第七十七話 「イストラード Ⅶ」
水平線から港町へと、朝日と共に冷たい潮風を運んでくる。 俺は窓を左右に押し開き、軽く伸びをする。
「んがー…結局寝れんかったな」
両手を窓の縁に当てて、見事なエメラルドグリーンの海を眺めつつ考える。
昨日結局、シーフィと別れたが、嫉妬かよ!と気を抜いてしまったんだろう、ある事に気付けなかった。
ネーレが眠らされていた。 そしてそれをある魔人と竜が倒したという事。
だがその後に、ある二人が結ばれて以来ネーレが荒れだした。 眠らされた理由も気になるが。
倒した筈なのに、荒れだした。 …どういう事だ。 倒した、では無く再び眠らせた。
そう考える方が良いのか。 取り合えずソレで置いておこう。
まぁ、まさかケルドが絡んでるとも思い難いわけで。
で、結局この本。『夜霧の哀花』の虫食い部分が解読不能のままだ。
まぁ、相当古い上に関係者だろうネーレが暴れているんだ。聞き出す事は困難か。
さて、そろそろイストを起こすか。 まだシーツに包まって寝ているな。
俺はベッドに歩み寄りシーツをひっぺが…したが即座にシーツを戻した。 上着がはだけていた。
いや、別に見てもなんて事は無い。 その後が怖いからだ。そそくさと中央のテーブル。
それを挟む様に置いてある椅子へと腰をかける。
さてどうするか…と、ふと目をやったのが、テーブルの上に無造作に積み上げられた本。
少し気になったモノがあった。 『人魔』 と書かれている。
お、著名されてるな。 トーガ=グラテル …当然だが知らん。 人魔? 魔人じゃなくてか。
ページをめくるとズラっとビッシリ文字が…然しこりゃ。
元いた世界でも古い時代だと、本は高級品だったな確か。 理由は…そうこれだ。
印刷技術が無かった。
で、誰だったか…グデングデンだか、バウムクーヘンだか何かそんな名前の奴が判子みたいなのを利用して、
本の量産を始めてから、本が出回りだしたんだったな。
この本も、見る限り判子っぽく角度とか隙間がまちまちだ。
軽くそれを読んでいくと、人間と魔人の事が記されている。 魔王エヴァリアの事やその娘の事も書かれている。
が、本人から聞いた事とはかなり異なっているので読み飛ばして…と。
ほ~、今まで気にも留めなかったが、人間と魔人は種族的には同一で、女だけが魔の血が濃く出る場合がある。
理由は様々書かれているが。…まぁ、ケルドの奴が力の一部を与えたって言ってたからな。
遺伝子的に女にしか影響出ないんだろう、繋ぐ力ってのは。で、男はそのまま人間と。
この本と得た知識を統合すると、現状そうなるが…詳しい事は流石に判らんな。
「何をみておるのじゃ?」
「ん? ちと気になった本をな。 …服をちゃんと着てから起きてきなさい」
「服……? !!!」
慌ててシーツではだけた胸元を覆い隠すイスト。 俺は本から目を離していない。
「安心しろ。見て無い」
「じゃ…じゃあ、何故上着が肌蹴ていると判ったのじゃ!」
「あれだけ壮絶な寝返りうってりゃ服もめくれるだろよ」
「・・・・・」
そう言ってイストの方を見ると、俯き顔を真っ赤にしてシーツを抱き込んで座っている。
「取り合えず、朝飯を買ってくっから服着替えとけよ」
「わ…わかったのじゃ」
俺は、立ち上がりドアを開けて、歩くとギシギシと音を立てる廊下と階段を下りてホールへと。
カウンターには宿の店主が起きていて、暇そうにこちらを見ている。
「おはよっス」
「ああ、おはよう。 何か判ったかい?」
やっぱ気になるんだろうな。 この港町にこれだけ外装が痛むまで住んでるんだ。
「ああ、うまくいけば今日で原因究明と解決までもってけそうっスわ」
うおっ。カウンターを両手で強く叩いて立ち上がり、身を乗り出して睨んできた。
「本当か! あれだけの人間や魔人が挑んでも行方不明になるしかなかったシロモノだぞ!?」
店主に軽く笑いかけて一言。
「オッサンここに相当長い事住んでるだろ。下手すりゃ何代もかけて」
「ん?ああその通りだ。 何故それを?」
「宿の外装の傷みが酷いっスからな。 百年やそこらは確実に経ってるだろうと」
店主は再び、カウンターの裏にあるんだろう椅子に座り込んだ。
「成る程。 良い目をしているな。 で、その目で何か見つけたのかい?」
