第35話 ネフリティス侯爵家の朝食
「まぁ。本当のことではないですか」
流石、元王女様だからでしょうか。当主である侯爵様でも物怖じせずに言い返しています。ネフリティス侯爵夫人は、さっさとご自分の席についてしまわれました。
仏頂面と言われたネフリティス侯爵様は、言われ慣れているのか、夫人に言い返すこともなく席につこうとされましたので、私は慌てて頭を下げます。
「ネフリティス侯爵様。この度は姉弟共々お世話になることを謝罪します共に、感謝しております。後ほどお時間をいただければ、事の詳細を説明致します」
すると私の頭の上からフッという笑い声とともに、言葉が降ってきました。
「詳細は執事ゼノンから聞いている。何やら隣から飛来物がやってきたそうではないか。そろそろ、金の亡者共に神の鉄槌でも、下る時が来たのかもしれないな」
金の亡者ですか。ネフリティス侯爵様の耳に教会の者たちのあり様が届いているようです。
「ガラクシアース伯爵家のことは父上が動くだろうが、好きなだけ居てくれれば良い」
「ありがとうございます」
やはり、屋敷の再建の件は前ネフリティス侯爵様が取り仕切ることになるようです。ネフリティス侯爵様はそれだけ言って、私の前を通り過ぎ、席につかれました。
「シア。俺たちも席につこうか」
「はい」
私は頭を上げ振り返りますと、食事が用意された長いダイニングテーブルが一番に目に入ってきました。
いったい何種類の品が並べられているのでしょうか? 我が家では考えられないほどの量の食事が並んでいるのです。いいえ、パンとスープだけの朝食は貴族の食事とは言えないですわね。
そして、一番上座にネフリティス侯爵様が座り、斜め前に夫人が席に座っており、その向かい側に黒髪の男性が席についています。
高位貴族は基本的に色素が薄い髪質ですが、稀に濃い色の色素をお持ちの方がいらっしゃいます。
その黒髪の男性の隣にアルが腰を下ろしました。私は斜め後から失礼して、黒髪の男性に声を掛けます。
「ギルバート様。昨晩から姉弟と共にお世話になっております。朝から騒がしくしてしまい申し訳ございません」
そうです。この方がアルの母親違いの義兄に当たるギルバート様です。
「朝から可愛らしい声が鍛錬場から聞こえて来たから、思わず見に行ってしまったよ。中々見ることがないガラクシアースの訓練って凄いね」
「お恥ずかしいですわ」
やはり、早朝の日課の訓練を見られていたのですか。
無表情がデフォルトのアルとは違い、人の良さそうな笑顔を浮かべたギルバート様はその視線をアルに向けました。
「その訓練についていけるアルフレッドも凄いね」
「日々の鍛錬の賜物です。シア。隣に座れ」
第二王子ですら、ぞんざいな言葉遣いのアルですが、義兄のギルバート様には敬意を払っているのか、丁寧な口調になるのです。母親が違う義兄弟の仲はいいとは言いませんが、悪くはありません。互いに一歩っ引いた感が見受けられ、互いの領分を理解しているから今の関係が保っていると、私は思っています。
しかし、ここでアルがネフリティス侯爵の地位を狙っていると分かれば、その関係性にヒビが入ることは明白。
ここは何としましても、アルに思いとどまってもらわなければなりません。
それから、今朝は朝日が昇る前から訓練場を使わせてもらいました。六時ぐらいからネフリティス侯爵家の護衛の方々の訓練が始まるということでしたので、お邪魔にならない早朝に訓練場を使わせていただいたのです。
ガラクシアースにとって訓練は欠かせないものですし、今はエルディオンとクレアの教育のためでもあります。
そして訓練を始めようかというときにアルがやってきて、一緒に訓練をすると言ってきたのです。別に拒否する理由もありませんでしたから、ネフリティス侯爵家の護衛の方々の訓練が始まるまで、一緒に訓練をしていたのです。
本邸と離れていたので、少々物音を立てても問題ないと聞いていましたが、早朝から動かれている使用人の方や恐らく散歩をされていたギルバート様にとって、聞き慣れない物音が気になって、見に来られる人たちもいたのでした。
私は給仕の女性が引いてくれた椅子に座り、正面を見ます。
