第65話 舞い降りてきた者
「クレア。力任せに来るだけじゃ駄目ですよ」
「くー!なんで当たらないのよ!」
朝日が昇り始めた頃、私達はネフリティス侯爵家の訓練場を間借りして、朝の訓練をしているところです。
クレアの課題は、基礎訓練です。力が強いことを利用して思いっきり私に拳を振るってくるのはいいのですが、力任せに拳を振るっても私には当たりません。相手に隙がなければ、相手に隙を作らせるように行動をしていかなければならないというのに、私の無い隙を窺っても一撃も入りませんよ。
「ええーっと、こんな感じ?」
のんびりとした動きで剣を横に構えているのは、力加減というものを訓練しているエルディオンです。その横に構えた剣に向かってアルの剣が振り下ろされます。
ガキンという音と共にアルの剣が弾かれました。
「エルディオン。無意識で剣を弾いているな」
力加減ということは、相手の剣を受け止めて、そのまま競り合う状態に持っていくということです。ですので、力が強すぎても弱すぎても駄目だということです。
そして、エルディオンは横に剣を構えて受け止めているつもりでも、アルの剣を押し返しているのです。
戦闘訓練であるなら、力が強い方がいいと思われるでしょうが、エルディオンは学園に通い、卒業後は父に付いて領地のことと、貴族との付き合いを覚えていかなければなりません。そこで、手を振るっただけで、相手の腕の骨を折るということなどあってはならないのです。
そう、私がアルに対してヤッてしまったように。
エルディオンとクレアの課題は別々で、今まで私一人で二人の面倒を見ていましたが、昨日からアルがエルディオンの方を見てくれているので、私はクレアの訓練に専念することができるのです。
因みにアルは今日も訓練を休もうとベッドの中で言って来ましたが、訓練をサボっているとお母様に知られれば、恐ろしいことになりますので、それは絶対にありえません。
一日ぐらいサボっていてもバレないでしょうって思われるでしょう? 今まで爺やとばあやの目がありましたので、よっぽどのことが無い限り訓練は休めませんでした。そう、あの神王の儀の日のような嵐で無い限り。
そして、今日は絶対にサボることはできません。何故なら今日は……はっ!
「なんてヌルいの?」
上空から声が聞こえた瞬間に、私はクレアから距離をとります。するとクレアの直ぐ側に上空から何かが落ちてきました。
土煙が立ち込め、詳細はわかりません。ですが、クレアの声にもならない悲鳴が聞こえてきましたので、一撃で倒されたのでしょう。
私はすっとエルディオンとアルの前に立ち、背筋を伸ばします。
「おはようございます。お母様。お早いおつきですね。わざわざ王都まで足を運んでいただき、ありがとうございます」
土煙が消えるとクレアが大人になればこんな感じになるだろうという、厳しい目つきをした白髪金眼の女性が立っていました。
エミリアレイア・ガラクシアース。私達三姉弟の母です。歳は言うと怒られるので言いません。
そして、クレアといえば、白髪金眼のお母様に足蹴にされています。
クレア。あれぐらい避けられるようになりましょうね。
「フェリシア。貴女、クレアに甘いのではなくて?」
クレアの背中を踏みつけていた足をのけて、私の方に文句を言いながら来ています。クレアはあまり厳しくしすぎると問題なのです。
「お母様。クレアの訓練を厳しくしすぎると、お茶会でご迷惑になることが増えるので、クレアのストレスにならない程度におさえています」
ええ、クレアの訓練はいわゆる私に負け続ける訓練です。私に勝てないことで、イライラしているところに、私が立ち直れないほど厳しい訓練をクレアに強いると、いつも以上に人に喧嘩を売ってしまうのです。
別名『八つ当たり』というものです。ですから、無理強いはさせられません。
「所詮お茶会で何を言われようとも、我々ガラクシアースの立場は変わりません。フェリシア。貴女が一番それはわかっているでしょう。良い子ちゃんぶっても、一族の役に立てなければ、ゴミ同然」
はい。お茶会で何を言われても、何をされても私の立場は変わりません。私はアルの婚約者として縁をつなぎ、ネフリティス侯爵家から支援してもらうことです。しかし、ゴミ同然とは言い過ぎだと思いますわ。
「それから、エルディオン」
