第1話『適材適所』
【星間連合帝国 レオンドラ星宙域 衛星カルバン 第36ブロック上空 フローズヴィトニル号】
<PM21:00>
農業、畜産業、水産業などの食産業が盛んなレオンドラ星は海陽系で最も自然豊かな星であり、緑と青の星と呼ばれている。
無論、娯楽や工業が盛んな街や大陸も存在するが、その街の路肩に生えている雑草ですら調理すれば食用になる程だった。
そんなレオンドラ星から生み出される多くの食糧は帝国の食糧生産率の七割を占め、社会学では“帝国の台所”と表現されている。
レオンドラ星には五つの衛星が存在し、それらの衛星は各惑星への食糧輸送のための中継地として知られている。その中の一つである衛星カルバン上空でカンム・ユリウス・シーベルは眼下を見下ろした。
上空といってもカンムが搭乗してる船はホバリング状態であり、宇宙空間に漂っていると言っても過言ではない。カルバンは星としての質量は小さく、重力は微小で大気すら存在していないのだ。そのため、衛星の表面には無数のカプセルタウンが点在し、カンムが見下ろすカプセルタウンには第36ブロックという文字が推しの表面に描かれていた。
「……賑やいでいるな」
カプセルタウンの中にある街の光が輝いている。通路で繋がっている他のブロックも視認できるが、そこと比較しても第36ブロックの光の強さは明白だった。
カンムの独り言に操縦桿を握るジャネット・アクチアブリはガムをクチャクチャと噛みながら答えた。
「資料に書いてあったじゃないっスか。36ブロックはカルバンの歓楽街。酒に博打に風俗に溢れた場所ッスよ」
「分かっている。だがマフィアが取り仕切るのは歓楽街というのは古い考えだ。そう思うのは私だけか?」
頬杖を突きながらカンムがそう告げるとジャネット前面にある機器からシャイン=エレナ・ホーゲンの声が漏れてきた。
『何? カンム君? それはアタシの作戦とイレイナの持ってきた情報を疑ってるって言いてぇワケ?』
ホログラムの無い音声だけの悪戯な言葉にカンムは思わず苦笑する。
「そのような事は。しかし連中がこうも分かりやすい商売をするかと思いまして」
すると通信先のシャインも冗談っぽく小さな笑い声を見せてから答えた。
『いいねカンム君。あのバカと違ってそういう着眼点を持てるのは良い事だよ。でもライアン・ブランドっていう絶対的なボスを失ってブランドファミリーも余裕がないの。独占輸送権も今じゃあってないようなもんだからね』
「ブランドファミリーにいた私の印象っスけど、ヴァイン君の親父さん……セドリックさんは仕事は出来るんスけどカリスマ性がなかったっスからね~。そう考えると仕事は出来ないけど何か着いて来たくなるダンジョウさんと真逆っスね」
「ジャネット、不敬だぞ」
シャインに同調しながら軽口を挟むジャネットにカンムはまたしても苦笑気味に苦言を呈す。
このチームの女性陣は本当に賢い。カンムはそう思いながら計器の座標と時刻を確認すると、安全ベルトを外して立ち上がった。
「そろそろか」
「ええ、もう準備しちゃっておいてください」
「シャイン殿、ヴァインとイレイナ殿は?」
『もう席についてる。そろそろ始まんじゃない?』
「順調ですね」
カンムがそう言って微笑むと通信先のシャインが意地悪そうな笑みを浮かべるのが分かるような声が響いた。
『あーらカンム君? 君はあっちより自分の心配した方がいいんじゃない? あの二人の護衛の実力は君とレオナルド君が一番知ってるでしょ?』
「一番理解しているのはベンジャミン殿でしょうね。ですが確かに我ながら無様な心配でした。これより降下します」
『ん、カンム君なら何の問題もないだろうけど一応気を付けてね』
「上で待ってるっス」
二人の声を背にカンムは助手席から翻し、船の中腹部を通って後部のスペースに向かって歩き出した。カルバンの僅かな重力のおかげで何とか床に足を付けながら歩くことが出来る。カプセルタウンや小さい惑星に常設されている海陽基準の重力発生装置を恋しく思いながらカンムは後方へと歩いて行った。