エルディオンとファスシオン様が仲良く話しています。まぁ、内容は……授業中に幻視蝶の鱗粉をばら撒いたというイタズラ話しですね。学園生活を楽しんでいるようで良かったですわ。
その横ではクレアが朝食をガン見しています。ええ、我が家ではあり得ない食事ですからね。
私が席についたことで、神への感謝の祈りが捧げられ、朝食の時間が始まったのでした。勿論私が祈りを捧げるのはネーヴェ様です。
……会話がない。ただ、カトラリーと食器が当たる音のみが響いています。我が家では陶器の食器は殆ど売ってしまい、自分たちで作った木の食器を使用していましたので、カチャカチャという音は発生しないのです。それからすると、食器の当たる音が違和感でしかありません。
あ、来客用のティーカップ等はありましたよ。今は光の嵐の中に消え去ってしまって存在しませんが。
そして、いつもお邪魔するのはお茶会のみですので、ネフリティス侯爵家の皆様と食事を共にすることは初めてでした。
以前お邪魔しました前ネフリティス侯爵様の別邸の晩餐は会話がはずみましたし、我が家で何かと話をしながら食事をしますので、しーんとした空間で食事を取るのは居心地が悪いですわ。
エルディオンはチラチラと私の顔を伺ってきますが、私は視線でそのまま食事を続けなさいと伝えます。クレアは……到底食べ切れない量の食事を食べきる勢いで、口に入れていっています。クレア。もう少し落ち着いて食べて欲しいですわ。
なんでしょう。家族の仲は悪そうには見えませんが、この沈黙の空間はつらいですわ。
そんな沈黙の食事の時間が続き、一番はじめにネフリティス侯爵様が食事を終え、退席されてしまいました。あの……私からの説明は必要ないと受け止めて良いのでしょうか?
次に長男のギルバート様が退席されました。ギルバート様は王城で文官として勤めているとお聞きしますので、邸宅を出る時間がネフリティス侯爵様と同じく早いのかもしれません。
「旦那様も今日ぐらい仏頂面を止めて、フェリシアちゃんに話を振るとかすればいいと思わない?」
突然、ネフリティス侯爵夫人が話しかけてきましたが、私には答えにくい話です。
「まぁ、母上。父上も家族が増えたのが嬉しかったのか、そわそわしてたではありませんか」
そわそわ? ファスシオン様からよくわからない言葉が出てきました。私の目には眉間にシワを寄せて、美味しい食事が口に合わないのかというぐらい、嫌そうに食事を取っているとしか、わかりませんでした。
「そもそも食事中に話をするなとなったのは、母上が原因だと聞いていますが?」
アルが食後のお茶を飲みながら、そのようなことを言ってきました。ああ、この無言の食事風景はネフリティス侯爵様が望まれたものだったのですか。
「あら? 継子のギルバートとの接点なんて、食事中しか無かったのですから。この場で話さなければ、いつ話すというのです」
これはネフリティス侯爵邸が広く個人ごとに棲み分けがされているということが原因なのでしょう。
今まで私は本邸のサロンしか入ったことはありませんでしたが、私達姉弟は客棟に居候させてもらっています。
こんな風に棲み分けをされてしまえば、顔を合わせる時間は限られてきます。きっとネフリティス侯爵夫人は血の繋がりのないギルバート様と親子の関係を築こうとされていたのかもしれません。
「はぁ、今でも一定の距離を取られたままなのですから、やはり強引にでも家族の溝を埋めるべきだったのです」
ネフリティス侯爵夫人は断言をされましたが、人との関係は難しいものです。
何か気に入らないことがあると、ネチネチと言われ続けるのですから。それにちょっと力が入りすぎて、フォークでケーキごと皿を突き刺して割ってしまったときなんて、触らないで欲しいと、ご令嬢方が逃げ惑ったぐらいです。別に私はフォークを人に向けません。
「だから、こんな辛気臭い食事に付き合わなくていいわよ。わたくしが強引に朝食ぐらいは家族そろって食事をしなさいっと言ったものですから、こうなってしまいましたが、フェリシアちゃん達まで付き合わなくていいのですよ」
