第36話 サリエラの甘い香り
侍従コルトがアルを追い出すように、王城に向かわせた後、私に話があると言って、客棟にあるサロンに通されました。
客棟というだけあって、本邸の落ち着いたサロンとは違い、きらびやかな一室になっています。下品という感じではなく、青色と銀色に統一された、室内です。これは王家の銀とネフリティス侯爵家の青ということでしょうか。
そして、私は人払いされた部屋の中央にある革張りのソファーに座るように、侍従コルトに促されました。
「それで、コルト。人払いしてまで、私に何を話してくれるのですか?」
元々客棟は私達姉弟の三人しかいませんし、使用人の人数も本邸と比べれば、殆どいません。まぁ、私達姉弟は自分たちのことは自分で行えるので、人手がいらないというのもあります。
「昨晩、ヴァンアスール公爵家に遣いをだしましたところ、このような手紙をいただきました。失礼ながら、中は拝見させていただきましたが、別段怪しい魔術等は施されておりませんでした」
ヴァンアスール公爵家とは、ネフリティス侯爵夫人と公爵様が兄妹のため、別段怪しまれなかったのでしょう。
私は封蝋が開いた封筒の中を確認します。中を見た瞬間にふわりと花のような甘い匂いが漂ってきました。そして、一枚の紙が入っています。
中に入っている紙を取り出しますと、甘い匂いが強くなりましたので、紙に香水でも振りかけているのでしょうか? いいえ、毒花サリエラの香りですわね。
「コルト。この手紙の検閲をしたのは誰ですか?」
「私めでございます」
「体調の変化はありませんか?」
これぐらいの匂いであれば、意識混濁ぐらいですみますわね。魔術の痕跡はありませんが、毒が仕込まれているとは、変わった趣味をお持ちのようですね。
「ございません。これでも毒耐性はございますので。これは相手側からのメッセージでございましょう」
メッセージ。毒を送ってくるということは、安易に連絡を取るなということでしょう。しかし、この警告は誰からでしょうね。
毒花の甘ったるい匂いを放つ二つ折りの紙を開くと……私はちらりと壁に掛けられている振り子時計をみます。もう一度、紙に視線を落とします。
『午前10時、離宮に来られたし』
再び振り子時計に視線を向けます。9時ですわね。
それもどこの離宮とは記載されていません。
「時間しか書かれていないわ」
「離宮と書かれております」
だから、どこの離宮なのですか! 王城の中には複数の離宮が存在すると知識としては知っていますが、離宮の名の記載がなければ、全然わかりませんし、記載されている時間まで、あと一時間しかありません。
訪問用のボロボロのドレスは消失してしまいましたし、それ以外の訪問用のドレスはありませんわ。
「この毒の名であります。サリエラ離宮がございます」
あ……そういう意味のメッセージね。しかし、毒の名を離宮の名にするなんて、おかしいと思いますわ。
「サリエラ離宮が神王様のお住まいになります」
毒花が住まう離宮の名前とは如何なものなのでしょうか? 嫌がらせ? ……もしかしてイジメですか?
しかし、その離宮に先日会った騎士の方を依り代とした、あの存在がいるわけですね。
「わかりました。しかし、現実問題。今日と言われても着ていくドレスがありませんわ。それも王城なんて一年に一度ぐらいしか行ったことがありません」
「大丈夫でございます。フェリシア様のドレスは一通り揃えてございます」
……一通り。一通りってなんですの?
私はその一通りの言葉の意味を直ぐに理解することになりました。
充てがわれた客室に侍従コルトに先導されて戻ってみれば、色とりどりのドレスと共に、整列した使用人の方々が待ち受けていました。
「全てアルフレッド様がご用意したものにございます」
広い客室が狭く感じるほどのドレスの数々。アル、これは流石に作り過ぎではありませんか?
