第37話 これは幻聴でしょうか?
「中に入るのはネーヴェの子だけ、他の者はエテルノ離宮で待機していてね」
銀髪の人の姿をした何かは、私を手招きして中に入るように促してきました。しかし、このような者と同じ空間にいるなど、拒否したいです。力の塊と言っていい存在は、私にとって恐怖の感情しか引き出せません。
「ん? ああ、ごめんごめん。まだちょっと力を制御するのに時間が必要なんだよね。ほら、昨日の今日だし」
力の制御? 昨日の今日? なんのことですの?
あまりにもの力の差に、思考が上手く働きません。
「ほら、力を抑えたから深呼吸して」
突然金色の瞳が目の前に現れたと思ったら、身体の硬直が解け、息がしやすくなりました。いいえ、あまりにもの圧迫感に身体が硬直し、息をするのもままならなかったようです。
甘い毒素の混じった空気を大きく吸い込みます。
硬直し固まった手を開き、ショートソードを地面に落とすように手放し、亜空間収納にしまいました。
「お菓子とお茶を出してあげるから、中に入ってくるといいよ」
そう言って、得も言われぬ存在は私の右手首を掴みました。その瞬間、再びザワリと肌が粟立ちます。
以前出会った騎士の方の姿であるものの、中身は全く違う存在。侍従コルト曰く、初代国王らしいですが、このような存在が一国を治めていたとは考えられません。
「手を離してくださいませんか?」
「別にいいじゃない? 話を聞きにきたのだよね。良いよ良いよ。今日は機嫌が良いから質問に答えてあげるよ」
それと手を離さないことは違うと思います。私は腕を引いて、目の前の存在の手から逃れようとします。しかし、微妙な力加減で掴まれているのか、離れません。
「聞きたいことはあります。それと手首を掴むのは違うと思います」
すると目の前の存在は、クスクスと笑って手を離して、スッと距離を取った……と思えば私の右側の背後から剣先が伸びて来て、右側に引き寄せられました。
「レイモンド! ぶっ殺す!」
何故かここに居ないはずのアルの声が聞こえてきました。これはきっと幻聴ですわね。
「シア。マルメリア伯爵令嬢と約束があったのではないのか?」
私の横には目の前の存在から視線を外しはしないものの、朝言っていたことと違うではないかと、私を非難する気配を放っているアルがいます。
これは幻覚かしら? 何故ここにアルが居るのでしょう?
「アル様。何故ここに? それからヴァイオレット様は、午前中はお仕事が忙しいので、いつも昼からお尋ねしておりますの」
「俺も同じ質問をしていいか? 何故、シアがここに居る?」
何故と言われましても、覚えていないアルに説明するのは難しいですわ。
私が困っていますと、目の前の存在がクスクスと笑いながら、困っている私の代わりに答えました。
「それは僕が誘ったからだね」
……その答えは無いのでは? いいえ、招待されたのは間違いはないのですが、言い方というものがあると思います。
ほら、隣から殺気が膨れ上がっているではないですか。
「ぶっ殺す!!」
アルが銀髪の得も言われぬ存在に向かって、一気に距離を詰め、そのまま首を突き刺す勢いで、剣を突き出します。
「アル様! 剣を引いてください!」
そのモノには剣など通じませんわ! 泉のダンジョンでの記憶が残っているのであれば、このような無謀な行動はしなかったでしょう。
私の心配を他所に、アルが突き放った剣先は、銀髪の青年の姿をしたモノの人指し指と親指に挟まれ、動きを止められています。
「くっ!」
引いても押しても動かない剣にアルは困惑しているようです。銀髪の青年の姿をしたモノは、裏拳をアルの頭部に向かって放ちました。私ですら残像しか見えず、アルは反応することすら出来ずに、意識を飛ばして、崩れ落ちていきます。
「アル様!」
「ああ、大丈夫。大丈夫。少し調整しただけだから、直ぐに意識は戻るよ。美味しいお茶があるんだ。淹れてあげるよ」
銀髪の青年の姿をした存在は、意識を失ったアルを肩に担いで、建物の中に入っていきました。
「フェリシア様。我々はエテルノ離宮で待機しておきます」
その声に視線を向けますと、顔を青くして地面に跪いている侍従コルトと侍女エリスがいました。
そうですわね。あの力の塊は生きた心地がしませんでしたものね。
「わかりました。恐らくお昼までかかると思いますから、ゆっくり休んでいてください」
そう言って、私は白い建物の中に入って行きました。
建物の中は白を基調とした感じで、床も天井も柱も白で統一されており、玄関ホールだと思われる場所の先には、光が降り注ぐ緑が眩しく目に映りました。
中庭ですか?
他に扉や通路が無いことから、私が行くべきところは、緑があふれる中庭なのでしょう。
その先に私は足を進めます。中庭に踏み入れると、そこがただの中庭でないことがわかります。天井を見上げると格子状の線が見え、その先には青い空が広がっていることから、透明な天井がある室内です。
緑の中庭はまさに楽園と言って過言ではないところでした。季節を無視したような色とりどりの花が咲き、見たことがない植物が地面から生えており、本当にここが現実かと疑ってしまうほどの、世界が広がっています。
「あ! こっちだよー」
声がした方に視線を向けると、私に向かって手を振る銀髪の青年。
そこは突如としてポッカリと開いた自然の中に不自然な感じで、リビングが存在していました。
地面に直接テーブルやソファーが置かれ、飾り棚に、木の枝には明かり取りの魔灯が取り付けられていることから、夜になると光出すのでしょう。
ここに住んでいるのですか?