「はい!」
「もっとしっかりしなさい! 言っても無駄なのは理解していますが、力の制御ができなければ、今後困るのは貴方なのですよ」
お母様。お父様と同じで、ふわふわとしているエルディオンに、同じことを何度言っても無駄なのはわかっているのでしょう。
ここに来るまで何があったのかは知りませんが、エルディオンに殺気をぶつけながら言うのはどうかと思います。これはお父様への八つ当たりですよね。
「お母様! 用事があるから三日後になると聞いていましたのに、何故朝からいるのですか!」
お母様に足蹴にされたことが、腹立たしかったのでしょう。クレアが地面から起き上がり、肩を怒らせながらこちらに足を進めてきました。
確かに馬鹿王子と話していたとき、お母様は今は手が離せないことがあるので、三日後に王都に行くと言っていました。
「クレア。何を言っているの? きちんと三日後ですよ」
はい。三日後の朝になります。クレアは私が夕食の時に話をしましたので、もしかしたら良いように解釈をしたのかもしれません。三日後に領地を立つと。
いいえ、それもまた解釈としては合っています。お母様はきっと日付が変わって、朝日が昇るぐらいに王都に着くような時間に領地を出たのでしょう。
「エミリアー。置いて行かないでよー」
上空から気の抜けた声が聞こえてきました。空を見上げると、白い翼をはためかせて、降りてくる白髪金眼の青年がいます。どうみても三十路には届いていない歳に見えますが、れっきとした私達の父親であるガラクシアース伯爵です。
お父様。翼を隠す気がないのですか? お母様は上空で翼をたたんで、上空から落ちて来たのですよ。
お父様とお母様はガラクシアースの中でも、直系に近い血筋しか持たない竜の翼を使って、領地から王都まで飛んできたのです。
「それは旦那様がもたもたしていたからです!」
どうもお父様は領地を出る時に、お母様に置いて行かれたようですね。恐らくお母様が機嫌が悪い原因はここにありそうですわね。
因みにクレアは十歳から王都にいますが、王都と領地の行き来には馬車しか使ったことがありません。お母様から未熟者と言われていますので、翼での移動許可もおりていないのです。
「そんなことないよー。クレア。ちょっと見ないうちにまた大きくなったね。クレアは何を怒っているのかな? 笑っている顔を見せてくれないかな?」
地面に降り立ったお父様は、イライラ感が見て取れるほど機嫌が悪いクレアの側に行って、幼子の頭を撫ぜるようにクレアの頭を優しく撫ぜています。
「お父様。お久しぶりです。私、大きくなりました?」
「うんうん。大きくなったよー」
お父様。以前会ったのは二ヶ月前に『会いに来ちゃった』と言って理由もなく王都に来ていらしたときです。二ヶ月でクレアの身長はそこまで伸びてはいません。
流石にお母様が居ない中、エルディオンと父の面倒は見きれないので、すぐさま領地に帰ってもらいました。借金がこれ以上増えることは阻止しなければなりません。
今日は数ヶ月ぶりにお母様とお父様に会えて、クレアは嬉しそうです。そうですよね。まだ、クレアは十三歳です。ガラクシアースの抱える問題のため、私たちだけで王都で暮らしていますが、寂しいのでしょうね。
そして、私は一歩右にズレます。
「エルディオンも勉強頑張っているってきいているよー。学年十位だったんだって?」
今まで前方にいたお父様の声が背後から聞こえてきました。
「父上。それは前回の順位で、今回は五位だったよ」
「そうなんだー。エルディオンは凄いねー」
ほのぼのとした空気が流れていますが、エルディオンの隣に立っていたアルが、お父様の動きが予想できなくて、驚いています。
お父様は予備動作なく動くのはいいのですが、無意識だと移動速度が異常なのです。普通の人だと、視界には捉えられないでしょう。
因みに私が右に移動したのは、私がエルディオンの前にいましたので、移動の余波に当たらないように移動しただけです。
さて、お父様には今回きっちりと働いてもらわないといけません。
エルディオンの頭を撫ぜて褒めているお父様の腕を掴みます。これは、ふらっと逃げられないようにするためです。
「お父様。お話があります」
「何かな? フェリシア。フェリシアも皆の面倒を見ながら、生活を支えてくれてありがとう。流石お姉さんだね」
