第44話 どこに払うべき敬意が?
「副団長!」
肩で息をしながら赤竜騎士の人がアルに近づいています。アルが仕事をサボってきたのを、騎士の人が追いかけてきたのでしょう。
しかし、アルはアズオール侯爵子息の胸ぐらを掴んで、無理やり立たせて、みぞおちを殴り続けているのには変わりません。もしかして、アズオール侯爵子息の意識がなかったりしませんか?
「それ以上はいけません!」
赤竜騎士の人もアズオール侯爵子息の状態を見て、駄目だと思ったのでしょう。止めに入っていますが、アルの殺気に押されて近づけないようです。
「ああ? 何がだ?」
アルは答えているものの、視線はアズオール侯爵子息からはずしません。
「副団長。持っているモノを手放して、赤竜騎士団に戻って来てください」
「何故だ?」
やはりお仕事の途中でこちらに来たのですね。私はこのままクレアを連れて帰ってもいいかしら? クレアの振り上げられた手は力をなく下ろされたので、クレアとしてもこの状況に、クレア自身が拳を振るわなくてもいいと思ってくれたのでしょう。
いいえ、これ以上拳を振るうのは可哀想だと思ったのでしょう。だって、白目を向いて泡を吹いているのですもの。
ええ、騎士の人も、モノ扱いしていますし。
「フェリシア嬢。あれを放置して帰ろうとしていないか?」
「グラナード辺境伯爵様。私の行動を読まないでいただけませんか?」
「帰るのは構わないが、アルフレッドを止めてから帰ってくれ」
「それはそれで一緒に帰ろうと言われるので、そこの騎士の人に止めてもらいたいですわ」
私とグラナード辺境伯爵との会話が聞こえていたのか、赤竜騎士の人が青い色の顔をこちらに向けてきました。そんなに青い顔をしてふるふると首を横に振られても、アルをお仕事に連れ戻すのも、お仕事ではないのでしょうか?
「ん? フェリシア嬢を送ったあと、アルフレッドは赤竜騎士団の方に戻るだろう?」
戻るのでしょうか? クレアがそれはないという視線を向けてきました。
そうですわね。今朝も散々行きたくないと言っていたのを、侍従コルトの言葉でなんとか行ってもらったほどですし。
「グラナード辺境伯爵様。アルフレッドお義兄様は、今浮かれているので、それはないと思います」
「どういうことだ?」
クレアが遠い目をしてグラナード辺境伯爵に説明しています。ネフリティス侯爵夫人もおっしゃっていましたが、そこまでアルは浮かれていましたか? いつもと同じ感じでしたけれど。
「昨日……色々ありまして……主にお兄様と私が悪いのですが……色々……ありまして、昨晩からネフリティス侯爵家にお世話になっているのです」
クレア。色々という言葉の中に自分の失敗が含まれているので、言いたくないのですわね。
すると、グラナード辺境伯爵はお手上げだと言わんばかりに、青い空を見上げています。
「それは一つしか答がないと思うが?」
「やはりそうなのですか?」
アルとそれなりに付き合いがあるグラナード辺境伯爵は、一つしか答がないと言ってきました。ええ、私も内心思っております。
今日はアルと共に帰って、後ほど第二王子に謝罪の手紙を送るしかなさそうだと。
「アドラセウス。やっぱり俺に喧嘩を売っているよな」
私とグラナード辺境伯爵が話をしていると、アルが瞬間移動したかのように、目の前に現れました。
アルの右手から解放されたアズオール侯爵子息は、地面に打ち捨てられるように倒れており、駆け寄ったエルノーラ様が強い口調で使用人を呼びつけています。婚約者であるヴァイオレット様は妹のエルノーラ様の姿を、困ったような顔をして見ていました。
「はぁ。お前はフェリシア嬢と一緒にさっさと帰れ」
ため息と共に聞こえるグラナード辺境伯爵の言葉を聞きながら、私は別の事が気になっています。
私は足元に転がっている中身が無いティーポットを拾います。
「お姉様?」
そして、それを思いっきり投げつけます。ティーポットは困っている顔をしているヴァイオレット様の黒髪を揺らしながら横を抜け、アルについてきた侍従コルトの横を抜け、たった今この場に姿を表した者の頬をかすめて、庭の木の幹にあたって砕け散りました。
「あ……お姉様。敵です」
「クレア。行きなさい」
「はい! 今度は腕の骨を折ればいいですか?」
クレアは私の言葉にドレスの裾を少し上げ、身をかがめて構えます。
「待ちなさい。ここはガラクシアースの敷地ではありませんので、ガラクシアース伯爵夫人との契約は無効ですよ」
私が投げたティーポットがかすった頬を手で押さえて、引きつった笑みを浮べているのは、キラキラした銀髪が鬱陶しい第二王子です。
第二王子が姿を現した瞬間、背後のご令嬢方から悲鳴が上がります。ええ、うざいですものね。
「嫌ですね、お姉様。あんなヤツがモテるなんて……王子という地位がいいのですかね?」
クレアは忌々しいという表情をしています。
え? あの悲鳴はモテているということなのですか?
