デッドエンド・ブルー
これは、法という光が届かない場所で起きた、一人の男の物語。
SNSの誹謗中傷により妹を亡くした男は、法が裁ききれなかった罪に、自らの手で裁きを下そうとする。
これは、二人の刑事と、一人の犯人が、それぞれの「正義」を問い直す、葛藤と再生の物語である。
登場人物
主人公: 和泉颯太、25歳。
* 性格: おっとりした優しさと、ポジティブな人懐っこさを持つ。関西出身のため時折、関西弁が飛び出す。
* 特徴: 背が高く足が速い。
バディ: 九条怜依、27歳。
* 性格: 理知的でクール、皮肉屋。
* 特徴: 観察力が鋭く、頭脳明晰。過去に何か大きな後悔を抱えている。
犯人: 加賀美拓也、30歳。
* 人物像: 物静かで人当たりが良い。裏では、法では裁ききれない悪を暴くことに執着している。
* 動機: 過去に妹をSNSでの誹謗中傷により亡くし、法が機能しなかったことに絶望。自ら「裁き」を下すことを決意した。
第1章 雨のパレード
深夜3時、繁華街の裏路地。
車内は、湿った空気とタバコの残り香が充満していた。覆面パトカーのカーナビの光が、助手席に座る和泉颯太の横顔をぼんやりと照らす。彼は窓の外、雨に濡れて光るアスファルトをぼんやりと眺めていた。
「…綺麗やなぁ」
小さなつぶやきに、九条怜依は反応しない。運転席でスマホを操作するその横顔は、鋭い刃物のように冷たかった。
「また寝てたのか」
九条が画面から目を離さずに言う。 「寝てへんて!うとうとはしてたけど、ちゃんと起きてたで」
和泉は慌てて関西弁で言い返した。九条は呆れたように一つため息をつく。
「どうせ何も起きない。この街に平和なんてないんだから」
九条の皮肉めいた言葉に、和泉はきょとんとした表情で言った。 「なんでやねん!平和じゃないから、俺らがここにいるんやんか。九条さん、ええこと言いはるなぁ」
的外れな返答に、九条は小さく舌打ちをした。その時、無線からけたたましい音が鳴り響く。
「警視庁から各局、目黒署管内、繁華街の裏路地にて、刃物を持った男が暴れているとの通報あり。直ちに現場へ急行せよ」
和泉の目が一瞬で鋭く変わった。
九条は、無言で無線機の受話器を手に取った。
「機捜305から1機捜本部、了解。」
たったそれだけの返答だった。**機捜(正式名称:機動捜査隊)**とは、事件発生時にいち早く現場に駆けつけ、初動捜査を行う専門部隊のことだ。彼らの行動が、その後の捜査の行方を左右する。
和泉は九条の方をちらりと見たが、九条はもう前を向いていた。顔つきが一瞬にして変わる。
「行くで、九条さん!」
「了解、相棒」
助手席のドアを力強く開け、車から飛び出す。九条も一瞬で顔つきを変え、エンジンをふかした。タイヤがアスファルトを掴み、けたたましい音を立てて加速する。和泉の目は、先ほどまでの穏やかさとは打って変わり、獲物を狙う鷹のように鋭くなっていた。現場に到着した和泉が駆けていく。その速さは、まるで風が吹き抜けるようだった。九条は少し遅れて現場に到着する。
被害者は、刃物で腕を切られ、地面に倒れていた。周囲には、恐怖に怯える人々が数人、固まっている。和泉はまず被害者に駆け寄り、応急処置をしながら声をかけた。
「大丈夫ですか!すぐに救急車が来ますから!」
その声は優しく、しかし力強かった。彼はすぐに目撃者たちに目を向け、話を聞き始める。和泉の明るい人柄と、誠実な眼差しに、人々は徐々に心を落ち着かせ、口を開き始めた。
一方、九条は別の動きをしていた。彼は被害者や目撃者には見向きもせず、現場の周囲をゆっくりと歩き回る。鋭い視線は、地面に散らばったゴミや、壁についたわずかな汚れ、そして防犯カメラの位置を瞬時に把握していく。
「九条さん、刃物を持った男は、あっちの路地へ逃げたそうです。背が高くて、黒いパーカーを着てたって」
和泉が目撃者から得た情報を伝えに戻ってきた。しかし、九条は小さく首を横に振る。
「違う。そいつは囮だ」
九条が指差した先には、誰もいないはずの別の路地があった。和泉は驚きを隠せない。
