36 赤ネーム
火球は直撃し、まこはむぐちの傍へと吹き飛ばされる。布の装備は焼け、いくつも穴が開いていた。
「馬鹿! 魔導士のPVPは動き続けるのが基本でしょ!」
むぐちは激しく叱る。
満身創痍のまこは、それでも目を逸らさない。水中から召喚杖を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がる。
「……分かったわ。」
魔導士の女は姿勢を正し、感嘆を込めて言った。
「何がだ?」
浪人は魔狼と斬り合いながら問う。
「彼女、背後の赤ネームを守ってる。私の魔法が当たらないように、あえて動かなかったのよ。」
「バカなの?! PVPは勝つことが最優先でしょ!」
むぐち やよいが思わず怒鳴った。
「まこはバカだよ……ずっと仲間に頼って、ここまで来た。」
まこは大粒の涙を流し叫ぶ。かなとノクスの姿が脳裏をよぎり、胸が引き裂かれるように痛んだ。
「むぐちは、仲間が自分のために死ぬ気持ちを知ってる? 教えてあげる……自分が死ぬより、ずっとつらいんだよ!」
「いい子ね……敬意を表するわ。成仏させてあげる。」
魔導士の女は再び魔杖を掲げる。
「逃げて、まこ! 無理よ……私はもう動けない! あなたが死んだら、私もゲームオーバーなんだから! せめて一人は生きなさい!」
むぐち やよいは力を振り絞って立ち上がり、まこを強く突き飛ばす。傷口から血が噴き出した。
「溶岩術!」
さらに巨大な火球が生まれ、二人へと迫る。
「行って!」
「嫌! 命を賭けても……!」
まこは涙を拭い、瞳を真紅に染めた。
周囲の湖水が二人へ引き寄せられ、紫の髪がふわりと浮き上がる。赤い焔の塵が身体の周りに舞った。
「まこ……まさか……」
むぐち やよいは手を離し、静かに後退する。
「強がったって無駄よ!」
魔導士の女が吐き捨てる。
火球が、今にも二人に直撃しようとした。
「絶対に守る!」
まこの魂が燃え上がり、全身から紅光が噴き出す。
ドォン!!!
数十メートルの蒸気柱が立ち上がり、爆風が湖水を白くうねらせた。
白霧の向こう、まことむぐちの前に小山のような影が現れる。
巨大な三つ首の煉獄狼が、火球を丸ごと噛み砕いていた。
全身は漆黒、毛先は焔をまとい、鋭い牙から溶岩が滴る。浪人と魔導士の女を睨みつけるその姿は、まさに地獄そのものだった。
「な……なんだ、この化け物?!」
二人は腰を抜かし、水の中へ倒れ込む。
「炎牙!」
過負荷状態のまこが咆哮する。
三つ首の煉獄狼は裂けんばかりの大口を開き、黒紅の烈焔を噴きながら二人へ飛びかかった。
「や、やめてぇ!!!」
二人は泣き叫び、無様に手を振って命乞いをする。
煉獄狼が跳躍し、その一首が魔導士の女の下半身に噛みついた。
ボウッ――!
次の瞬間、まこの瞳から光が失われ、水中へ崩れ落ちて気を失う。
煉獄狼は全身を炎に包まれ、やがて焔の塵となって消え去った。
「おい、しっかりしろ!」
浪人は重傷の魔導士の女を揺り起こす。
二人は震えながら立ち上がった。
「……助かったわ。あれほどの過負荷、すぐに疲労値を使い切ったみたいね。」
魔導士の女は腰の傷を押さえ、歯を食いしばって呟いた。
「バカ! 最後は仲間も守れない無能! クズが!」
浪人は、水中に倒れて意識を失ったまこを吐き捨てるように罵った。
立っているのは、むぐち やよいだけだった。
「次はお前だ……」
浪人は大斧を構え、むぐち やよいを指す。
「……私の友だちは、バカだ。」
むぐち やよいは目を閉じて言った。
「そうだな! バカだ! 一人死のうが二人死のうが、哀れでもなんでもない!」
浪人は嘲笑する。
「計算ができない。」
むぐち やよいは繰り返す。
「その通りだ! 仲間を守る? はははは! 俺が先にお前を殺したら、あの女はじっくり可愛がってやるよ。」
浪人は下卑た笑みを浮かべた。
「……不幸だ。あの子はバカだ。でも……」
むぐち やよいの瞳から、蛍光のような青い光が溢れ出す。
「私も、計算できなくなった!」
刀を抜き、深く腰を落として水面に踏み込み、背後に濃い蒼光が渦を巻く。
「おい……まさか、お前―――」
浪人と魔導士の女は異変を察し、同時に背を向けて逃げ出した。
「断影。」
むぐち やよいは静かに呟く。
次の瞬間、姿が消え、水面に薄い波紋だけが残った。
視認不可能な速度で二人の背後へ回り込み、急停止。巨大な水しぶきが巻き上がる。
「旋風斬!」
防御する間もなく、蒼く輝く旋風が二人を貫いた。
回転が止まり、刀身から血が二滴、弧を描いて飛ぶ。
膨大な螺旋の力が水面を抉り、円環の水花を炸裂させた。
舞い上がった水滴は空中で静止し、むぐち やよいは俯く。
深い藍の長髪が、扇のように広がった。
世界が止まり、遅れて彼女の速度に追いつく。
やがて水滴が雨のように落ち、時間が再び流れ出す。
二人の身体は紙屑のように砕け、光の塵となって散った。
「……これが、過負荷か。」
むぐち やよいは小さく笑い、周囲に集まり始めたプレイヤーたち――武器を抜き、ざわめく気配に気づく。
「やっぱり……PVPの過負荷は……つまらないね……」
苦笑を浮かべたまま、水中へ崩れ落ち、意識を失った。
「バカだね、まこは……」




