9:あなたの為に
奏が保健室で、謎の神様と対峙している真っ最中、音楽の神と遊戯の神は学校の屋上でのんびりとしていた。
「気になったんだけど君、本当に何も覚えてないの?」
「あぁ、何も思い出せん。お前みたいなどうでも良いことは覚えてるけどな」
「なかなか酷いね、じゃあもう一つ聞くけど...」
屋上から見えるプールの水は、底が見えないほどドス黒く、太陽の光を飲み込んでいた。
思いを馳せてそれを見る音楽の神は、独り言のように質問を呟く。
「"海の神"は...覚えてるかい?」
「あぁ少しな、と言うか奴らの中ではそいつしか面識がねぇ...でそいつがどうしたんだ?」
「あの海の暴君が人間に憑いてるのを見た」
音楽の神があまりにもさりげなく吐いた言葉に、遊戯の神は口を大きく開けて驚いた。
「ハァ!?どこで!?」
「昨日君と街中を散策してた時に見たよ。正直声を上げそうになるくらいびっくりしたけど...あの神様にも目的がありそうだったし、その時は干渉しなかったんだ」
「いや干渉しろよ!!アレが人里歩いてんのが問題だろぉが!!」
大きく口を開けて責め立てる遊戯の神に、音楽の神はデカいハーモニカを咥えさせ、黙らせる。
「まぁ落ち着いてよ。それでさっきね、海の神が憑いてる人間が、この学校の生徒だって分かったんだ」
「ビー!ビー!ビー!ベー!ベー!ビビー!」
「だからね、せっかくなら最大限...」
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"利用しようと思ってね"
そして場面は、保健室に戻る。
「で、お前はなんなんだ?いや...なんの神様なんだ?」
「ふむ...我を神と見通すか、やはりただの人間ではないな」
黄金の兜と、ガラスのように透き通った銛を装備した小さなナニカが、空気を揺るがすほどの威圧を放つ。
「そして我の背後を取る貴様も...同様の者か?」
更に謎の神は、背後で刀を構える叶途に気付いていた。
叶途の頬に汗が伝う。
音楽の神とも、遊戯の神とも異なる、強烈な圧を感じ取ったからだ。
「まぁ良い、今は貴様らの無礼を許そう。我は貴様らと敵対しようなど、考えておらん」
「......叶途、武器下ろせ。本当っぽい」
奏の耳の嘘発見機は、叶途が一番信用している。
叶途はアーティファクトをしまい、緊張の糸をほぐすようにため息をついた。
「じゃあさっきの質問に答えろ、お前は何だ」
「我は"海の神"。海とは始まり、生命の母。それを司る、我への態度を考えろ」
海の神は再び強烈な圧を奏に向けるが、奏は気圧される様子もなく口を開く。
「態度デカいのはテメェだろうが。音楽の神から教わったよ、テメェら神は契約者がいないと十分に力を出せないんだってな」
「音楽の神?あのお転婆が人間と契約したのか...契約者はお前だな?どうりで...」
空気が沈みゆく最中、音楽の神と遊戯の神が天井から現れ、奏達に変わり海の神の前に立つ。
「うお、いつのまに...」
「やぁ、久しぶりだね、海の神様」
「...久しいな、音楽の神よ。随分と様相が変わったものだな」
「あなたこそ、随分と力を失っているご様子で...」
どうやら海の神は、本来所有していた力のほとんどを失ってしまい、音楽の神と同じ、小さい人形のような姿になっているらしい。
そして音楽の神に続き、遊戯の神が睨みを掛ける。
「おい、世間話なんてどうでも良いからよ、テメェの目的を話せや」
「貴様に覚えはないが...まぁ良い、我はそこの娘、海原愛梨と"契約"を交わしたい」
奏が耳を立てて聞いた言葉は、予想のドストライクだった。
「なぁ音楽の神、契約ってのは危険の伴うおっかないものなのか?」
「契約内容次第だ、互いの目的を叶え合う。それが契約の本質だからね」
奏は少し思い悩むように目を閉じた後、海の神に真剣な目線を向ける。
「お前が何言おうと俺は無視する、決めるのは愛梨さんだからな。...でも無理矢理は許さねぇ」
「かの娘が拒否したならば、潔く手を引こう。手段を選ばぬほど、堕ちてはない」
意外にもさっぱりとした返答に、奏と叶途は、目を薄めて音楽の神を見た。
「あ、あのー奏さん?そろそろ...」
そういえば愛梨はずっと放置されていた。
目隠しと耳栓をつけていたので、彼女がよく分からないまま話が進んでいたのである。
その為、愛梨は奏達と全く別の考えに至っていた。
それは疑惑か?不信か?失望か?
