第64話 お前の意思を示せ
「子爵位……私が……子爵……なぜ……」
ギルフォード様は小さな声で、呆然と呟いていらっしゃいます。
嫡男と育てられたはずが、後継ぎには認められず、たった今ご自分の出生の秘密を知り、受け継ぐ爵位を言い渡されたものの、子爵位ということに、受け入れられないことが、多すぎたのでしょう。
「何故、子爵位なのでしょう。それは私の母が子爵の出だったからなのでしょうか?」
納得がいかないギルフォード様は前ネフリティス侯爵様に尋ねられます。
しかし、この問いには父親であり当主であるネフリティス侯爵様から言葉がありました。
「妖精から受け入れられなくて、どうして領地の公務ができると思っているんだ?」
厳しいお言葉ですが、最もなお言葉です。妖精の国と重なるように存在するネフリティス侯爵領を見てみれば、どれだけ妖精から恩恵を受けているのかわかります。
……あら? もしかしてこれは……。
「ギルフォード様は領地がどれほど妖精の恩恵を受けているか、ご存知ではない?」
私は幼い頃にネフリティス侯爵領に行ったことがあるものの、その記憶は今ではおぼろげに、アルと遊んだということしか覚えていません。お祖母様のことも、妖精国のことも覚えてはいなかったのです。
だから、先日ネフリティス侯爵領に行った時は感動しました。隣の領地がこのように美しい場所だったなんてと。
「それぐらい、知っています!」
私のつぶやきが聞こえてしまったのか、ギルフォード様が、私に大声で言ってきました。
あまり話したことはありませんでした。ギルフォード様は穏やかな方だと思っていましたのに、この様に怒りを人にぶつける一面もお持ちなのですね。
「兄上! シアに当たるな!」
「アルフレッド! お前は私の立場を譲り受けて、いい気味だと思っているのだろう!」
まぁ! どうしましょう! ここで兄弟喧嘩が勃発してしまいましたわ。
私は直接領地を見たことがないのであれば、妖精という存在が重要ということがわからないものだと思ったのです。
領民が妖精の恩恵を受けて、あれほど活気に溢れた街の姿を見れば一目瞭然というものです。
「侯爵の地位はお祖父様と父上に俺の意見として、後を継ぐ意思を示した」
アルは先程声を上げていたのですが、今は淡々と話しています。爵位のことは自分の意思を示したと。
「魔物を殺すしか脳がないお前が? 侯爵位を? 成せるわけが無い!」
「成せる成せ無いではなく、やるか、やらないかだ。そもそも父上は俺が言わなければ、ファスシオンに爵位を譲るつもりだったようだ」
ネフリティス侯爵様はギルフォード様に何も期待していないと、アルが言っていたのには、この話を聞かされていたからなのですね。
そもそもアルは赤竜騎士団の副団長を務めています。ですから、騎士になった時点で騎士伯を承っており、役職についているので子爵位を既に持っています。今までのアルでしたら、それ以上の立場を求めることはなかったのです。何故かあの第二王子に噛みついてから、考えが変わったようでした。
「え?」
ギルフォード様の横で、傍観者に徹していたファスシオン様が声を上げられました。まさか、ご自分の名前が出されるとは思っていなかったのでしょう。
そのファスシオン様にギルフォード様が視線を向けています。
「ギルフォード。八つ当たりをするな。全てはお前が、何もことを起こさなかったからだ。妖精との関係改善もそうだが、カルディア公爵令嬢のこともだ」
怒りを顕にするギルフォード様にネフリティス侯爵様が、怒りを向ける矛先が違うとさとします。全ては、やるべきことをやってこなかったギルフォード様が悪いと。
「記録は削除されても、人の記憶というものは消せないものだ。お前が兄上の子だと知る者は少なからず存在する。ならば、そこを突いて足を引っ張ろうとする者もいるだろう。だからこその公爵家の名だ。前回の婚約者も今の婚約者も、公爵家から選んだのには理由があったのだ。……はぁ」
ああ! そういうことだったのですね。だから、問題があるシャルロット様を婚約者として選ばれたのですね。
公爵家の名が後ろについていれば、ギルフォード様を護る盾に成りえたのでしょう。そう、あのシャルロット様と良好な関係を築ければということです。厳しいお話ですわ。