はぁ、もしかして私が客棟のサロンに通されたのは、この山のようなドレスを移動させるための時間稼ぎだったのですか。
「フェリシア様。ご希望がありましたら、その者たちに言ってくださいませ」
そう言って、私の背後にいた侍従コルトは扉を閉めて出ていきました。
希望と言われましても、突然のことで頭が回りませんわ。
そして、私は家紋が施されていない馬車に揺られています。私の向かい側には手帳に必死になって何かを書いている侍女エリスと、呆れたような視線を侍女エリス向けている侍従コルトがいます。
私の装いは、白色の襟が詰まったシンプルなドレスになりました。
色々使用人の方々から要望を聞かれましたが、侍女エリスが『フェリシア様の儚さを引き立てる白がいいです』という言葉が決めてだったようで、あっという間に着替えさせられました。
儚さって引き立てるものなのでしょうか?
こんな感じで、幽霊のような白い私が出来上がったのです。これは王城でふらふらしていると、幽霊に間違われることは確実です。
「時間。間に合うといいのですが」
私は馬車の窓から外を眺めながら呟きます。貴族街は第一層で、その中心が王城になるのですが、我が家(残骸しかありませんが)から高台の上にあるように見えるということは、王城に行くにはその高台を上るために、大きく蛇行して王城の正門にたどり着かなければならないのです。無駄に時間がかかります。
確か、直線的に行くルートがあるとは耳に挟んだことがあります。それは伝令が使う道と聞きますので、普通は使用はしません。
まぁ、私が時間を気にしているのは、未だに第一層内を馬車が走っているからです。貴族の屋敷は庭も含めかなり広いです。その貴族街を未だに走っているということは、手紙に指定された時間の到着に難しいということです。
「フェリシア様。ご安心ください。王城の出入りが許された者には転移門の許可が出ていますので、お時間には間に合う予定です」
転移門! あの噂の転移門が使えるのですか。噂では、士官されている一部の方々には使用が許可されている。第一層のどこかに設置されている転移門は通行許可があると高台の上の王城までひとっ飛びらしいです。
そんな貴族でも一部の方々しか使用許可が下りない転移門を使えるなんて、流石、ネフリティス侯爵家ということでしょうか。
転移門がどのようなものかと期待に胸を膨らませていますと、一瞬で風景が変わりました。青々とした木々の壁が続いていた風景が、無骨な石の壁に変わったのです。
どこに転移門があったのでしょうか?
そして、何事も無かったかのように、城門を通り抜け、綺麗に整えられた庭園が広がっています。国王陛下主催の建国祝賀会のパーティーぐらいしか来たことがありませんでしたので、昼間の王城は新鮮です。とても美しい庭園ですわ。
私が王城の庭園に見惚れていますと、カーテンが引かれ視界を遮られてしまいました。
「フェリシア様。申し訳ございません。お忍びでこちらにきておりますので、カーテンを引かせていただきました」
いつの間にか侍女エリスが、馬車の全ての窓のカーテンを引いて外が見えない状態にしています。
「あら? この馬車には認識阻害の魔術は掛けられていませんの?」
ネフリティス侯爵領で街の中を観光したときに、侍従コルトが言っていたと思ったのですが、違っていたのですか?
「フェリシア様。もちろん、この馬車にも認識阻害の魔術は施されておりますが、ここには魔術師や魔導士がおりますゆえ、看破される可能性を考慮いたしました」
侍従コルトが説明してくれました。
ああ、そうですか。ここは国の中枢ですから、沢山の目があるということですね。
「そうなのですね。秘密裏に行動をしなければなりませんから、仕方がありませんわね」
私が神王という人物とコンタクトを取っていると知られるのは問題がありますね。
「秘密裏と言えば、そうでございますね。知られると飛んでこられる方がいますので」
飛んでこられる方? 侍従コルトが何を言っているかわからず、首を傾げてしまいました。
馬車で揺られること十分ほどでしょうか? 花の甘い匂いが漂ってきました。
……これは危険ではありませんの?
