194 未踏の地へ
三時間後、連合軍は幽語の森の縁にたどり着いた。嘆きの山脈の灰青色の輪郭が、ようやくはっきり見え始める。気温は涼しくなり、もともと青々としていた草原は、墨を流したような深緑の膝丈の草地へと変わっていた。
長草はやわらかな風に撫でられ、草むらに隠れた紫の丸い花がちらちらと姿をのぞかせる。そこから漂う香りが、あたりに淡く広がっていた。
だが連合軍に、ムー大陸の牧歌的な景色を味わう余裕はなかった。具足は草原を一直線に踏み分け、ただ北へ向かって進んでいく。
……
「ん~、疲れたね…………うわっ!?」ニフェトはあくびをした瞬間、後ろからぐいっと持ち上げられ、悲鳴を上げた。
パシュスはまるでお姫様抱っこのようにニフェトを抱き上げ、そのまま安定した足取りで歩き続ける。
「ちょ、ちょっと下ろして! みんな見てるってば!」ニフェトはたちまち耳まで真っ赤になり、慌ててパシュスの胸甲を叩いた。
「まだ先は長い。少し休んでろ」パシュスは真面目な顔で言う。
「やだよ……みんな見てるってば……」ニフェトは彼の肩越しに、こっそり後ろを振り返った。
戦士たちは歩きながら雑談したり、カンドウの号令旗を見上げたりしているだけで、前方の二人に目を向けている者はほとんどいない。
「パシュスは簡単に諦めないよ。少しくらい抱かせてあげなよ」むぐちは苦笑した。
「わ、私……」水色の髪の下で、ニフェトの顔はさくらんぼのように真っ赤になっていた。
「大丈夫だ。少し休め」パシュスは微笑む。
「何を得意げになってるのよ。まだ許したわけじゃないんだから……」ニフェトは頬を膨らませ、眉を寄せて言った。
その瞬間、上空から冷気のような沈黙が降ってきて、パシュスの笑みが凍りついた。
「ごめん!!! こんな事故になるなんて思わなかった! もう二度と失敗しない、これからは絶対にそばで守るから、ニフェト!」パシュスの顔から笑みが消え、罪悪感で顔面がくしゃくしゃに崩壊した。まるで丸めた紙屑のように五官がひしめき合っている。
「そ、それならいいわよ! もう……あんたに、私の全部を預けるんだからね……」ニフェトは勢いのまま、胸の奥の本音を吐き出した。若い体は一瞬で炉のように熱を帯び、心臓は破裂しそうなほど高鳴る。
むぐちは口笛を吹いて囃し立て、まつみとまことかなも二人の様子を見て喜んだ。
「任せてくれ、ニフェト! 二度とあんな失敗はしない。もちろん、二度と告白なんてして困らせたりもしない!」パシュスはニフェトが許してくれたと思い込み、すぐさま誠実に反省を口にした。
「( ꒪⌓꒪)」
「( ꒪⌓꒪)」
「( ꒪⌓꒪)」
「( ꒪⌓꒪)」
皆は呆然とパシュスを見つめる。
「下ろして……」ニフェトはゆっくりとうつむき、表情だけが妙に冷静になった。
「もう休まなくていいのか? まだ何時間も歩くんだぞ」
「触らないで! 下ろしてって言ってるでしょ!」ニフェトは怒りのあまり涙を一粒こぼし、激昂して。
パシュスはぎょっとして、そっとニフェトを地面に下ろす。ニフェトは怒ったように鼻を鳴らし、そのまま早足で去っていった。
パシュスは茫然とした顔で周囲を見回したが、全員が虫けらでも見るような軽蔑の目を向けているのを見て、自分がまたやらかしたのだと悟った。
……
時は知らぬ間に指のあいだからこぼれ落ちるように過ぎていき、連合軍はハイエルフの木造砦を抜け、幽語の森へ進軍した。
さらに進むと、薔薇湖の香りがそっと漂ってくる。まるで香のように、戦士たちの張りつめた心を静かに和らげていった。連合軍はエルフの王都でしばし休息を取り、そのまま北門から出発する。
