第34話 決闘の経緯が腑に落ちない
「お姉様。やっぱり納得出来ませんわ」
クレアが不貞腐れたように大声で言ってきました。少し声の大きさを落としてくれないと、迷惑になってしまいます。
昨晩は皆疲れていたため、ネフリティス侯爵家の邸宅の各自の充てがわれた部屋で夕食をとり、今朝は挨拶も兼ねて、ネフリティス侯爵家の皆様と共に朝食を取るべく、早めに食堂に来たところです。
その来るまでの間に、歩きながらクレアを説得していたのです。
私から謝罪の手紙を送りますから、一緒に決闘を取りやめてもらうように頭を下げにいきましょうと言ったのです。
「私は悪くありません! 悪いのはあのムカつく女ですわ!」
ムカつく女というのはマルメリア伯爵家の次女であるエルノーラ伯爵令嬢のことです。一般的な噂では大人しい物静かなご令嬢という話ですが、お茶会のご令嬢方の話では殿方に媚を売るのがお上手だといことらしいのです。
「クレア。声が少々大きいですわ。それにアズオール侯爵子息様が出てこられたのでしたら、私達の方が引き下がらなければいけません」
「嫌ですわ!」
はぁ。困りましたわ。
早めに食堂に来ましたので、席には着かず、外のテラスに案内されました。そこに備え付けられているテーブルに温かいお茶が用意され、侯爵家の皆様が来るまでの時間を過ごします。
しかし、クレアの声が外でも響いています。
ここまで、クレアが否定するなんて、お茶会で何があったのでしょう。
「クレア。何を言われたのですか?」
するとクレアはそっぽを向いて、口を閉じてしまいました。それにしても、何故アズオール侯爵子息が出てくることになったのでしょう。基本的に貴族の令嬢の集まりのお茶会には殿方は参加いたしませんのに。
これはエルディオン失踪の時にクレアから言われたことなのかもしれませんね。
「私のことを虫入りの紅茶を嬉々として飲んだ変わり者だとか言われましたか?」
するとクレアの肩がビクッと揺れます。そうですか。
「エルディオンのことも言われたのですか?」
クレアは手のひらを握り込んでフルフル震えています。
はぁ、そうですか。私とエルディオンの悪口を言われて、ご令嬢に手を上げてしまったのでしょう。そして、手加減したつもりが、思ったより力が入ってしまって、ご令嬢が飛ばされてしまったのでしょう。
そこに何故かアズオール侯爵子息が迎えに来た。ここが一番わからないのです。普通であれば、マルメリア伯爵家のお付きの方がご令嬢を引き取ってマルメリア伯爵から抗議があるというのであれば、理解できるのです。
「ねぇ、クレア。どうしてアズオール侯爵子息様と決闘という話になったのかしら? ほら、アズオール侯爵子息様は長女のヴァイオレット様の婚約者でしょう?」
「知らないわよ。何故か私が叩いてしまった後に直ぐに現れて、決闘だと言われたのですもの」
……全く理解ができません。私はてっきりアズオール侯爵子息様にも手を出してしまって、不敬だという理由で決闘を持ち出されたのだと思いました。
この流れからいけば、叩かれた本人であるエルノーラ伯爵令嬢から決闘を申し込まれたのであれば、筋が通ります。
しかし、アズオール侯爵子息が出てくるとなると、代理で決闘を行うという話になってきますわね。
「クレア。そもそも決闘をして手加減することはできるのですか?」
「できますわ!」
手加減……クレアにとって一番の課題が、コレなのです。剣を持つとクレアは手加減という言葉を忘れてしまうのです。まぁ、エルディオンに剣を持たせていない理由と同じなのですが、強さが求められているガラクシアースでは弱いことは鍛錬不足と言われ、追加の課題が出されるのです。となれば、剣を持って最大限に力を発揮出来ないことは、ガラクシアースとして在るまじき行為と意識付けられているのです。
しかし、それはガラクシアース領内の話。王都となれば、別の話となります。手加減出来なければ、一般人を巻き込み被害が拡大するということになるのです。
エルディオンは最近になってやっと手加減をしてファスシオン様と打ち合いすることができるようになってきました。まぁ、ファスシオン様の腕が上がってきたというのもあります。
しかし、クレアといえば、一般的な剣を素振りで粉砕し、上段から下に振り下ろしただけで、衝撃波を生み出し、庭の地面をえぐるのです。
そんな剣技を普通の侯爵子息に使ってしまえば、どうなるかは目にみえています。
はぁ、仕方がありません。
「クレア。あちらがアズオール侯爵子息様を代理で立ててきたというのでしたら、こちらも代理を立ててはどうかしら?」
私がクレアの代わりに決闘をして負ければいいのですわね。その決闘に何が賭けられているのかはしりませんが。
「え?」
「私が代わりに受けましょう」
未だにアズオール侯爵子息が決闘する意味がわからないのですけどね。
「シアが何を代わりに受けるんだ?」
背後からアルの声が聞こえてきました。
あら? 気が付きませんでしたわ。側に控えている使用人の気配が何故かふわふわしているとは感じていましたが、アルがテラスに繋がるガラスの扉を開けて、近づく気配を感じませんでした。
私は席を立ち、アルに向かって笑みを浮かべます。
「アル様。おはようございます」
「アルフレッドお義兄様。おはようございます」
そこには臙脂色の騎士の隊服を身に着けたアルがいました。朝日を浴びた金髪が光を反射して、煌めいています。相変わらずキラキラ王子ですわ。
「シア。おはよう。朝からシアに会えるなんて、幸せだ」
そう言ってアルは私の腕を引いて抱き寄せてきました。どこからか『キャー!眼福ですぅ!』『お黙りなさい!』という悲鳴と侍従コルトの叱咤が聞こえてきます。
えっと、この状況はどうすればいいのでしょう?
