85 「お父様、初めまして!」
夜の帳が降り、まつみとかみこは城壁の上に並んで座り、静かにハググの景色を眺めていた。
果てしない砂漠の上空には銀色の満月が浮かび、薄雲が月の下部を覆い、幻想的な朧さを添えている。
まつみは上機嫌で自分の音楽をかみこに共有し、かみこは隣で黙って聴いていた。
一羽の白い小鳥が、まつみの肩にとまる。
【 密信 社畜: 宿屋通りに一人で来てください。──5分前】
「ふん?ちょっと待ってて、すぐ戻る」まつみは鼻を鳴らし、立ち上がってその場を離れた。
かみこは振り返り、去っていく背中を静かに見送る。
…
「どうしたの?」まつみは遠目から、通りの中央に立つ社畜の姿を見つけた。周囲にはまばらに他プレイヤーがいるだけだ。
「かみこと、ずいぶん仲が良くなったみたいだな」社畜は眉を寄せる。
「そうでしょ?ふふん、嫉妬してるの?」
「彼女を幸せにする覚悟はあるのか?」
「はぁ?あんたに関係ないでしょ!自分で頑張りなさいよ!」
「一つ、頼みがある」社畜は真剣な面持ちでまつみの手を握った。
「告白なら自分でやって!」まつみは必死に手を振りほどこうとする。
「俺は、あの子の父親だ」社畜は鋭い眼差しでまつみを見据え、静かに告げた。
「えっ?!ちょ、ちょっと待って……」まつみは狼狽し、その目を見て冗談ではないと悟ると、勢いよく最敬礼。
「お父様、初めまして!私は必ずかみこを幸せにします!ゲーム内では少しやんちゃですが、現実の私はとても誠実です!どうか誤解なさらないでください!」
「彼女の過去は……本人に語らせる。だが、このゲームには過負荷システムがあるだろう。あの子はずっと、楽しさを知らないように見える。俺は毎日仕事終わりにログインしてそばにいるが、反応は薄い。だが、お前は違う。お前には特別に懐いている。あの子が、お前を見つめるあの目を、俺は今まで見たことがない。きっと、お前が運命なんだ。どうか、大切にしてやってくれ。かみこは少し癖が強くて、人付き合いも不器用だ。どうか受け止めてやってほしい」社畜は言い終えると、父性が溢れ出し、声を震わせた。
「ぼ、僕は頑張ります!」まつみは再び深く頭を下げる。
「それなら安心だ。俺はもう落ちる。疲れた……」社畜は大きなあくびを一つして、そのままログアウトした。
「お父様公認だ!待っててね~、愛しの人!」まつみは意気揚々と、城壁に一人座るかみこを見つめながら呟いた。
…
Kanatheonのギルドの塔一階――
深いブラウンの木造円形ホール。床にはワインレッドのベルベットカーペットが敷かれ、カーテンと同じ質感で、金糸の精緻な刺繍が施されている。ふかふかの毛足は綿の上を歩くような心地よさだ。壁には白い壁掛け燭台が並び、天井中央には幾層にも重なった円形のシャンデリアが吊るされ、堂々たる威容を放つ。巨大な円卓の中央には円形花壇が設けられ、色とりどりの花々が空間に彩りを添えていた。傍らには「集中」「加速」と書かれた軽食も用意されている。
ニフェトは円卓の片側に座り、その傍らにむぐち やよいが立つ。向かいには三人の男が並んでいた。
「我々“乞食団”は三十名、平均レベルは百八十一。そちらに合流できれば、Kanatheonはさらに飛躍するはずです」彼らのギルドマスターが胸を張る。
「ええ、前向きに検討します。三日後に返答を。では、七ギルドマスター」ニフェトは無理に作った笑顔で応じた。
「次」むぐちが短く告げると、獣人の衛兵が扉を開き、次のギルドマスターを招き入れる。