「何でわかったんですか?」
「黒いパーカーは、目撃者の記憶に残りやすい。それに、わざわざ複数の人間が見ている場所で逃走経路を口にするなんて不自然だ」
九条は淡々と語り、さらに続けた。
「それよりも、あそこの防犯カメラに、数分前に被害者と話している男が映っているはずだ。そいつの顔を洗い出す」
二人の異なるアプローチが、早速、一つの事件で交差する。この瞬間、和泉は九条の持つ鋭い洞察力に、九条は和泉が持つ他者の心を開かせる力に、それぞれ気づいていく。
この事件は、刃物を持った男が逮捕されたことで、一件落着したかに見えた。しかし、九条のプロファイリングは、この事件がただの通り魔事件ではないことを示唆していた。数日後、また別の場所で、同じ手口による第二の事件が発生する。被害者は、SNSで成功者として知られる人物。二人の刑事は、再び走り出す。
第二章:消えない棘
第二の事件は、第一の事件から三日後に起きた。
場所は、閑静な住宅街の高級マンションの一室。被害者は、30代の女性起業家、星野美咲。彼女はSNSで「人生は自己責任。努力すれば必ず報われる」という言葉で若者たちから絶大な支持を得ていた。
現場に到着した和泉と九条は、またしても初動捜査にあたる。部屋は綺麗に片付いており、争った形跡はない。被害者は、リビングのソファで眠るように息を引き取っていた。
「第一の事件と手口が違うな」
和泉が冷静に状況を分析する。第一の事件は刃物による傷だったが、今回は毒物によるものだった。しかし、九条は小さく首を横に振った。
「違う。手口は変わっても、犯人のメッセージは同じだ」
九条は部屋を見回し、テーブルの上に置かれた一冊の本に目を留めた。それは、被害者がSNSで推薦していた自己啓発本だった。しかし、本は開きっぱなしになっており、その間には、しおりの代わりに一枚の紙が挟まれていた。
九条がその紙を手に取ると、そこには**「偽りの成功」**という文字が、丁寧に書き込まれていた。
「被害者たちは、SNSで嘘をついていた」
九条の言葉に、和泉は驚きを隠せない。第一の事件の被害者も、第二の事件の被害者も、表面上は幸せそうに見えた。しかし、九条は、犯人が彼らの隠された「闇」に気づき、それを暴くために犯行に及んでいると推理した。
九条の推理:犯人の動機
* 被害者たちの共通点:
* どちらもSNSで、自身の成功や幸せを誇示していた。
* しかし、その裏には、他人を犠牲にしてきた過去や、他者からの誹謗中傷を隠蔽していた事実があった。
* 犯行の動機:
* 犯人は、被害者たちの「偽りの成功」に気づき、法や世間が裁かないならば、自分が裁くしかないと歪んだ正義感を抱いている。
この推理に、和泉は納得しながらも、一つの疑問を九条にぶつけた。
「でも、九条さん。なんで犯人は、わざわざこんなメッセージを残すんやろ? 自分の正義を誰かに伝えたかったんかな…」
和泉の問いに、九条は答えなかった。ただ、彼の顔には、どこか遠い過去を思い出すような、苦い表情が浮かんでいた。
第三章:二つの視線
星野美咲の部屋に残された「偽りの成功」というメッセージ。九条の鋭い推理に、和泉は納得しながらも、犯人の真意を掴みきれずにいた。
「九条さん、その…『偽りの成功』って、どういう意味ですか?」
和泉は素直に疑問を口にした。九条はスマホを操作しながら、淡々と答える。
「言葉通りの意味だ。被害者たちは、世間には見せていない裏の顔を持っていた。それを暴くのが、犯人の目的だ」
九条の言葉に、和泉はふと気づく。被害者のSNSアカウントを調べると、彼女は常に高級ブランド品を身につけ、豪華な食事をアップロードしていた。しかし、和泉が現場で目撃した彼女の服や持ち物は、決して高級品ではなかった。
「なぁ九条さん、これ…」
和泉はスマホの画面を九条に見せた。そこには、被害者が過去にSNSでアップロードした写真が映っていた。九条は、その写真に写っている高級バッグと、現場にあったバッグが違うことに気づく。
