11:深海を泳ぐ泡沫
「ねぇ愛梨、お父さんのこと好き?」
悪戯に微笑みながらそう言う母の顔が、愛梨は好きだった。
「うん!だいすき!」
「ふふっ、だってさお父さん」
母のスマホに映る父は、困り顔で笑う。
「おいおい、愛梨にそう言われたらお父さん帰りたくなっちゃうだろぉ...」
「あら、私の大好きじゃ帰って来てくれないの?」
「からかうなよ、もうそろそろ海域の調査がひと段落するんだ。あと3日で帰れるから、約束だ」
父は、海洋生物学者だった。
愛梨が産まれてからはマシになったが、それでも会えるのは半年に1、2回ほどだ。
その為、愛梨は"3日で帰る"と言った父との約束に目を輝かせ、その日を待った。
3日後、約束通り父は帰ってきた。
物言わぬ屍となって。
「おとおさん、つかれた?ずっとねてるよ?」
数日後、父は花にまみれた白い箱の中に入れられてて、足が見えなかった。
「愛梨...お父さんね、とっても疲れちゃったみたいなの...だからね...おやすみなさいってしてあげて...」
母の目の下は黒くて、周りは赤かった。
愛梨は、冷たくなった父の額に手を当て、優しく撫でる。
「おとおさんおつかれさま!おやすみなさい!」
「うん...ありがとう...愛梨...ごめんね...」
数日後、愛梨は実感した。
もう父の声を聞くことも、顔を見ることも、手を繋ぐことも、二度と叶わないのだと。
そしてそれは、母も同じだと言うことを。
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愛梨は、無言で耳を塞いでいた。
その様子を見ていた奏は一瞬判断に迷ったが、水中の光を見て、今は叶途の補助に回る選択を取った。
(んっ...ヤバいな...)
急いで鍵盤を叩き、奏は創生した音符を一箇所に集める。
「悪い叶途、応急処置だ」
そうしてそれを、水中へと投げ入れた!
"ボオオォォォォォォォ!!ォォォオオヴヴ!!!"
───その塊は、リュウオウツガイの電撃を相殺するような形で爆ぜた。
その爆発に叶途は吹き飛ばされ、後方の壁に打ちつけられる。
「痛ったッ!!...って大丈夫か俺!生きてる!?」
「なんとかな、んなことより次!また来るぞ!」
遊戯の神の警告に従い、叶途は迫り来る光に剣を構える。
「おいおいおいおい!どうすんだよさっきの!アレは受け止めきれないぞ!」
「電気を防御できる訳ねぇだろ!受け止めるんじゃなくて "受け流す"んだよ!」
そう言っている間にも、光は叶途を目掛けて速度を増す。
地上の奏はそれを見計らい、更なる爆撃をリュウオウツガイに浴びせ、動きを止めた。
「ふぅー...おい叶途!聞こえるか!」
「ん?...あ奏か!うん!水ん中だけどしっかり聞こえる!」
「そうか!じゃあ俺の攻撃はそこまでなら届く!それより深く潜るなよ!それ以外はウナギの攻略に集中しろ!」
叶途は強く頷き、刀を構える。
「遊戯の神!俺の考えを反映するとか言ってたよな!それってこの刀だけか!?」
「あぁ、あと刀身に触れた物だ。生物は無理だぞ、魂への干渉は出来ないからな」
遊戯の神のパレットは、契約者の思考を喰らい、それを糧に幻陽刀の形・性質に変化をもたらす。
(あの電撃を止める...じゃなくて受け流す方法...いやイメージが湧かねぇ!アレを受け流す!?マジで無理!)
故に、契約者の想像力を前提とした能力である為、冷静さと状況判断能力が不可欠である。
「落ち着け叶途!そんなんじゃ音楽のガキが先にぶっ倒れんぞ!」
遊戯の神の言う通り、奏の体力は自身のパレットによって、じわじわと擦り減っていた。
奏は息を切らしながらも、遊戯の神の声を聞き、ムッとする。
「あの野郎、俺がぶっ倒れるだとか舐めやがって...ケホッ..はぁ...」
そして奏は、鍵盤を叩きながら声を上げる。
「叶途!!難しく考えんな!!お前ならテキトーで良い!!直感を信じろ!!」
叶途は、目を見開いた。
焦りのあまり、自身の長所を見失っていた自分が、また奏に助けられた。
(...なんだそりゃ)
「テキトーって...でもまぁそうだな、頭ん中空っぽの方が性に合ってる」
その瞬間、今まで動きを止め、身を守っていたリュウオウツガイが、再び動き出す。
奏の爆撃を喰らいながらも、ゆっくりと口を開け、口内に電気を貯める。
「考えろ叶途!リュウオウツガイの野郎、前のよりデケェのをぶっ放す気だ!」
「黙れ、静かにして俺を信じろ」
叶途は目を閉じ、腰掛けた鞘に刀を収め、構えを取る。
(鞘の中で構造を練る...タイミングは目じゃなくノリで感じ取れ!)
・・・激情を捨てた静寂の中、叶途は"ソレ"に刃を抜く!
"キイィィィィィィン!!!"
