第42話 覚えていますか?
私とグラナード辺境伯爵は変わった建物の中で放置されてしまいました。ああ、お茶のおかわりはスタッフの女性が持ってきてくれましたよ。
ヴァイオレット様もクルスという使用人もまだ戻ってきていません。
「そう言えば、グラナード辺境伯爵様は昨日のことは記憶されていますか?」
「どういう意味だ?」
あ、これだと、昨日のことも覚えていない物忘れの酷い人のように言われたと勘違いされていますよね。
「神王の儀のことですわ」
「なぜ、フェリシア嬢がそのことを知っている?いや、違うな……」
そう言ってグラナード辺境伯爵は眉間にシワを寄せて、考え込んでしまいました。
「ガラクシアース伯爵領で話していたことだな。こういうことか、記憶を消されるとは……」
「何か思い出したのですか?」
グラナード辺境伯爵はとても不機嫌そうに、低い声で呟いています。私とアルがグラナード辺境伯爵に王都で起こったことをお話したことを思い出したのでしょう。
しかし、あの存在のよくわからない術を受けて、記憶が戻ることがあるのですね。アル様は神王の儀のあったあと、ヴァンアスール公爵子息にあの存在が成り代わってしまったと記憶していなかったのですから。
いいえ、きっとグラナード辺境伯爵がガラクシアースの血を引いているからでしょうか。
「ああ、神王という者の姿絵を見た。確かにガラクシアースの血を感じる容姿だった。そして、ヴァンアスール公爵の血というよりも王家の血を感じさせる容姿の新たな神王。いや、ヴァンアスール公爵も王族だから銀髪も金の瞳もありえるのか」
「ヴァンアスール公爵子息に一度お会いしましたが、ヴァンアスール公爵やネフリティス侯爵夫人に似ておられました」
「それは結局、王族に似ているということだな」
言われてみればそうですが、髪と目の色は変化していました。
「まぁ、そういうことなのですが、グラナード辺境伯爵様は神王という存在を直接見て、どう思いましたか?」
「どう思ったか……か」
またしても考え込んでしまいました。変な質問をしたつもりはないのですが。
「戦ってみたいと思った」
「あら? そのときは膨大な力を持ってはいなかったのでしょうか?」
「それは儀式の始まる前だな。そのときはそれなりに戦えるヤツだと思ったが、儀式の後のヤツは震える程の恐怖を感じた」
そうでしょうね。今日私があの存在を訪ねたときも、その身にまとう力は、人の身には大きすぎる力でした。
「この場にいることを否定している自分と、どうすればあの者に一撃入れられるか考えている自分がいた」
「あ……それわかりますわ。尻尾を巻いて逃げ出したい気持ちと、剣を抜いて威嚇しながら、勝てる算段を必死に組み立てている私がいるのです」
「ほぅ。で、勝てる算段は付けられたのか?」
私の言葉に興味を持ったグラナード辺境伯爵が聞いてきました。
「無理ですわ。一度、剣を奮ったことがありますが、力の差もそうですが、経験値が足りないと思いました」
「経験値か。フェリシア嬢が言っていたように初代国王という者だったとすれば、生きた年月が天と地ほども違う。その差は埋められないだろうな」
それを理解しているからこそ、私とアルは剣を置いたのです。あれはもう天災というレベルです。
「グラナード辺境伯爵様は如何です? 勝てそうでしたか?」
グラナード辺境伯爵は、天災に抗う策は見つけられたのでしょうか?
