10:海帝の迅雷魚
保健室での騒ぎから時間が経ち、只今午後8時。
奏と叶途は学校の校門付近で神から話を聞いていた。
「良いかい二人とも、今回の相手は気を抜けないようなヤツだ。話し合いは通じないからね」
「だったらもっと詳しいこと教えてくれよ」
「まぁそれは見たほうが早いから...」
奏と叶途が校門を登ろうとしたその時、背後から聞き覚えのある声が、耳に入る。
「奏さん!黒橋さん!」
「ん?えっ?愛梨さん!?なんで...」
「すみません、お二人の会話を盗み聞きしてました...その上で!私も行かせてください!」
奏はすぐにダメだと口を開こうとしたが、愛梨の確固たる意志を持つ目を見て、考えを変える。
「すんません海原さん、こっからはやばいんで──」
「一旦ステイ叶途、愛梨さん、海の神と契約した?」
「い、いえ、海の神さんからの返答がなにも...」
奏は鋭い視線を愛梨に向けた後、微笑みながら了承した。
「...分かった、一緒に行こう。身の安全は守らせてもらうけど」
「...はい!ありがとうございます!足手纏いにならないよう精一杯頑張ります!」
愛梨は気合の入った声を上げ、奏に微笑み返した。
その様子を見ていた叶途は、おとなしく見守るも、やはり少々言いたいことがありげな様子だ。
「黒橋さんもよろしくお願いします!」
「あっ、え、はい、よろしくっす...」
しかしこの叶途と言う男、これまでの人生で同年代の女性と話し合ったことが全く無いのである。
...え?奏?あれは枠外だ。
とにかく、だからなのか、叶途は愛梨の前だと妙に縮こまってしまうのだ。
「よし、じゃあ行こう!いざ不法侵入だ!」
「奏さん、あんまり大声で言うことじゃ無いです」
「教師に見つかったら俺は真っ先に逃げるからな」
そうして奏達三人は、校門をよじ登ってプールへと歩みを進めた。
「警備員さんがいなくてよかったですね...」
「おいおい愛梨さん、まるで不法侵入してるような言い方じゃないか」
「さっき自分で言ってたよなお前」
会話を重ねているうちにしばらくすると、高めのフェンスで囲われたプールにたどり着いた。
叶途は初めにそのフェンスを登り、愛梨に対して手を差し伸べる。
「ほい、海原さん」
「あっ..ありがとうございます...大丈夫ですか?重く無いですか?」
「ぜんぜんです、梱包材くらいです」
少し愛梨の前でカッコつけている叶途を見るなり、奏は上に向けて両腕を伸ばす。
「おーい俺も頼むー」
「はいはい...ってお前はシブちゃんってやつで飛べんだろ」
「あれ疲れるからやだ」
叶途は仕方がないと言わんばかりにため息を吐き、奏も引き上げた。
こうしてプールサイドに足を付けた一同は、真っ先にプールへと視線を合わせる。
「うん、まぁ普通のプールだな。広くて綺麗な、普通の...」
「奏の言う通りだ。おい音楽、本当になんか居るのか?」
「勿論だよ、そのために君達を連れて来たんだから。あとその略し方はやめてほしいかな」
至って普通のプール...そう思っていた時だった。
「痛てッ!?なんだ..?」
叶途がプールに右手を近づけた瞬間、鋭い針に指を刺されるような痛みに襲われた。
「なんだ?大丈夫か!?」
「平気だ奏、それよりもプールに近づくな!海原さんも!」
叶途はこの痛みに覚えがある。
それは、冬場によく出会う"静電気"だ。
"ピリッ...ビリッ...!"
