第5話『桜梅桃李』
【ローズマリー共和国 パルテシャーナ星 元老院議会】
<PM16:17>
ローズマリー共和国……女尊男卑の文化と驚愕の医療技術を持ち、海陽系で帝国の輪から離れた唯一の独立国である。その国の定例元老院議会がたった今、幕を下ろした。
最年少元老院議員であり、国内でも未来の元老院議長と目されている秀才エリーゼ・ゴールベリは、ホバリングしていた議員席を定位置に下ろす。そして同じく地面に降り立ち、憤慨しながら議事堂を後にする保守派マルグリッド・チェンに視線を向けた。
「話になりませんわ! 帝国の混乱ほど我が国にとって有意義なものなど無いというのに!」
顔を真っ赤にして目を吊り上げながら歩くマルグリッドに従うように保守派の議員たちも口々に苦言を呈す。その光景は学生時代にあったグループのリーダーと取り巻きのように見て取れた。
「ストーン議長ももうお歳ですわね! 内紛を起こす国とまだ交渉を続けようなど!」
「しかも現皇帝は女性を食い物にする狂王ではありませんか! ああ悍ましい!」
「取って代わろうとしているダンジョウ=クロウ・ガウネリンという輩もB.I.S値が著しく低いとか……帝国も先が見えますわね」
「これだから男の取り仕切る国家など信用ならないのです」
姦しく議事堂を後にしていく面々をエリーゼは内心……いや、態度に見えるように蔑んだ目で見送る。
連中は国家の事を考えているだろう。ただそれは私情を絡めた感情によるものに過ぎない。エネルギー問題や食料自給率が低いこのパルテシャーナ星では自立していくことは難しいのだ。今帝国と国交を断絶しても、彼女たちの現生活は帝国に頼っている部分が多い。何より今回の議会でも穏健派たちが守り通した帝国との不可侵条約が途切れれば帝国は間違いなくこのローズマリー共和国に攻め入るだろう。彼女たちはそんな当たり前のことですら見通せていない。
「愚者の喚きほど見苦しいものはありませんわね……ま、だからこそ利用しやすくあるけれど……」
エリーゼは思わず小さく呟いてから視線をマルグリッドからミリアリア・ストーン元老院議長に切り替える。彼女もまた同じく穏健派の議員たちに囲まれていた。
エリーゼはゆっくり議席から立ち上がると、ミリアリアの方に歩み寄っていった。彼女の姿に気付いた他の穏健派議員たちは道を開いていく。彼女たちからすればエリーゼは次期穏健派のトップである事は明白だったからだろう。
「議長、ご苦労様でした」
エリーゼがそう告げるとミリアリアは隠しきれない疲労を交えた微笑みを浮かべた。
「エリーゼ。貴女にも苦労を掛けますわね」
彼女の表情を見てエリーゼは柄にもなく少し心が痛んだ。これからさらなる心労をミリアリアに掛けることになるからだ。
もうすでに動いてしまっている事実……そしてこのように穏健派が一堂に会している場で告げる事こそはエリーゼなりのけじめだった。彼女は心の中でそう思いながら小さく息を吸い込んで口を開いた。
「議長、マルグリッド・チェン議員は世論を動かすためにメディア露出を増やしていくことを決めているようです」
「……世間の支持を得るためにメディアを使う。それは別に間違った事では無いわ。でも大丈夫。今帝国と完全な敵対関係になることで生じるデメリットを彼女たちも気付いていないフリをしているだけで理解しているはずよ」
「そうでしょうか? 私には彼女たちにそこまでに思慮深さを感じえません。闇雲に感情のまま動く……女性の持つ理性を捨てた姿が彼女たちなのでしょう。……ただ、彼女たちの言う事に理解を示せる箇所もいくつかあります」
その発言は空気を一変させ、周囲の穏健派に驚きの……いや、怪訝な表情を浮かばせた。
ミリアリアは他の面々と違って表情は一切変わらない。普段と変わらない冷静さを持ち合わせたその表情にエリーゼは安心した。曲がりなりにもエリーゼを政治家としてここまで育ててくれたのは彼女なのだ。一瞬の静寂の後、エリーゼは再び口を開いた。
