎる以外は人間そのものだったじゃん!」
まこが青ざめて言う。
まつみがはっと顔を上げた――「かみこ」という名が聞こえたからだ。
「しっ……」
ニフェトがすぐに合図し、まこに声を落とすよう促す。
まこははっとして、自分の口を手で押さえた。
「だから鏡の盾をあんなに神業みたいに扱えたのか。あれ、超精密なコンピューターそのものだ」
むぐちは震えた声で気づきを口にした。
「まつみは一晩中寝てない。きっと限界よ。もっと気にかけてあげて……だって……あのAIへの気持ちは、本気だったんだろうし。傷ついたのだって、本物なんだと思う」
アンドリアはしみじみ言った。
「そもそも仮想なんだし、作り話だと思えばいいんじゃない?」
むぐちは眉を寄せて言う。
「人が、心から湧いた感情を無視できるなら……心の病なんて生まれない。たぶん、そういうのも人間の一部なんでしょうね」
アンドリアは顔を背け、まつみをこれ以上見られなかった。
応接間は一瞬で静まり返り、ブチャの羽ばたきだけが風を鳴らした。
「プラムスの状況、そんなに悪いの?」
ニフェトが空気を変えようと話題を振る。
「はぁ……」
アンドリアは長いため息をついた。その声は枯れ葉さえも萎れるほど、沈み切った声だった。
「建物の八割以上が焼失。上級プレイヤーの四分の一が離脱。さらに味方の戦死者は四十人超。戦力は大打撃よ。次の城戦までに立て直せるかも怪しい」
むぐち やよいは内心ほくそ笑んだ。ハググの人口が一夜で増えた理由は、プラムスの難民だったのだ。
「木材四万、獣人の技師二百人を送るよ。復興を手伝わせて。一週間もあれば、元の姿に戻せる」
アンドリアの目が一瞬だけ輝き、すぐにうつむいて木の机に爪で傷を刻んだ。
「四万の木材と二百人の技師……対価を払える自信がない」
「ふふ、贈り物だよ~。貸しはいつか返してもらうけどね」
むぐち やよいはいたずらっぽく笑う。
「経済は時間が解決する。でも一番厄介なのは、プレイヤーが銀龍の刻印への信頼を失ったこと。関係を立て直すのに時間がかかる。次の城戦で援軍に回れる保証はないわ」
アンドリアは迷いながら言った。
「大丈夫。あなたにはグズ湿台があるでしょ?」
「グズは滅びる覚悟で奪った土地よ! むぐち やよい、まさかそれを奪う気?!」
アンドリアは怒鳴る。
「違うよ~。手放さなくていい。むしろ、ちゃんと管理してほしい」
「………………え?」
「銀龍の刻印は痛手を受けた。でも主力は健在。戦死したのは三流の同盟や雇われプレイヤーが中心でしょ? 代わりはいくらでもいる。ハググは勢いがあるけど、Kanatheonはまだ銀龍の刻印ほどの名声はない。二つの王都を抱える力はないんだよ。だからグズはあなたたちが管理するのが最善。私たちが欲しいのは、グズの城主の金の鍵だけ。魔王城の門を開くためにね。防衛が必要なら人も出す。どう? 悪くない取引でしょ?」
むぐち やよいは自信満々に微笑んだ。
アンドリアはしばらく彼女を見つめ、それから苦笑する。
「副長で終わらせるには惜しいわね」
そのとき、隅から赤い光が弾けた。
【システムメッセージ: フレンド まつみ ログアウト】
三人は同時に振り向く。そこにいたはずのまつみは、もういなかった。
「赤い光……?」
ニフェトが眉を寄せる。プレイヤーがあの色に包まれるのは、オークション会場でGMが出現するときだけだった。
……




