第66話 残滓は既に顕れていた
「色々、お世話になっちゃって、助かっているよー」
お父様の呑気な声が食堂内に響いています。
結局あの後、侍従コルトが朝食の用意ができたと呼びに来るまで、訓練場でお話をしてしまいました。
ネフリティス侯爵家の護衛の方々の訓練を邪魔してしまいましたわ。
訓練場を去る時に、訓練を邪魔してしまって悪かったわと、訓練に来た護衛の方々に言えば、何故か皆様が膝を折って神に祈るポーズをされたのです。
何故、拝まれているのかわからなかったですが、直ぐにアルに手を取られて、本邸の方に引っ張られてしまったのです。
そして、ネフリティス家の皆様が集まったところで、朝食が始まったのでした。でも、ギルフォード様のお姿は見られませんでした。ギルフォード様には時間が必要なのでしょう。
「ガラクシアース伯爵家に助けられているのは、我々も同じ。この国に住んでいる者であるなら、誰しも思うこと」
今日は珍しく朝食中にも関わらず、お話をされているネフリティス侯爵様。
「子どもたちもお世話になっているしねー」
「家族が増えたと妻も喜んでいる。クレアローズ嬢と楽しく過ごしていると聞いている」
名前を呼ばれたクレアは私の横で肩をビクッと揺らしました。昨日は決闘のあと、ネフリティス侯爵邸に戻ってきて、侯爵夫人とマナーの勉強という名のドレスの着せ替えを何着もされたそうです。
おしゃれ好きのクレアも流石に疲れたと言っていました。
「そうなんだー。それなら良かったよー」
良くはないと思います。私達はとてもとてもお世話になっている立場なのですからね。
「ガラクシアース伯爵」
呑気な声とは正反対の硬い声が、お父様を呼びます。これはうるさいと怒られるパターンですか?
「神王の儀が行われた。次の戦いが既に始まっている。ガラクシアースとしてはどう動く?」
あ……暗黒竜の残滓のことですね。そう言えば、気になったのですが、昨日も『暗黒竜の残滓』という言葉が使われませんでした。私が今まで知らなかったように、安易には使ってはならない言葉なのかも知れません。
「うーん。僕は領地から動けないからなぁ。ことに当たるとすれば、エミリアとフェリシアだね」
お母様と私がガラクシアースとして動くということですか。ええ、ガラクシアースの役目はわかっています。この国を護るために、この力を使うこと。
「エミリアは僕が王都に行くことを反対していたけど、僕は良かったと思っているんだ」
そうですわね。何故かお母様は王都では時間を使いたくないと言っていました。まるでお父様を領地から離したくないような感じです。領地で起きた問題はどのようなことだったのでしょう?
しかし、お父様は王都に来て良かったと、家族に会えたからでしょうか?
「王都の魔素の量が異常過ぎる」
お父様の殺気を乗せた声に思わず、肩がビクリと震えます。私の隣のクレアはその殺気にカトラリーを落としてしまいました。
「ガラクシアース領までとは言わないけど、異常だね。前回はいつでも動けるように王都に待機していたけど、こんな事は無かったね。何があったのかな? フェリシア」
これは父としてではなくて、ガラクシアース伯爵としての言葉ですね。
「それは報告した魔鳥の件では無いということですね」
「そうだね」
魔鳥のことでは無く、暗黒竜の残滓のことを私に聞いてきたのですよね。お父様の『天性の勘』がそれを告げていると。
……何も心当たりはないですわよ。あの存在が新たな身体を手に入れてから、直ぐにネフリティス侯爵領に行きましたし、戻ってきたあとは、エルディオンを探しに死の森に行って……あの骸骨のことですか? いいえ、あれは死の森を創った者の成れの果てですから違います。
……魔鳥以外心当たりは無いですわよ。
そうなってくると、冒険者の依頼の中で何かあったのかとなってきます。でもそれだと、儀式の前になってしまいます。
「あっ!」
一つ心当たりがあります。でもこれを言うと芋づる式で色々ヤバイことが露見してしまいますわ。
「フェリシア。報告を」
そ……そうですわ。暗黒竜の残滓だと思われるモノの話だけをすればいいのですわ。
「はい。三週間ほど前に常闇の森でのゴブリン討伐をしたときです」
「あら? フェリシア。貴女、冒険者のランクはAランクだったわよね。そんな貴女が雑魚の依頼を受けたの?」
お母様。なぜ私が冒険者だということを、バラしているのですか! ネフリティス侯爵夫人がとても驚いた表情で私を見てきているではないですか!
