第39話 誓い
聞きたいことはおおよそ聞けたので、私とアルはサリエラ離宮を後にします。振り返ると、扉がない白い壁に囲まれた建物が視界に映ります。
あの存在はただ封印を維持するためだけに、この場にいる。もしかすると、初代国王となったことは、この封印を維持するためだけであり、己の子孫すら封印装置の一部とでも思っているのかもしれません。
あの存在は番に頼まれたからと言われましたが、それだけで何十年も何百年も己すらも封印装置の一部としてあることを認められることなのでしょうか?
「シア?」
「なんでもありませんわ」
アルに促され、馬車で来た道をアルと二人、歩いて戻っていきます。甘い香りが鼻につきますわ。
「アル様。ネフリティス侯爵家の使用人の方々は、この毒花の香りは何も影響ないと言われていましたが、普通では十分も留まれば死に至るほどだと思うのです。アル様は大丈夫ですか?」
私は、私の右手を繋いで隣を歩くアルを見上げます。
「ああ、問題ない。それからシア。結婚式の予定を二年早めよう」
毒花のことは一言ですまされてしまいました。私が習ったことと一般的な認識は違ったりするのでしょうか。それともネフリティス侯爵家の方々が特殊なのでしょうか?
アルは諦めていませんでした。ですから、先にご長男のギルバート様のご結婚ですわ。
「アル様。恐らくこれからアル様はお忙しくなると思うのです。ですから、全てが片付いている二年後がいいと思いますわ」
あの存在の言っていることが本当であれば、これから暗黒竜の残滓というモノが現れてくるはずです。
そうなれば、赤竜騎士団は忙しくなるでしょう。
「だから、その前に結婚すればいい」
「はぁ、アル様。出席していただく方々には半年前に招待状を送っていなければなりませんの。それに、ドレスの作成には一年かかると聞いていますから、直ぐには無理ですわ」
「出席者も必要ないし、シアは何を着ても似合うから問題ない」
二年後には結婚すると決められていますのに、なぜそこまで早くする必要があるのでしょうか?
「アル様。なにか急ぐ必要があるのでしょうか?」
「俺だけのシアになって欲しい」
全然、急ぐ必要のないことでした。しかし、このままですと、アルは納得しないでしょうし、結婚式の予定が簡単に変更できませんし……困りましたわ。
「アル様。私はアル様の婚約者ですから、アル様のお側にいることには変わりませんわ」
「シア。俺がここに来なければ浮気する気だったんじゃないのか?」
そこに戻ってしまうのですか! 浮気ではありませんのに。
「私はアル様のことが大好きですわ。私の夢は昔からアル様のお嫁さんになることですのよ? ですから……」
「シア!明日教会に行こう」
ですから、結婚式は二年後ですわ。それに教会は……
「行きませんわよ。教会のモニュメントを弁償しろと言われたら、困りますもの」
「……ちっ! 先に教会を潰すか」
アル。目的の為に教会を潰しては元も子もないですわ。
「教会の件はお父様に……お母様に任せますわ」
お父様に任せるときっと言い含められてしまうでしょう。このような案件はお母様に託すべきです。
「ん? ガラクシアース伯爵夫人に? 確かに教会の象徴てきな十字架を破壊したとなると、ガラクシアース伯爵に一度報告はいれておかないといけないだろう」
ああ、アルは代々のガラクシアース家の当主が教会に関わっていたという話は聞いていなかったですわね。
「それに黒竜騎士のやつらが動いているからな。しかし、教会は王族の権力が及ばないところだから厳しいだろうな」
だからガラクシアースの当主が枢機卿として、席を置いていたということですわね。
「だったら、国王陛下の許しを得るだけでいい。別に教会で挙式を挙げる必要はない」
教会ではないところで挙式ですか。
確かにガラクシアースの婚姻は神竜ネーヴェ様を祀った神殿に報告することで、婚姻を認めています。教会以外での挙式は私個人としては反対しませんが、貴族の目というものがあるので、それは厳しいのではないのでしょうか。
「私個人としては、教会以外で挙式することに忌避感はありませんが、一般的な意見を尊重すると難しいでしょう」
「シア。俺はシアと結婚するんだ。シアがいいなら、教会でしなくていい」
極論からいけば、そうなのですが……。
困りましたわー。
「アル様」
「なんだ?」
「アル様はギルバート様を押しのけて、侯爵の地位を得たいとおっしゃっていますよね」
「そうだ」
「ならば、他の貴族の方々に認められるような行動を取るべきではないのでしょうか?」