「勝つのは無理だな。……そうだな、ガラクシアース全員で立ち向かえば、犠牲を出しつつ引き分けにもって行けるかどうかだな」
「ガラクシアースの民全員で立ち向かっても無理ですか」
「無理だな」
そう言い切った言葉に思わず、笑いが溢れでます。神竜ネーヴェ様の血を受け継ぎ、戦闘民族と言って良いガラクシアースが総出でも引き分けにできるかどうかですか。
「ふふふっ」
「クククッ。お手上げというやつだな。そんな者が戦ってこそ勝てる魔物か。それが、近々この国に現れだすと?」
「ええ」
暗黒竜の残滓のことですわね。二十年前にグラナード辺境領に出現したという毒を吐くドラゴンです。
「帝国の相手もしなければならないのに、魔物まで手が回らないぞ」
「母に救援要請をだしていただければ、よろしいかと思いますわ」
お母様は依頼があれば、どのようなところでも赴くと言っておりましたので、グラナード辺境伯爵が依頼すれば、お母様は動いてくださるでしょう。
「ガラクシアース伯爵夫人は、かなりの金額を請求すると有名だが?」
「借金の返済がまだまだありますので」
それは仕方がないですわ。我がガラクシアースにはまだまだ借金が残っておりますもの。
「借金はないが、軍事費に金がいるグラナード領に多額の金額を請求されても困るな」
ガラクシアース伯爵家には借金があり、グラナード辺境伯爵家には奥様に金庫の中身を持ち逃げされ、お金がない。それはお互い様ですわね。
「ふふふっ」
「クククッ」
二人して笑いが込み上げてきて、笑い合ってしまいました。
「やはり、仲がよろしいのではありませんか」
私達が他愛もない会話をしておりますと、ヴァイオレット様が戻ってこられました。それも少しお疲れのようです。
「如何でしたか? ヴァイオレット様」
恐らく、父親のマルメリア伯爵に連絡をとってくださったのだと思いますが、表情からあまりよろしくないのかもしれません。
「それから、グラナード辺境伯爵様とは、結局ガラクシアースは好戦的だという話をしていただけですわ」
「そんな話だったか?」
結局のところ未知なる存在と戦うというグラナード辺境伯爵の意見でしたよね。
「遠目からお二人を見ていると、仲の良い兄妹のように見えて微笑ましかったですわ」
「怖いことを言わないでください。ヴァイオレット様」
「ガラクシアースの血が濃いだけだ。ガラクシアース領にいけば、皆がこんな感じだ」
全く持ってグラナード辺境伯爵と同意見ですわ。ガラクシアース領にいくと、白髪の金目ばかりです。
ヴァイオレット様は元の席について、ため息を吐かれました。
「フェリシア様。一足遅かったようですわ」
「何かあったのでしょうか?」
私は首を傾げて、ヴァイオレット様にお聞きします。
「お父様に連絡をして、アズオール侯爵様にことの詳細を聞いてもらおうとしたのですが、既にアズオール侯爵様は王都を離れ、領地に向かったそうですの」
今は社交シーズンではないですから、王都に留まるより領地に居いることが領主の務めというものです。
「ロメルド様に連絡を取ろうにも、アズオール侯爵家にはいらっしゃらないようで、妹のエルノーラはお茶会に行っているため、屋敷には居ないのです」
お茶会? クレアが昨日侍従コルトにお茶会があると言っておりましたわね。
「カルドール伯爵家のお茶会ですか?」
「ええ」
「クレアも行くと言っていたのですが……それも今日のお昼はとてもヤル気満々のクレアがこの果たし状を渡してくれたのです。嫌な予感がしますわ」
「もしかして、ロメルド様もそこにいるとか、ないですわよね」
私とヴァイオレット様のため息が重なります。
気になりますが、招待されていないお茶会に行くわけにはいきませんし、お茶会で問題を起こしていないといいのですが。
「お嬢様。カルドール伯爵家に殴り込みに行く準備が整いました」
姿が見えなくなっていた、紫紺の髪の青年がスッとヴァイオレット様の斜め後ろに立ち、礼の姿をとっています。
「クルス。殴り込みには参りません。エルノーラを迎えに行くのです。今回のことはお父様も頭を抱えていますからね」
「ヴァイオレット様。私もご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?エルノーラ様とクレアとの間で和解をすれば一番いいことだと思っております。その後アズオール侯爵子息様には投擲の的になって欲しいですわ。きっと綺麗に人形に抜けると思うのです。ちょっと失敗しても、何事もなく綺麗にすれば、問題ないですわね。あ、それなら腕の一本……」
「ヴァイオレット嬢。本家のご令嬢を抑える役が必要なら付き合おう」
グラナード辺境伯爵それはどういう意味でしょうか?