「帝国との不可侵条約……議長が身を粉にして守ってきたこの条約には敬意を払います。ですが、今のままでは我々はいつまでたっても帝国の顔色を見ながら生きて行かねばなりません」
「帝国がエネルギーや食糧を輸出してくれると同時に我々は医療技術を少しづつ開示していく。双方は人間が生き抜くために必要な物よ。その等価交換がある限り、我々が帝国より下という考えは早計だわ」
「そうかもしれません。ですが、我々が死んだ後もこのローズマリー共和国に永劫の安寧を齎すには多少なりとも大きな決断をする必要があると思っています」
エリーゼはそう告げると、穏健派の証である胸元の赤い造花を取り外した。
「ゴールベリ議員!」「何を!」という周囲の声が響き渡る。そんな彼女たちの声に耳を貸すことなくエリーゼは赤い花をミリアリアに差し出した。
「現状維持ではダメなのです。真の意味で帝国への依存から脱却するためには、その力を吸収し国家として遜色のない力を付ける必要があると考えています」
「……それが、貴女の考えるこの国の未来なのね?」
ミリアリアは再び微笑む。その微笑みは教え子の成長に対する喜びと寂しさを兼ねているようにエリーゼの目に映った。
「……お世話になりました。私は穏健派でも保守派でもなく……革新派として動かせていただきます」
その言葉にミリアリアは何も言わずに造花を受け取る。
エリーゼは踵を返すと、あっけにとられる面々の中を歩き出す。それはミリアリアとの決別であり、彼女が将来“鉄の処女”と呼ばれる所以の一歩を歩き出した瞬間だった。
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【星間連合帝国 帝星ラヴァナロス シルセプター城 皇居】
<PM17:00>
酒、女性、香、そして破瓜の血。甘さと不純さが入り混じった香りが充満する部屋には全裸の女性が息を切らしながら倒れ込むが無数にあった。
女性の人種は問わず、赤い瞳を持つ者、青い肌の者、獣耳を持つ者、褐色の肌と白い髪を持つ者、全ての惑星の特色を持つ女性たちである。しかし確実に言えたのは全員が美女という事だろう。
吐息の中に一人の女性の喘ぐ声が響き渡る。彼女が果てるかのように喘ぎ声を止めると同時にランジョウはその美女の腰から手を離した。そしてまるで飽きた玩具を投げ捨てるように美女から興味を失う。息も耐え耐えに横たわる美女を尻目にランジョウはホバリングするサイドテーブル上に置いていたグラスを手にして、琥珀色の酒を飲み干した。
「……もうよい。全員下がれ」
飽き飽きした様子でランジョウがそう吐き捨てると、横たわっていた美女たちは各々フラフラと立ち上がる。足腰が立たなくなっている者は両手を床に付き、立ち上がることが出来ない者は何とか回復した者が抱えている。
全裸の美女たちが去っていく光景に興味を持たないランジョウは、空になったグラスに酒を注いで再びグラスを傾けた。
「……歴代皇帝でもこれほどまでに女を食いつぶす王はいまい……狂王か……実に甘美で良い響きだ……」
思わず自嘲気味に独り言を呟きながらランジョウは笑う。その笑みに満足感は無い……彼の心の中にあるのは虚しさだけだった。
ランジョウの心の内を知る者はこの世にいない。だが、彼には目的があった。だからこそこうして宰相に肩入れし、弟を追い詰め、自らは狂王となるのだ。それはこの世界を縛る鎖を断ち切るためのものだった。
「……何用か」
サイドテーブルの機器が光るのを目にしたランジョウが答えると通信機は勝手に起動する。通信機の先からは秘書官であるトーマスの声が届いた。
『陛下……面目次第もございません』
「……客か」
何かを察したようにランジョウは不敵に微笑んだ。
女たちを抱くため午後は空ける。ランジョウが今日の予定でトーマスに告げたのはそれだけである。そのトーマスが謝るとなれば、その指示を遂行できなかったという事だろう。