「おい、ジークフリート。何をしてガラクシアースを敵に回したんだ?」
アルに呆れたように言った声質のまま、グラナード辺境伯爵は第二王子に声を掛けています。
「別に敵に回してはいませんよ」
「いや、どう見ても攻撃対象になっているぞ」
敵に回してはいないと言いながらも、第二王子は額に汗をにじませながら、指を広げバキバキと音をさせているクレアに視線を向けています。
「アドラセウス。ジークフリートはガラクシアース伯爵夫人に嫌われているから仕方がない」
「そ……それは恐ろしいな」
西の守護者であるグラナード辺境伯爵から恐ろしいと言われるお母様は、グラナード辺境伯爵に何かをしたのでしょうか?
「ガラクシアース伯爵令嬢。妹君を引かせてくれないでしょうか?」
第二王子はクレアに足を折られたのがトラウマになったのか、クレアにあれ以来近づくことはありませんでした。
「仕方がありませんわね。クレア、手を下ろしましょうか」
他の家で揉め事は駄目ですわね。
「え? お姉様。一発いれるぐらい……」
「クレアローズ伯爵令嬢」
クレアの言葉を遮るように第二王子はクレアの名を呼びます。
「我々は任務中ですので、直ぐに立ち去りますよ」
身の危険を感じた第二王子は、この場から去ることを口にして、部下である赤竜騎士の人に視線を向けました。
視線を向けられた赤竜騎士の人は青い顔色をしてアルの方に近寄ってきます。これは第二王子がこれ以上近づきたくないという意思表示なのでしょうか?
「副団長。我々には命令が下りていますので、まいりましょう」
あら? この言い方ですと、何処かに向かう途中でアルが一人別の方に行ってしまったと解釈できます。それで慌てて、共に行動をしていた部下の方と赤竜騎士団の団長である第二王子が、アルを回収にきたのでしょう。
「アル様。私は用が済みましたので、帰りますわ。ですから、アル様はお仕事に行ってくださいませ」
私はニコリと笑みを浮かべて、アルに言います。任務中に抜け出してこちらに来るなんて、赤竜騎士団の方々に迷惑をかけていますわ。
「え? フェリシア様。まだ取引の話が終わっていませんわ」
ヴァイオレット様〜!! そこは黙っていてくださいませ! それに代金は明日でもいいですわ!
「わかった。今からウィオラ・マンドスフリカ商会に行こう」
「副団長!」
「はぁ。ガラクシアース伯爵令嬢が関わると、ろくなことがない」
第二王子! それはどういう意味ですの!
そして、私はウィオラ・マンドスフリカ商会に戻ることになりました。
六人乗りの馬車の中には、この馬車の持ち主であるヴァイオレット様が進行方向を正面に三人座れる座席の真ん中に座り、その隣にちゃっかりとグラナード辺境伯爵が馬車の扉側に座っています。ヴァイオレット様を挟んだ反対側には妹君のエルノーラ様が座り、その正面には私の妹のクレアがエルノーラ様を睨みつけながら座っています。
その隣にアルが座り、扉側にはアルの監視役として第二王子が腰を下ろしています。
え? 私ですか?