「アルフレッドお義兄様。お姉様しか見えていないのですか」
不貞腐れたようなクレアの声が聞こえてきました。
「そのとおりだ。クレア、おはよう」
「アルフレッドお義兄様のお姉様への愛が重すぎて、朝から胸いっぱいですわ」
いいえ。不貞腐れているのではなく、呆れているのですわね。
「あっさりとした物が食べたいわ」
そう言いながらクレアは室内に戻っていきました。
「あの? アル様。私達もそろそろ席につきませんと……」
アルがここにいると言うことは、侯爵家の皆様が揃っているのではないのでしょうか?
「シア。ここで二人っきりで朝食を取ろう」
ここでということは、テラスで朝食をということでしょうか? それは駄目でしょう。昨日は挨拶ができませんでしたので、早めに食堂にきて、皆様に挨拶をしなければと思っていたのですから。
「アル様。姉弟がお世話になるのです。ネフリティス侯爵家の皆様に挨拶をさせてくださいませ」
私は首を上げて、アルを見上げます。
「それから、そろそろ離してほしいですわ」
流石にアルに抱かれた状態は、恥ずかしいです。
すると、アルの顔が近づいてきて、ふにっと唇に柔らかいものが当たりました。
・
・
・
ゥッ……キャァァァァー!
キスされちゃいました? また、キスされちゃったのですか?
心臓が口から飛び出そうなぐらいドキドキしています。
思わず両手で口を押さえます。
「かわいいな。シアのそんな顔を見ると食べたくなる」
「ワタシハ、オイシクナイデスワ」
たたた食べる気だったのですか?
ここはきちんと、美味しくないアピールはしておかないといけません。それから、お腹が空いているのなら、早く室内に入って、朝食を食べられるようにしていただきましょう。
少し離れたところから『これは! 描かねばなりません!』『お黙りなさいと言っているのが聞こえないのですか』と聞こえてきました。もしかして、そこにいるのは侍女エリスなのでしょうか? いったい何を書くつもりなのでしょう。
「アル様。室内に入って朝食をいただきましょう?」
私は口元を押さえたまま、上目遣いでアルに言います。食べられるのは避けなければなりません。
「シア。他のヤツの前でそんな顔をするなよ」
……? どんな顔なのでしょう?
アルの言っている意味がわからず、首を傾げます。
「見たやつ全員の目をくり抜くからな。ああ、母上が入ってきたようだ」
アルはネフリティス侯爵夫人が食堂に来たと言って私を解放して、腰を抱いて歩くように促してきました。
ちょっと待ってください! なんですか? 目をくり抜くって!
私はさっきどのような表情をしていたのですか? いつも通りの笑みを浮かべていただけですよ。
アルの言う“そんな顔”がわからず困惑しながら、室内に入り一番に目に飛び込んできたのは、水色の髪の美しい女性です。
今、食堂に入って来たばかりのようです。髪に合わせたかのような淡い青色のシンプルなドレスを身にまとった女性は、こちらに気がついたようで、私と視線が合い、美しい微笑みを浮かべています。
「フェリシアちゃん。大変だったわね。怪我がなくてよかったわ」
昨晩あった事の流れは一通り、耳に入っているようです。それにしてもアルのお母様と思えないぐらい若々しく、美しい方です。ヴァンアスール公爵様の妹君なので美しいことには間違いがありません。
はい。ということは王妹に当たる方なのです。現在の国王陛下と母親違いで、ヴァンアスール公爵様とは同じ母親になります。
「母上。おはようございます」
「おはよう。アルフレッド。朝からの浮かれ具合はコルトから聞いていますよ」
浮かれ具合? 私の隣りにいるアルはいつも通りという感じですが、浮かれている?
「これが毎日続くかと思うと鬱陶しいわね」
っ! 鬱陶しい!
こ……これはとても迷惑がられているということではないですか!
「申し訳ございません。ネフリティス侯爵夫人。この度は私達、姉弟がお世話になることになってしまい「まぁ! フェリシアちゃんのことではないのよ」……」
私達のことではないのですか?
「ほら、紫の曜日なんて、馬鹿みたいに浮かれているじゃない?」
……あの? 私が知っているように言われましても、わからないのですが。
「あれが、毎日続くかと思うとねぇ? 頭から氷水でも掛ければ良いのかと思ってしまいますでしょう?」
私に同意を求められましても……困ってしまいますわ。それにアルが浮かれているという感じがわかりませんわ。表情は殆ど変わりませんから、声のトーンぐらいでしょうか?
「フェリシアちゃんもエルディオンくんもクレアローズちゃんもいつまでも居てくれていいのよ。ほら、皆可愛いもの。旦那様もアルフレッドも仏頂面でしょう? この家には可愛らしさが足りないのよ。それに」
「母上。父上が来られましたよ」
アルの指摘にネフリティス侯爵夫人が後ろを振り向きます。その背後にはアルが四十歳ぐらいになれば、こんな感じになるでしょうかというぐらい、そっくりなネフリティス侯爵が立っていました。
「あら? いつからいましたの? いつも言っていますが、無言で背後に立たないでくださいませ」
侯爵は私が夫人に対して謝っているときに食堂に入ってきたのです。ということは、もちろん夫人の侯爵への愚痴は聞こえていて。
「仏頂面でわるかったな」
と、チクリと夫人に侯爵が言ったのでした。




