第43話 禁忌ってなんですか!
私は私より細い手首を掴みます。掴んだ手が持っていたティーポットが手から離れ、地面に落ちて蓋が外れ、湯気が立ち上る中身がこぼれ出てきました。
危なかったですわ。
「……お姉様」
私は手首を掴んだ妹のクレアを見てホッとため息がこぼれ出ました。流石に中身が入ったティーポットは駄目ですわ。
「クレア。帰りますよ」
悔しそうな表情をしているクレアに、私はこの場から去ることを告げたのでした。
カルドール伯爵家に着いたときには、何やら既に騒ぎが起きているようでした。甲高く騒ぐ声が馬車留めまで聞こえてくることから、本日は庭でお茶会をしているのでしょう。
「フェリシア様」
先に馬車から降りていたヴァイオレット様が、とても不安そうな顔をしています。グラナード辺境伯爵に手を取られ、地面に降り立った私は、そんなヴァイオレット様に心配することはないと言うふうにニコリと笑みを浮かべます。
「ヴァイオレット様。今からシメてきますわ」
「フェリシア嬢。状況を確認せずにそれはないと思うが?」
呆れた赤い瞳が私を見下ろしています。状況は確認していますわ。私の耳にはクレアとエルノーラ様と思われる声が言い合っているのが聞こえてきます。その近くでクレアを煽るような言葉を言っている男性がいることもわかります。
おそらくヴァイオレット様の婚約者であるアズオール侯爵子息の声でしょう。
「フェリシア嬢はクレアローズ嬢を諌めるだけにしろ」
「取り敢えず、そうしましょう。状況的にそろそろクレアの我慢が、限界に近いようですので、先にまいりますわ」
私はそう言葉を残して、軽く地面を蹴ります。
「フェリシア嬢!」
背中から私の行動を止めるグラナード辺境伯爵の声が聞こえますが、私の耳に入ってくる、聞くに堪えない男性の言葉に、その口にスライムでも突っ込みたい気分ですわ。
そして、美しい庭に可愛らしいご令嬢たちが集まっている一角を発見しました。ガーデンテーブルを囲っているものの萎縮し、ある一定の方向に視線を向けているご令嬢たちの視線の先には、十代半ばの男女とその男女に向かって、何かを投げようとしているクレアの姿が見えました。
私は瞬時にクレアの隣に立ちクレアの手首を掴み、投げつけようとしていた行動を止めます。
すると、陶器が地面に落ちて転がる音が聞こえました。良かったですわ。地面に落ちたものの破壊は免れてたようです。
これを弁償と言われても弁償できるかどうか……視線を下に向けると、大きめのティーポットの蓋が地面に落ち、横になったティーポットの中身が湯気を出しながら地面に流れていきます。
クレア。普通の人に湯気が立ち上るお茶入りのティーポットを投げつけるのは駄目ですわ。
「クレア。帰りますよ」
私がそう言ってクレアを見ますと、悔しそうな表情をしていました。いくら腹立たしくても、他所様の家の庭で殺人事件は駄目ですわ。
「お……お前は、ブラコンの姉!」
失礼な物言いをした人物に視線を向けます。飴色に近い金髪に深い緑色の瞳の容姿が整った青年がいます。
「まぁ! アズオール侯爵子息様。お久しぶりでございます。何やらとても素敵な手紙をクレアに送ってくださったようで、本日はそのことについて、お尋ねしたかったのです」
はい。この方がヴァイオレット様の婚約者であるアズオール侯爵子息です。その横のクレアと同じ歳ぐらいの、明るい栗色の髪に新緑を思わせる緑色の瞳をうるうると潤ませている少女がエルノーラ様です。
「手紙ではない! 決闘の果たし状だ!」
あら? わざと手紙と濁しましたのに、ご自分からそのように言われなくてもよろしいですのに。
「ええ、存じております。ただ一点気になったことがございまして、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんだ? 決闘をなしにという話は受け付けないぞ!」
いつも思いますが、なぜこの方がヴァイオレット様の婚約者なのでしょうか? 侯爵家であっても、アルの弟のファスシオン様と比べると……いいえ、ファスシオン様は18歳で、エルディオンと同じ16歳ですから、比べるのが間違っているのでしょうか?
