第63話 真実は残酷でした
「そんな薔薇。どこにでもある物ではないですか。ガラクシアース伯爵令嬢がその辺りで、採ってきた薔薇を偽っているだけでしょう」
ギルフォード様の言葉に、食堂の空気が凍りつきました。まさか前ネフリティス侯爵様の言葉を疑っているのですか? いいえ、私が嘘を言っていると思われているのですね。
しかし、この妖精女王の薔薇はとても鮮やかな赤色をしており、手の平を広げたほどの大きさがあり、キラキラと鱗粉が舞っているように輝いているのです。よく見れば普通の薔薇でないことがわかります。
隣のアルが、不穏な空気を出しながら立ち上がろうとしましたので、慌てて手を伸ばして引き止めました。
遠目からみれば普通の薔薇と変わらないと思われても仕方がないですわ。
「ギルフォード。これ以上私を失望させないで欲しいものだ」
ネフリティス侯爵様から、トゲがある言葉が降ってきました。
「これ以上? 元々期待もしていなかったとおっしゃっていたではないですか」
それに対して、ギルフォード様も言い返していますが、ここでも親子喧嘩が始まるのですか?
「何も行動を起こさなかったのは、ギルフォードだ」
「母が行った過ちを私に押し付けられるのは違うと思います」
ネフリティス侯爵様は、行動を起こして妖精との関係を改善しようとしなかったギルフォード様に突き放つように言い。ギルフォード様は母親の罪を子供に押し付けるのは間違っていると主張しています。
「おやめなさい」
そこに前ネフリティス侯爵夫人の声が、お二人の間に割って入ってきました。
そして大きくため息を吐かれたのです。
「はぁ。ギルフォード。私は貴方に妖精の泉に毎日、祈りを捧げるように幼い頃から言っていたはずですよ」
あら? ギルフォード様に関係を改善する方法を示されていなかったのかと思ったのですが、前ネフリティス侯爵夫人の方から教えられていたようです。
しかし、きっとギルフォード様の中では、不服だったのでしょう。侯爵夫人の座を追われた母親が行った罪を自分に押し付けられたことが。
「それに貴方を嫡男に押したのは、私の一存です。どうしても……許せることではなかったのです」
これは何だか雰囲気が怪しくなってきましたわ。私達姉弟がここに居ていいのでしょうか?
「そもそもデュオンネルが、あの女をこのネフリティスに連れて来なければ良かったのです」
……知らない人物の名前が出てきましたわ。デュオンネルとはどなたですの?
「お祖母様。デュオンネルとは誰ですか?」
タイミングよくアルが聞いてくれました。ええ、ここで私が口を挟むのは、間違っているでしょうから。
「デュオンネルはシュリヴァスの五歳年上の兄だったのです」
「伯父上ということですか? 父上に兄がいたなど、初めて聞きました」
アルも知らないとは、どういうことなのでしょう?まるで貴族籍から抹消されたような感じです。
「ここからは儂が説明しよう」
前ネフリティス侯爵夫人に代わって、前侯爵様が話し出しました。
「デュオンネルは禁を犯したために、存在の形跡ごと抹消した者じゃ」
禁を犯したのですか? それはギルフォード様の母親のことではなかったのですか?
しかし、存在の形跡ごと抹消というのは、あまりにも重い処分がくだされたのですね。いったい何があったのでしょう?