ニフェトは扉の隙間から外を覗き、十数人のギルドマスターが列を成して待っているのを見て、思わずため息をついた。
「はじめまして、ニフェト会長。私は――」またもや型通りの自己紹介が始まる。
ニフェトは肘で机を支え、こめかみを揉みながら疲労を滲ませた。
…
「標的はあの白髪のバーサーカー?」まつみは木の上から草原を覗き込みながら囁いた。
かみこは鏡の盾を幹の形に曲げ、影の中で草原の緑光を反射させる。上に潜む自分の姿を悟らせない。
「正確。森の縁に陣取るギルドマスターの暗殺――以上がむぐち やよいの直命。彼らは移転を拒み、プラムスとハググ間の商隊を襲撃しているため排除対象。白髪のバーサーカーが発言するたび周囲が譲る。地位は明白」かみこは冷静に、円陣を組む十人を見下ろした。
「相手は十人。速攻必須。失敗したら無傷での撤退は困難。準備は?」まつみは白骨の短剣を抜き、黒いマスクを引き上げる。
「不確定。理論上は可能だが参照データ不足。無用なリスクは推奨しない。偵察優先、暗殺は二の次。時間はある」
「聞いて、かみこ!データじゃなく、今ここにいる“私”を信じて。もし私の作戦が無謀でも、心の底から盲目的に従って。絶対に後悔させない!」まつみは肩に手を置き、燃えるような視線で見つめた。
かみこは眉を寄せ、頭内にノイズが走る。
「……了解」
まつみは幹の上で立ち上がり、黒衣を羽織り、短剣を握り締める。心臓が高鳴る。目を閉じ、深呼吸で乱れを整えた。
「急所スキャン」
両眼が闇に染まり、地上の会話する者たちの赤い急所が淡く浮かび上がる。
片膝を幹に着け、短距離走者のように身を低く構えた。
【システムメッセージ: まつみ パーティーから離脱】
「3、2、1」かみこが小さくカウントする。
まつみは黒煙のように溶け、姿を消した。
「位相シフト!」かみこはまつみの前方と白髪のバーサーカーの背後に鏡の盾を同時に展開する。
バーサーカーの背中が、目の前の鏡面に映り込んだ。
まつみの足が弾けた。圧縮されたバネのように爆発的に加速し、鏡へと突っ込む。
重力が歪んだ空間を身体が押し抜ける感覚。圧力輪を通過するような圧迫のあと、足が地面を捉えた瞬間――まつみは、すでに背後に出現していた。
円陣の者たちは鏡を怪訝そうに見つめるばかりで、すでに透明な刃が会長の背後に貼り付いていることに気づかない。
「滅心重撃!」まつみは吼え、二本の短剣を同時に急所へ突き立て、手首を捻って内部を破壊する。
バーサーカーの目が白く反転し、口を開けたまま声にならない。
「会長!!!」周囲が武器を抜き、まつみに殺到する。
まだHPが残っている。まつみは即座に二撃を叩き込む。
ぷしゅっ――バーサーカーは光塵となって爆散した。
一瞬、場が凍りつく。
まつみは後方へ宙返りし、鏡面へ飛び込み、次の瞬間には樹上へ転移していた。
【システムメッセージ: まつみ パーティーに参加】
「!」まつみは黒い粉を撒き散らす。
「爆縮!」
ぼふっ。
二人は同時に再び姿を消し、痕跡ごと掻き消えた。
……
「成功……」
まつみはかみこの手を引き、全力で森へ駆け込む。十分に距離を取ったところで、大木の陰に身を預けて荒い息を整えた。
「選択肢がある状況での賭けは、合理的とは言えない」かみこは汗を流しながらも、表情は冷静だ。
「でも成功したでしょ!人間は自信がなきゃ。魂の奥から自分を信じて突き進むからこそ、意味があるんだよ。データだけ見てたら、つまらないじゃん」まつみは指を突きつけ、真っ直ぐな視線でかみこの瞳を射抜く。
「人生の意味……」
……