「決闘の件は承っております。その果たし状の蝋印のお印がアズオール侯爵様のものとお見受けいたしましたが、間違いはございませんでしょうか?」
「当たり前だ! お前はアズオール侯爵の印も知らないのか!」
……存じていますので、確認をしたのです。
「では、この度の決闘はアズオール侯爵家とガラクシアース伯爵家の決闘ということでよろしいのでしょうか?」
「は?」
「アズオール侯爵家はガラクシアース伯爵家に剣を向けるということでよろしいのであれば、この度の決闘は私がご相手をさせていただき……もご」
私に最後まで言わせずに、私の口を手で塞いできた人物を睨みつけます。
しかし、私を物理的に黙らせた人物は鋭い赤い瞳をアズオール侯爵子息に向けていました。
「アズオール侯爵子息殿。ガラクシアース伯爵家に手を出すことは、禁忌とされていることを知らないのか?」
禁忌ってなんですか! まるで触れると厄災が降りかかるような言われ方ではないですか!
「なぜここにグラナード辺境伯爵がいるんだ!」
け……敬語を使ってください。私を物理的に黙らせた手をのけて、ため息を吐きながら、何だこいつはという視線を向けている人物は、西の国境の守護者であるグラナード辺境伯爵なのですから。
「高位貴族の当主に招集が掛けられたのだ。王都に滞在しているだろう」
その言葉の中には、アズオール侯爵子息の父親であるアズオール侯爵が王都にいたのだから知っているだろうという意味が含まれています。
「流石に今回のことは、ガラクシアース伯爵令嬢が動くよりも、俺が動いた方がいいだろう? 俺もガラクシアースの血が入っているからな」
あら? 別にそこはグラナード辺境伯爵が動かなくてもいいと思いますわ。……あ、もしかして、この機にヴァイオレット様の婚約者を亡き者にしようと……私の心を読んだように赤い瞳で見下さないでくださいませ。
「だから、グラナード辺境伯爵は関係ないだろう! 俺はそこのエルノーラを叩いた生意気な奴に決闘を申し込んだのだ」
「でしたら、なぜアズオール侯爵様の蝋印を使ったのですか?」
「だったら、なぜアズオール侯爵の蝋印を使った」
私とグラナード辺境伯爵の言葉が重なります。一番の問題は私闘だったことを、家の問題にしたことですわ。
「何故って当たり前だろう!」
……ちょっと理解ができない言葉を言われてしまいました。なぜ当たり前なのでしょうか?
「ロメルド様」
そこにヴァイオレット様が侍女二人を伴ってやってきました。あら? 侍女エリスを置いて行ってましたわ。
「今回の事は父にも話を通しております。流石に我が家で決闘は許容できないという返答でした。アズオール侯爵様に抗議を申し立てるとのことです」
「なっ!」
やはり、アズオール侯爵令息はマルメリア伯爵に決闘の話をしていなかったようです。家どうしの決闘に巻き込まれたくないというマルメリア伯爵の意が伝わってきます。
「それから、エルノーラ。何処かのお茶会に行くたびに問題を起こす貴女に、お父様は頭が痛いと言っておりました。ですから、社交シーズンまで領地に戻るようにとのことです」
「お姉様。酷いですわ。私がそんなに邪魔だなんて」
あの? ヴァイオレット様の言葉の中には妹のエルノーラ様のことが邪魔だという意味合いの言葉は入っていませんでしたわよ? ただ、父親であるマルメリア伯爵の言葉を伝えただけです。
「はぁ、邪魔だという話ではありません。カルドール伯爵夫人に、ご迷惑をかけたことを謝っておきましたから、帰りますよ」
「嫌よ! 今からロメルドと歌劇に行く約束なのよ!」
……もうどこを突っ込んでいいのかわかりませんわ。
エルノーラ様の態度にヴァイオレット様は頭が痛いと、右手を頭に添えています。
私がエルノーラ様に何かを言うのも違いますし、私はクレアを連れてここから立ち去るのが一番いいでしょう。握ったままのクレアの手首を引っ張りますが、クレアの視線はアズオール侯爵令息を睨みつけたまま離れません。
クレアを強引に連れて帰ろうと考えていますと、突如として悪寒が襲ってきました。
