第9話『甲論乙駁』
【星間連合帝国 ジュラヴァナ星 マリンフォール大聖堂】
<PM12:00>
法王であるセイマグル・ヴァレンタインは今年九十三歳を迎える。彼が九十歳を迎えてからというものの、法王としての公務は簡単ではなくなっていた。それを憂慮した神栄教徒たちはセイマグルの公務をこの神栄教の総本山で信者たちに教えを説くことに留め、他の公務を十一人の枢機卿たちで分担するようになっていた。
――セイマグル様ももう長くはない。
そのような不謹慎な言葉を使う者はいない。しかしその年齢を考慮すれば神栄教徒のみならず、誰もが察する暗黙の了解である。そしていずれはセイマグルの後を継ぎ枢機卿の中の誰かが新たな法王となるのだ。だからこそこうして今のうちに法王の仕事を枢機卿が徐々に受け継いでいるといえるだろう。
そんな枢機卿の一人であるコウサ=タレーケンシ・ルネモルンはマリンフォール大聖堂のエアポートから降り立つと、久し振りの強い海陽の光に手をかざした。
「ふぅ……久しぶりのジュラヴァナやな~」
「おつかれさまどした」
まるで禿のように斜め後ろを付いて来る少女メルティ・ラフレインの言葉に振り返ることなくコウサは小さく口角を上げた。
「どや、今回の慰問も勉強になったやろ」
「はい。世間の心を掌握するのんはやっぱし重要と改めて認識できました」
「子どもの内からそんな事を考えるんはちょい危険やな」
コウサが苦笑するとメルティは少女とは思えない程の妖艶にして氷のような笑みを浮かべた。
「枢機卿も幼い頃から人心掌握の重要性を理解しとったて聞いてます」
「ガキの内にガキらしゅうしとかな捻くれた大人になんねん。ボクみたいにな」
自らの人生を振り返りコウサは初めて後方にチラリと視線を投げる。親友の娘であるメルティ・ラフレイン……この少女が自分を崇拝する事に悪い気分はしない。しかし、彼女が歪んだ大人になるのは彼としては避けたい事ではあった。
「そや、弟のアンディはどないしとる?」
「ザイアン隊に入るため毎日訓練訓練どす。スコット・ヒーリング隊長とソレント・マーヴィン副隊長に気に入られたようどすけど、そら枢機卿の口添えがあったこと理解してへんようで……また説教をしいひんとあきまへんね」
「目ぇ掛けるんちゃうくて気に入ってるんならそらアイツの魅力のおかげや。もう少し弟を信用したれ」
メルティに諭しながらコウサは穏やかに微笑む。
彼の事を暗躍者と見抜く者は無数にいる。しかし、今の彼はどこか穏やかな気持ちでいることが出来た。慰問という聖職者として真っ当な業務を終えた充実感と将来を期待する少女との時間に穏やかな感情に包まれたコウサは、その足で法王へ帰還の挨拶に向かうために聖堂内へと繋がる通路に足を踏み入れた。そんな彼を暗躍者に引き戻したのは待ち構えるかのように背筋を正して立つ壮年の女性だった。
「おかえりやす」
コウサが立ち止まると同時に背後のメルティも立ち止まる。後ろにいるので見えないが、ガーネットが彼の背後に対して小さく微笑みながら頷いている仕草を見る限り、恐らくメルティは頭を下げているのだろう。
凛と立つその女性はコウサと同じ神栄教枢機卿であるガーネット・フローだった。
枢機卿になるのは決して簡単ではない。熱心な信仰心と経典の理解度。そして教えに対してどれほど体現できているか。それらと共に現職である法王を含む枢機卿三名以上の推薦と神栄教徒たちの信任投票を得る事で枢機卿という地位に就くことが出来る。その枢機卿の選別は二年に一度行われるのだが、ガーネットは歴代で最も任期期間が長い枢機卿だった。
