第25話 消毒……はっ!何が起こりました?
死の森の入り口に到着しました。鬱蒼と茂った木々が立ち入ることを拒むような圧迫感を感じます。
しかし、その入り口を前にして人の塊が私達の行く手を阻んでいました。
「団長、何かあったのですか?」
近づきながらアルが声を掛けた人物は、赤竜騎士団団長の名を騙った第二王子です。あっ! 本物でしたわね。
そうなのです。重そうな鎧から見えるサーコートは臙脂色であり、同じ色のマントをまとっている集団はどう見ても、赤竜騎士団です。
「アルフレッド。戻ってきたのですか。実は冒険者ギルドからの報告で森の奥地にいるはずの魔物が浅瀬に出てきているとありましてね。騎士団本部経由で緊急で調べるように命令されたのですよ」
確かに死の森は王都の近くにあり、死の森の魔物が外に出てきてしまえば、王都は甚大な被害を受けてしまうでしょう。
「赤竜騎士団団長様。私が代わりにその依頼を受けてもいいわよ。この前の依頼料は全然割に合わなかったから、その分上乗せしてよね」
私は全然割に合わなかった依頼料の上乗せを要求した。一人だけ金色のドラゴンの刺繍がされたマントを纏った鎧に向かって。
「そんな予算は出ませんよ。そもそも、赤竜騎士団に出された命令ですから、いち冒険者が受ける依頼ではありませんよ」
そんなことは、わかっていますわ。しかし、ここは譲るわけにはまいりません。
「赤竜騎士団団長様のポケットマネーから出せばいいじゃない?」
「貴女個人に出すお金はありませんよ」
「ふーん? ここでたむろっているのは、森に入るのを躊躇しているからなんでしょ? 精神防御と攻撃魔術の併用ができなくて、入れないのでしょ? それにアレから守ってあげたのに、お礼の一つ……モゴ」
私の口は金属の手で塞がれてしまいました。
「団長としての尊厳を損なう発言はやめていただきたいですね」
本当のことを言っただけですのに、尊厳も何もないと思います。馬鹿王子は昔から馬鹿王子であることに変わりはありません。
「ジークフリード! シアから離れろ!」
腕を横に引っ張られ、私はアルの腕の中に囲われてしまいました。頭を押さえられ、アルとの距離は皆無です。
これは近いというより密着しています。そして、腰の辺りをギリギリと絞められていっています。骨がミシミシと音がなっているのですが、もう少し力を緩めて欲しいですわ。それから、もう少し適切な距離感を保って欲しいです。
「アルフレッド。彼女には人に言って良いことと悪いことがあると、教えておかねばならない」
そんなことわかっていますが、お母様に剣術の指南をしてもらって、あの体たらくは許すことはできません。しかし、ここで言い合っていても時間は止まってはくれません。
私は頭を第二王子の方に向けようとしましたが、アルに押さえられているため動かせないので、そのまま言います。
「だったら、口止め料払ってよね」
言われたくなければ、追加料金を支払ってくださいということです。
「貴女は私を脅すというのですか?」
「脅していないし、私は事実しか言っていない。ここで言い合っていても何も解決はしない」
本当に時間の無駄ね。ここでどれぐらい、たむろっていたのか知らないけれど、死の森に入る気があるなら、さっさと入っていたでしょう。
「私が代わりに死の森に入るから追加料金を支払って、と言っているだけ。追加料金を支払うっていうなら、黙って問題解決してあげるって言っているのよ」
私は第二王子のポケットマネーで解決できるのなら、安いものだと思いますわ。それに、第三王子がウィオラ・マンドスフリカ商会の魔導式自動車を買えるのであれば、それなりの予算を第二王子の分として充てがわれているはずです。
結局、第二王子は自分のポケットマネーを支払うことを決めたようです。
「貴女の脅しに屈したようで、納得できません」
と、文句を言いつつ馬型の騎獣に乗って、鎧が後ろをついてきています。それも珍しい馬竜です。皮膚は硬い鱗に覆われ、長い口からは二本の牙が出ており、額からは二本の角が出ているという何とも厳つい姿をした、馬型の騎獣なのです。