『ゴ瑜ォオォォ!!!?搖ォオ!!?』
リュウオウツガイの思考が、大きく波立った。
今の今まで、遭遇した脅威はこの威力になす術もなく撃沈していた...だが、目の前の小さき生物は、生きている。
それもなんの損傷もなく、たった一動作で生き残った。
"本能が叫ぶ、目の前の脅威を、塵芥残さず排除しろと"
「ハァ..ハァ..なんとかなった...!」
「じゃあ次のもなんとかしろ!」
叶途は、自分の命に指がかかる感覚を覚える。
次の瞬間には、眼前まで迫る無数の牙。
それを叶途は、冷や汗を飛ばして躱わす。
"ギロッ..."
しかし、躱わすまではリュウオウツガイの前提。
叶途が自身の体を横切る寸前に、鰭の蓄電部から稲妻を放出する。
「──ッ...!」
叶途は間一髪で刀を振り、稲妻の軌道を変えた。
(コイツ...!しっかり考えてんじゃねぇか!)
幻陽刀の刀身には、電気をよく通す"銅"。
持ち手には、電気を遮断する"絶縁体物質"。
刀身が集めた電撃を、叶途は力技で別方向へと飛ばす。
(この刀なら時間稼ぎなんて楽だとおもってたが...クソッ..!死に物狂いでやれってか!)
心の内で苦言を垂れながらも、叶途は奏の言葉を信じて刀を構える。
「来いウナギ野郎...全身受け止めてやるよ」
叶途の覚悟が、刀身を黒く染める。
リュウオウツガイの背鰭が、静かに光る。
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水中から沸る闘志は、地上にも影響を与えていた。
(電撃の密度が上がってる...飛び火が強くなってきたな)
奏は自身と愛梨に向けられた電撃を、次々と音符で相殺していた。
しかし限界が来たのか、奏は大きく咳き込み、地面に伏せながら血を吐く。
「ゴブッ..!ゲホッ!!」
(まずい...立て直せ...早く..立て..!)
目の前が霞み、上手く体を動かせない。
そんな状態の奏を狙い、電撃が迫る。
だが直前で、海の神が"トライデント"を取り出し、ソレを弾く。
「背筋を伸ばせ、貴様のお守りなど御免だ」
「ハァ..はぁ...お前は..愛梨さんのこと守ってろ...まぁでも..ありがとう..」
海の神は蹲る愛梨を横目に見て、トライデントを地面に突き立てる。
「海原愛梨は今、自身の心と対峙している。対する障害となるものを排除しているだけだ」
「自分の心...」
蹲る愛梨の目には、小さくも強い、光が見えた。
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夢の中に居るような、淡い感覚。
気付けば愛梨は、子供部屋のような場所に立っていた。
「あれ?私今まで...」
"ガシャ..."
ガラスが割れて、崩れるような音が立ったあと、愛梨は目を見開く。
「え...わたし?」
愛梨の目の前には、クジラのぬいぐるみを抱えた、幼い愛梨が立っていた。
「おとおさん...なんでしんじゃったの...?」
今の言葉で確信した、これは自分だと。
「...私も、なんでか分からないし...分かりたくもない。それが分かったところで、私はもう、なんとも思わないから...」
目の前の子供が自分だと分かれば、愛梨は遠慮なんてしなかった。
「うそつき、ずっとわすれなかったくせに...ずっとみとめなかったくせに...」
幼い愛梨の言葉に、愛梨は手を握り締める。
「あなたはそうかもしれないけど、私はもう違うの。死んだ人のことを考えてても、何にもならない。それに...お母さんの方が辛いに決まってる...」
"ガシャ.."
「それはわかる。だって、あなたはわたしで、わたしはあなただもん。だから、あなたがうそをついてることもわかる」
幼い愛梨の背が、少し伸びたように見えた。
「あなたがお母さんと、新しいお父さんのことを思って...わたしをここに閉じ込めたのも分かる。わたしはあなたの"欲"だから」
自分の心を、全てが分かったかのように見透かされる。
皮膚の内側で虫が這うような不快感が、愛梨を襲った。
「分かる...?私の心が?全部が?...だったらあなたも分かるでしょ、ずっとここにいてよ。私は誰の為でもなく自分の為に諦めたの...」
"パキッ...!"
「"私"は、意外と嘘つきで、思ってたより不器用なんだね。それは貴方の強さになる、でも逆に、決断を鈍らせる足枷にもなる」
愛梨はもう、怒りを隠しきれない。
「さっきから遠回しに...結局貴方は何が言いたいの?今私には時間が──」
「時間がないなら、早く私を受け入れてよ」
"ピキッ..パキッ!"