そんなガーネットに対してコウサは彼女より先に頭を下げる。枢機卿内に格差は無いが年長者であり見えない階級における目上の人間に対しては礼儀を見せるのが筋だったからだ。
「只今戻りました。留守中になんかお変わりおまへんか?」
コウサはそう言ってから頭を上げると、ガーネットは上品に口元を隠しながら小さく笑った。
「ふふ。相変わらずジュラバナ言葉下手どすなぁ……そないな場合は「お変わりあらしまへんか?」て言うんどす」
人間は表情で感情を隠す生き物だ。口元を見せたガーネットの表情は笑みの中に、諭し、指導、友愛など様々な感情を織り交ぜている。しかし、その感情で押し隠そうとしている嫌悪をコウサが見逃すはずがなかった。
「ほんで、わざわざ人気のあれへんこの通路で待ち構えるちゅう事はボクになんか用ですか」
「ええ、そうどす」
心理を突いたような笑みを浮かべるコウサに対してガーネットは薄い笑みを浮かべる。まるで見えない掛け合いをする中でコウサは警戒心を解くことなく後ろを振り返る。……いや、違う。コウサは敢えて目を逸らしたと言っていい。ガーネットはこの世界で数少ない議論で彼に競い合う存在なのだ。
「メルティ。先に行ってや」
「はい」
彼の言葉にメルティは忠実に頭を下げると彼の隣を横切って歩いて行く。彼女はガーネットとすれ違う前に一度制止して頭を下げると少し早足で去っていく。恐らく彼の心中を察したのだろう。子どもらしくないがつくづく出来た子だと感心してからコウサは再びガーネットの方に視線を投げた。
「それで何でっしゃろ?」
「まぁまぁ法王様のお部屋まで歩きながらお話ししまひょか」
その言葉にガーネットは歩き出すとコウサは彼女を追い隣同士になると再び彼女は口を開いた。
「ここ数年……帝国内は不穏な空気どすなぁ。皇弟の演説、戦皇団の出現、各星々のあいさでは小規模ながら戦闘状態になっとり、内乱状態言うても過言と違いますやろ」
「そうでんなぁ。大変な時代になったもんや」
「他人事ちゃいます。うちらが住むこの星戦火に包まれるかもしれへんのどすさかい。考えがちゃう人間も受け入れる。その精神を持つ神栄教において争いは最も避けるべきでしょう」
「確かにそうでんなぁ。……大方理解しましたわ。枢機卿が仰いたいのはその神栄教がなんで武装するのかちゅう事でっしゃろ?」
コウサの言葉にガーネットは正面を見据えたまま歩いている。その先は光が差し、窓のある聖堂内の廊下が広がっていた。
「話早おして助かります。……コウサはんが作ったザイアン隊は自衛の意味を持つことは理解してます。どすけど、やっぱし武装勢力を持つことはうちとしては到底理解できるものやあらしまへん。そら聖典に反する。うちはそう思てます」
「ザイアン隊が戦闘行為になったのは今まで数える程です。それも全ては各星から巡礼に来る信者を乗せた船を襲うた宇宙海賊の相手が多い。見境なしに喧嘩はしまへんし、ましてや他惑星を侵略やらはもってのほかです」
「貴方がそうやとしても帝国の人間は何言うのんね? この内乱大きなったらザイアン隊に召集掛かるかもしれしまへん。そうなったら信者たちが戦場に出ることになるんどす」
「タラレバは大事でっけど、それに縛られては神栄教を守れまへん」
「……その通りどすな。目線はおんなじでも手段がこないにもちゃう。神栄教の教えは海のように広いんどすけど、広すぎるのかもしれしまへん」
「貴女を理解して尊敬はするけど、相容れへんのは悲しいでんな」
二人の考えは相容れない。だが、根元にある物は同じはずである。コウサはその事を理解しながらも自身の女性運の無さに少し嫌気がさす気分だった。シャイン=エレナ・ホーゲン。ガーネット・フロー。彼が認めて憧れる人間の中で女性であるこの二人だけは相容れない場所にいるのだ。
