悩む時間は無い~エーベルハルト視点~
小柄な少女が森の奥へと駆けて行く。唸り声を上げる紺青大龍がその小さな背を追う。
・・・・・・囮になるつもりか!?
エーベルハルトが制止の声を上げる間も無く、少女の背が木々に遮られて見えなくなって行く。紺青大龍は木々を薙ぎ倒しながら追いかけて行くので、彼女の背中はまだ見える。
「殿下!」
ブルーノを始めとした部下達がふらつきながらもやって来た。エーベルハルトは指示を飛ばしながら、一つの覚悟を決めた。
「フリッツ。誓約書の準備をしろ。赤と緑だ」
「・・・・・・本気ですか?」
エーベルハルトの暈した指示に、隠された意味を知っているフリッツは険しい顔で問い返した。
誓約書。正式名称『沈黙の誓約術』と言う。機密情報の扱いなどで使用される制約魔法の一種。王族ならば身近に存在する魔法だ。
だが、エーベルハルトが言う『赤と緑』の指定は別の意味を持ち、リンドヴルム王家では彼のみが使用する。
「紺青大龍を野放しにする訳にはいかん」
「・・・・・・解りました。可能な限り使わない方向でお願いします」
「善処はする」
フリッツに背を向けて、エーベルハルトは森の奥へと駆け出す。木々が薙ぎ倒された事で出来た道を、ただひたすら走る。
・・・・・・それにしても、一体何を考えて森の奥へと駆けたのだ?
自ら囮になるつもりなのか定かではないが、オルトルートは頃合いを見計らって駆け出した。だがその前に、紺青大龍が己を敵と認識しているか否かを確認している。ただの囮になる為の逃走とは思えないが、現時点でオルトルートが何を考えているのか全く分からない。
「・・・・・・ん?」
木々が薙ぎ払われる事で出来上がっていた道が途切れている。道を辿っていたエーベルハルトは足を止めて周囲を探す。小柄なオルトルートはともかく、紺青大龍の巨体までもが見当たらない。
何処に消えたのか。周囲を捜索していると、前触れなく木々に叩き付けるような突風が吹いた。空を見上げて、エーベルハルトは絶句した。
空と言う広大な領域で、紺青大龍と向き合っているオルトルートを見つけたのだ。かなりの高度で応戦しているのか、紺青大龍の巨体が指の長さ程にしか見えない。
「飛翔魔法が使えたのか」
何処の国でも飛翔魔法の使い手は少なく片手で数える程。エーベルハルトの火傷を癒した治癒魔法と言い、オルトルートは本当にただの冒険者なのか疑いたくなる。
エーベルハルトは頭を振って思考を切り替え、リンドヴルム王家の秘術を発動させた。同時に、エーベルハルトの背中から一対のドラゴンの翼が出現し、バサリと羽音を立てた。翼の動きに合わせて風がうねり、大柄なエーベルハルトの体が浮き上がった。そのまま頭上を目指して飛び立つ。
リンドヴルム王家の秘術――竜化。
竜に変化するだけでなく、エーベルハルトのように部分的に竜化する事も可能である。勿論、竜としての攻撃――竜の咆哮を始めとした竜種特有の攻撃――も使用可能で、これらに至っては竜化せずとも行使出来る。
遥か昔に存在した、人と竜、双方の姿を持つ竜人と呼ばれる亜人種族の末裔であるリンドヴルム王家の人間であっても、現在秘術が行使可能なのはエーベルハルトだけだ。時代が下り、数多の人族の血を取り込み続けた結果だ。竜化の使い手は減ったが、必要とされる状況は滅多に起きないので、他国とは違い『秘術の使い手がいなくても』問題視はされなかった。逆に、いかにしてエーベルハルトの竜化を隠すかで頭を悩ませている。
秘術の使い手の減少はリンドヴルム王家だけに起きているのではない。現在、どこの国でも秘術の使い手の減少傾向に有る。
これが顕著なのはシュヴァーン王国だ。かの国では国王以外に使い手がいない状況で、双子の王子や、王家筋にも秘術の使い手が存在しない。
「使う機会が滅多にないとは言え、訓練をしておいて良かった」
一直線に飛翔しながら、エーベルハルトは内心、訓練許可をくれた両親に感謝した。無理を言っている自覚は有ったが、感情制御が出来ずに竜化して暴れてしまっては王族失格だと、そう訴えて許可を取った。
側近を得て、騎士団を従えて、国内の魔物退治をするようになったが、部分的にとは言え竜化するのは久し振りだ。
エーベルハルトは竜化の感覚が鈍っていない事を確認しながら、大気がうねる空で飛翔を続けた。
短いですが、オルトルートの知らないところで情報が開陳されて、何時知る事にしようかと考えるのは楽しいです。