辿り着いた船の後部には正座するBE(Body Extension)が佇んでいた。カンムは肩に掛けていた戦皇団の羽織を脱いで専用のスーツになるとBEの背中に上る。開かれたハッチの中にある四つの穴に四肢を通してハッチを閉じると同時に脳内で指示を出してBEを起動した。
BE……シャインが企画しデセンブル研究所で開発された人型戦闘用スーツ。強力なエネルギー資源ヤシマタイトを有し、着用者を粒子化させて機体に人格を移らせる代物である。その着用には特殊な脳波を出す異端者と呼ばれる人間に限られており、着用者の三倍の力を生み出すと計算されていた。
実体の感覚が溶けていき、それは徐々に明確に戻ってBEに移り変わっていく……その妙な感覚の中でカンムは小さく口を開いた。
「起動完了した。降ろしてくれ」
『うす。後で迎えに来ますね』
ジャンネットの言葉を聞き取ると同時に床が開いて地面の感覚が無くなりカンムは真っ逆さまに落ちていった。
暗闇の中をスカイダイビングしながらカンムは左腰に備えた刀の鞘をゆっくり握りしめた。目標地点であるカプセルタウンとの間には大気を維持するため透明な大気層膜が貼られている。彼はそこを突き破ると仰向け状態になり、膜が自動修復されるのを確認した。
まるで生き物のような動きで穴は修復していく。その光景を見たカンムは陸地に向けて垂直になると目的の屋敷に向かって加速した。
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【星間連合帝国 レオンドラ星宙域 衛星カルバン 第1ブロック】
<PM21:00>
ヴァイン・ブランド……マフィアの家に生まれながらもマフィアを嫌い堅気の世界に生きることを望む少年。公務員として地味に普通に生きることを望み、戦皇団に入った彼は今少し後悔している。このチームに入ってから、面倒な交渉事は常に自分に回ってくるからだ。
戦闘力の無い彼が戦場で活躍することは出来ない。その自覚がある彼は事務作業を行うつもりだった。しかしその仕事は彼の左隣に座る美女、イレイナ・ミュリエルに奪われてしまっていたのだった。
「ヴァイン・フォーラス君だったネ」
レオンドラ訛りで話す正面の小男ゴンドール・バネッシオを見て彼は今交渉中だったことを思い出した。
「ええ、バネッシオ組合長。つきましては今後の輸送における制限をお願いいたしたく。制限による各惑星への言い訳については、こちらの方で四百八十七通りありまして……」
「悪いガ、その話はお断りさせてもらおうと思ってナ」
ゴンドールの言葉にヴァインは取り出していた資料を動かす手を止める。
ヴァインは面倒くさそうに顔を上げながらも、正面を向く際には微笑みながら尋ねた。
「理由をお聞かせていただけますか? レオンドラ星のアリータ=アネモネ・テンペスト知事はウチの団長に付くことを決めてくださっています。それに倣って他の衛星もすでに我々と正式な同盟を結んでくださいました。このカルバンだけが拒否するとレオンドラ星でも孤立することになり得策とは言えないかと思いますが?」
ヴァインはまず正論を組み立てる。そこから相手の出方を伺うのが彼のやり方なのだ。そんな彼にゴンドールは愚かな言葉を羅列し始めた。
「そんな心配を子供の君がすることは無いヨ。寧ろ君が来て納得したネ。戦皇団というのは子供の集まりなのかイ? だが、そちらのレディの言う言葉なら少しは聞きたいもんだがネ」
小ばかにしたようなゴンドールの言葉とイレイナに向ける卑猥な目つきに同調するように、彼の背後に立つ護衛と思しき連中がクスクスと笑う。
ヴァインが小さく溜息をつこうとしたが、吐き出そうとした吐息は一気に飲み込む羽目になった。彼の右隣りに座っていた青鬼が黙っていなかったからだ。
「なんじゃぁ? キサン等口のきき方を分かっちょらんみてぇじゃのぉ?」
「ビ、ビスマルクさん」
こめかみに血管を浮き立てる長身痩躯の男。ヴァインが思うに恐らくこの海陽系最強の一人であるビスマルク・オコナーの表情を見て彼は思わず戸惑う。