「偽りの成功、か…」
九条はつぶやくと、さらに深く捜査を進める。被害者のSNSの裏アカウントを特定し、そこから彼女が過去に他社の商品を盗用し、詐欺まがいの商売をしていたことを突き止めた。
一方、和泉は被害者の交友関係を調べた。SNS上では華やかな人間関係を築いていたように見えたが、和泉が実際に話を聞いて回ると、誰も彼女を心から慕っている人はいなかった。むしろ、彼女の言動に傷つけられたり、利用されたりした経験を持つ人が多かった。
「…九条さん、被害者の『偽り』をいちばんよく知っていたのは、被害者の周りの人たちや。犯人も、その中の一人かもしれへん」
和泉の言葉に、九条は初めてスマホから目を離し、彼の顔をじっと見つめた。
二つの異なる視線が、一つの真実へと収束していく。九条の頭脳と、和泉の人間観察力が、犯人を追い詰めていく…。
第四章:鏡の中の影
和泉と九条は、被害者たちが過去に犯した罪を掘り下げていく中で、ある一つの事件にたどり着いた。
それは、3年前にSNSでの誹謗中傷を苦に、若者が自ら命を絶った事件だった。当時、警察は事件性を認めず、自殺として処理されていた。しかし、九条は被害者たちのSNSの裏アカウントを徹底的に調査する中で、その事件に彼女たちが関わっていた証拠を発見する。
「九条さん、こいつら…」
和泉は悔しそうに声を震わせた。九条は淡々とその証拠を眺めていたが、その表情には、どこか痛みを堪えているような苦渋の色が浮かんでいた。
「…法では裁ききれない。警察は無力だった」
九条の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。その時、和泉は九条の背後に、過去に誰かを失った男の影を見た気がした。
「九条さん、ひょっとして…」
和泉が言いかけると、九条は鋭い目つきで彼を制した。
「犯人は、この男だ」
九条が指差した先には、加賀美拓也という男の顔写真があった。奈々美の兄であり、妹の死後、SNSを完全に閉鎖し、表舞台から姿を消していた人物だった。
和賀美は、SNSでの誹謗中傷に加担した者たちをターゲットに、周到な計画のもと、殺人を繰り返していた。そして、九条は加賀美の行動パターンを分析する中で、彼の犯行の動機に深く共感してしまう。
「どうして法は、こいつを、奈々美さんを助けてくれなかったんや…」
和泉は、加賀美の抱える悲しみを理解し、悔しさをにじませた。しかし、九条はただ冷たく言った。
「同情は不要だ。我々は、奴を捕まえる。それだけだ」
九条は、犯人を追い詰めることを最優先に考えていた。しかし、彼の心は揺らいでいた。犯人の正義感が、過去の自分と重なり、苦しんでいたのだ。
そして、加賀美の次のターゲットが明らかになる。それは、世間に「正義の味方」として知られる、ある著名なコメンテーターだった。二人は、加賀美を止めるため、最後の捜査に臨む…。
第五章:夜明けの行方
加賀美の次のターゲットは、世間に「正義の味方」として知られる著名なコメンテーター、大山だった。彼は過去に、妹の奈々美を誹謗中傷した人物たちを擁護するような発言をしていた。九条は、彼の発言記録から、加賀美が大山を狙う理由を確信していた。
「大山の事務所は今夜、チャリティーイベントをやってるはずや。あそこに加賀美が向かう」
和泉は、九条のプロファイリングを信じ、事務所へ向かうよう指示を出した。覆面パトカーは、深夜の街を疾走する。車内は、二人の間に漂う緊張感で張り詰めていた。
「九条さん、ホンマに大丈夫ですか?」
和泉は、どこか心を閉ざしている九条の様子を心配して声をかけた。九条は、黙ったまま何も答えない。しかし、和泉は諦めなかった。
「加賀美の気持ち、俺には分かります。でも、憎しみの連鎖は、何も解決せぇへん。俺らが止めなきゃ」
和泉のまっすぐな言葉に、九条は初めて口を開いた。
「…俺も、かつて同じような経験をした」