私からは苦しい表情をされた前侯爵夫人と硬い表情の前侯爵様の姿を窺うことはできますが、ネフリティス侯爵様の姿はこの位置からでは、アルとネフリティス侯爵夫人に阻まれ、うかがい知ることはできません。
「ある日突然デュオンネルが子供を身籠らせてしまった女性がいると、王都から領地にいる儂のところに報告にきたのじゃ。前々回の魔物の襲撃で領地の復旧に時間がかかっておったのでのぅ。それ以外のことがお座なりになってしまっておった。特に息子たちの婚約者の件じゃな」
妖精の国の世界樹まで影響を及ぼしたのであれば、領地の被害は目も当てられない程たったと思われます。それは、復旧には長い年月が必要だったのでしょう。
「身分は子爵令嬢だったからのぅ。あまり良いとは思えなんだ」
「身分が低すぎるからですか?」
アルがその女性の身分が気になったようです。侯爵令息と子爵令嬢の婚姻は無いとは言えないでしょう。しかし嫡男となれば令嬢の身分が少々低いのかもしれません。婚姻とは家同士の婚姻を意味するのです。侯爵家に釣り合うか、よっぽどの理由がない限り、子爵令嬢が結婚相手と認められないでしょう。
ただ、この話からいくと、子爵令嬢が身ごもったために妻として迎えるか、愛人として迎えるか、難しい立場であったとは思います。
そして、ギルフォード様は最初は何のことを言っているのかわかっていないようでしたが、段々とその表情が青ざめていっています。
「まぁ、そうじゃな。身分が低いと、生活するのもままならないと聞いておる。そういう者たちから見れば、ネフリティスの領地は夢のようなところらしい」
確かに花で満たされた街であり、その花にすら薬効があるのです。そして、不思議な丸い球体が浮かんでいるので、別世界に迷い込んでしまったようでした。あ。丸い球体は普通では見えないのでしたね。
しかし、ネフリティス侯爵領には分家の子爵家が存在しているらしいですので、それ以外の領地のことでしょう。
因みにガラクシアース伯爵家に分家は存在しますが、爵位を持つのは我が家だけです。ですから、クレアが結婚して家を出ると平民になるということですが、我が家の生活は庶民の暮らしと変わりませんので、何も困ることはないでしょう。
「今は存在せぬが、領地の屋敷には玄関ホールに妖精女王の薔薇が掲げられておったのじゃ」
妖精女王の薔薇。なんだか嫌な予感がしますわ。
「それはネフリティス侯爵家が代々受け継いできた物でもあった。それを其奴は盗み寄ったのだ。いや、正確にはデュオンネルに取らせたのじゃ。そしてデュオンネルは死んだ」
この話はアルに言われた元の話なのでしょうね。妖精女王の薔薇を私から離すと暴れると……え? これは死人が出るということなのですか?
「飾ってある妖精女王の薔薇が、ただの飾りだと思ったと言っておったが、デュオンネルに欲しいと言ったそうじゃ。皆が止めるのを振り切って薔薇を手にした瞬間、デュオンネルは『茨人』になったのじゃ」
ちょっとよくわからない言葉が出てきました。『いばらびと』ですか? 人の形をした茨というかんじでしょうか?
しかし、飾っている薔薇が欲しいだなんて、普通は言いませんわよ。言うとするなら『庭に咲いている薔薇を一本いただけませんか』ぐらいですわね。
「お祖父様。いばらびととは、どういうことでしょうか?」
ファスシオン様も疑問に思ったのでしょう。前ネフリティス侯爵様に尋ねましたが、その答えはネフリティス侯爵様から帰ってきました。
「父上はその場に居なかったからな。それは俺が答えよう。兄が妖精女王の薔薇に触れた瞬間、薔薇の花びらが散り、茨が兄に巻き付きいった。それだけなら良かったのだが、肉体が茨で作り変えられたかのように、複数の茨で構成された存在になってしまった」
それはもう人ではないということですか?