アルに抱えられて、アルの膝の上に座っています。これは恥ずかしすぎますわ。
この席になることに私は勿論反対しました。第二王子がこの馬車に乗る必要はないと。
赤竜騎士の方々は騎獣で移動中であったため、アルと第二王子と赤竜騎士の三人は騎獣で移動が可能のはずです。それに定員オーバーなので、第二王子に騎獣に乗って移動するように言えば、アルがそのままどこかに行くことを阻止したいと言ってきたのです。
ええ、どうも騎士団の幹部を交えた会議中に、アルが突然立ち上がって、会議を抜け出したらしいです。それも何も告げずに会議室の窓から出ていったと。
第二王子は私を見ながら『君が関わっていると聞いたよ』と言われました。今日の午前中の話です。
それは私が関わっているというより、王城に私が来たと何故か感知したアルが行動を移しただけで、私が悪いわけではありません。
そして結局、私はアルに抱えられ馬車に乗り込むことになったのです。
あの? 誰かその事に突っ込んでくれないのでしょうか?
因に侍女二人は、クレアにつけられた侍女と共に、クレアが乗ってきた馬車に乗って戻っています。侍従コルトはアルが乗っていた騎獣を連れて、別の騎獣に乗って移動しております。
あと、アズオール侯爵子息はアズオール侯爵家の使用人の方に引き取っていただきました。
ええ、だから私は侍女三人が乗る馬車に乗ろうかと言えば、何故か皆様から反対されました。正確にはエルノーラ様以外からですが。
エルノーラ様はヴァイオレット様に連れ戻されるのが不服なのか、頬を膨らませて顔をそむけています。
「で、第二王子は何故ここにいるわけ?」
「いつも思いますが、私への態度が悪くありませんか?」
第二王子は、私の質問の仕方が悪いような言い方をしてきました。そうでもないと思いますが?
「敵は容赦なく殴っていいと、お母様から許可をもらっています」
クレアは鼻息荒く、右手をぐぐっと握っています。確かに第二王子の行動が行き過ぎていれば、手を上げて良いとお母様からは言われています。しかし、容赦なく殴っていいとは言われていません。
「いや、私は王族だからね。それなりに敬意というものを払って欲しいものですね」
「「どこに?」」
私とクレアの言葉が重なります。子供の頃の第二王子の愚行を見ていれば、何処に敬意というものを払う必要があるのかと、思ってしまいますね。
「フェリシア様とクレアローズ様は王族と懇意にされているのですね。流石、ガラクシアースの方々ですわ」
「ヴァイオレット嬢。恐らく違う。王族と関わっているのは、ガラクシアース伯爵夫人の方だ」
グラナード辺境伯爵の言うとおり、第二王子の剣の師がお母様というだけの関わりですわ。その過程で色々あって、お母様に敵視されておりますが。
「おい、ジークフリート。いつもというぐらい、シアと会っているのか!」
「比喩だ比喩! それぐらいわかれ! アルフレッド! 今日は上からの命令で、西の第三層に行けということだったのに、こんなことになっているのは誰の所為だ?」
第三層? 王都の第三層に赤竜騎士団に行くように命令が下ったのですか?
「第三層とはどういうことですか? 王都内で赤竜騎士団が出なければならないことがあるのですか?」
そうなのです。赤竜騎士団の本部は王都にありますが、活動する地域は国全土にわたります。王都内で赤竜騎士団が出撃するということは、王都内に大物の魔物が発生したということです。これははっきり言ってありえません。
第三層に現れるのは基本的に農作物を荒らす小物ばかりなのですから。
「これは言えないことですからね。業務内容は秘密ですよ」
言えないこと……上からの命令……私の頭の中に、今日の午前中に会った銀髪金目の人物が思い出されてきます。
「アル様。ヴァンアスール公爵子息案件でしょうか?」
第二王子は答えてくれなさそうなので、アルに聞いてみます。
「ああ、あいつからの命令だ」
「アルフレッド!」
私に教えてくれたアルを第二王子が話すなと怒っています。第二王子は私が、ギュスターヴ前統括騎士団長閣下の中身がヴァンアスール公爵子息に入ったと知って……ああ、そうでしたわね。記憶の改ざんが行われているのでしたね。
「第二王子。私はガラクシアースですから、ヴァンアスール公爵子息の件は存じていますよ。それに今朝お会いしてきました」
「は?」
第二王子は何を言っているんだこいつと、言わんばかりの驚いた表情をしているのでした。