否。そもそも愛梨は、そこまで考えられる状況になかった。
(あれ...あ、やばいこれ)
先の涙、栓をしていた自身の本心を、一気に解放するものだった。だからこそ、"悪い癖"のようなものが出てきてしまった。
「はぁ...はぁ...」
(私...奏さんに欲情してる...)
その悪い癖は、常人には理解し難い、変態性のあるものだった。
(いやいやいや、今こんなこと考えてる場合じゃないでしょ...なんで奏さんは私を縛って...あぁ駄目だ!自制がどんどん効かなくなってる!あーもう!こうなるからあんまり同年代の子と話すのは避けてたのに!!)
「そろそろこれ...取ってくれませんかね...」
(入学数日でこれは...!私の身が持ちません...!)
奏はそんな愛梨の気も知らず、少し悩んだ後に耳栓だけを外した。
「愛梨さん、これから目の前で信じられないことが起きるけど...それでも目を開ける覚悟があるかね?」
「ひゃぁ!え、あ?へ!?」
(信じられないこと!?か、か奏さん急に何言って...!!)
「は..はひ..」
「そう...では遠慮なく」
(うわぁァァァアア!!待って待って待って待ってぇぇ!!)
愛梨は包帯の目隠しが外された後もしばらく目を閉じていたが、しばらく経っても静寂が続く今の状況に疑問を抱き、ゆっくりと目を開けてみた。
「───ッ...ん?あれ?...人形?」
「我は傀儡ではない」
確かに奏の言う通り、目の前には信じがたい光景が待っていた。
「うわぁ!?喋った!?」
「我は神である。我と其方、互いの願いを叶えるための契約、興味はないか?」
興奮しすぎて幻覚を見ているのを疑い、眼鏡を取ってみるが、ぼやけただけで光景は変わらない。
「え?幻覚?幻聴?...現実だ...」
「契約をするか、せぬか、好きな方を選ぶと良い」
「あーちょ、ちょっと待ってください。これってどう言う状況なんですか?貴方は何なんですか?」
このよく分からない状況から、愛梨は逆に冷静さを取り戻していた。いわゆる賢者t
「我は海の神、生命の根源たる──」
カット!!
「あぁー...それでその契約?を私と交わしたいと...?」
「そうだ、だが我は其方の決断を優先しよう」
奏はただただ、愛梨のことを黙って見守っていた。
「なぁ奏、良いのか、あれ...」
「良いんだよ、俺が間に入るのは...愛梨さんの決断を邪魔するようなもんだからな」
愛梨は少しの間、下を向いて黙り込んだ。
そして不意に、はにかむような笑顔を見せ、海の神に口を開く。
「すみません、貴方の願い...きっと私には重いです。そもそも、私にはそこまでの願いもありませんし」
愛梨の答えを聞いて、海の神は眼底から光が消えた。
「そうか...だがそれも、一つの決断だ。その決断が変わるようなら我の名を呼べ。其方の命が尽きるまで、我はそれを受け入れよう」
そう言い残し、海の神は愛梨達の前から姿を消した。
「相変わらずのお節介だねぇ」
「おい音楽の神...お前全部知ってたな?」
音楽の神と遊戯の神も、愛梨の目に映る形で姿を表した。
「あのー奏さん、そちらの方々も神様?なんですか?」
「うん、そうらしい」
「すまない、紹介がまだだったね。私は音楽の神様で、白石奏と契約を交わしてるんだ。それであの犬みたいなのは...」
「遊戯の神だ、犬じゃねぇ。そこの黒髪のガキと契約してる」
黒髪の少年もクラスメイトだから分かる。奏さんと黒橋さん、いつも一緒で、ただの友達だと思ってた。
(やっぱりまだ...知らないことだらけ)
「奏さんと黒橋さんは...どうして神様と契約したんですか?」
そう聞くと、二人とも苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「愛梨さん...俺みたいになっちゃ駄目だよ...」
「え!?急になんでですか!?」
「...同感」
音楽の神はニコニコしながら首を傾げていたが、遊戯の神は引き攣った顔でそれを見ていた。
「あ、あまり契約と言うものは良いものではないのでしょうか...」
「そこまでは分からない...だけど、愛梨さんにどうしても叶えたい夢とかがあるなら、一つの選択として考えても良いと思う。それを決めるのは愛梨さんだし」
・・・
少し間を空けた後、愛梨の脳裏に、ふとこんなことが思い浮かんだ。
(あれ?私なんでこんなこと聞いてるんだろ?)