それに、Aランクでもギルドマスターから直接依頼を出されれば、ゴブリン討伐ぐらい行きますわ。
「ギルドマスターからの依頼でしたので」
「あのハゲ。娘を便利屋と勘違いしているのかしら? そんな安い仕事を与えるなんて」
あ……安い仕事を受けるなということでしたのね。大丈夫です。お母様。それは後で交渉して報酬をたんまりいただきました。
「ねぇ、アルフレッド。フェリシアちゃんが冒険者しているって知っていたの?」
ネフリティス侯爵夫人。できれば、スルーして欲しかったですわ。
「先日、赤竜騎士団から冒険者ギルドに依頼をした時に初めて知りました」
はい。あの時にバレてしまいました。
暇だからと白の曜日に冒険者ギルドに顔を出したのが運の尽きだったのです。いいえ、結局バレても何も変わりませんでしたね。
「そうよねぇ。知っていたら、騎士を辞めて冒険者になるって言いそうですもの」
「……騎士を辞めて冒険者に……母上。ありがとうございます。直ぐに辞表を書いて……」
「アル様!」
赤竜騎士団を辞めるとなったら、色々な方々から恨まれそうですわ。今の馬鹿王子では赤竜騎士団の戦力にはなっていませんもの。
「話を続けます」
私はアルにいらないことを言わせないようにさっさと、話を進めます。ネフリティス侯爵様。アルと私を見て大きくため息を吐かれていますが、絶対に跡継ぎに指名して良かったのかと、後悔していらっしゃるのではありませんか?
「ゴブリンのコロニーとしては大きく、二百程の集団でした」
「あら? ではキングが王都の近くにいたということなの?」
お母様はゴブリンの数から瞬時にゴブリンをまとめ上げるモノの存在を口にしました。そして、王都の近くというのは、常闇の森は死の森に隣接しており、王都の北側に広がっているのです。
「いいえ、ただ私はその個体の名を知りません。見た目はオーガのようでした。漆黒の硬い皮膚に、見上げるほどの巨体。倒すのにはそれほど時間はかかりませんでした。ですが、最後の抵抗だったのか、黒い獣を数頭を王都に向けて、影から放ったのです」
「オーガが黒い獣を?」
お母様もそのようなことは聞いたことも出遭ったこともなかったのでしょう。疑問の声が出てきています。
「全て討伐済ですが、ただ私に思い当たるのはこれだけです」
「そうかぁ。エミリア。どう思う?」
お父様はお母様に意見を求めています。そうですね。魔物のことはお母様の方が詳しいでしょう。
「あの常闇の森にゴブリンの巨大コロニーがあるとよくわかったのね」
ぎくっ! そこは突っ込まないで欲しいです。お母様。
「ほら、常闇の森って死の森の影響を受けて、人が立ち入らないところよね。よっぽどのことが無い限り、森には入らず大回りするわよね」
その通りです。
「お母様。お父様がお聞きになっていることは、違うことだと思います」
取り敢えず、その話から遠ざけるようにしてみます。ええ、お父様としては儀式の前に暗黒竜の残滓が存在していたことへの意見をお母様から聞きたいのでしょう。
「……フェリシア。貴女、何か隠しているわね」
今までアルを挟んだ位置からお母様の声が聞こえていたのですが、真後ろからお母様の声が聞こえます。そして、私の肩に手が置かれました。
「お母様。隠しているのではなく、話していないだけです。冒険者ギルドには依頼者のことを話してはいけない決まりがあります」
ええ、隠してはいません。それにこのことは、ハゲが対処するべきであって、私がこの場で言うことではありません。
「フェリシア。それはあのハゲの方が、母より偉いと言うことかしら?」
お母様。私の肩がギシギシいっていますわ。
どうして、そこを気にするのですか? 誰が依頼してきたことか気にすることではないと思います。
「シア。もしかして浮気しているのか?」
え? アル。どうして、私が言いどもっていると、浮気していることに繋がるのですか!