堂々巡りの会話の中、それを遮るようにコウサの懐にある端末が振動した。彼はガーネットに「失礼」と告げてから端末を開くと、ネメシス・ラフレインの上半身がホログラムとして浮かび上がった。
「どないした?」
『宰相からご連絡だ。お前の指示に従い、帝国はフマーオス星に重点的な警備を敷くことになった。それに伴い、アイゴティヤ星からフマーオス星へ特別支援としてヤシマタイトを送ることになったそうだ』
「ふーん。ええ事やんけ」
『宰相派はその式典をメディアに拾わせることで世論の印象操作を行うつもりらしい。そこに神栄教の協力体制もアピールしたいとのことから、お前に式典に出席するようにとのことだ』
「式典の日どりは?」
『七月七日だ』
「分かった。調整しとくわ」
コウサはそう言って端末を切る。そして少し離れて待っていたガーネットの方に歩み寄ると、彼女は大聖堂の窓から外を眺めながら告げてきた。
「聖職者が政治に関わるのんはようないどすえ」
「こら平和の式典です。聖職者が寧ろ参加せな」
「貴方の理論武装は時に屁理屈になりますなぁ」
彼女の言葉にコウサは苦笑する。そしていつの間にかたどり着いていた法王の私室の前に立つと、年長者であるガーネットが扉を叩いた。
「法王様。ルネモルン枢機卿が戻らはりました」
「おお……どうぞどうぞ」
室内からか細い声が響くと内側から扉が開かれる。
頭を下げる従者の少女を横切ろうとするガーネットを呼び止める声が響き渡った。
「フロー枢機卿」
その声に彼女だけでなく、コウサも振り返る。そこには見た事の無い女性が立っていたのだが、彼女の事を忘れることは無いだろうとコウサは思った。その理由は彼女が金髪と翠の瞳を持つパルテシャーナ人だったからではない。女性にしてはかなりの大柄だったからだ。
「どないしました?」
コウサの小さな驚きなど知る由もないガーネットは普通に答えると、大柄な女性は小さく会釈してから口を開いた。
「分派となっているタルゲリ教の方々が見えられております。今後の共栄について是非とも枢機卿のお力添えが欲しいと」
「タルゲリの……そうでっか。分かりました。すぐに行きます」
するとガーネットは室内のセイマグル・ヴァレンタイン法王とコウサに一言だけ告げていった。
「タルゲリ教の皆さんがお見えになられました。法王様のお身体の事もありますさかい、うちはここで失礼いたします」
「おお、またな」
セイマグルのか細い声にガーネットは小さく頭を下げる。
踵を返したガーネットにコウサは尋ねた。
「フロー枢機卿。あの女性は?」
「ミランダ・ハリトーノフはんどす。この星は共和国とも有効がありますさかい、共和国からいらっしゃったそうどす」
「ほぅ……そうでっか」
それだけを告げてガーネットは去っていくと、その後ろに付き従うミランダという女性の佇まいをコウサは凝視した。
「(あん振る舞い……一般人とちゃうな。かといって女傑軍ともちゃう……EEA……考えすぎかも分からへんけど、探りは入れといた方が良さそうやな)」
頭の中にまたしても暗躍者としての思考が舞い戻る。
それを振り払うようにコウサは大きく息をついてから改めて襟を正す。そして中に足を踏み入れると、セイマグルはホバリングするロッキングチェアに座りながらこちらに振り返った。
「よう帰って来たな。コウサ。僕と違うて元気そうで何よりや」
「それだけ冗談が言えるなら大丈夫でんなぁ」
まるで久し振りに両親に再会した少年のような笑顔でコウサは歩み寄る。
ホバリングするロッキングチェアに腰を下ろすセイマグルは体中を管に繋がれた状態になるほど年老いていた。