しかし、この話からネフリティス侯爵様は母君である前侯爵夫人の意見を尊重して、ギルフォード様に侯爵への道を敷いてくれていたのでしょう。いいえ、もしかすると兄の命を奪った罪滅ぼしもあったのかもしれません。
ただ、私は記憶を消せる存在を知っていますので、一部は否定しますわ。
「しかし!シャルロット嬢は……」
ギルフォード様はネフリティス侯爵様にシャルロット様のことを言葉にしようとして、止めました。これ以上はシャルロット様の悪口になるのでしょう。
シャルロット様は対応を間違わなければ、問題にはならなかったと思います。
既に色々やらかした後の私が言うのもなんですが……取り巻きの方々はシャルロット様を持ち上げて、良い関係を維持しているようですからね。
ただ、シャルロット様は始めからギルフォード様を否定していらしたので、良好な関係を築くのは難しかったかもしれません。
「ギルフォード。カルディア公爵令嬢もお前に足りない物を補うためでもあった。あの令嬢を扱えきれないのであれば、貴族社会は生きていけないだろう。貴族共は狐狸が化けているのかと思うぐらいだ」
ネフリティス侯爵様。本音が漏れ出ていますわ。
しかし、アルが貴族社会で生きていけるかと言えば……片手で吊し上げて脅しているイメージしか湧いて来ないです。
「だからこそのサイファザール子爵だ。ただの文官には過ぎたものだろう」
ネフリティス侯爵様! 言葉が厳しすぎますわ。
ただの文官って……私はギルフォード様がどのようなお仕事をしているのか知りませんが、アルのように人の噂話には上がることはありませんわね。
その言葉にギルフォード様は悔しそうな顔をされています。侯爵という地位におり、財務省の長官の地位にいる方からの言葉には言い返せないのでしょう。
「もし不満ならば、アルフレッドが爵位を継ぐまでに、お前の意思を示せ」
意思ということは、功績という意味ではないでしょうが、『ただの文官』という言葉を覆すのであれば、目に見える功績を示すように捉えられます。
すぐにという話ではないでしょうが、一年あったとしても、その期間内で功績を示せるかどうか、厳しい期間ですわ。
ネフリティス侯爵様はその言葉を残し、前侯爵様に退出の意を示して、退席されてしまわれました。
侯爵夫人も侯爵様の後に続くように退席されましたが、ギルフォード様を一瞥するだけで、何も言わずに食堂を出ていかれました。
恐らく、このお二人の関係も問題に上がるのでしょう。
良好な関係を築こうとされた侯爵夫人に対して、ギルフォード様は手をとろうとされなかった過ち。
もし、王族から降嫁された侯爵夫人と良好な関係を築いておられれば、夫人からシャルロット様との仲を取り持つことが可能だったでしょう。流石のシャルロット様も王女でありました侯爵夫人の言葉を無視することはできません。
しかし、侯爵夫人はシャルロット様に何かを言うことはありませんでした。いいえ、何度か夫人のお茶席にシャルロット様が呼ばれたと耳にしたことがありますので、お話はされていたのでしょう。
そこでギルフォード様との関係改善の話がなされなかっただけのことです。
「ギルフォード。お前はシュリヴァスと血の繋がりはないが、儂らはギルフォードもアルフレッドもファスシオンにも平等に接してきたものじゃ」
まぁ、前ネフリティス侯爵様からすれば、どちらにしろ、孫という立場ですから、態度を変える必要は元々なかったということですよね。
「だがのぅ。アルフレッドとファスシオンと共に領地に帰れぬことに、不貞腐れておることも知っておったでのぅ。儂らはギルフォード。お前と共にあったのじゃ。共にあったのはリアンバール公爵夫人もじゃ。これは忘れるのではないぞ」
そう言って、前侯爵様と前侯爵夫人は席を立たれ、食堂を出ていかれました。
隠居して未だに王都にいる前ネフリティス侯爵様は、王都がお好きなのだと私は勘違いしていましたけれど、全てはギルフォード様のためだったのですね。
ただ、ギルフォード様はそれをご存知ではなかったのでしょう。ご自分の母親の罪を償わなければ、領地に行くことができないことが、不服だったのでしょう。