私は目の前の二人に視線を向けますが、二人の態度に何ら変化は見られません。侍女エリスは『首を傾げたフェリシア様萌ぇ〜』と言いながら一心不乱に手帳に書き込んでおり、侍従コルトはそんな侍女エリスに『口を閉じなさい』と注意をしています。
「ねぇ、このまま進んで大丈夫なのかしら?」
私は毒花サリエラの匂いで満たされた馬車の中、疑問を口にします。
「ここを通り抜けませんと、サリエラ離宮にたどり着けませんので、進んで大丈夫でございます」
私は侍従コルトの言葉が気になって、カーテンの隙間から外をみます。すると、鮮やかな赤色が目に飛び込んできました。それもカーテンの隙間から見る限り、一面の赤い色で満たされていました。
おかしいですわ。今は初夏。サリエラの花は秋に咲くはずですのに……。
「ここは一年中サリエラの花が咲き乱れている一角でございます。この区画は結界が施されておりますので普通の者はこの場所にはこれません」
侍従コルトが説明をしてくれますが、色々おかしいですわ。
毒物を一番遠ざけなければならない王宮の一角に毒花がある事自体がおかしいです。
それから、秋に花が咲くサリエラが一年中咲き乱れているなんて、おかしいです。
もっとおかしいのはここを通り抜けないと離宮にたどり着けないということですわ。これは神王となる者を守っているというより、閉じ込めている? でも中身はあの存在ですわね。何かありそうだわ。
それに普通であれば意識混濁を通り越して、呼吸器官がやられて吐血しながら、苦しみ、のた打ち回る程の濃度です。この二人に加え、外にいる御者にはキツイのではないのかしら?
「あなた達は大丈夫なの?」
「我々はネフリティス侯爵家に仕える者でございますから、これぐらいの毒では、どうこうなりません」
時々思いますが、ネフリティス侯爵家の使用人の方々は変わっておりますわね。これほどの甘ったるい毒花の匂いに包まれて平気だなんて。
そして、馬車がガタンと揺れて止まりました。どうやら目的地に到着したようです。
外から馬車の扉が開けられ、侍従コルトが下り、その後に侍女エリスが続きます。
私は侍女エリスに手を取られて下りますと、目の前は真っ白な石の壁が視界を占めました。継ぎ目が見当たらない白い壁です。その壁が微妙に湾曲しながら続いていますので、大きな円を描いている建物なのかもしれません。
しかし、入口が見当たりませんわ。
私がどこに入口の扉があるのかと、視線を動かしていますと、切れ目がない白い石の壁にヒビが入り、上から下に亀裂が走ります。そのひび割れから音もなく壁が左右に開きました。
「やぁ。時間ピッタリだね」
中から銀髪を揺らし、金色の瞳を細めながら、こちらに近づいてくる青年がいます。その姿に全身が粟立ち、亜空間収納からショートソードを取り出して構えます。
「ふふふっ。そんな子猫のように怯えなくていいよ」
そう言いながら、人の形をした何かが近づいてきます。
「それ以上近づかないでくださいませ!」
人の姿をした何かに威嚇します。しかし、こんな事をしても私では足元にも及ばないことは本能で理解できてしまっています。
「おや? 君が僕と会いたいと熱烈なラブレターをくれたじゃないか」
ら……ラブレター!!
私は何も手紙は書いていませんわ。
「そんなものは書いてはいません!」
すると、人の姿をした何かは肩をすくめて困ったような顔をしました。
私はそんなものは絶対に書いておりませんから!
「ほら、話をしにきたのだったら、物騒な物はしまおうか」
陽気に話し掛ける人の姿をした何かは、私に武器を下ろすように言ってきましたが、この状態で武器を下ろすことなんてできませんわ。
はっきり言えば、脱兎の如く逃げ出したい気分です。
これが神王の本来の力をまとった姿と言われれば納得できますが、人の世に居て良い存在かと言えば……こんな恐ろしい存在は居るべきではない。
神王とは、そう断言できる力の塊のような存在でした。