3人がプールから離れたと同時、水面に謎の閃光が走る。
更に秒数を重ねると、水中に複数の"プラズマ"が現れ、暗闇に満ちた海底を照らした。
「なんだよこれ...おい音楽の神!知ってることあんならさっさと吐け!」
「落ち着いてよ黒橋叶途、君はあらかじめ幻陽刀の準備をしといてくれ」
叶途を宥めた後に、音楽の神は奏に視点を切り替える。
「時に奏、歴史の授業は好きかい?」
「...は?なんだよ急に...まぁ並みくらいは」
音楽の神はヘラヘラと不気味な笑みを浮かべ、昔話を始めた。
「紀元前六〇〇年頃、古代ギリシャのタレスが"静電気"を発見し、それが人類初の"電気"となった」
「今歴史の授業いいって」
音楽の神が話している間に、プールの水がプールサイドまで溢れ出した。
「させぬ」
しかし、その水が奏達の足に触れる直前で、海の神が地面に銛を突き立てる。
「今は我の水で貴様らの体を守っているが...万が一その水に触れるようなことがあれば死ぬと思え」
その言葉の重みは、水面を煌めく稲妻を見れば分かった。
そんなこともつゆ知らず、音楽の神は話を続ける。
「そう、人類初の...けど"世界"初は違う。人間はそのおこぼれを貰っているに過ぎない」
愛梨は、プールの中から、鋭く尖った圧を感じ取る。
(なに...なにが...起きて...体...動かない...)
初めてだった、自分の意思とは関係なく、体がそこから逃げ出そうとする感覚を味わうのは。
「今水中を蠢くソイツは、"危険生物"の中で唯一蓄電、帯電が出来る個体でね...ソイツの存在は、"発展の始まり"とも言える、歴史の一角と成った。たびたび人間界で事件を起こしてイキリ散らしてる有象無象とは訳が違う」
プールの奥深くから、何かが這い上がってくる音が耳に伝わる。
音楽の神は、それを境に昔話を終えた。
「っと、少し話がズレてしまったけど伝えたいことは要するに...」
そして音楽の神の目つきと声色が、重力を帯びたように、真剣なものになる。
「ヤツは格が違う、必ず殺せ」
・・・
「...もう途中から歴史関係なかったし、"危険生物"...後でテメェに聞きたいことが山ほどある。でも分かったよ、今は必ず...」
奏は周囲に浮く鍵盤を叩き始め、水中を睨む。
「"ぶっ殺せ"だよな?」
奏の声を合図に、創造した音符の数々がプールの水面を穿つ!
『ギュァァ!?谿コ縺ァァ!呎ョコ縺吝ソ?谿コ縺呵イエ讒倥i莠コ髢薙r邨カ蟇セ縺ォ逧?ョコ縺励□繧。繧。??シァァァァァア!!!!』
音符が爆ぜた衝撃で、その巨体を宙に浮かせ、怒りの咆哮らしき奇声を上げながら姿を表した。
「あぁ...なるほど...」
(本当に、"危険生物"って感じだな...)
大蛇のような太く長い体に、岩石のような鱗の鎧、加えて鰭や背鰭、尾鰭を思わせるような形をしている、半透明な結晶...
奏達は疑った。
今、自分達が立っているこの場所は、本当に今まで生きてきた世界なのか...そう思えるほどに、目の前の光景は常軌を逸している。
(なんだこの化け物...プールの水も...空間に何か干渉を...?)
「奏...」
(神とか契約者とかそう言う枠組みじゃない...人の、いや生物の常識を大きく超えるような...)
「奏...!」
(これが危険生物...父さんの───)
「おい!聞けよ奏!逃げろ!!」
物思いにふけるように目を見開き、黙り込んでいた奏は、叶途の叫び声で正気を取り戻した。
その刹那、奏の目に映ったもの、危険生物の鰭と背鰭の結晶に、青白い光が宿る。
『ギィ...ギ谿...!ギギギ谿コ縺!!!!』
それに奏が気付いた時には、自身に向かって迫り来る雷撃を、叶途が身を徹して刀で止めていた。
「フゥーッ...!痛ッッッてぇ...!!」
「...はっ!ごめん叶途!大丈夫か!?」
この時、叶途の両腕は、針に突き刺されながら炎で炙られるような、鋭い痛みを覚えた。
(クソ痛てぇ..!でもまだ動ける!二人を守れ!俺!)
叶途は痛みに耐えながら、愛梨の方にも注意を向けた。
そんか叶途の姿を見た愛梨は、自身に酷い覚悟を迫る。
(動かないと...覚悟が足りないんだ...死ぬ気じゃ足りない...死んでも動かないと...!)
