第24話 エルディオンの行方
「お姉様。先に戻っておりますわ」
年季の入った馬車の窓から顔を出したクレアが私に手を振っています。
「気をつけて帰るのよ。今日中にはエルディオンを引っ張って連れて帰るわ。爺や、よろしくお願いね」
「はい。フェリシアお嬢様」
腰が曲がった白髪の老人が御者台に腰を下ろし、騎獣にムチを振るった。そして、ギシギシと音を立てながら、馬車が動き出します。
妹のクレアは先にガラクシアースの屋敷に戻らせました。今日中にエルディオンを見つけられるといいのですが、当てが外れると王都の周辺から捜索範囲を広げて探さなければなりません。
去りゆく馬車を見送った私は隣を仰ぎ見ます。
「本当に付いてくるのですか?」
臙脂色の隊服を身にまとったアルがいます。
「勿論だ。それに休暇中はシアと過ごすと決めていたからな」
これは一緒に過ごすというより、迷子捜索なので、何か違うと思います。
「シア。コルトが用意した外套はどうしたのだ?」
私は今、黒髪黒目の冒険者アリシアの姿をしています。ということはトレードマークと言っていい黒い外套を身にまとっているのですが、今まで使っていた腰までの長さの外套なのです。
「えーっと……勿体なく過ぎて」
あんな高級な外套を普段使いにするなんて、できないですわ。
「シア。出して」
アルに言われて渋々、羽のように軽い黒い外套を亜空間収納から取り出します。するとアルに外套を取られ、今着ている外套の三つの金具が外されたかと思うと、素早く取り替えられ、私は膝丈まである黒い外套を身につけていました。
「これは俺が預かっておくから」
そう言ってアルは私が着ていた外套をアルの亜空間収納に仕舞われてしまいました。あの……後で返してくださいね。
そして、フードを深く被らされました。
「シア。絶対に取るなよ」
「はい」
いつもフードは被ったままですので、取ることはありませんわ。
「それで、どこに向かうのだ?」
王都の周辺といいましても、広いですからね。しかし、エルディオンが行きそうなところは決まってきます。
「一番可能性があるのが、北にある死の森です」
「何故、そんなところに?」
何故、『死の森』にエルディオンがいるのか、疑問を持ちますよね。これはエルディオンが別邸を出ていった理由に由来します。
「先程、執事から渡された報告書を読んで、一番可能性があると思ったからです」
報告書というのは、私があまりにもエルディオンのことを心配しているので、その日に何があったかの記録をとってくれていたのです。流石にそこまでしてくださっているとは思っていなかったのです。お手数をかけてしまって申し訳ないと思いましたが、それにより何があったかがわかりました。
どうやら、一週間程前に侍従コルトがエルディオンの為に魔導具を用意してくれたようなのです。これは気晴らしになるような魔導具だったそうで、エルディオンはその魔導具を気に入っていたと報告書にはありました。
問題はその前でした。使用人二人によって運ばれたそうです。その一人がまだ教育がなっていない使用人で、エルディオンと話をしていたとありました。
エルディオンの中では貴族と使用人という垣根が低く、普通に使用人と話をします。それは王都にいる使用人がばあやと爺やしか居ないため、家族のような感覚になっているということに由来するのです。使用人と普通に話をするエルディオンに非があると言っていいのですが、話しかけたのが使用人からだったというのが問題だったと報告書にありました。
その報告書には
『エルディオン様はスペルビア学園に通われているのですね』
という使用人の問いかけから始まっていました。その場でお目付け役の教育者の使用人が話しかけるのを止めるようにと言ったそうですが、エルディオンがそれを否定したようです。
『お話をしているだけだから、怒ることはないよ。ただ無言でラウムさんのところに向かっていても、楽しくないよね』
エルディオンがラウムと呼んでいる人物はこの別邸を取り仕切る執事の名前です。
こう言ってエルディオンから話すことに許可を出されてしまえば、使用人としては“是”と言うしかありません。
そして、エルディオンが学園のことを話したそうです。