貴族の当主となれば、貴族同士の関係性を蔑ろにすべきではありません。私はガラクシアースですが、アル様の為に崇めてもいない神を祀る教会で挙式を挙げることを了承しました。
しかし、アル様の言い分も理解できます。はっきり言って、暗黒竜の戦いの中生命を落とさないとは限りません。
お祖母様のように、その身を犠牲にすることがあるかもしれません。
二年後に結婚式を挙げられる保証はどこにもないのです。
アルはその部分を不安に思っているのかもしれません。アルは赤竜騎士として暗黒竜の残滓と戦い、私はガラクシアースとして動くことになれば、一族を率いて戦いに挑むことでしょう。
互いが互いの場所で戦い抜くことになると。
私は左手に魔力を練り上げます。強く強固に、更に強国に練り上げ固めていきます。
「アル様。右手を出してくださいな」
アルの左手は私の手を握っているため、手が出せません。アルは素直に私に右手をだしてきました。その出された手のひらの上に私は左手を開きます。
すると、コロンと小指の爪程の大きさの半透明の石がアルの手のひらの上に落ちました。
「これはシアの魔力の結晶?」
「結婚指輪の変わりですわ。披露宴が二年後。それで手を打ちませんか?」
するとアルは目を丸めて私を見てきました。
「アル様が何を不安に思っているのかわかりませんが、アル様と私が誓いを口にすることはできますよ」
別に誰に認められるわけではなく、互いが互いに誓いを口にする。
「私、フェリシアはガラクシアースの矜持を持って、アルフレッド様と共に生きることを誓いますわ」
これは神竜ネーヴェ様に婚姻を報告する言葉ですが、許してくださいね。私には教会の作法は知りませんから。
「シア、ちょっと待て」
え?もしかして、駄目でしたか?
するとアルは空間に手を入れて、赤い薔薇の花を一本出してきました。違いますわね。
ネフリティス侯爵領でいただいた、妖精女王の赤い薔薇の髪飾りですわ。
それをアルは私の髪につけてくれます。
「シア。手を出して」
アルから言われて左手を差し出しますと、手のひらに赤色の小さな石が落ちてきました。
「アルフレッド・ネフリティスは妖精女王の使者としての役目を果たすと共に、フェリシアを守り共に生きることを誓う」
あら? 聞き慣れない言葉が聞こえてきましたわ。
そして、アルは私に口づけをします。と、突然、風が駆け抜け赤い毒花の花びらが舞い上がりました。一面の赤い花びらが揺れ、舞い上がる毒々しいほどに赤い花びら。落ちてくる赤い花びらが太陽の光を反射して白く見えます。
違いますわ。本当に白い花びらが降ってきます。
「これは?」
手に落ちてきた花びらを見ますと光をまとったようにキラキラと白く煌めいています。
「あいつの仕業だろう」
あいつ……アルはこの高台の中央にある建物がある方向に視線を向けています。
はぁ、本当に国中に目を行き届かせていそうですわね。
でも綺麗ですわ。
「アル様。祝福をしてくれたと、普通に受け止めては如何です?」
「そうだな。これでシアと夫婦になれた」
夫婦?
「アル様。共に生きると誓いましたが、国王陛下の許可と婚姻届を承認してもらっていないので、夫婦という形ではないと思います」
「シア。常識に囚われすぎだ」
「貴族の体裁というものが必要ですわ。それでアル様。アル様が感じていた不安は解消されましたか?」
私はニコリと笑みを浮かべて、隣を仰ぎ見ます。
「ああ、二人だけの結婚式も悪くない」
そして、私達は手を繋いだまま、赤い毒花が咲き乱れ、白い花びらが舞い踊る中を歩いて戻ったのでした。
アルは赤竜騎士団の仕事に戻っていき……アルが離れたくないと……いいえ、このまま私と共に帰る勢いのアルを、侍従コルトが引っ張って、赤竜騎士団へ連れて行ってくれました。
その後、私は侍女エリスと共にネフリティス侯爵家に戻ってきました。
私に充てがわれた部屋の中でふと思ったことが、普段何気なく耳にしている言葉に、本来の意味が込められていたことに気がついたのです。
それが、竜騎士という名です。そのような呼び方だと思っていましたので、何も疑問に思うことがありませんでした。
しかし、竜騎士の名を示すのであれば、ガラクシアースの者たちぐらい、特化していてもいいとは内心思ってはおりました。
この竜騎士という名はもしかして、国を護るための、竜の騎士という意味合いで、あの存在の血族の方々のことを指していたのではないのでしょうか。
