104 「<」「O」「>」
ゆっくりと血の池に近づくと、生臭い匂いが一気に押し寄せた。
池の縁には三枚の突き出た石畳がある。「<」「O」「>」の刻印が彫られていた。
「踏むの?」かなは浮き上がった石板を見てためらう。
「他に仕掛けがないか確認してからにしよう。まこはここで待機。うっかり踏んじゃったら困るから」むぐちは苦笑した。
「うぅ……わかった」
周囲の足場を丁寧に調べるが、他に記号の刻まれた石畳は見当たらない。
むぐちは全員に目配せし、「O」の石畳を踏み込んだ。
ゴゴゴ――部屋全体が揺れた、静かだった血の池が激しく波立つ。
やがて巨大な円形の石盤が血の中からせり上がった。形は「Q」のように、一本の石橋を伸ばし、彼女たちの足場と繋がる。
「見て! 左の壁!」かなが叫ぶ。血の池の左側の壁に光の紋章が浮かび上がっていた。
「またスイッチ連動型の謎解きね……」むぐちは顎に手を当てる。
「とりあえず乗ってみるわ!」かなは石橋に足をかける。――何も発動しない。
「これも試してみるわ……」ニフェトが「<」の石畳を踏むと、円盤が急に回転を始め、かなは危うく転びかけた。
「ちょっと! 危ないでしょ、バカ!」
「え、待って! 見えない……!」ニフェトの視界が黒い霧に覆われる。神術でも解除できず、しばらくしてようやく自然に消えた。
「……なるほど。誰かが回転盤を操作して、仲間を向こう岸へ送る仕組みね」むぐちは多くのダンジョンを攻略してきた経験から即座に理解する。
「で? 誰が石盤に乗るの?」かなが苛立ち混じりに言う。
むぐちは一同を見渡す。ニフェトは重要な神官。危険は避けたい。まこは……却下だ。
「……かな、行ける?」
「は? PVPは得意だけど、謎解きはまこと大差ないわよ」かなは不機嫌に返す。
「まこ、がんばれるけど……」まこは肩を落とし、口を尖らせる。
むぐちは苦笑した。
「今は私とあなたしか候補がない。謎解きは私が見る。体力勝負はお願いできる?」
「はぁ……注文の多い副長ね」ぶつぶつ言いながらも、かなは石橋へ歩み出る。
「行くわよ!」
靴一足分ほどの細い橋を両手でバランスを取りながら渡り、無事に円盤へ到達した。
「で、次は?」
「ニフェト、『>』を踏んで。かなを十二時の方向へ回して」むぐちは即答する。
「わかったわよ。止めるタイミング言ってね~」
ニフェトが「>」を踏むと、再び黒霧が視界を覆う。
石盤はゆっくり回転する。激しい揺れに、かなはしゃがんで体勢を保つ。やがて止まるが、石橋は十時方向を向いていた。
「あと少し、ニフェト」むぐちは冷静に指示する。
「え? まだ踏んでるわよ? 動いてないの?」ニフェトはさらに強く踏み込む。しかし、石盤はそれ以上回転しなかった。
「あの……まこは、壁の光の紋章と関係あると思う……」まこは遠慮がちに言った。
「もちろん関係ある。でも今はギミックの制限を検証中よ。抜け道が見つかれば楽に突破できる……かな、橋の先端まで行って。向こう岸へ跳べるか確認して」むぐちは大声で叫ぶ。距離が開きすぎていた。
「自分で跳べば?! どう見ても無理でしょ!」かなは怒鳴り返す。
「仕方ないわ……ニフェト、『<』を踏んで。かなを紋章の前まで回して」むぐちは観念した。
ニフェトは何度か踏み間違えながら、ようやく正しい石畳を踏む。石盤がゆっくり反時計回りに回転を始めた。
「待って、回しすぎ! 戻して!」