『そうだね。僕は剣術の授業は免除されているのだけど『貧乏で剣が買えないのなら買ってあげよう』って剣を持参していない僕の心配してくれたりとか『怪我するのが怖いんだね』って僕のことを心配してくれたり、みんな優しい言葉をかけてくれるんだ』
『え? 優しい?』
使用人もエルディオンの話がおかしいことに気がついたそうです。
『エルディオン様! それは馬鹿にされています!』
『そうなのかなぁ? でも、僕が剣を持っていないことも、剣術の授業が免除されているのも本当のことだからね』
剣術の授業が免除されているのは本当のことです。これは我々がガラクシアースのため、普通の貴族の子息では相手にならないという理由からです。因みに剣術の授業で怪我をしたという件は授業が免除されているエルディオンに対する嫌がらせだったのです。貴族の子息たちの悪意というものに沸々と怒りを覚えます。
『それで、前ネフリティス侯爵様のお屋敷に避難されているのですね!』
『ん? 避難?』
『だって、ここで何日もお世話になっているのですよね!』
『そうだね』
『ここで働いているわけでもなく、前ネフリティス侯爵様のご厚意で滞在されているのですよね』
『……』
『これはファスシオン様と一緒に剣術を習って見返すべきです!』
このような会話が行われたと報告書にはありました。事細かに記載されていましたので、これを書いたと思われるお目付け役の使用人は仕事が出来る人なのでしょう。
この会話で問題なのは、使用人がファスシオン様と一緒に剣術を習うように言ったことではなく……これは一般的に問題になる言葉ですが、エルディオンにとって、何かを行動に移す言葉ではありません。
エルディオンの心を揺さぶった言葉は、ここで何日も世話になっているという言葉です。
本当であれば、この問題が起こった日に私がエルディオンを迎えに行く予定でした。しかし、アルの遠出しようという言葉に頷いてしまったばかりに、この一週間の間、エルディオンの中では、ここでタダ飯食らいをしていて良いのかという疑問が沸き起こったのだと思います。
そして、エルディオンの中で導き出された答えは、食料を調達してこようになったと私は推測しました。
この理由は我々ガラクシアースは狩猟一族というものが挙げられます。王都で暮らす私達の食事はパン以外は全て私が調達してきたものなのです。それは依頼の報酬であったり、依頼の途中で狩ってきたりと食費を抑えるためでもありますが、金銭で購入することはめったにありません。
「死の森は何度かお母様に連れられて、行った場所になりますので、エルディオンが行きやすいというのもあります。アル様も知っていると思いますが食べ物が豊富にあるのです」
「いや、初耳だ」
え? お母様から出された最終訓練は『死の森』だったはずです。でしたら、あの森で生き抜くために、食料の調達は必須ではないですか。
「食べ物はどうされたのですか?」
「保存食でまかなった。あの森になっている木の実を食べようだなんて、死ぬ直前でも思わなかったと思うぞ」
なんて勿体ない。死の森の食べ物はとてもおいしですのに、それを食べないなんてありえませんわ。
「アル様。死の森の由来は“食べ物が美味しすぎて、この森で一生暮らし、ここで死を迎えたい”ということだと聞きましたが?」
「誰だ?そんなことをシアに教えたのは」
「お母様です」
「……それは違うからな。いや、あのガラクシアース伯爵夫人なら、そう思っていても頷ける」
違うのですか? お母様が私とエルディオンを死の森に訓練だと言って、精神防御の修行をしていたときに言っていましたわよ。
『ここの森の食べ物はダンジョン産並みに美味しいのですよ。老後はここで暮らして死を迎えたいわね。あら? もしかして、これが死の森の由来かしら?』
違っていました。お母様の願望が刷り込まれているだけでしたわ。
「全ての感覚を狂わせられるから、森から出られずに、死ぬという意味で死の森だ」
「そうでしたのね」
精神防御をすれば大したことはありませんのに、大げさな名前がつけられたのですね。私としてはお母様の言い分の方が頷けます。
「それで、馬車で向かえばいいのか?」