愛梨がそう考えている間に、空中を飛んでいた危険生物は、再び自身の縄張りへと落ちた。
水中が光り、不気味な巨体が蠢く様子が映し出される。
「俺のことは後で心配してくれ!奏と海原さんはプールから離れて!テメェら神は今の"デカうなぎ"について説明しろ!」
その身で危険を味わった叶途の叫びに、音楽の神はポーチから傘を取り出し、口を開く。
「"リュウオウツガイ"──...人呼んで海底の迅雷魚。確かにデカいうなぎみたいだけど、どちらかと言うとデンキウナギだよ」
巨体に打たれたプールから大量の水が溢れ出し、宙に舞い、雨と化す。
それが音楽の神の傘に当たり、ボタボタと音を立てる。
「名前もいいけどアイツの特徴は!?」
「ヤツは空気中のマイナス電子を蓄電器官に蓄えて、それを体外に放出する。そうして地上のプラス電子を利用した、"負極性落雷"を武器にしてるんだ」
叶途は音楽の神の説明の8割を理解できなかったが、肝心なことは分かった。
「よし分かった!要するに電気でなんかするんだな!歯ぁ食い縛れよウナギ野郎ぉ!!」
「ちょい待て叶途、無闇に飛び込もうとするな」
(ウナギ...)
水中へと飛び込もうとする叶途を、奏は空中から声を出して止める。
「えぇ!?奏さんが飛んでる!!」
「満点のリアクションありがとう愛梨さん。二人とも聞いてくれ、さっきいい事思いついた。時間も無いし51文字以内に説明する(句読点を含む)」
奏は鍵盤を叩き、音符を周囲に飛ばしながら話し始める。
「叶途はプールの中でアイツを足止めしてもらう、愛梨さんは海の神と交渉してくれ。その間、火の粉は俺が止める」
愛梨は未だ恐怖で足がすくんでいたが、それよりも奏のことを信じ、海の神に叫んだ。
「海の神さん!聞いてください!私...!強くなりたいんです!それが願いです!貴方の願いも聞かせて下さい!」
奏はその様子を見て、叶途と視線を合わせる。
「んじゃ、水中よろしく」
「飛び込むだけじゃなくて足止めしろってことか...」
「不満か?」
「いや、むしろ倒しといてやる」
そう啖呵を切って、叶途はプールへと飛び込んだ。
プールの中はただただ暗く、無音で、おそらくありえないほど深い底から、青い光が漏れていた。
(地上とは勝手が違う...水の重さで体はよく動くし、息もできる......ん?)
そしてもう一つ、違和感を感じた。
水中で出来ないはずの行為が、ここでは出来た。
その違和感の正体を、遊戯の神が語る。
「なんだ?知らなかったのか?お前が俺を着てる間は"パレット"で感覚を操作できんだよ」
「うわ、お前のこと忘れてたわ..ってなに?感覚を操作?パレット?」
"パレット"──
人と神の契約によって現れる神能であり、その内容、及び力は、契約者と神の意思によって異なる。
「要するにお前と俺の力だ、俺はお前の思考を再現できる範囲で反映するからな」
「いやそう言うことは先になぁ...」
叶途が苦言を呈す前に、靴底が強い光に照らされる。
「..っ!叶途!真下に向かって刀だ!構えろ!」
「あっ..うをぉッ!!」
さっきの電撃が来るかと思っていた。
しかし現実は、鋭い牙が叶途を襲うものだった。
「羲ギギィィ!!ガ鐚ァァァァアァァ閼ッ?アアア!!」
「グッ..!うぅ...!!」
(重いけど踏ん張りは効く..!これなら耐え...)
"ピリッ..."
直後、リュウオウツガイの口内が、青白く光る。
「..ってやばッ──」
"ボオオォォォォォォォ!!ォォォオオヴヴ!!!"
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「お願いします海の神さん!私と"契約"して下さい!」
愛梨は海の神に自ら契約を持ち掛けていた。
しかし、帰ってきた言葉は、ただの疑問だった。
「力が欲しいと言っていたな...それで、なにゆえ力が欲しいのだ?」
「何って...奏さん達を守る為に──」
海の神は、腕を組みながら愛梨の顔に近づく。
「それだけか?我の力を渡すには、心の奥から言葉を吐いてもらう必要があるぞ」
"心の底"...その言葉に、愛梨は反論したかった。
しかし、上手い言葉が出てこない。
奏にも悟られなかった、愛梨の深層心理...かつての思いに碇を結び、自覚から遠く深いところまで離した筈の欲。
奏との会話、決死の覚悟、そして海の神の言葉、その全てが繋がり、照らした欲、その始まりは...
「ねぇ愛梨、お父さんのこと好き?」
"母の言葉"であった。




