7:捨てた自由
空を覆っていた無数の霊魂、地を這っていた黒い霧。
遊戯の神が静かになると同時に、その存在を消した。
「はぁ......やった...」
叶途はその景色からか緊張の糸がほぐれ、前方に倒れようとした。しかし寸前で足に力を込め、上空に目線を向ける。
「...ってダメだ!奏!奏は無事か!」
奏は胸を強く押さえながら、覚束ない足取りでシブちゃんの背中を歩いていた。
「はぁ..はぁ..かな..と..うっ...ぐぷ..」
そして血反吐を吐き、倒れるようにシブちゃんから落下する。
「おっと..ぐへ」
「奏!大丈夫か!」
なんとか音楽の神が下敷きになり、奏は落下死を免れた。
「え...あぁ...ごめん...だいじょば...ない...」
「おいおいおいおいダメだろ!しっかりしろよ奏!勝っただろうが俺達!!」
声を震わせ、涙を浮かべる叶途を安心させるため、奏の下敷きになったままの音楽の神が口を開く。
「大丈夫だよ安心して。契約者は特別頑丈なんだ、さっきの攻撃が致命傷になることはないよ」
「違う!奏はダメなんだよ!血ぃ出したらダメなんだって!!」
「失血死もさせない、私の演奏なら回復できる」
音楽の神がポーチから"神楽笛"を取り出し、それに優しく息を吹き入れる。
「こへでだいしょーぶだからまふはきみの」
「え!?なんて!?」
音楽の神が演奏を始めてから数分後、奏の顔色から徐々に青白さが抜けていく。
「ぷはっ..まぁこんなもんかな、これ以上は奏の体力に干渉してしまうからね」
「なっ..なるほど...な?」
奏のいびきを聞いて、叶途はようやく安心した。
『オマエら...ウルセェぞ...』
背後から聞こえたその声に、叶途は焦って振り返る。
「──ッ!!テメェ...まだやるか!?」
『んな訳ねぇだろ..こんな形で...』
その声は遊戯の神だった。溶けた体から、子犬ほどしかない小さな頭を出して話している。
「なんだよ、意外と諦めいいのな」
『殺す気で動いた...でもテメェらは殺れなかった...つまり俺の負けだ』
「変わらないねぇ遊戯の神、それか...なにか憑き物でも取れたかい?」
音楽の神の言葉を遊戯の神は無視し、叶途に目線を向けた。
『お前...確か叶途って言ったか?』
「あ?だったらなんだよ」
『ハハハ...気に入ったよ、お前俺と"契約"しろ』
叶途の背中から、熱い血が流れる。
「...なんでごめんなさいの一つも言えねぇようなテメェの指図受けなきゃなんねぇんだよ」
『謝って欲しいのか?それがお前の願いなら万々歳だよ』
音楽の神は二人の様子を黙って見ていた。しかし、叶途が立ち上がり、遊戯の神の元へと早歩きで向かって行った際は声を上げた。
「落ち着いてよ黒橋叶途、奴に選択権はない。私との契約で"タダ働き"してもらうことになってるんだ」
「はぁ?...あっそ」
叶途は遊戯の神の近くで座り込み、目を合わせる。
「謝りたくねぇ奴のごめんなんていらねぇ、だから俺の"願い"教えてやるよ」
『あぁ良いぜ、言ってみろ。"契約"は"ルール"だからな、絶対だ』
「律儀な奴だな...俺は"奏を守りたい"。そのための力が欲しい、それだけだ」
遊戯の神は、どんな無茶振りを押し付けられるのかとワクワクしていた。しかし、返ってきたのは無機質な願いだった。
『...ハ?それだけ?』
「あぁそれだけだよ、だからもちろん叶えられるよな?奏を守れるだけの"最高の力"」
「余計なお世話だろうけど、神の力なんて願わなくてもどうせ使えることになるよ」
音楽の神の言葉を聞いても、叶途は遊戯の神の目を強く見続けた。その姿から、遊戯の神は"目的"を察する。
『まぁ良いぜ、契約成立だ。期待しとけよ』
「あぁ、じゃあ次はお前の番だな」
『手始めにそのアーティ...』
"お前の...番?"