「いいえ、このまま向かいます。直線的に行けば近いですから」
「直線的に、ということは王都の中を突っ切るのか?」
「はい。ここからですと、王都の街の中を通ることになりますので、屋根の上を通れば、直線的に行けますわ。ですから、アル様は先に戻られてはいかがですか?」
時間の短縮の意味もありますが、エルディオンが明け方前から行動していたとすれば、既に問題が起こっている可能性の方が高いのです。
それに、この行き方ですとアルもついて来るとは言わないでしょう。
「わかった。では行こうか」
「え? ついて来るつもりなのですか?」
「俺は休暇の間は、シアと一緒に過ごすと決めたと言っただろう」
はい。言われました。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
空気のように存在感を消していた侍従コルトが頭を下げながら見送ってくれます。
時間もあまりないことですし、行きましょうか。
「コルト。後は頼む」
「かしこまりました」
その言葉を聞いた私は右足に力を込めて、地面を蹴り上げました。
郊外は農地や牧場が広がり、その間を川が流れ、ポツポツと屋敷が建っているという風景が広がっています。地方に戻りたくないけど騒がしい王都の中は好まないという方々は、郊外に居を構えています。王都に住まうことで流行りに遅れないという貴族のプライドも垣間みえますが、王都で他の貴族の方々との交流が大事だというのも理解しております。
長閑な風景が猛スピードで後方に流れていく中、アルは私に付いてきています。流石精鋭の赤竜騎士団に所属していると言えばいいのでしょうが、あの馬鹿王子が団長だという点が解せないですわね。あのカス程度で団長になれるのであれば、魔猿でも団長になれるのではないのかと思ってしまいます。
王都は城郭都市となっていますので、区分されている地区ごとに高い石壁で区切られています。その一つが目の前に見えてきました。
人の通行を制限する高い壁です。普通であれば、壁門を通らなければなりませんが、今はそのまま駆け抜けます。
これが私が馬車を使わないと言った理由です。区画ごとに決まった門でしか出入りできないので、遠回りになってしまうのです。
目の前にそびえ立つ壁が押し迫ってきたところで、地面を蹴ります。勿論地面を蹴り上げたところで飛び越えられるわけではありませんので、壁の高さの中間地点で石の壁に足を掛け、そのまま駆け上がります。
これは私が空を飛ぶときと同じで、無重力の魔術を使って壁を駆け上がるのです。
そして、一番上までたどり着きましたら、更に石の壁を蹴って王都の街の中に侵入します。はい、侵入です。普通はしてはいけません。壁の上にも見張りがいますので、気配を消して認識阻害をかけておけば、見張り程度であれば、ごまかせます。ただ、力を持っている人にはバレバレですけどね。
王都の中に侵入して建物の屋根の上を駆けていますが、本当にアルが普通についてきています。あとで、問題になったりしないといいのですが……あの隊服だと赤竜騎士団の者ということがバレバレですわね。
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「おい! あれを見ろよ!」
「何やっているんだ?」
冒険者たちが屋根の上を指して何かを見つけたようだ。
「脱走したんじゃないのか?」
「ああ、捕まっていたという話だったな。ここ最近見かけないと思っていたら……」
「耐えきれなくて脱獄したのか。流石『強欲のアリシア』だな」
「赤竜騎士団の副団長も大変だな。管轄が違うのに、面倒を押し付けられているんだろう?」
「しかし、『黒衣のアリシア』は逃げ切るつもりだろうが、無理だろうな」
「相手は鬼人だからな。途中で捕まるのが落ちだな」
一部の者達に目撃された黒衣のアリシアの逃走劇が、王都中に広まるのも時間の問題だろう。
なぜなら、鬼人の二つ名を持つ赤竜騎士団副団長に追いかけられているのだ。そのような逃走劇が起こるほど、何をしでかしたのかと噂になるだろう。
しかし、これでアルフレッドの名誉は守られたと言っても良かった。