「そ……そうですわね。グラナード辺境伯爵様。よろしくお願い致します」
もしかしてヴァイオレット様も私が暴力を振るう人だと思っているのでしょうか? 私はお灸を据えるだけですわよ。
「では皆様、ご一緒されると言うことですね。私としては、無能がボコられる姿を堪能したい所存でございます」
仕える主の婚約者に対しての言葉とは思えませんわね。きっと彼の主はヴァイオレット様のみで、マルメリア伯爵家ではないということなのでしょう。
そして、私達はマルメリア伯爵家の馬車に身を揺られることになったのです。六人乗りの馬車の中には真ん中にヴァイオレット様が座り、右側に私が、左側にグラナード辺境伯爵が腰を下ろし、向かい側には侍女エリスとヴァイオレット様の侍女が座っています。
それも勤勉な侍女エリスの手帳を横から覗き込んだヴァイオレット様の侍女の顔がニヤけているのは気の所為でしょうか?因みに御者はあのクルスという青年です。彼はヴァイオレット様の侍従兼護衛だそうで、御者も仕事の一つだそうです。
「ヴァイオレット様、今更聞くのは失礼かと思うのですが」
「何でしょう?」
「あの植物が生えた建物は今流行りだったりしますか?」
「え? 流行り? 私以外にビニールハウスを作った方がいらっしゃるの?」
「びにーるは……? 何のことですか? 建物の種類ということでしょうか?」
私に詰め寄るように言ってきたヴァイオレット様に驚いて言いどもってしまいました。
「すみません『ハウス』というものですわ。作物を育てる環境が整えられる建物です。冬が厳しい地域でも冬に作物を作れるように作った建物です。今回お招きした建物は試作品で、中で色々な植物を育てて、検証しているところです」
「まぁ、冬に作物が育てられるなんて素晴らしいお考えですわ」
やはり天才という存在は考えから違うのですわね。
「それで、フェリシア様はどこで同じような物を見たのですか?」
「小さな温室と勘違いしたのではないのか?」
ヴァイオレット様は琥珀色の瞳をキラキラさせて聞いてきましたが、グラナード辺境伯爵は貴族が趣味で設備する観賞用の温室と間違えているのではと。
失礼ですわね。温室ぐらい知っていますわ。しかし、その広さは一部屋程度、ヴァイオレット様がいうところの冬は植物が育つというより、霜や冷気が混じった風よけと言う感じです。
「行ったところは平屋の大きな建物でしたわ。恐らく円状なのでしょうが、建物が大きすぎて微妙に外壁が湾曲しているとしかわかりませんでした」
「それで、中などのような感じでしたの?」
ヴァイオレット様は興味津々のようです。
「中をまっすぐ進むと、緑の空間が広がっていました。そこは春の花もあれば夏の植物も生え、秋になる木の実がたわわになっており、冬に咲く木の花も咲いていました。恐らく楽園というものがあるとすれば、ここだと言える場所でしたわね」
きれいな場所ではありましたが、気味が悪いといえば、そうでしょうね。
「四季を同時再現。すごい、そんな事ができるなんて……フェリシア様。私もそこに連れて行ってくださいませ!」
ヴァイオレット様をあそこに?
「毒花の花畑をヴァイオレット様が生きて通れると思われないのですが?」
「ど……毒花の花畑! 楽園に行くには一度死ななければならないということですわね」
「違いますわ」
死んでも行きたいと言いそうなヴァイオレット様には、普通の人には行くことは難しいと言っておきました。