「ええ、家族ですから、当たり前です。事前に言っていたことですが「急いで王都に来たから、お腹すいたなぁー」……」
しれっと話を変えてきました。ここはネフリティス侯爵家ですので、いつものようにばあやがお父様を甘やかすことはありませんよ。
「お父様。教会の件になります」
「フェリシア。腕がギシギシ言っているんだけど?」
「かなりの被害が出ているようで、黒竜騎士団まで動いている現状です」
「痛いよー」
「お母様に背後から威圧してもらって、話し合いの席を設けてください」
「フェリシア。それは話し合いじゃなくて、脅迫……ひっ!」
私の背後からお母様の殺気を感じます。お父様、いらないことを言いましたね。私は知りませんよ。
「はぁ……だって、話にならないんだよー。主の御心のままにって言えば済むと思っているんだよー」
ええ、胡散臭い笑顔で、平気で嘘をつくのは、この三年間でわかっています。ヅラを持っていった時も、怪しい宗教画を持っていった時も……全てはあの存在が教会で不祥事があると、我が家に被害が及ぶようになっていたことだったのです。しかしですね。我が家はゴミ溜めではありませんよ。
「証拠は黒竜騎士団長様に渡していますので、それを突きつけながら、お母様に威圧してもらってください」
「だからそれは脅はk……エミリア。怒ると可愛い顔が怖い顔になっているよ」
「私の顔は元からこの様なものです。フェリシア。それは急がなければならないことですか? あまり、王都で時間を使いたくないのです」
王都で時間を使いたくないということは、他の地域で何かが起こっているのでしょうか? それとも、暗黒竜の残滓が顕れているところでもあるのでしょうか?
「お母様!」
私が口を開こうとしますと、クレアがお母様のところに駆け寄って行っています。
「教会の奴らは神の名を騙った悪魔だったのです!」
クレア。悪魔ではなく、金に取り憑かれた人ですわ。
「お金が貯まる壺だとか、運気が上がる水晶玉を売りつけるのです!」
クレアの言葉に正反対の反応をする三人がいます。それは勿論……
「父上! お金が貯まる壺を教会から買いましょう!」
「そうだね。運気が上がる水晶玉も欲しいよね」
告口するようなクレアの言葉に、その品物を購入しようと思っているエルディオンとお父様。
その二人を殺気混じりで睨み、瞬時に聖母のような笑顔をクレアに向けるお母様。
「クレア。お母様に任せておきなさい。ハゲ共の残り少ない毛を根絶やしにして差し上げます」
お母様。教会の人たちは宗教的概念で頭頂部を剃っているので、厳密にはハゲではありません。それに残り少い毛を根絶やしにはできないと思いますわ。剃っても髪は生えてきますよ。
「お母様! 流石です! どうやってハゲ共を根絶やしにするのですか?」
クレア。その言い方だと教会の人たちの息の根を止めてしまっていますわ。悪いのは一部の方々だけですからね。
「ふふふ。先日とある依頼で依頼料として受け取ったのです。『これで産毛がなくなり、つるつる卵肌。皮膚の上を滑らすだけの脱毛器』です」
それはウィオラ・マンドスフリカ商会の商品ですわね。その謳い文句はヴァイオレット様から聞いた覚えがあります。しかし、私にはあまりピンときませんでした。
「お母様。うぶげって何のことですか?」
「……なんでしょうね?」
ええ、我々ガラクシアースは、竜人のため強化すると皮膚がうろこ状になります。ですから、皮膚に産毛はありませんわ。
まぁ、その脱毛器の出力を最大にすれば、お母様の望みは叶うのでしょうか?
――侍女エリスの心の内――
くっ! なんてことでしょう! 空から天使様が舞い降りてきたではありませんか!
中性的な容姿に太陽の光に透けたキラキラと光る髪。少年の様に見えるものの、体格から青年とわかる姿。
ああ、思わず地面に跪いて、手を組み祈りを捧げます。
はあぁぁ……感動のあまり視界が歪んできました。
今日はコルト様に何故か、手帳を持ち歩くなと言われてしまい、この神々しいお姿を記録する術がないことに、コルト様を恨んでしまいます。
私の頭よ! このお姿を焼き付けるのです。しかし、視界が歪んでよく見えません。
コルト様! 私の手帳を返してください!! この天使様を描かなくて何を描くというのです!