この先には泥牛、毒猿の王、屍喰い蟻といった強力な神族の獣が潜んでいる。普段ならKanatheonの巡回隊も、神族との衝突を避けるため北の森には意図的に近づかない。
だが今は違う。アンドリア軍団は、ここを血路を切り開かなければならない。そしてそれは、ちょうどいい肩慣らしにもなるはずだった。
鬱蒼とした森は次第に明るさを帯び、彼らは幽語の森を抜けて極北の地へと到達した。雄大な嘆きの山脈が目前に迫る。地平線の左端から右端まで延々と連なり、その果ては見えない。見渡すかぎりの氷と雪の世界。凍てつく風は白い亡霊のように氷原をさまよい、ひゅうひゅうと唸り声を上げていた。
ニフェトは地図を確認する。嘆きの山脈を越えれば、そこはすでに地図の外――未踏の領域。魔の都・霊殺しの源郷は、その虚無の彼方に存在している。
すでに日が落ちていた。連合軍はこれ以上の前進は危険だと判断し、森の縁で野営することを決める。空では翼騎兵が巡回を続け、不意打ちに備えていた。
……
アンドリアはニフェトとむぐちと森の中で合流した。
「これ以上は進まない方がいい。氷原で野営するのは得策ではないよ。嘆きの山脈には恐ろしい怪物が潜んでいるかもしれないし、無理は禁物だわ」アンドリアは地図を指し示して言う。
「でもこの一帯の神族は強いわ。夜襲されたら厄介よ」ニフェトは不安を口にした。
「ハイエルフの王都を落としてから、魔王の部隊には一度も遭ってない。戦力を集中させている可能性が高いね。神族が組織的な攻撃を仕掛けてくるとは思えない」むぐちは推測する。
「ただ、これ以上進めば野営の機会を失うかもしれないのが怖いの。まだリスクを管理できる場所で休むべきよ」アンドリアは、いつの間にかむぐちの思考法を身につけていた。
「賛成」むぐちは即座に、アンドリアの言い回しに納得した。
「今回の野営地は規模が大きいわ。見張りに立つプレイヤーも大量に必要になる。うまく配置できる自信はある?」ニフェトは、陣容の整った連合軍を左右に見渡しながら尋ねる。
「エルフ城のNPC守備兵を一晩だけ呼び寄せられないかしら? そうすれば……」アンドリアはひらめいたように言った。
「もちろん~無理」むぐちは即座に断った。アンドリアは白い目を向け、交渉の余地がないと悟る。
「嘆きの山脈の近くまで偵察を出す?」ニフェトは遠くの山並みを見つめ、眉をひそめて言う。
「いいわ、ついてきて」アンドリアは石竜を召喚し、ニフェトとむぐち、さらに七名の護衛を背に乗せて北へと飛び立った。
幽語の森を離れ、極北の雪原の上空へ差しかかったその瞬間――空に巨大な白銀の聖光が閃いた。アンドリアは息を呑み、石竜を急停止させる。
「我が王ニフェトよ。どうか我らを軍に加え、我が種族の汚名を返上させて」聖なる白光の中から、高貴で厳かな声が響いた。
どん、と空中で無数の純白の羽が星のように弾け散る――
【システムメッセージ: 精霊白の女王 蕾 降臨】
蕾は六枚の神翼を広げて空に現れ、その背後には二百を超えるハイエンジェルの守護兵が整然と隊列を組んでいた。
暗い夜空に突如として光の海が広がる。連合軍は次々と森から飛び出し、空で燦然と輝く聖天使軍団を見上げた。
「こ、これは……」アンドリアは、かつて蕾に惨敗した時の光景を一瞬で思い出し、声を震わせた。
「どうやら、かなり頼もしい守備部隊が手に入ったみたいだね」むぐちは意地悪く笑う。
「来て、蕾」ニフェトは苦笑しながら首を振り、聖天使軍団を森へ導いて野営の準備に取りかかった。