『...お前話聞いてたか?俺はアイツとの契約でタダ働きなんだよ』
「それ今重要か?俺はお前の願いについて聞きてぇんだけど」
遊戯の神は理解できなかった。このガキは何故自ら不利益を取るのかが。
『...俺はな、今果てしなく"自由"なんだよ。この山で好き勝手暴れて、立ち入った人間は皆食糧、最近喰った奴が言ってたなぁ...俺のことを"自分勝手"だとよ』
「確かに自分勝手だな。でも、"自由"には見えねぇ」
そろそろしつこい、イライラしてきた。
『さっきから何がしてぇんだよ!俺は誰がなんと言おうが自由なんだ!テメェら人間とは訳が違うんだよ!』
「それだよ」
叶途は遊戯の神のデコを弾く。
「そうやって自由にこだわってるような奴は、今自由に生きてるだなんて呼べねぇんだよ」
『...たかが10年そこらしか生きてねぇ幼虫が...』
「そんな幼虫に説教喰らうより、さっさと素直になってお願いした方が気が楽だと思うが」
・・・
分からない。
何故そこまで俺に取り入ろうとする?
何故そんな目で俺を見る?
何故...手を伸ばす...
わからねぇ...
『...そうだよ、10年ぽっちだ...テメェに分かるわけがねぇ...』
"いつもありがとうございます。子供達も皆、あなたの事を好いているようで"
『この山を...何千年も守って...』
"ずっっと一緒だよ!!◾️◾️◾️様!!"
『声色も思い出せねぇ...誰かに期待して...!』
"約束だよ、ずっと、ずーっと"
『死にながら生きてる俺の心なんて...!分かる筈ねぇだろォォォォ!!』
遊戯の神は、涎と涙を撒き散らしながら泣き叫ぶ。
何千年も生き、山を守ってきた神様は、長い時を経て、ようやく本性を表した。
悲しみは怒りに、怒りは虚しさに、その虚しさを悲しみに還してくれた、叶途に対して。
「なんだよ、あんじゃねぇか」
叶途は満足げに微笑みながら、遊戯の神の頭に手を乗せた。
「悪いけど確かに分からん、でもお前の泣きっ面見てたら分かりたくなった」
『なんだよ...情けでも掛けてるつもりか...?」
「情けなんて上等なもん知らん。代わりに俺を強くしてくれんだろ?だったら俺も、代わりにお前が期待してるもん探してやるよ」
ずいぶんと、簡単に言ってくれる...
『...お前、狂ってんのか?」
「はい今傷ついた」
『俺は殺し合った奴の願いなんて聞こうとも思わねぇ...なんでそこまでして対等を望む...」
その言葉に対して、叶途は髪をかきあげながら気怠そうに口を開く。
「対等って...正直俺はお前を許しきれてないし、奏を傷つけたのは今でも腹立つよ」
『だったら...」
「でも、そのままだと俺は後悔すると思う。お前が言う期待してるもんにも、興味が出てきたしな」
・・・
なんの後悔だよ...本当に、奇妙な奴だ。
「...ははっ、そうか」
おかげで、俺も興味が出てきたよ。
「じゃあ俺も、お前の力になってやる。契約成立だ」
「ん、よろしくな」
「楽しみにしとけ、"その分"の力は全力で叩き込んでやるからな」
遊戯の神はそう言いながら、ドロドロに溶けた肉体に潜り込む。
そして、浮上した時にはその姿をコンパクトなものへと変えていた。
「ほら、こっちの方が喋りやすいだろ」
その姿は人形のぬいぐるみのような体に、六つの丸い目が光る狼の頭がくっついているアンバランスなものだった。
「...ちょっときもいかも」
その代わりように、叶途は気分を落とす
「おいなんだその顔、何が不満なんだよ!」
「私は良いと思うよ、お揃いだね」
「黙れ不快だ!」
正直あの狼のような姿はカッコいいと思ってたので、叶途は少しがっかりしていた。
「いや、まぁ良いと思う...うん、良いんじゃね...」
「思ってねぇだろ!!」
「ん...うるせぇな...なんだ?」
「あっ奏、目ぇ覚めたか」
音楽の神の治療が実り、奏は意識を取り戻した。
その流れで立ち上がろうとしたが、目眩と足の震えでうまく動けない。
「あー...やばいわ、動けないかも...」
「だろうな。降りる時おぶってやるから、今はやすんでろ」
「ありがと...ん?なんだその気持ち悪ぃぬいぐるみ」