「オッサンがこの宿を守り続けてたからこそ、糸口が残ってたんスよ」
「俺の宿に糸口がか。 そりゃいいな! ここを解決しようと幾人ものリンカーが寝泊りしているのに、
そこに解決の糸口が眠っていたとは」
灯台もと暗しってやつか? まぁ、カウンターに軽く手を置いて、オッサンに経緯を掻い摘んで話す。
当然だわな、タダで寝泊りさせてくれてんだ。
「あの本か。 然し虫食いが酷くて肝心な部分が判らないだろう? 色々解釈を後付けされたが」
「っスな。それを確かめに、この騒ぎの張本人に会いに行くんスわ」
「そうか、生きて帰ってこいよ。 兄さんはまだ死ぬには若過ぎるだろう」
「大丈夫っスよ。相手の能力が判れば対処法はあるっス。 まぁ、神相手にするよりゃ楽ですわ」
目を丸くして俺の方を見ている店主。
「その口ぶりだと、神族と戦った経験があるようだな。 見た目通りの歳では無いという事か」
「ま、そんなトコっスわ。 然し解決したとしても、行方不明者は恐らくは戻ってこないスね。
歌で花に変えられてしまってたら」
「そいつは仕方ない。 また一からここを盛り上げて行くしかない」
「強いっスねぇ」
軽く二人して笑うと、俺は朝食を買いに外に出た。ちと室内が暗かったんだろう朝日が眩しく目が少し痛い。
港町を大陸側に進んで行くと、商人のオバサンがいる。 ここから少し離れた処にある村から来ているらしい。
ここの騒ぎの事もありきで、このオバサンはその村で取れる食材や食料を格安で売りにきている様だ。
俺は、あのパンらしきものと、木の容器にはいっているお茶の様なモノを買う。
「ありがとう。…兄さんここ毎朝買いにきてるけど、見ない顔だね。 旅行かい?」
大柄…というフトマシイというか、天空の城にでてくるあのババアみたいな体格したオバチャン。
そしてドワーフみたいな顔。 こりゃそこらの魔物を片手で倒しそうだ。そう思える頑健な風貌。
そんなオバチャンに軽く事情説明する。
「ああ、イグリスからかい! そりゃご苦労だね。で、順調なのかい?」
「スな。 今日中に片付けて、明日には帰れると思うんスわ」
「大した自信だねぇ。ふむ…」
野太い声に、鋭い眼差し。肝っ玉母ちゃんと言うべきか、そのオバチャンが俺を凝視する。
「アンタ、精霊の加護を受けてるね。それも恐ろしく強力な奴を」
おい。何で判った…む。腕を捲り上げた。 ああ、成る程。
「アタシも似た様なモンでね。判るモンさ…で、アンタはこれの使い方は知っているのかい?」
首を横に振ると、俺に教える様に喋りだす。 関西のオバチャンみたいだな、喋ると止まらない。
「そうか…いいかい? コイツを使うにゃ…自分の血が必要なのさ。
自分の血をその紋章に流すと吸い込まれ。その血が腕から一滴だけ落ちる。
そうすると、契約している精霊が力を貸してくれるのさ」
成る程。思わぬ所から情報が、自分で手を傷つけないと使えないのかよ不便だな!!
で、召喚ってワケなのか。
「そうすると、精霊出てきて助けてくれるんスか?」
「違う違う。 精霊の持っている力。それの一部を貸してくれるだけさ。
もっとも、触媒が必要になるので刃物で傷をつけたらいいってモノでもないがね。
勿論、精霊本体を呼ぶ事も可能だけどね…それは契約者の死を意味する事だよ」
…ソレほど体力奪われるのか。
「ちなみにオバサンは何の精霊の? 俺は疾風の精霊クァってアホ鳥なんスけど」
うお! 目を丸くして驚いているな。
「クァ!? またとんでもない精霊と契約出来たモンだね。アンタの祖先は」
「相当生命力高かったみたいスな」
「高いってモンじゃないさぁ。 それこそドラゴン並の生命力でもなきゃ、
契約した途端に…そこに干されてる干物みたいになっちまうよ?」
オバチャンの指差した先には、何か判らない干物が紐で吊られている。
…そこまでかよ!! 危ネェなおい。 お、オバサンが胸をドンと叩いた。
「ちなみにアタシの処は、火の精霊アグナバクアさ。
娘もそうなんだけどねぇ。今はどこでどうしてるやら」
うわー。良くこんがりウェルダンにならなかったな。オバチャンのご先祖。
「疾風が遣わした使者なら、ここも安泰だね。 ほらコイツも持ってきな!」
どわっ! パン大量に押し付けられた。 食いきれネェよ!!!