ビスマルクを諫めようとしたヴァインだったが、彼はヴァインの方など見向きもせずに拳を握り締めて指をバキバキと鳴らし始めた。
「ヴァインがガキなんはしょーがないわい。ばってん、イレイナはんに向けるそぎゃん目つきは目ぇ瞑っちゃる訳にはいかんのぉ?」
「ビ、ビスマルクさん! どうぞ深呼吸して落ち着いてください。イレイナさんからも! ん? 僕の事は注意してくださらないので?」
ヴァインはビスマルクの胴にしがみ付きながら疑問符を浮かべる。しかしすぐに我に返って右隣りの美女イレイナの方に振り返ると、彼女は持病なのか鼻血を押さえながら振り返った。
「あぅ。す、すいません。ビスマルクさん。私は気にしませんので」
イレイナの言葉にビスマルクは振り返ると鼻の下を伸ばしながらニンマリと微笑でから一瞥するように今一度ゴンドール達の方を睨みつけた。
「キサン等……命拾いしたのぉ……」
それと同時に前に進もうとする力が弱まったことを感じたヴァインはビスマルクから手を離した。
ヴァインは改めてゴンドールの方に視線を投げる。彼らはというとビスマルクの迫力に圧倒されたのか、少したじろいた様子を見せていた。だからこそこの手が使いどころだと感じたヴァインは話を切り替えるように柔和な笑みで口を開いた。
「バネッシオ組合長のお考えは理解しました。確かにカルバンからの輸送は安全ですね。ブランドファミリーの参加にあるネメイザーファミリーの庇護で輸送なさるなら」
ヴァインの言葉にゴンドールは何とか余裕の表情を保ちながら鼻をピクリと動かす。
「ホ、ほウ。多少の情報は得ているようだネ。……君の言う通リ、我が衛星はネメイザーファミリーに輸送を一任していル。分かるかネ? おかげで他衛星と比べても輸送の定刻や安全性については非常に安定していル。君たちに轡替えする必要も無いという訳ダ」
「ええ、そのおかげで他の衛星と比較しても輸送量が多いようですね。これなら水増し請求をしても発覚は避けられるでしょう」
ヴァインの言葉にゴンドールの表情が実に分かりやすく変わった。
「今日の仕事は思ったよりも簡単だ」ヴァインはそう思うと思わず悪どい笑みを浮かべる。虚勢を張るゴンドールが急に胸を張って足を組みなす姿を見てヴァインは益々そう思った。しかし、敢えて彼を泳がせたままその言葉を待つと、予想通りの言葉を並べ始めた。
「フン、その資金はすべてネメイザーファミリーから安全を買うために支払っていル。謂わば必要悪への必要経費というわけダ」
「僕らの団に協力してくださればそのような真似は不要です。輸送の最大の弊害である宇宙海賊はコチラに付いてくださっていますから。あぁ、でも……仮に組合長が資金の一部は着服なさっているなら弊害がありますかね?」
ゴンドールの顔が曇る。何よりこめかみから一筋の汗が流れている。
そんなゴンドールが片手を上げると、彼の背後に立っていた男たちが一斉にブラスター銃を構えた!
男たちの持つ銃から無数の光が走る! しかしその光は一瞬であり、ヴァインの視界は真っ暗に覆われた。左隣に座っていたビスマルクが立ち上がり、巨大な盾ですべての銃撃を防いだからだ!
「もうええじゃろ?」
この時を待っていたと言わんばかりの笑みを浮かべるビスマルクにヴァインは頷いた。
「お願いします。あ、でも組合長は無傷でお願いしますね。後々難癖をつけられる材料は無くしたいので」
ヴァインはそう言ってイレイナの方に視線を送ると、彼女は普段と変わらぬ様子で資料が掲載されている二次元ディスプレイを閉じている。そしてソファに立て掛けていた傘を手に取った。
「今日は荒いですね」
彼女はそう言ってから自らとヴァインの前に向かって傘を広げる。すると二人の前にブラスターを防ぐシールドが展開した。
ビスマルクが液体金属でできた巨大な盾を収納すると再び無数の光がヴァインたちを襲う! しかし、イレイナの差す傘がそれをすべて防ぎ切ったかと思うと、ビスマルクは歓声を上げながら突進していった!