奏の視線の先には、変わり果てた遊戯の神が、腕を組んであぐらをかいていた。
「気持ち悪くて悪かったな!」
「うをぉ!!喋った!?」
「なんかデジャヴだね」
一瞬驚いたが、音楽の神と風貌が酷似していた為、そいつが遊戯の神だと奏は理解した。
そして大きくため息をついた。
「...ほんと、俺の知らないところで話進めないでくれよ...」
さっきまで呑気に寝ていた自分を悔やみ、奏は口元に付着していた自身の血を腕で拭う。
「あぁそうそう奏、言い忘れてたけど能力を使いすぎると死ぬほど体力を消耗することになるから、今後は気をつけてね」
「死にそうになる前に言えよ」
奏は音楽の神にも色々聞きたいことがあったが、今は遊戯の神に会話の矛先を向けることにした。
「おいお前、叶途と契約したよな。お前は叶途に何を要求した?」
「...人探しだ、こいつに力をやる代わりにな」
「それだけか?だったらその人ってのは誰だ」
「覚えてねぇ、だから探すんだよ」
音楽の神の言葉には不信感を感じていたが、遊戯の神の言葉からはネガティブな感情を得られなかった。
「そうか、分かった。叶途がそれで良いなら俺は何も言わない...あぁでも一つ、言いたいことがある」
奏がそう言った瞬間、叶途は目を見開き、冷や汗をかいた。瞳から一切の光を消した奏が、一瞬で遊戯の神との距離を詰め、その顔を凝視している。
動けないと言っていたのに。
「俺、お前のこと許してねぇからな」
「...」
「ほんとは何回でも殺してぇ気分だよ...お前が殺してきた人達の何千倍も」
奏とは思えない言葉を吐く奏は、全くの別人に変わってしまったように感じられた。
「...お前にどう思われてようが知ったこっちゃねぇが、償いは受ける。地獄でもなんでも行ってやるよ」
遊戯の神は威圧感を放つ奏に怯むことなく続ける。
「それに...もう後悔するような生き方はしねぇ」
「...なんだよ、主人公ヅラしやがって...」
奏は目に光を取り戻し、悔しがるように歯を噛み締める。
「お前とは仲良くなれなさそうだ」
「なんだ、気は合うじゃねぇか」
一発触発の雰囲気を察した叶途は、二人の間に割って入った。
「よーし!そろそろ降りるか!奏!ほら!乗れ!」
「え?でもお前背中がまだ──」
「細かいことは気にするな!ほらおいしょっ..て痛ッッッッ!!!」
明らかに叶途は痛そうだったが、必死で痩せ我慢をして奏を背負う。
「ッッ─たくない...!まっったく痛くない!!むしろ軽すぎて存在を忘れてしまうほど!!」
「妙に説明口調だな」
奏は申し訳なく思いながらも、叶途に甘えることにした。叶途の背中の傷からは、もう血は流れていない。
奏はまた、自分の弱さを悔やんでしまった。
(自分の好きで...か)
それで叶途を守れるなら使うまでだ。
巻き込んじまった償いは必ず果たす。
..."父さん"なら、そう言ったかな...
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山を降りながら、叶途はふと物思いにふける。
軽い、軽すぎる。男の時から軽かったけど、その姿になってからだと羽毛みたいに軽く思える。
奏...お前に救われたあの日から、俺が守るって決めたんだ。
俺に全部を教えてくれたお前を、絶対に助けてやる。
必ずそいつを殺して...お前の平穏を取り戻す。
せめてそれまでは、守らせてくれ...
"((今はそれしか、考えられない))"
互いが互いを守ろうと想うためか、その想いは空回りするばかり。
二人の受難が晴れるのは、まだ先になりそうだ。
***
細かいところまで整理されている、水々しい部屋の中、青髪の少女がアルバムを開く。
「懐かしいなぁ水族館...もう何回も行ったっけ」
微笑みながら数々の写真を見つめる少女の目は、少し潤んでいた。
「私...どうしたいんだろ」
ハッとした少女は、アルバムを閉じ、引き出しに閉まう。
(ううん...ダメダメ、私がしっかりしなくちゃ!)
自分でも見つけられないほど深く...暗い海底に沈んでいく本心を、少女はまだ、知りたくもなかった。