「フェリシア」
「シア」
……何故、私は背後と横から責められているのでしょう。というか、三週間も経っているのだから、ギルドマスターが対処してくれているよね。してくれているはず。
「とある商会の隊商ごとゴブリンに奪われたという依頼だったの!」
「とある商会ねぇ。それが深淵の森を通って王都に入ろうとしたのよね? フェリシア」
くぅー。お母様は何か感づいているのでしょう。先程から、私の肩を掴む力が緩む気配がありません。
そして、ネフリティス侯爵様の視線が刺さります。ええ、隊商が深淵の森を通るということは、王都に何かを密輸をしようとしていたということです。
「言っておきますが、私は依頼を受けただけで、その後に国に報告するのはギルドマスターの役目であって、私ではありませんから!」
私悪くないアピールはしておかないといけません。ええ、全てはあのハゲが悪いと。
「いいから、全部吐き出しなさい」
まるで尋問を受けているようですわ。
「密輸の物は帝国製の武器です。それが北ルートで王都に入ってこようとしていました」
「ほぅ」
私の言葉に冷たい声がかぶさって来ました。
「因みに『とある商会』というのはどこだね?」
ネフリティス侯爵様が食事の手を止めて、私に鋭い視線を向けてきました。
あの……もしかして、国に報告がいっていなかったというパターンですか? あのハゲ! 何故まだ何も国に報告していないのですか!
「カルバン商会です」
「あの老舗の商会ね。最近はウィオラ・マンドスフリカ商会に押されてしまっているわね」
その通りです。お母様。ヴァイオレット様の天才的な商品開発には敵わないということです。
「北側ルートということは、ヴァランガ辺境領の山越えか。流石にグラナード辺境伯の目を恐れて、通行しやすい西ルートは選ばなかったか」
北側というのは高い山脈越えをしなければ、国境を越えられません。普通はそのルートは使いません。
使うのであれば、よっぽどの訳ありか、山があるから登るという人ぐらいでしょう。それに、夏でも解けない万年雪があると聞きます。足場の悪い道を好き好んでは隊商のルートとしては選ばないでしょう。
「あの……ギルドマスターもこの件は、取り扱い注意とわかっていましたので、国には上げていると思います」
ええ、ネフリティス侯爵様の勤めるところは財務省とお聞きしていますから、そういうのは黒竜騎士の役目かと……でも今は教会の件で手一杯でしょうか?
「大将校を問い詰めるか」
誰のことでしょうか? 恐らく竜騎士団の偉い人なのでしょう。……あの、国庫を担っている人から直接、問い詰められるって怖くないでしょうか? いいえ、私の考えすぎですね。
「ねぇ、エミリア。僕の質問は? ねぇ、無視されているの?」
お母様。お父様がすねてしまっていますよ。
「ふふふ、そんなの決まっているわ! あのクソムカつくヤツが弱ってきてるってことよ!」
え? あの存在が弱ってきているのですか? あ……でも……
「リアンバール公爵夫人から言われた言葉があるのです。『地の水がざわざわとざわめいておる。気をつけるが良い』と言われたということは、いつもと違うということなのでしょうか?」
地の水とは何のことを言っているのかわかりませんでしたが、あの地下の泉のことだったのかもしれません。
「フェリシア! そういう大事なことは言うように、いつも言っているでしょ!」
お母様。そろそろ肩の関節が外れそうですわ。
「えー! フェリシア! リアンバール公爵夫人に会ったの! いいなぁ」
お父様。いきなり横から私を覗き込まないでください。せめて、気配ぐらいはまとって移動してください。