「しかし、団長。副団長が居ないあのメンバーでは、かなり厳しかったと思われます」
背中に大剣を背負った、体格のいい鎧が第二王子を諌めています。この人物はきっとダンジョンでは大剣なんて邪魔でしかないですよねと、思った騎士の方でしょう。
実はこの鎧が……騎士の方が第二王子に追加料金を支払った方がいいと、私の味方をしてくださったのです。
「それに副団長の機嫌を損ねることは、自分はしたくありません」
あら? これは保存食で返り血事件が堪えているのですか?アルを怒らせたくないということで、私の味方になってくれたようです。
そして、今の状況はといいますと、第二王子と大剣の騎士が、赤竜騎士団が仕事をしたという実績を偽装するために、私達に付いて来ているのです。
大人の世界は汚いですわね。しかし、お金を支払ってくれるのであれば、私は私の仕事をしますよ。
「やはり精神防御をしながらの行動はキツイですね」
馬鹿王子は何を言っているのですか?騎獣に乗っているだけではありませんか。
「団長。もう10分は進んでいますが、未だに一体も魔物と遭遇していないのが気になります」
「そうですね。以前来たときは休む暇もないぐらいでしたからね。アルフレッド。どこまで奥地に行くつもりですか?調査対象は森の浅瀬ですよ」
馬鹿王子。森の浅瀬を調査しても意味ありませんわ。
「シアがこのまま真っ直ぐだと言っているから、まだ先だ」
私は何も話してはいません。実は森に入る前に色々ありまして、私は喋らないことに決めたのです。
「フェリシア嬢、我々が調査すべきは森の浅瀬ですよ。追加料金を支払うのですから、仕事はしてください」
「はぁ? 馬鹿王子。もう少し頭を使えばわかるよね。浅瀬なんて問題じゃないってことぐらい」
私が仕事を放棄しているような言い方に、カチンと頭にきて、言い返してしまいました。
「シア。ジークフリードと話をしたら、キスするって言ったよな」
アルの言葉に思わず両手で口を押さえます。
はい。言われていました。このようになった原因は馬鹿王子が私の口を鎧を纏った手で押さえたことにあります。別に素手ではなく、金属の手です。
そのことがアルは気に入らなかったらしく、アルに頭を押さえながら、金額の交渉をして一通り決まったところで、ほっと一息をついたところで、私の唇にふにっと柔らかいものが触れてきました。
「消毒だ」
……
……
……
はっ! 私。今、アルからキスされていました?
キスされたことに気がついたら、心臓がバクバクしてきました。
「バカップル。人目を気にせずにいちゃつくな」
「ジークフリードがシアに触れたのが悪い」
「素手ではないだろう」
「そんなことは関係ない」
「はぁ、アルフレッド。昔から婚約者自慢をされてきた身としては、正直な感想はウザイしかなかったぞ」
バクバク高鳴ってきた心臓が、別の意味でドキドキしてきました。アルは私の何を第二王子に言いふらしていたのでしょう。
「昨日、たまたま会ったアドラセウスと飲んでいたが、アドラセウスにも威嚇していたらしいじゃないか。そのアドラセウスが言っていたぞ。ガラクシアースの本家に手を出すほど愚かではないと」
グラナード辺境伯爵。それはどういう意味なのでしょうか?
というか、アルと第二王子とグラナード辺境伯爵は同じ学年であっただけに、仲良しなのですね。
「私も同じだ。お茶の一杯ぐらい出せと言ったら、真っ黒い泡がボコボコと沸き立つ、お茶を笑顔で出してくる、そこの伯爵令嬢なんて御免だ」
「はぁ? お母様が居なくて、屋敷の中に侵入してお茶を出せと言い寄って、お父様から『お菓子はないけれどお茶ぐらい出してあげなさい』と言われて出したにも関わらず、『毒入りだ』と飲みもせずに逃げ帰ったのは何処の誰よ!」
「アレはどう見ても毒茶だ」
「ガラクシアースでは普通に飲まれているお茶よ」
そこ! お茶が沸き立ちながら出される時点でおかしいとか、黒い時点で何が入れられているかわからないとか、魔女の秘薬だとか言わない!