契約の交渉は決裂、神との関わりなんて非現実的なもの、ここで終わらせようと考えていた筈の自分が、神との契約に興味を持っている?
...違う、神様に興味を持ってるんじゃない。
「あの...奏さん、私と...」
あぁまただ...貴方を考えるだけで、頭が火照ってしまう。
常に並べてあるはずの言葉も、仕草も、表情も、貴方の前では忘れてしまう。
「私と...その...」
そうやって私の"普段"を狂わせる貴方を...知りたいんだ。
...その感情が、自身の何を表しているのか、愛梨には分からず、"知りたい"としか形容することができなかった。
奏に対して言いたいことがあるから口を開いたのに、その言いたいことというのが出てこない。
「えっと...いえ...やっぱりなんでも──」
駄目だ、これ以上悩んでるようなら、奏さんの時間を無駄にするだけ...そう思って口を閉じようとした時だった。
「ねぇ愛梨さん、良かったら俺達..."友達"にならない?」
少し気恥ずかしそうに、はにかむ微笑みを見せながら、奏がそう提案したのだ。
「...えっ?友達?」
友達...愛梨はこれまでの人生の中で、心からそう呼べるような子と出会えなかった。
故に、"この人と友達になりたい"と言うような感情への理解が乏しかった。
(友達?友達...私と奏さんが...友達に...)
友達の定義はよく分からない。
でも、"奏さんと友達になる"...それを考えただけで喜びが湧き上がるのは分かった。
「なんで...私となんですか...?」
「俺が愛梨さんのこと、もっと知りたくなったから」
愛梨は奏と目を合わせられなかった。
「なんでそんな...もう十分、奏さんは私のことを理解してくれてますよ...」
「それなら...もっと話したいから、でも良いかな?」
本当になんで、貴方は私が必要とする言葉を...そんな簡単に言えるんですか。
"そのせいで私、我慢できないじゃないですか"
愛梨は、上辺に貼り付けた価値観など、もうどうでも良くなっていた。
「ふふっ...本当に、ずるい人ですね」
「え?ずるい?」
「いえ、なんでも。私も...奏さんとお友達になりたいです」
(貴方のことをもっと知って、もっと貴方と話したい)
愛梨はもう、自分に嘘などついてはいなかった。
偽りのない愛梨の返答に、奏は胸を撫で下ろして喜んだ。
「あぁ...良かったぁ...ありがとう愛梨さん、めっちゃくちゃ嬉しい!」
やっぱりいつ見ても、奏さんの笑顔は眩しい。
...奏さんのこと、知るだけじゃだめだ。
貴方の側にいる為にも、その笑顔を守らないと。
だから、何を、どうしてでも、
貴方を守らないと。
奏の側に居る為、奏と友達であるために。
愛梨は、喜びと決意を噛み締めた。
「...ん?なんだ叶途、んな顔してよ、まさか嫉妬かぁ?」
「うるさい黙れ違う」
叶途は少し思うところがあったようだが、奏と愛梨の意思を尊重して口出しは避けた。
...しかし、そんな叶途の気も知らないで、音楽の神が口を開いた。
「奏、話を逸らすようで申し訳ないけど、私がまだここに居る理由を話しても良いかな?」
・・・
音楽の神がそう言った瞬間、奏は直感で理解した。
その話と言うのは、まさしく"面倒ごと"であろうと。
「申し訳ないと思ってるなら話すな、てか喋るな」
「...もし"アレ"だったら俺はパスするぞ」
「あれ?ってなんですか?」
愛梨をその"面倒ごと"に巻き込めまいと考えた奏は、愛梨の肩にそっと手を置く。
「...愛梨さん、このカスのせいで長くなりそうだから、先に帰ってて良いよ」
「え...でも──」
そして流れるように、奏は愛梨を保健室の外へと誘導した。
「あっ!ちょ!奏さ」
"ガラララ・・・"
...愛梨はしばらくポツンとドアの前に佇んだ後、ハッとしてドアに耳を当てた。
「ってこのまま帰るわけにいきません...!何か深刻そうなご様子でしたし...」
愛梨は奏達が帰る直前まで、話を聞くことにした。
「でね、その話って言うのは...」