前侯爵夫人は顔を覆い、うつむいてしまわれました。きっとその時の光景が思い出されたのでしょう。
「人形の茨が周りの者を傷つけ始めたので、俺の独断で兄の息の根を止めた」
ああ、前ネフリティス侯爵様からすれば、結果だけを言い渡されて、御子息の死を告げられたのでしょう。直接命を奪ったのは次男であったネフリティス侯爵様ですが、兄の命を奪ったという罪を背負わせないために、薔薇に殺されたとされたのでしょう。しかし、考えようによっては茨に身体を侵食された時点で、生きているかどうかの判断はできません。
「そのすぐ後に、妖精女王が顕れて、審判が言い渡された。『直接の原因となった欲深い女には死を。しかし、腹の子に罪はない故、生まれてくるまで最後の時を生きるが良い。妾の信頼の証である薔薇に欲を持って触れた罪人は既に死しているため、生きた痕跡を全て抹消しろ』と、かなり厳しい言葉が告げられた」
デュオンネルという方が存在しなかったようにされていたのは、妖精女王の審判がくだされたからなのですね。たかが赤い薔薇と思っていたら、信頼の証に渡された薔薇だったと。誰に渡された物かは知りませんが、きっと泉の妖精様のお子様だったのでしょうね。
そして、腹の子というところで、皆様の視線がギルフォード様に向けられました。そのギルフォード様の顔色は青色を通り越して、真っ白と言っていい様相です。
「はぁ。女の方はどうでもよかったのじゃが、問題は生まれてくる子供のことじゃ。このままだと、両親が存在しないことになる。養子ということも考えたのじゃが、それは反対されてのぅ」
前ネフリティス侯爵様はそう言って、両手で顔を覆って、うつむいてしまっている前侯爵夫人に視線をむけました。
ギルフォード様を嫡男に押したと前侯爵夫人はおっしゃっていましたが、その辺りが関係するのでしょう。
「デュオンネルの存在そのものを抹消しても、生きた証は残された。それが親としては唯一の救いであったのじゃ。しかし、嫡男となると養子では、後々問題になることが目に見えておったからのぅ。シュリヴァスとあの娘を籍だけ入れて、シュリヴァスの子としたのじゃ。勿論この件は王家の方にも了承を取った。王家には貸しが山のようにあるからのぅ」
嫡男が養子ですと、侯爵夫人の子供のアルやファスシオン様とで家督争いが勃発しますからね。
あ……これでモヤモヤが解決されました。以前から思ってはいたのです。ギルフォード様が三十歳になられるのに、ネフリティス侯爵様がどう見ても四十歳ぐらいにしか見えないと。若作りしていらっしゃるのかと思っていたのですが、そもそもギルフォード様と血が繋がっていなかったのですね。
しかし、王家に貸しが山のようにあるということは、本当に前ネフリティス侯爵様経由ですと明日にでも婚姻の許可が降りてしまいそうですわ。後で、そこは今すぐでなくてもいいと、切々と言わなければなりません。
「私がわがままを言った所為です。でも……私達の考えと妖精の考えは違っていました」
前侯爵夫人がうつむいたまま、消え入りそうな声でおっしゃいました。私は前侯爵夫人の考えは、わがままだと思いませんわ。
前侯爵様も言われたように、御子息の生きた証であるギルフォード様に御子息が歩んでいたであろう同じ未来を歩んで欲しかったのでしょう。
これを親のエゴだと言われれば、否定することはありません。しかし、ギルフォード様も望んでおり、周りも認めていたのであれば、その未来もありだったのでしょう。
ただ、妖精の考えとはどのようなものだったのでしょう。いいえ、ギルフォード様が妖精に受け入れられていない時点で、予想はできます。妖精女王が罪はないと示したものの、女王の薔薇に手を出したことは妖精たちにとって、許せることではなかったと。
「生まれて間もないギルフォードを妖精たちはネフリティスの者と認めることはありませんでした。ですから、王都で暮らすしかなかったのです。ただ唯一リアンバール公爵夫人が泉に祈りを捧げることで、妖精たちの考えも変わると助言をくださったのです」
ここで泉への祈りが改善策だという話が出てくるのですね。先代の妖精女王に祈りを捧げて敬意を払うことで……妖精に服従を示す? あら? ネフリティス侯爵家と妖精の関係がちょっと、わからないですわ。
でも……確かに、ネフリティス侯爵様が妖精に生かされていると言われていましたわよね。
「ギルフォード。私は何度も言いましたよ。泉に祈りを捧げなさいと。それをなさなかったのが、今の現状です。せめてリアンバール公爵夫人のお屋敷に呼ばれていれば……」
妖精様に認めてもらえば、あの青い花に囲まれた屋敷に招かれて、妖精様からの贈り物をいただけたのでしょう。そうすれば、先代の妖精女王に認められたという証が得られ、他の妖精たちにも認められた。
しかし、ギルフォード様は親の罪を子が背負うなどおかしいと言って、泉に祈りを捧げることはなかったのでしょう。
「以上のことでわかったと思うが、ギルフォード。そなたにはサイファザール子爵位を受け継いでもらうが、領地はない。わかっておると思うが、妖精にみとめられなかったギルフォードにはネフリティス地は踏むことが出来ぬ」
し……子爵なのですか? せめて伯爵位ぐらい、言い渡されると思ったのですが。しかし前ネフリティス侯爵さまから出た言葉は、無常にも室内に響き渡ったのでした。