「貴方は..."私"は、十分頑張ってるから...だから、もっと素直になってよ...わたしをここに閉じ込めたままじゃ、守りたいものも守れないよ...」
本当は、分かっていた。
心の底に閉じ込めた本当の自分をずっと隠し通すことは、自分の弱さに繋がってしまうのだと。
本当は、死んだ父親と同じことがしてみたい。
本当は、水族館にも行きたい。
そう言ったら、母は困るだろう。
だから塞ぎ込んでいた、自分の本音。
でも"友達"と出会い、話したことで、少しずつひび割れていた。
"俺が愛梨さんのこと、もっと知りたくなったから"
(本当に...なんでですかね。貴方はとても、眩しく見える)
自分のことを、無条件で理解しようとしてくれる奏が、痛いほど眩しく見える。
愛梨は、その理由がようやく分かった気がした。
「...私はまだ隠し続けるし、貴方ほど正直にはなれない...でも、もうちょっと..貴方のためにも、自分に優しくなろうと思う」
"バキッ..ガシャン!"
「...じゃあ、約束してよ」
愛梨は、幼い愛梨に手を握られる。
そして、元気いっぱいな笑みを見せられる。
「"いつかぜったい、おとおさんみたいなりっぱながくしゃさんになるって!"」
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・・・気がつくと愛梨は、嵐のような轟音が響き渡る騒がしいプールサイドに戻っていた。
「これ...」
その右手には、小さな手に握られた感覚が残っている。
「...うん、約束だね」
愛梨の目の前には、この時を待っていたかのように目を光らせる海の神が座っていた。
「分かったか?其方の願い」
「海の神さん...奏さん達は?」
「其方を守るため、死力を尽くし武具を振るっている。何故ここまでするのか、我には理解し難いがな」
奏と叶途は、愛梨が動かない間、必死になってリュウオウツガイの攻撃を捌いていた。
その覚悟と精神力には、狂気的なものすらも感じる。
だが、愛梨にとってそれは、自分への喝になった。
「...分かりました、私の願い。友達..大切なものを守る為に...それと、"私がわたし自身を好きになる為"に...それを叶えられる"力"をください...!」
ヘルムの下で、海の神は口角を上げる。
「ほう?少し欲張りになったか?」
「そうですね...そう言う"約束"ですから」
少し空を見上げた後、海の神はトライデントを前に出して、声を出す。
「良いだろう...其方と我の願い...契約成立だ」
その言葉を合図に、愛梨と海の神が水の膜で包まれていった。
・・・一方で、水中の叶途はと言うと。
「もう無理!!限界!!」
「んなこと言ってもしょうがねぇだろ!!絶っっ対に放すなよ!!」
リュウオウツガイの頭に伸ばした刃を巻き付け、電撃自体を止めようとしていた。
しかし、予想以上にリュウオウツガイの力が強く、叶途は物理的に振り回されていた。
「んなこと言われても...」
振り回されている最中、叶途はあることに気づく。
(ン...?コイツ...登ってやがる...!地上を目指して!)
光のない水中に、地上からの月明かりがじわじわと刺してゆく。
叶途は力一杯に刀を引こうとするが、振り回されている状況で足に力を入れることができず、踠くことしかできない。
そして地上の奏と音楽の神も、その以上事態に気付いていた。
「奏、少し下がって、あの少女の近くに...」
「分かって..ゲホッ!うッ..おえぇぇ...」
無理が祟り、奏は血を吐きながら倒れてしまう。
音楽の神はそれを悟り、海の神を見──────
『ギアァァ啊ァァ夔ァァ?ア!!アアァァァア啊!!』
──音楽の神が行動を起こそうとした次の瞬間には、リュウオウツガイがプールから姿を現し、宙を舞う。
「ぐうぅ...奏!!海原さん!!逃げろ!!」
「かな..と..」
リュウオウツガイの背鰭には莫大な電力が貯まり、激しい光を発していた。
「失せろガキども!!"放電"だ!!コイツ辺り一面消し飛ばす気だ!!」
周辺の磁場が狂い、地面のコンクリートを突き破って、複数の岩石が宙に浮かぶ。
不穏な現象の全てが重なり、その時が来た。
リュウオウツガイの全身に莫大な電力が素早く迸り、それを一気に体外へと放出する!
"ドオオォォォォォ!!!ゴオオォォォォォオオオン!!!"
─────・・・大地は裂け、荒波は静まり返る。
『ギキ...ギィィ..』
全員殺した、そう確信した。
しかし、静寂の中で、宙に浮かぶリュウオウツガイは違和感を覚える。
"チャポ..コプッ"
飛び立った水滴がハッキリと見えるほど感覚を研ぎ澄まし、その違和感の正体を探る。
その時、耳障りな声が、リュウオウツガイの脳に入った。
「奏さん、叶途さん、ありがとう」
目を血走らせ、下から聞こえた声を見ると、そこには水のベールで覆われた一人の少女が立っていた。
「..あなた、ウナギだかリュウだか知りませんが...」
更に周囲を見渡すと、同じく水のベールに包まれている人間が二人居ることが分かる。
"気色の悪い生物..不愉快だ.."
違和感の正体が分かった。
全て、下に居る人間の仕業だ。
「奏さんと叶途さんを傷つけたこと..私、すっごく怒ってますから!」
愛梨の手には、七尺ほどの長さを誇る、ガラスのように透き通った"トライデント"。
"青い羽衣"は、神の契約が、強く燃える瞳には、認めた覚悟が見える。
そこには、守られる少女の姿など、面影も無かった。