「ストップ! ……今度は足りない!」
「声大きい……プレッシャーかかる……」ニフェトは視界を奪われたままに石盤を操作し、額に汗を浮かべる。
やがて石橋は九時方向――壁の光の紋章へと向いた。
「少しだけ……少し……今!」むぐちが叫ぶ。
ニフェトは足を離す。石橋はぴたりと紋章の前で止まった。
かなは立ち上がる。回転の影響で体が左へ傾き、しばらくしてから姿勢を立て直し、慎重に橋を渡る。
「押すわよ……いく!」掌を光の紋章へ叩きつけた。
紋章は消え、対岸の壁に新たな刻印が浮かび上がる。
「はぁ? まだ続くの――」かなが腰を下ろしかけた瞬間、天井から固定クロスボウが現れ、後頭部を狙って矢を放った。
「反動衝撃!」
血が飛び散る。まこが咄嗟に雪霊兎を召喚し、致命の一撃を受け止めさせた。巨大な白兎はそのまま血の池へ落ち、光となって消える。
「うっ……氷闇の盾! 早く……回して!」かなは細い橋の上で身動きが取れず、氷盾で必死に矢を防ぐ。
「ニフェト、急いで!」むぐちはこの単純な仕掛けの危険性に舌打ちする。
「ど、どっち?! 左? 右?!」ニフェトも焦り始めた。
「右! 右に回して!」
「うああっ!」氷盾が貫かれ、かなの肩に矢が突き刺さる。
石橋の回転はあまりにも遅い。ようやく三時方向へ到達するころには、かなは全身に矢を受けていた。それでもニフェトが止めた瞬間、彼女は三時の紋章を叩く。
「終わりよ!!」
残るは石盤中央の最後の紋章。かなが橋を戻れば解除できる。
「かな、気をつけて!」むぐちは天井に新たに二基の弩台が出現したのを見た。
「まだ終わってないの?! もう防げ――ぐあっ!」再び矢が命中する。
【システムメッセージ: フレンド かな HPが20%になりました】
「高位回復!」ニフェトは慌てて前方へ奇跡を放つ。
【警告: 詠唱失敗 視界内に対象が存在しません】
「えっ?!」
「ニフェト、場所を代わって! 神術の準備を!」むぐちは即座にニフェトを引き寄せる。
「ザコども早くして!!」かなは矢に貫かれ、もはや動けない。最後の氷盾だけが彼女を守っていた。
そのとき、黒い影が高く跳躍する。足場から円盤中央へと一直線に飛び込み、最後の光点を踏み抜いた。――ケルベロスだ。
弩台は即座に停止し、同時に円盤からもう一本の石橋が伸び、対岸へと繋がる。血の池を安全に渡る道が完成した。
彼女たちは驚いて振り返る――。
「成功したの?! まこすごい!!」まこは自分でも信じられない様子で叫んだ。
「…………早く渡るわよ」むぐちはまだ鼓動を抑えきれないまま、仲間の背を押して進ませる。
全員が歓声を上げながら対岸へ跳び移る。足裏に伝わる確かな感触に、ようやく安堵が広がった。
その瞬間、左前方の空間が歪み、黒衣の人物が出現する。軽やかに大骸骨へ飛び乗り、黒地に金の十字の司教のストールを引き剥がした。
「ふざけんな!!!!」かなは再び努力の成果を奪われ、即座にPK解放で攻撃する。
怒涛の範囲魔法が連続で炸裂し、黒衣の人物は次々と直撃を受け、動きが鈍る。
「死ね泥棒!! 火葬の牢!」炎の柱が足元から噴き上がり、黒衣を一瞬で焼き尽くす。
「私だよ、かな!」焼かれながら、まつみが悲鳴を上げた。
「慈悲の涙!」ニフェトは顔色を変え、即座に回復を施す。
かなは慌てて魔砲を逸らし、壁を粉砕した。視線の先には、かみことパシュスが大骸骨のそばに立っている。
「なにこれ……」
……