それが積もり積もって、人の意見を聞かないという行動にでてしまったのでしょうね。
全てはギルフォード様を思ってのことですが、御本人に伝わっていなければ、意味が無かったということです。
「シア。俺達も部屋に戻ろう」
アルに促され、私は席を立ちます。それに合わせるように、クレアもエルディオンもファスシオン様も立ち上がりました。
私達からギルフォード様に何か言葉をかけるのも違いますので、無言で食堂から出ていきます。
扉が閉められた背後から、叫び声が聞こえてきました。
今日のことはギルフォード様は受け入れがたいことでしょう。
ただ言われたことを受け入れるかどうかは、ギルフォード様しだいです。
前ネフリティス侯爵様が言われたように、リアンバール公爵夫人から見捨てられていないという希望が示されたのです。これはとても大切なことだと私は思います。
ギルフォード様がネフリティス領の地に受け入れられる可能性があるということです。
そして、誰もが無言で自室に戻って行きました。
アルが次期侯爵として決められたという言葉を言われるだけかと思っていましたら、とても重い話の内容でした。
そうですよね。普通であればこのような話はネフリティス侯爵様から言われればいいことです。ご隠居された前ネフリティス侯爵様からお話があるという時点で、普通ではないと思っておくべきでした。
「はっ! 侯爵夫人に部屋替えの相談をするのでしたわ」
アルに手を引かれて、そのままアルの部屋に入ってしまったところで、私のやるべきことを思い出しました。夕食の後に侯爵夫人とお話をしようと思っていたのです。
「母上に? 母上は関係ないだろう?」
思わず声に出してしまいましたので、アルに聞かれてしまいました。これはアルに知られずに、こっそりとしなければならないことでしたのに!
ですが、やはりこのまま同じ部屋というのは、受け入れられないですわ。
「アル様。同じ部屋は問題ですわ。私達はまだ婚約者なのですから」
「大丈夫だ。コルトからお祖父様に伝えてくれるはずだ」
侍従コルト……食堂には他の使用人と同じ様に壁際に控えているのを確認できました。でも、アルが食堂を出た時に付いてきた使用人の中にはいませんでしたわ。なんて行動が早いのです。
「コルト! 待ってください!」
私がコルトを止めに行こうとアルの部屋から出ようと、扉のノブに手を掛けたところで、私の手の上からアルの手が覆ってきました。
「シア。どこに行こうとしているんだ?」
はっ! これでは扉のノブが回せないですわ。
厳しいです。アルの力に抗って扉のノブを回そうとすれば、ノブごと握りつぶしそうになります。
「コルトに早まらないで欲しいと、言いにですわ」
アルに言葉を返しながら、徐々に力を加えていきます。ノブが壊れるか壊れないか微妙な力加減を……
「シア。一つ言っておくが、この状況では兄上とあの女の婚約は解消されるだろうから、もう兄上に気を使わなくて良い」
背後からのアルの声に私は肩をビクッと震わせます。
……確かに言われれば、ギルフォード様の結婚相手がシャルロット様である必要がなくなってしまいました。
「はぁ」
ため息を吐きながら、扉のノブから手を離します。
このため息は次にシャルロット様に会った時に何を言われるのでしょうという、ため息です。
今年19歳の公爵令嬢であるシャルロット様の婚約が解消となりますと、新たな婚約者を求めるのは厳しいでしょう。強いて言うなら後妻という立場でしょうか?
「シア。これからは誰にも気を使うことなんてしなくていいからな」
そう言ってアルは後ろから私を抱きしめてきました。
アル。気を使わないことにはならないと思います。ただ、アルとの婚姻が早まることに対する言い訳材料が無くなってしまっただけです。
それよりも、扉とアルに挟まれて身動きができないのですが……侍女エリス。何故そこでいい素材がっと言ってメモを取る音が聞こえてくるのでしょう。
「アル様。気は使いますわ。私、クレアと同じ部屋でいいですのよ?」
「あ?」
妹であるクレアと同じ部屋でいいと言ったのに、なぜ機嫌が悪くなるのでしょうか?