「グラナード辺境伯爵様にも聞いてみなさいよ。普通に飲んでいるって答えるはずよ」
「……アドラセウスが? いや……まさか」
グラナード辺境伯爵の名前を出すと第二王子は考え込んでしまいました。本当に仲がよろしいのですわね。
「なぜ、俺を除け者にして二人して楽しそうに話しているんだ?」
上から低い声が降ってきました。楽しくは話していませんよ。
私がアルに違うということを言おうと、顔を上げると、ふにっと唇に何かが触れました。
「このまま口を塞いでしまおうか?」
その言葉に両手で口を押さえ、思いっきり地面を蹴ってアルから距離を取りました。
うっ……きゃぁぁぁぁぁ!
キスされちゃいましたよね! 二回もされちゃいましたよね! 心臓が口から飛び出てきそうです!
「バカップル。いちゃついていないで、そろそろ行きましょうか。赤竜騎士団からは私とガリウスが死の森に入りましょう。それからお茶の件は後で、アドラセウスに真偽を確かめておきますよ」
あ……お仕事はきちんとしなければなりません。深呼吸をして心臓の高鳴りを抑えます。
私が返事をしようとすれば、距離を詰めてきたアルが言ってきたのです。
「今度、ジークフリードと話したらキスして口を塞ぐからな」
その言葉に私は貝のように口を噤んだのでした。
こうして、私は口を開かないと心に決めて、森の中を進んでいたのです。しかし、仕事をしていないと言われてしまって、頭にきてしまったのが駄目でした。
「文句を言っただけで、お話はしていませんわ」
私は両手で口を塞いだまま答えます。唇の感触を思い出してしまって、顔が熱いですわ。
「でも、シアはジークフリードにはタメ口で話すよな」
タメ口で話すのは、今は冒険者アリシアの姿だからですわ。フェリシアの姿であれば……いいえ、結局馬鹿王子にムカついて文句を言ってそうです。
徐々に詰め寄ってくるアルから距離を取るように進むペースを上げます。
「アル様。馬鹿王子には払う敬意が無いからですわ」
「フェリシア嬢! いきなり走りださないでください」
「私に話し掛けないでください。馬鹿王子! それから私は冒険者アリシアです」
誰の所為でこのようになっていると思っているのですか!
「俺ならシアが淹れてくれたのなら、あの禍々しいお茶でも飲めるからな! だからジークフリードそれ以上シアに近づくな!」
アル。それは私が毒茶でも淹れるような言い方ではないですか。あのお茶は黒百合茶だと言ったではないですか。
「アルフレッド。公私混同するな! 今は死の森の調査だと言ったはずだ。追加料金を払うと言ったのだから、その分の仕事はしてもらわないと駄目だ」
「仕事はしているじゃない! もうすぐ奥地から逃げてくる魔物と遭遇するから、武器ぐらい抜いておきなさいよね」
先程から血の匂いが段々と濃くなり、唸り声や悲鳴のような鳴き声が大きくなり、地面を伝う振動も大きくなってきています。傷ついた魔物が奥地から浅瀬に向かって逃げ惑って来たのでしょう。
そうです。これが、奥地に居るはずの魔物が浅瀬にいた経緯です。この奥には奥地にいる魔物が逃げ惑う程の強敵がいるということなのです。
「以前言いましたが、精神防御をしていたら戦えませんよ」
「っ……馬鹿王子! だったら何故ついて来たの! 役立たず!」
ポケットマネーだけ出して、死の森の外で待っておけば良かったのです。
「アル様。こんな馬鹿王子のどこに敬意を払う必要があるというのです! タメ口で十分ですわ」
「……ああ」
私の憤りをアルは前を見据えて、腰に履いていた剣を抜いて聞いてたのでした。
次回7月31日月曜日です