「ど…どもっス!」
両腕を組んで頷いているオバチャンが、何か思い出したのか俺を見ている。
「そうだそうだ。アンタ…、トアの魔精具持って無いね」
「な…なんスか、それ」
「トアってのはアタシ等の村の名前さ、それなりに有名なんだがね。
此処を解決したらトアにおいで。アンタに見合うモノを打ってやるよ!
アンタは見た所そこらの馬鹿どもとは違う。アンタになら良いだろ」
打つ…鍛冶職人か何かか。つかそうなのか? 知らなかった…。
あの大陸から出た事も無かったしな。…何にせよ楽しみだ。 ん、そいやそうだな。
「そりゃどもっス。そいやリンカーって武器使わないよな? 今まで気にしてなかったスが」
「そりゃアンタ、並の武器がリンカーの攻撃力に耐え切れずにすぐ壊れるからさ。
同時に並以上の武器なんかは、そうは無い。
ただ、契約者は別さ、それに見合ったモノが存在する。
それがトアの魔精具さ。 勿論他にも色々あるがね」
成る程。確かにあんな攻撃力なら、一撃で破損してもおかしくはないな。…他にも。ああ。
「例えば、大きすぎる魔力を抑える道具とかスか?」
「ああ、知り合いにいるのかい? そりゃ双魔環といってね。
本来は荒くれ者の、それも相当強力な魔族を捕らえる為にある。
だけど…そんなモノを身につける必要があるとしたらそれは…天災級の魔力を持って生まれた者だけだよ」
天災級ってどんなだ。色々情報入ってくるな。
「少なくとも、母親はその子が生まれた時に死んでる筈だよ。大事にしてやんな」
そうなのか…。 つかこのオバサンにこれが終わったら会いに行った方がいいな。
知らん事をやたら知ってそうだ。
「うス。色々とありがとうっスわ。食料までこんなに貰ってしまって」
「構わないさ! それよりも頼んだよ? 火じゃどうも相性が悪くてね。
アンタなら何とかしてくれるだろ!
何より疾風の魔精具がどんなものか気になるしね!」
「そ、そっスか。 じゃ、これで失礼するっスわ」
そういうと、軽く頭を下げてその場を去る。 後ろからあのオバチャンの野太い声が聞こえる。
「がんばんなよ!」
ふう、思わぬ所から何やら次のイベントが…。一応姐御に報告してからのがいいな。
俺は、再び宿に戻る。 そして、歩くとギシギシと音を立てる廊下と階段を進み部屋へと。
「たでーま。と、お? アルド君達もきてたか」
待ちかねてコチラに来た様だ。 アルドはベッドに座り、イストとオズは椅子に座っている。
俺は、抱えてる食料をテーブルの上に置く。
「主…どれだけ買い込んできたのじゃこれは」
「…沢山」
「いっただっきまーす!」
アルドお前…一番に飛びついてきたなおい。 まぁいいか、余って腐らすワケにもいかんしな。
「で、ネーレの歌はどうするのじゃ?」
ああ。やっぱ気になってたか。… 俺は椅子が足りないので、壁にもたれかかる。
「簡単だ、レガの咆哮でかき消してやればいいさ」
「…レガもきてるの?」
「おおよ、オズが見た赤竜がレガだよ。 俺達と一緒に来たんだわ」
「ふっべぇ! ぼらほんほひっひょはほ!」
「食いながら喋らない」
そこまで腹減ってたのか? 口の中一杯に頬張って、両手にも持ってやがる。 どんだけだよ。
「成る程のう。 じゃがそれだと互いに声が届かない時が、あるのじゃないかの?」
「ああ、だがその前に、ネーレに話しを聞けたら聞く必要がある。
アイツをぶっ飛ばしてしまえば全て解決だが、此処の人達がまだ戻ってこないと決まったワケでは無いからな」
「そうじゃな…判った」
オズとアルドは飯に気を取られて話聞いてなさそうだな。
「おーい。アルド君、そのままでいいから聞いてくれな。とりあえず話が通じなさそうなら、
レガの咆哮で歌をかき消している間に、ネーレを上空に叩き上げてくれ」
「わはっは!!」
「・・・。まぁいいか。 で、叩き上げたら海を操れないだろうから…レガのブレスで倒してしまう。
海だと水の防護壁みたいなもので弾かれると思うからな」
「うまく往くと良いのじゃがのぅ…」
「まさか竜の咆哮で歌を吹き飛ばしてくるとは思うまいよ」
「…うむ」
そういうと、皆して朝食を取る。
確かに手筈通りに行くとは思ってもいない。 牙というのも気になるしな。
まぁ…相手の手の内が判っただけでも十分だからな。…そのまま突っ込んでたら簡単に全滅だったな。