「座ってね」
示された四人掛けのソファーの端には、意識を失ったアルが背もたれに斜めに寄りかかって座らされています。
ローテーブルの上には既に香り高い紅茶が二客用意されており。辺りに甘い香りが漂っています。その香りに眉を潜めながら、用意されたティーカップの前に腰を下ろします。
「で、何が聞きたいのかな?」
銀髪の青年の姿をしたモノは、異様に赤く異様に甘ったるい匂いを放つ飲み物を口にして、私に聞きたいことは何かと聞いてきました。
まずはそうですわね。
「これは堂々と毒を出されていると、解釈をしていいのでしょうか?」
私はどう見てもサリエラの花を茶葉にしたような、飲み物を指して聞きました。
「あ……これは大丈夫。毒は無いよ」
そう言って、再び毒々しい赤い飲み物を口にしています。
私は恐る恐る赤い液体を口に含みます。毒素はなさそうですわね。そして飲み込みます。
「甘くないのに甘い?」
口に含んだときには甘みは感じなかったのに、飲み込むと何故か甘みを感じるという不思議な飲み物でした。
「ああ、竜の力が濃いと美味しく感じるからね」
あら? 何かおかしなことを言われましたわ。それよりも、話を進めた方が良いでしょう。アルが目を覚ます前に……。目を覚ますと邪魔されそうですもの。
「そうですか。では、昨日は何をしたのでしょうか?」
「何をしたねぇ……何をしたと思うかな?」
逆に問われてしまいました。神王の儀。恐らく力の塊のような存在になったのはその儀式の所為でしょう。
「何かがわからないので聞いているのです。昨日の嵐は異常でした。力の渦と言っていい嵐でした。お陰で隣の教会から屋根のモニュメントが、我らのガラクシアースの屋敷に突き刺さるという大惨事が起きたのです」
「それは逆恨みっていうやつだね」
逆恨みではありません。私は別に恨んではいません。ただ、理不尽な憤りを感じてはいます。
「まぁ。教会とガラクシアースが関係ないってことはないんだけどね」
「え?」
それは教会と我々ガラクシアースが、関係あると思われているということですか?
「ガラクシアースの特殊権限だね。ほら、シュトラール教の枢機卿の三人の内一人が代々のガラクシアースの当主って決まっているよね」
「……初耳ですが?」
ちょっと待ってください。そんな話は一度も聞いたことがありませんわ。お父様が教会に出向いたことなんて一度もありませんし、それも我々は……。
「それに、我々が崇めるのは神竜ネーヴェ様です」
私はきっぱりと言い切ります。我々は教会の崇める神を祀り上げているわけではないと。
「ん? おかしいなぁ。先代の当主は役目を担っていたと思っていたのだけど?」
……お祖父様。これはお祖母様が生きているときの話ですわよね。
お祖母様が亡くなってから、役目を放棄し過ぎではないのですか!
「ほら。この国に存在しながらも、王族の権力が及ばないように决めたからね。その代わり、ガラクシアースを監視の目として置いたのだよ。だから、問題があるとガラクシアースに報告が行くようにしていたのだよ」
問題があるとガラクシアースに報告が行く? そんな報告は来た覚えがありませんわ。
いいえ。目の前の存在は人外です。報告という言葉が私が思っているようなことでは、ないのかもしれません。
「もしかして、報告とは怪しい取引のメモが飛んできたり、ヅラが飛んできたり、宗教画に似せた〇〇が飛んできたりしたこととかを言いますか?」
「そうだね」
肯定されてしまいました。そうですか。恐らく祖父が関わらなくなってから、枢機卿という監視の目がなくなり、好き放題してきた結果。怪しいものが飛んでくることになったのでしょう。
「では十字架が飛んできたのも、そういう意味だったのですか?」
「そうだね。嵐の所為にされたけど、それはきっかけであって、嵐が悪かったことではないよ」
いいえ、十字架は嵐が悪かったのではと私は思っていますからね。
「十字架に雷が落ちた所為だと私は思っていたのですが?」
「あれは魔術の増幅のためだから、仕方がないね」
「え?」
魔術の増幅のため? どういうことでしょうか?
「ほら? 以前のレイモンド・ヴァンアスールを知っている者って国中にいるよね。その記憶の改竄を国中に行き渡らす為に、魔術の増幅装置として使ったんだよ」
これは以前のこの方はヴァンアスール公爵様と同じ水色の髪だったにも関わらず、王家と同じ銀髪になってしまったので、その記憶の改竄を行ったということでしょうか。しかし、その増幅装置の役目があった教会の十字架はもう存在しません。
「あの……その十字架なのですが、木っ端微塵になってしまったので、次からは使えないと思います」
「知ってる。知ってる。君、本当に面白いよね。暴走した力の暴風を結界で閉じ込めようだなんていう発想。馬鹿っぽくて面白い」
……馬鹿っぽいってなんですの! あの時は被害を抑えるのに必死でしたのに!
「魔力食いを使えば良かったのにね」
そう言われてハッとしました。そして、私の愚かさを指摘されて、血の気が引いていきます。
インフィーヌ草。乾燥させた草を燃やした煙は辺りの魔力を取り込み無力化させる危険な魔草です。しかし、魔術を強制的に使えなくさせるため、貴重な物が保管されている資料館や宝物庫などには欠かせない品物のため、高額で取引されます。
そして、私は顔を両手で覆いました。
持っています。持っているのです。私の亜空間収納に。
これがあれば屋敷を失わずに済んだというのです。どうして私は考えに至らなかったのでしょう。
「シア。泣いているのか?」
直ぐ近くで、アルの声が聞こえてきました。
「レイモンド・ヴァンアスール! いや、違ったな。貴様が誰であろうと、シアを泣かす奴は許さない!」