「うっしゃーッ!!」
ビスマルクは全ての銃撃を躱しきり、両手と両足を使い、まるで紙くずのように銃を持つ男たちを殴り、蹴り飛ばしていく。嬉々としながら暴れるその姿は最近帝国軍が呼称する“青鬼”という表現に相応しいものだった。
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【星間連合帝国 レオンドラ星宙域 衛星カルバン 第36ブロック】
<PM21:30>
屋敷が燃え上がっていく。その光景を眺めながらカンムは視覚情報を上空にいるフローズヴィトニル号へと共有した。
「ジャネット、私の視覚映像は届いているか?」
『問題ないッス。今カンムさんが女の子の胸元とか見たらバレちゃいますからね~』
ケラケラ咲うジャネットにカンムは冷静なまま答えた。
「自らの醜態を曝すなど……そんな無様な趣味はない」
『んなこと言って~この前にレオナルドさんから渡されましたよ。カンムさんの部屋にあったって言う結構ハードなエッチ映像集』
「……無くなったと思っていたらアイツか……」
部屋に隠していた秘蔵のお色気映像が無くなっていた事をカンムは思い出す。それと同時に生き残っていた他の残存兵が出て来るのを感じ取った。
「残存兵だ……む……」
目の前に映るその光景にカンムは思わず顔を顰める。
同じくカンムの視覚情報を見ていたジャネットは呆れたような口ぶりで告げた。
『CS(Combat Suit)ッスか』
CS……デザインはまちまちだが鎧のようなスーツであり、宇宙空間での行動も出来るスーツである。それは専ら戦闘用として用いられるものだったが、その保有や製作には国から厳しい管理が行われている物だった。
「こんな辺境のマフィアの手にCSか……テンペスト知事のずさんな管理体制が分かるな」
『いや、連中はマフィアっすよ? 外部惑星から違法に奪ってきたに違いないっス。もしくはヴァイン君も言ってた水増し請求で儲かった金で買ったんスかね?』
「どちらでも構わん。必要悪としてもCSはやり過ぎだ」
『手貸すッスか?』
「無用だ」
カンムはそう一言告げると、BEの背部スラスターを起動させてCSの群れに向かって突っ込んでいく! 彼は一閃に刀を抜くと同時に一振りで三人のCSを真一文字に切り裂いていった。
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【星間連合帝国 レオンドラ星宙域 衛星カルバン 第1ブロック】
<PM21:50>
「さ、これで落ち着いてお話が出来ますね」
ヴァインはニッコリ笑いながらそう告げる。
無残に倒れる護衛たちに変わって、ゴンドールの背後にはビスマルクが立っていた。そんなゴンドールにイレイナは再び二次元ディスプレイを見せつけている。そこには炎上するネイメザーファミリーの屋敷が映っていた。
「たった今、組合長が懇意になさっていたネメイザーファミリーは崩壊したようです。組合長にご必要なのは新しい後ろ盾ですね。まるで僕たちのような」
ヴァインはそう告げると少し自嘲気味に微笑む。これから身内を貶すとなれば多少なりの罪悪感を押し隠すためだろう。
「ライアン・ブランドという圧倒的な存在を失った今、ブランドファミリーの終焉は近い。次代のダルトン・ブランドには先代ほどの胆力はございません。更にその息子もろくでもないのしかいませんし、かといって彼らを凌ぐような力を持つ部下も居ない。ブランドファミリーを利用していた人間の選択肢は二つ。早々に切り捨てて次と組むか、今ここで新しい力に潰されるか、です」
ヴァインの言葉にゴンドールは息を飲む。
彼は袖で額の汗を拭うと、首元を緩めながら全てを悟ったように息を吐き出した。
「分かっタ……条件を飲もウ……」
ようやく折れたゴンドールを見てヴァインは小さく微笑む。するとゴンドールは項垂れながら口を開いた。
「しかし何故私を始末しなかっタ? この状況なら私を始末するなど容易いだろウ?」
ゴンドールの疑問にヴァインは微笑みを保ったままゆっくりと立ち上がった。
「新たな組合長を立てるよりもこれまでの人が継続した方が何かとスムーズです。貴方の手腕まで否定するつもりはございません。何より……」
ヴァインは言いかけて思わず小さく笑う。そしてビスマルクとイレイナに一瞬視線を送ってから再び口を開いた。
「弊団の首領は人死にを好まないので」