「話聞けよ」
「パースパスパスガチでパス」
「この学校がね、"危ない"って言うものなんだけど」
...どうやら、聞かなければならない案件らしい。
「...チッ、分かったよ説明しろ」
「聞いてくれるんだね、じゃあまず君たち..."プール"は好きかな?」
愛梨はドア越しに首を縦に振ったが、奏は苦い顔を見せ、叶途と遊戯の神はまぁ...って感じの顔で頷いた。
「俺プールで泳いだことないから分からん」
「俺は普通、泳げる方だと思う」
「ぷーるってあれだろ?水遊びは好きだ」
「なるほどね。じゃあ率直に言うけど、今回私達の敵となるのは...この学校のプールを巣食う''海の怪物"だ」
海の怪物───
その言いようから推測するに、今回の相手は神様ではないのだろう。
「は?学校のプール?」
「いやそんなとこに住む奴も住む奴だろ」
「本当にプールに生息してる訳じゃないよ。ヤツはただ、そこに留まっているだけなんだ」
音楽の神の口からは、詳しいことが出てこなかった。
ただ、言いたいことは分かった。
俺と叶途でそのプールを調査しろ、そしてその海の怪物とやらに見つかったら、殺し合えと。
「...分かった。なんか放置したらヤバそうだし、それにこれがお前の契約のうちなら...俺に拒否権はねぇんだろ?」
「その通り、よく分かるようになってきたね」
「奏が行くならパスはなしだ、俺も行く」
今までの会話を聞いていた愛梨は、本当に只事ではない話に、空いた口が塞がらない様子だった。
(なんか...話が飛躍しすぎて学校の危機みたいになってる...)
「よし、じゃあとりあえずプール行くか」
「え?は?今から!?」
「いや一回帰ってから、8時くらいに行こうぜ」
「いやそれ大丈夫なのかよ...不法侵入とかになるんじゃ...」
「大丈夫だ叶途、バレなきゃ犯罪は裁けない」
今日の8時、愛梨はそれを覚えておく事にした。
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...数分後、愛梨は表情を落としながら帰路についていた。
(このまま帰って...ご飯食べて...お風呂に入って...眠って...良いのかな...)
ここで自分が動かなくても、奏さんは、自分のことを明日も友達と言ってくれる。
そう信じるにはもう、十分なほど話してしまった。
(...駄目だ)
でも、奏の笑顔を守る、そう決心したのは自分だと、愛梨は自身の心を鼓舞した。
「..."海の神"さん」
ザバッ───
波が揺れるような音が、背後から静かに響き渡った。
それに対して愛梨は、振り返ることなく言葉を絞り出す。
「すみませんやっぱり...あなたにお願いがありました」
決意とは、時に自身を鼓舞する武器になり得る。
しかしそれは過剰なものだと、自身も傷つける諸刃となる。
彼女の決意は、どちらだろうか?
少なくとも、どちらも彼女の力となってくれるだろう。
身の安全など、どうでも良いのなら。
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奏達が入学する前、その学校の水泳部は、頭を悩ませていた。
「部長ー!いつまで外周続けるんですかー!?もうそろそろ泳ぎたいんですけどー!」
「気持ちは私も同じだよー!でも仕方ないじゃーん!」
新聞部と写真部が共同で作った提示物には、水面から謎の光が漏れ出ているような写真と、こんな文章が記されていた。
[プールから謎の光、二週間前の事件の真相は未だ不明か]
二週間前、プールサイドを清掃していた生徒が全員失神した状態で見つかった。
幸い命に別状はなく、当時の様子を伺ってみた結果、不可解なことを耳にした。
"プールの中に、怪物が居る"
(...あの新聞、信じられないけど...)
「とにかく!今は体力作り頑張ろう!」
人が寄り付かなくなり、空気が冷え切ったプールの中には、鋭い稲妻のような残光が迸る。
ここは我の領域だと、豪語するように。