この通夜のような朝食の時間は侯爵様と夫人の意見のぶつかり合いで、成り立っているのですね。少しでも家族円満な関係を築こうとしている夫人と、食事の時間は静かにするようにという侯爵様の意見の落とし所が、通夜のような朝食に繋がっていると。
「ネフリティス侯爵夫人。私も二年後には家族の一員になりますので、ご一緒させていただきたいですわ」
「まぁ! そんな侯爵夫人だなんて他人行儀な呼び名でわなく、お義母さまと呼び……」
「母上!」
「アルフレッド。母にまで嫉妬をしてどうするのです。いいですか。私にはフェリシアちゃんから『お義母さま』と呼ばれる権利があるのですよ。わかったら旦那様と同じ顔で睨まないように」
ネフリティス侯爵夫人は『私の可愛い子はファスシオンしか居ないのが残念だわ』という言葉を言い残して、退席されてしまいました。
その可愛いと言われたファスシオン様は少し引きつった笑みを浮かべています。
流石に18歳にもなる息子に『可愛い』は、どう反応していいかわかりませんわ。
「そろそろ僕たちも行く準備をしないといけませんので、失礼します。それから、今日から僕がエルディオンを連れて帰りますから、お義姉様はゆっくり過ごしてくださいね」
ファスシオン様がそう言って、エルディオンの腕を引っ張って連れて行ってしまいました。お腹いっぱいにも関わらず残すのが嫌で、無理やり口の中に詰め込もうとしているエルディオンはファスシオン様に任せておけばいいでしょう。
手のかかる弟という感じで、エルディオンに『いつまでも食べていたら遅刻するからね』と言っている声が聞こえてきましたが、明日からは料理は食べ切れる量を出してもらうことにしましょう。クレアのようにフォークとナイフを持ちながら、テーブルに突っ伏しているということが無いようにです。
「アル様はお時間は大丈夫なのですか?」
騎士団の業務開始時間がわかりませんが、王城内で勤めているとなれば、文官とさほど登城する時間は変わらないと思うのです。どうなのでしょうか。
「今日は休むことにする」
「……何か緊急の用事でもあるのですか?」
休むことにするということは、今日は騎士団に赴く日ということですわね。
「緊急……そう緊急だ。シアがいるのなら、仕事を休むべきだ」
全く緊急ではありませんでした。何を真剣な顔で言っているのかと思えば、私たち姉弟がネフリティス侯爵家にお世話になっている現状のことでした。
「アル様。お仕事には行ってくださいね」
「嫌だ」
……何が嫌なのでしょう。それにお休みの日は白の曜日です。今日は黄の曜日なので、お休みの日まであと二日あります。
ちらりと、壁側に控えている侍従コルトに視線を向けます。侍従コルトであれば、アルを素直にお仕事にいってもらうスベを持っているかもしれません。
すると、私の視線を受けた侍従コルトがこちらにやってきました。
「アルフレッド様。そろそろ出発する時間が迫っています」
斜め後から掛けられた言葉にアルは視線だけを向けます。するとコルトはアルの耳元にコソコソと話し出しました。
『アルフレッド様。お休みで本当によろしいのでございますか? フェリシア様のお見送りしてくださる機会を棒に振るのですか?』
侍従コルトは私に聞こえないように話してはいますが、ガラクシアースである私には丸聞こえですわ。
「わかった。行ってくる」
アルはそう言って立ち上がりました。
「俺の書類をジークフリートに渡して速攻戻ってくる」
……それはお仕事をしているとは言いませんわ。第二王子に仕事を押し付けに行くと言い換えられますわね。
「アルフレッド様。本日、フェリシア様は仲の良いご令嬢のところに行かれると、お聞きしましたので、戻られてもフェリシア様はいらっしゃいません」
今日はそんな予定はありませんわ。私は何を言っているのかわからないと侍従コルトに視線を向けますと、話を合わせるようにという視線を感じました。
ああ、そうですか。一週間もお休みを頂きましたのに、ズル休みは駄目ですわよね。戻ってきても私は居ないとしている方がよろしいのですのね。
「アル様。ヴァイオレット様と素材の取引のお話がありますの」
「それなら、仕方がないか」
アルは納得してくれたようです。私は嘘は言っていませんわよ。今日とは言っていませんから。