「余の時間を食うほどの相手という訳か」
ランジョウはそう告げながらガウンを羽織ると、AI式の給仕機がスリッパを前に持ってくる。ランジョウはそのスリッパを履くと足元に健気に近づいてきていた給仕機をまるで路肩に落ちていたゴミのように蹴り飛ばした。
『申し訳ございません。どうも内密に動いていた者のようです。陛下もお時間を取られようと御損はないかと思われます』
「そちがそう言うなら面白味がある。通せ」
『はっ』
トーマスがそう告げると同時に先程の女性たちが出て行ったのとは別の扉が開く。
彼が住まう皇居は特殊だ。城内へと繋がる扉は今開いたものだけであり、残りの無数にある扉は様々な惑星の夜伽役が暮らす部屋と繋がっている。重い扉が開くと姿を見せた人物にランジョウは思わずニヤリと笑った。
「なるほど。パルテシャーナ星人……ローズマリー共和国の者か」
碧の瞳が光るのを見たランジョウは小さく鼻を鳴らす。そして挨拶など迎える前にランジョウは玉座にも似た椅子に腰を下ろした。
彼の前に歩み寄り膝をついた女性は顔を伏せたまま口を開いた。
「お初にお目にかかります皇帝陛下。私めはミランダ・コックスと申す者です。慧眼な陛下の御察し通り、ローズマリー共和国が元老院議員エリーゼ・ゴールベリからの使者として馳せ参じました」
「エリーゼ・ゴールベリか。名前だけは聞いておる。ローズマリーの未来の女王とな」
「お戯れを……我が国に王政はございませぬ」
「ふっ……面を上げよ」
ランジョウが許可を下すと使者であるミランダはゆっくりと顔を上げる。
その顔を見てランジョウは興が削がれた。先程まで抱いていた夜伽役たちと違い、彼女にそこまでの美貌は無かったからだ。
「……して? 何用か?」
「はっ、実は」
「ああ待て」
ランジョウはそう一言置いてから手にしていたグラスを傾けて一口酒を含むと、小さく吐息を履いてから不気味に笑った。
「先ほどまで余は情事に耽り気分が良い。だが、それを損ねるようなつまらぬ話であればそれ相応の覚悟はしているのだろうな?」
その脅迫にも似た言葉にミランダの顔は曇る。ローズマリーにもランジョウの悪名は轟いているか否か……彼女の反応を見てランジョウは心の中で満足した。
ミランダの反応は明らかに恐怖にある。となれば彼の狂王ぶりはどうやらローズマリー共和国にもちゃんと広まっていると見受けられた。だからこそ彼女の声は僅かに震えるのだろう。
「……け、決してそのような事は……陛下の今後の御人生にも関わるお話故、お聞きくださる価値はあるかと思っております」
「ほう……昼のダンゲル・アルケリオといい、今日は面白い事を言う人間が多い。……よかろう。申してみよ」
僅かになったグラスの残りを見てランジョウは一気に飲み干す。ランジョウは元より彼女に手を出すつもりはなかった。ローズマリー共和国の元老院からの使者に何かあれば、国際問題に発展する事は彼も承知していたらだ。今の彼にとって宰相であるハーレイが不利になる状況を作るつもりはない。
そんな目の前のミランダはランジョウにとって本日二度目の驚きの言葉を口にすることになった。
「エリーゼ・ゴールベリ元老院議員より言伝を承り、陛下御自身のお口から御心内をお聞かせいただきますよう申し付かりました。……ランジョウ=サブロ・ガウネリン皇帝陛下、ご婚姻の御考えはございませんでしょうか? よろしければエリーゼ・ゴールベリ元老院議員の姪君、フィーネ・ラフォーレ嬢と一度御会いになっていただければと」
ミランダの言葉にランジョウは眉間に皺を寄せる。これは明確な政略結婚と言うものだろう。恐らく、帝国との繋がりを強靭にするための施策に過ぎない。それは理解できる。しかし、狂王の悪名を知りながら姪を嫁がせようとするのは正気の沙汰ではない。
エリーゼという女の行動にランジョウは怪訝な心を隠せない。だからこそ彼は不気味な笑みを浮かべずにはいられなかった。