今では力と能力があれば、騎士団に入ることができると言いますから、本来の意味合いでの竜騎士を指すのであれば、高位貴族のみで構成された白竜騎士団のみになるのでしょうね。
まぁ、王族の近衛騎士の役割がある白竜騎士はお目に掛かったことはありませんが。
「お姉様!」
思考の海に没していますと、突然部屋の扉が開きました。もちろん、部屋付きの侍女としてエリスが私の部屋に控えてくれています。
普通であれば、突然誰かが侵入してくることはありません。しかし、妹のクレアが扉を壊さんばかりの勢いで、開けて入ってきたのです。
「クレア。ここはガラクシアース家の屋敷ではないのですよ」
十歳から領地を離れてしまった弊害でしょうか。お淑やかさというものが、全く見られないクレアにため息混じりで注意します。
普通であれば、淑女教育をお母様がしてくれるのですが、お母様はガラクシアースとして力を奮っているため、クレアが五歳のときから、国中を飛び回っています。
ですから、ばあやと私が教育をしていたのですが、私も日々生きるためのお金を稼がねばならず、ばあやにたよりっきりだったことが、原因でしょう。
「わかっていますわ!それよりもコレをみてください」
クレアは一枚の封筒を私に見せてきました。宛先はクレアローズ・ガラクシアース伯爵令嬢となっております。裏を見ると差出人は書かれておらず、赤い蝋封が割れ、開けられた状態でした。
この印はアズオール侯爵家のものですわね。しかし、ご当主がクレアに直接手紙を出すなど、相当なことですわ。慌てて私は中の手紙を取り出し、何が書かれているか確認します。
……ちょっと理解できませんわ。クレアに視線を向けますと、両手を腰に当ててフンッと鼻息を荒くしています。これは気がついていないですね。
内容はと言うと、明日の十時にマルメリア伯爵家に赴くようにと、そこで決闘をすることが記載されています。そして最後にロメルド・アズオールのサインがされています。
これは駄目ですわ。色々駄目ですわ。
「クレア。この手紙を預かっていいかしら?」
「良いですけど、決闘はお姉様ではなく、私がします」
ええ、なんとなくわかっています。ヤル気満々だということが。しかし、この手紙は問題です。
「エリス。先程戻ったばかりで、申し訳ないのですが、馬車をだしていただけませんか?」
「かしこまりました」
「それから、どなたでもいいので、淑女教育をクレアにしていただけないでしょうか? いつも午前中は、ばあやにクレアの教育をお願いしているのです」
「げっ!」
げっとは何ですか? ばあやはクレアに甘く、クレアが直ぐに駄々をこねて中々進まないことは知っているのですよ。
お茶の作法はギリギリ及第点だったと報告を受けていますが、それ以外は全然だめだとも報告を受けています。
「奥様に相談させていただきます」
侍女エリスの言葉に、口をあんぐりと開けたままクレアは固まってしまいました。サボっていたことが、仇となってしまいましたね。クレア。
「おおおおお姉様!私は貴族としての勉強は必要ないと思います!」
クレアの婚約者は既に決まっております。エルディオンと同じく、ガラクシアースの者です。お母様の弟に当たる叔父様のご子息です。
「クレア。貴方の婚約者は何れ叔父様の子爵の爵位を受け継ぐでしょう。貴方はガラクシアースですが、この国の貴族です。それを忘れてはなりません」
「でも! ティーカップの取っ手を三本の指で持たなければならないとか、取っ手を握りつぶしてはならないとか、ティーカップを置く時に下のソーサーを割ってはいけないとかでもギリギリ出来ているのに、これ以上は無理ですわ」
わからなくも無いですわ。特に陶器は割れやすいですから、細心の注意が必要です。
「ではクレア。お母様に教えられる方がいいということですわね」
「いやぁぁぁぁー!!」
クレアは悲鳴を上げながら、私の部屋を出ていきました。お母様はある意味スパルタですから、教えを請うには勇気と体力と何者にも屈しない心が必要です。
「フェリシア様。馬車の準備が整いました」
「あら? 早いわね」
扉を開け放ったまま、逃げたクレアの背中をみていますと、侍女エリスから声がかけられました。
誰かと魔道具で連絡を取っていると思っていましたが、直ぐに返事が来たということは、馬車はそのまま待機していたということでしょうか? アルにヴァイオレット様のところに行くと言いましたので、赴く予定にはしておりました。だから、すでに準備されていたのでしょう。
クレアには後ほどきちんと話をしなければ、なりませんわね。