「グラナード辺境伯爵様。私だけこの場を離れてもよろしいでしょうか?」
「やめてくれ、被害が広がる」
「あの? 午前中も会ったのですが、赤竜騎士団って暇なのでしょうか?」
「暇じゃないだろう。あいつがおかしいだけだ」
私とグラナード辺境伯爵の視線の先には午前中に会って侍従コルトに職場に連れて行ってもらったはずの、アルがこちらに向かってきているのです。
それも何故か機嫌が悪そうです。いいえ、表情はいつもと変わりませんが、まとっている雰囲気がヒシヒシと機嫌の悪さを感じます。
「アドラセウス。何故、シアと一緒にいるんだ?」
アルの第一声がグラナード辺境伯爵を責める言葉でした。
「俺はフェリシア嬢を止めたと、礼を言われる立場のはずだが?」
「ああ?」
私としては止められたことは不服ですわ。
「それで、アルフレッドは何故ここにいる?」
それは私も気になりますわ。
「シアが昼から『ウィオラ・マンドスフリカ商会』に行くと言っていたことで、ふとアドラセウスがまだ王都に居たなと思い出した。アドラセウスがシアと一緒にいたらムカつくなと思って『ウィオラ・マンドスフリカ商会』に行けば、カルドール伯爵家に一緒に行ったというじゃないか。ムカつくよな」
「ムカつくというだけで、赤竜騎士団の隊服を着たままうろつくな」
これはアルは仕事をサボったということでしょうか? アルが来た方向に視線を向けますと、困った顔をした侍従コルトがいます。流石に侍従コルトでもアルの行動を止められなかったのでしょう。
そして、アルが現れたことで、後ろにいる令嬢方から悲鳴が聞こえてきます。騎士の隊服を身にまとっている感じは、普通のご令嬢からすれば、威圧的に感じるのでしょう。
「はぁ、滅多に王都に居ないグラナード辺境伯爵ばかりか、国王様主催のパーティー以外顔を出さないアルフレッドお義兄様がこんなところにいるなんて、それは騒ぐわよね。性格はアレだけど、見た目はいいもの」
クレアが騒いている令嬢方に対して、ボソボソ言っていますが、確かに見た目は良いですわね。
「アドラセウス。俺に喧嘩を売っているのか?」
「売っているのは俺ではなくて、あっちだ」
グラナード辺境伯爵はそう言って、アズオール侯爵令息を指し示しました。
「ロメルド・アズオールか。それが、シアがここにいる原因か。確か決闘がどうとか言っていたな」
「そこの馬鹿は果たし状にアズオール侯爵の蝋印を使ったんだ。そうなれば、アズオール侯爵家とガラクシアース伯爵家の決闘となる。そして、決闘の日と場所が明日マルメリア伯爵家でということらしい。最悪だろう?」
ことを簡潔にグラナード辺境伯爵は説明しています。ただ、その説明を聞きながらアルの機嫌の悪さは悪化の一途をたどり、殺気を向けられているアズオール侯爵子息はガタガタと震えています。
「そうか。元々の原因はお前だったな。ガラクシアース伯爵家を巻き込むなら、ネフリティス侯爵家が動くことを知らないのか? この国の調和と制裁を担っているネフリティス侯爵家がだ」
「は?」
「アルフレッド。そこの馬鹿をお前が一発殴れば、クレアローズ嬢も握った拳を下ろすだろう」
「ちょっと待て! 俺は別にネフリティス侯爵家に何もしていない。元々はそこのブラコン女と暴力おん……うぐっ!」
アルがアズオール侯爵子息のみぞおちに一発入れて、胸ぐらを掴みました。
「おい、ブラコン女って誰のことだ? もしかしてシアのことじゃないよな」
とアルは言いつつ、もう一発殴っています。
「アルフレッドお義兄様は私の暴力女はどうでも良いのですか?」
クレアは不満そうに唇を尖らせてすねています。
「自殺願望でもあったのか? 自らアルフレッドの地雷を踏みに行ったな」
「あら? グラナード辺境伯爵様。私がエルディオンを可愛がっていることは、私自身が認めていますわ」
「それはガラクシアースの直系の特有のお人好しの所為だろう?」
「まぁ、それも否定はしませんわ」
エルディオンが何事もなく、ふわふわといつも通り過ごせれば、姉としては嬉しいものです。