112 あなたは、わたしを信じてない!
まこは枯れ木にもたれ、膝を抱えて座り込んでいた。鮮やかな紫の花畑を静かに見つめる淡紫の瞳には、薄い陰りが宿っている。
小さくため息をつき、ラベンダーの束を手のひらで弄ぶ。頭の中にはパシュスとの言い争いが何度もよみがえる。
本来は生き生きと輝く瞳が、しゅんと伏せられ、力なく揺れる。
指先で花穂を回すたび、小さな花弁がぽろりと落ちる。まこはそれが地面に舞い落ち、土に汚れていく様子をぼんやり見つめた。
「わたし、バカだし……弱いし……みんなの役に立ててない……」膝の間に顔を埋め、小さな声で呟く。
魔狼がふいに顔を上げる。まこは驚いて召喚杖を握り立ち上がり、視線の先を追うと、そこには手を振るパシュスの姿があった。。
「バカか?」
「アホ!」
「黙ってろ!」
頭の中では、すでに罵声の準備ができている。
まこは小さく息を吐き、重い足取りで杖に体重を預けて座り直し、パシュスを見ようとしない。
こんなにも冷たい態度を向けられるのは初めてだ。パシュスの胸に罪悪感が広がる。それでも、覚悟を決めて声をかけた。
「……よう」
まこは小さく頷くだけで、視線を合わせない。
やわらかな風がラベンダーを波のように揺らす。梢の葉が鈴のように鳴り、さらさらと歌う。
二人は石像のように動けず、そこに自分が存在しないふりをしていた。
枯れ木が、ちょうど二人の間に立っている。
胸がざわつく。見慣れたはずのまこが、どこか遠い。
意を決し、パシュスは隣にどかっと腰を下ろした。
まこはすぐ俯き、またラベンダーをいじり始める。
「まだ怒ってるのか、まこ?」パシュスは眉をひそめ、強めの口調で誤魔化そうとする。
まこは唇を押さえ、首を横に振る。
「意地張るなよ。どう見ても怒ってるだろ。何があった?」
「……なにも」
「言い方がきつかったのはわかってる。悪かった。もう怒るな、な?」
怒りが込み上げるのを必死に抑え、深呼吸する。
まこはさらに小さく丸まり、沈黙を貫いた。
「心配だったから、つい言い過ぎたんだ。許してくれ」パシュスは声を落とす。
まこはこくりと頷く。それでも顔を上げず、膝を抱えたまま、距離は埋まらなかった。
パシュスは胸のつかえが取れたように微笑み、また説教を始めた。
「わかってくれたならいい。俺たち、十年以上の付き合いだろ。お前が甘すぎるのは昔からだ。すぐ人を信じる。リアルでは俺とまつみが面倒見てきたけど、ゲームじゃ見知らぬ奴も多い。もっと警戒しろ」
「わたしは……彼を信じてる」まこは無表情のまま顔を上げる。淡紫の瞳の縁が赤く染まっていた。
「は? まだわかってないのか!? あいつはお前を騙した。最初はNPCだと思って契約したんだろ? 今は解除できない。お前の居場所も状況も全部知られてる。監視されてるんだ! 俺はな、誰かがお前に好き勝手干渉できるのが嫌なんだ。わかるか?」パシュスは声を荒らしつつ、言葉を選んでいるつもりだった。
「彼はわたしを傷つけてない。それどころか何度も助けてくれたし、ハググ攻略にも協力した……違う?」まこは視線を逸らさず、真正面から見返す。
「助けたことと、監視することは別だ! いつか俺たちがいない時に危害を加えるかもしれない。だから防ぐんだ。むぐちだって契約は解除すべきだって言ってる!」
「だから、わたしは“選んで”信じてる。だめ? どうして“あなたが”正しいと決めるの? あなたが良い、あなたが悪い……じゃあ、わたしの選択はどこ?」まこは語気を強め、指先でラベンダーを握り潰した。
「お前が純粋すぎるから騙されるんだ! 契約が守りになるとしても、もう俺たちが守れる。あいつの力はいらない! 存在自体がリスクなんだ、わかれよ!」パシュスの声は抑えきれず大きくなる。
――コトン。
枯れ木から銀色の手のひらほどの実が落ち、パシュスの肩に当たった。
「これはリスクの話じゃない。信頼の話! あなたは、わたしを信じてない!」まこは立ち上がり、正面からぶつかる。「PVPはかなに敵わない。PVEはかみこに及ばない。ギルド運営はニフェトやむぐち に任せきり。頭の回転だってまつみに負けてる。いつも迷惑ばかり。でも、それで“信用できない人間”なの?」
「違う! 俺たちはお前を信じてる! ただアンドリューの野郎を信じてないだけだ……」パシュスは慌てて否定する。
「わたしは、ただ信じてるだけ。それもダメ? わたしがバカだから、その権利もないの? みんな、わたしを何だと思ってるの!」まこは拳を握りしめ、森を震わせるほどの声で叫んだ。
パシュスは言葉を失う。ここまで激しく返されるとは思わなかった。
「わたし、ずっと努力してる。こっそり一人で訓練して、低レベルダンジョンを自力で攻略して、闘技場の観戦チケットを買ってPVPを学んでる。失敗したらすぐ謝る。でも、それで自分の信念まで手放さなきゃいけないの? わたしを尊重したこと、ある?」まこの目尻から涙がこぼれ、鼻先が震える。
「……ごめん。そこまで考えてなかった」パシュスは胸が締めつけられ、頭を下げた。
「……帰って」
「まこ、俺はただ心配で――」一歩踏み出す。
「帰って!!!!!!」
ザクッ――まこは召喚の杖を地面に突き刺した。
魔狼が低く唸り、全身の燃え盛る毛並み。牙の隙間から溶岩のような光が漏れた。
パシュスは肩を落とし、その場を去る。
まこは堪えていた涙を一気に溢れさせ、胸元を握りしめてしゃがみ込む。
声だけは絶対に漏らさぬよう、歯を食いしばったまま――。
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