九条の言葉に、和泉は息をのんだ。九条もまた、過去に大切な人を失い、法や警察の無力さに絶望した経験があったのだ。九条は、加賀美の抱える悲しみと怒りが、まるで鏡に映った自分の姿のように感じられ、犯人を追うことに葛藤していた。
「だからこそ、九条さん。加賀美を救えるのは、九条さんや!」
和泉の言葉に、九条の心にわずかな光が灯る。二人は、チャリティーイベントの会場に到着した。
会場は、多くの人々で賑わっていた。しかし、和泉と九条は、会場の隅で不自然な動きをする男、加賀美拓也の姿を捉えた。彼の手に握られているのは、ナイフ。
「加賀美!」
九条は、叫んだ。加賀美は、驚きながらも、大山に向かって走り出す。和泉もそれに続く。しかし、加賀美の動きは俊敏だった。彼は、人混みを縫うように駆け抜け、大山に迫る。
その時、和泉の足が、風のように加速する。加賀美との距離が、一気に縮まっていく。
「加賀美さん、やめてください!」
和泉の声に、加賀美は一瞬動きを止めた。その隙を逃さず、九条が加賀美の背後から飛びかかり、ナイフを叩き落とす。
加賀美は抵抗するが、九条は彼をしっかりと押さえつけた。和泉は、加賀美の前にしゃがみこみ、彼の目を見て言った。
「あなたの気持ち、分かります。でも、妹さんは、こんなこと、望んでないはずです!」
和泉の言葉は、加賀美の心に深く突き刺さった。彼の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。加賀美は、ついに抵抗をやめた。
こうして、連続殺人事件は解決した。しかし、残されたのは、犯人が問いかけた重いテーマと、二人の刑事の心に深く刻まれた傷痕だった。
終章:偽りの夜明け
連続殺人事件は解決した。
和泉と九条は、警察署の廊下で静かにコーヒーを飲んでいた。九条は、窓の外を眺めながら、どこか遠い目をして口を開いた。
「俺は、昔、相棒を亡くした」
九条の口から語られたのは、過去に起きた一つの事件だった。 当時、彼は相棒と共に、ネットでの誹謗中傷を苦にしている女性を保護しようとしていた。しかし、九条がわずかに判断を誤ったことで、女性は命を落とし、相棒も職を辞すことになったという。
「あのとき、俺は何もできなかった。法も、警察も、彼女を救えなかった」
九条は、加賀美が抱えていた絶望と、自分の過去が重なっていることを和泉に打ち明けた。
「だから、俺は加賀美の気持ちが、痛いほど分かる」
和泉は、九条の苦しみに寄り添いながら、静かに言った。
「でも、九条さん。加賀美を止めたのは、九条さんです。九条さんのおかげで、これ以上の悲劇は生まれなかった」
和泉の言葉は、九条の心に深く突き刺さった。和泉は、九条の鋭い洞察力が事件を解決に導いたこと、そして彼の葛藤が、加賀美を救うことに繋がったことを伝えた。
「俺は、九条さんと組めて、ほんまによかったです」
和泉のまっすぐな言葉に、九条は初めて、穏やかな笑みを浮かべた。
二人のバディとしての絆は、この事件を通じて、より強固なものとなった。
数ヶ月後。
二人は、再び深夜のパトロールに出ていた。車内には、以前のような張り詰めた空気はなく、穏やかな時間が流れていた。
「なあ、九条さん。この街にも、いつか本当の夜明けは来るんやろか」
和泉がぽつりとつぶやく。九条は、一瞬黙った後、ハンドルを握る手に力を込めて言った。
「来るさ。俺たちが走ってる限りはな」
和泉は、その言葉に、希望を見出した。二人の乗った覆面パトカーは、夜の闇を切り裂きながら、静かに走り続けていく。
この街に、本当の夜明けを連れてくるために。
この物語を書き終え、改めて「正義」とは何かを考えさせられました。
正義とは、法に則った裁きだけを指すのでしょうか。それとも、誰かの悲しみや怒りに寄り添うことなのでしょうか。
和泉、九条、そして加賀美という三人の人物を通して、それぞれの正義がぶつかり合い、そして交差していく様を描けたのであれば幸いです。
この物語が、読んでくださった方にとって、何かを考えるきっかけとなれば、これに勝る喜びはありません。
出会ってくださった全ての方々に感謝を。雪代深波