第23話 フェリシアの噂
私達は帰路に二日をかけて王都に戻ってきました。
何事もなく無事に戻ってきたと、言いたいところですが、一つ不思議なことがありました。ガラクシアース領から戻ってきたときから翌朝邸宅を出るまで、ネフリティス侯爵領の本邸の使用人の方々から、よくわからない視線を向けられたのです。なんと言いますか、羨望の眼差しといいますか、キラキラした視線といいますか、そのような視線を向けられたのです。
私の側では侍女エリスが良い仕事をしたと言わんばかりに、いい笑顔で立っており、メガネをグイッと上げていたのです。
予想ではなく、これは絶対に侍女エリスが何かしたに違いありません。
このような不可解なことはありましたが、順調にお昼すぎに王都に着くことができました。
あまり、迷惑を掛けることはできませんので、弟のエルディオンを早々に引き取って、帰りましょう。
「侍従コルト。このまま前ネフリティス侯爵様のお屋敷に向かってくれるかしら?」
「はい、そのように手配しております」
流石、侍従コルトですわ。恐らく別邸の方にも今日着くということを連絡してくれているのでしょう。それなら、話が早くてすみますわ。
「シア。折角王都に戻って来たのだから、そこまで急ぐことないだろう?夕方まで俺はシアと何処かデートに行きたい」
アルはそう言って私を抱き寄せてきました。しかし、もう一週間以上もお世話になっているのです。いくらなんでも迷惑を掛けすぎていますわ。
「アル様。それはまた来週の白の曜日にいたしましょう。あ……でもいつも通り、ネフリティス侯爵邸での二人っきりのお茶会がいいですわ」
この旅行の間の衣服は、用意してもらった物を身につけていましたので、外出しても気にすることはありませんでしたが、王都は多くの貴族の目がありますから、みすぼらしいドレスを着ての外出は控えたいですわ。
すると、アルはフッと目元を緩めました。
「そうしようか」
「はい。それにエルディオンにもクレアにもお土産を沢山買ってもらいましたので、二人に早く渡したいですわ」
二人共喜んでもらえると嬉しいです。
そのようなことを話していますと、別邸である前ネフリティス侯爵様のお住まいに到着しました。
いつ見ても大きなお屋敷ですわね。その玄関の脇にある馬車留めに、年季が入った見慣れた馬車が見られます。
あら? あの馬車はガラクシアース家の馬車ですわ。もしかして、今日戻ると連絡が入ったので、爺やがわざわざ迎えに来てくれたのかしら?
玄関の正面に魔導式自動車が止まり、外から扉が開かれました。先に、侍従コルトと侍女エリスが降り、次いでアルが外に降り立ちました。
私はアルから差し出された手を取り、魔導式自動車を降ります。すると、突然目の前の玄関扉が開け放たれました。
「お姉様!」
白髪の見慣れた整った容姿の少女が飛び出てきました。すると、侍従コルトが侍女エリスの腕を引いて瞬時に道を開け、アルは私からそっと距離を取ります。
飛び出てきた白髪の少女は焦ったように勢いよく私に抱きついてきました。
「クレア。どうしたのかしら? ここに貴女がいるということは、エルディオンに何かあったのかしら?」
私が、ここに妹のクレアがいる事情を聞き出します。聞き出している間、抱きついているクレアの力は徐々に強まり、ミシミシと体が絞まっていっています。
はい、侍従コルトとアルが距離を取ったのは、冷静を欠いたクレアからの攻撃の余波を避けるためです。
「お兄様が……馬鹿お兄様が……」
クレア。馬鹿が付くほどのことをエルディオンはしたのですか?それから、このワンピースは貰い物なので破かないでくださいね。
「朝から行方不明ですの!」
「はぁ、エルディオンが勝手に何処かに行ったということですわね」
あれだけ勝手な行動はしてはいけないと念押しをしましたのに、変な気を起こしてしまったのですね。
「義姉上、すみません。なるべくエルディオンと共にいたのですが、まさか今朝というより夜中から既にいなかったようなのです」
いつの間にか私の目の前に金髪の頭を下げた人物がいました。
「ファスシオン様。どうか頭を上げてください。これはエルディオンが悪いのでしょう……クレア、布地がギシギシ言っているからそろそろ放してくれないかしら?」
折角の綺麗なワンピースが端切れになるのは勿体ないですからね。クレアを見ると所々汚れているので、朝から昼までエルディオンの行方を探していたのでしょう。しかし、見つからなかったということは、王都の中にはいない可能性の方が高いですわね。
頭を上げて欲しいといいましたのに、未だに頭を下げているファスシオン様に声を掛けます。
「ファスシオン様。迷惑をかけているのは私どもの方なのですから、頭を上げてくださいませ。エルディオンは私が探し出しますので、気にしないでください」
すると、とても申し訳無さそうな顔をしたファスシオン様が頭を上げてくださいました。
「いや、こちらとしても弟君を預かった身だ。王都中を探してみたが見つからず、言い訳のしようがない」
ファスシオン様の隣に前ネフリティス侯爵様も屋敷から出てくださっていました。恐らく前ネフリティス侯爵様の情報網でもエルディオンの足取りがつかめなかったのでしょう。
「前ネフリティス侯爵様にはお世話になってばかりで、こちらこそ頭を下げなければなりません」
前ネフリティス侯爵様が我々ガラクシアースに支援をしてくださっている理由を、今回知ることができました。しかし、前ネフリティス侯爵様の支援がなければ、我々がガラクシアースとして存在できなかったでしょう。
「クレアが見つけられない時点で、王都にはエルディオンはいないのでしょう。あとは私が連れ戻します。どこか着替える場所を貸していただけると助かるのですが」
今の格好はフェリシア・ガラクシアースとわかってしまう姿ですので、できれば冒険者アリシアの姿になりたいですわ。
「それならば、こちらに来なさい。一部屋を用意させよう」
前ネフリティス侯爵様は背を向けて、お屋敷の中に入っていきました。
「義姉上。本当にすみませんでした」
何度も謝ってくるファスシオン様に私はニコリと笑みを浮かべます。
「謝る必要はありませんわ。これからもエルディオンと仲良くしていただけるだけで、私は嬉しいです」
あのエルディオンと仲良くしてくれるだけでも稀有なのです。ほわほわとして、空でも飛んでいるのかというほど、危機感のないエルディオンに愛想をつかさないだけでも、ありがたいのです。
そんなエルディオンの友としていてくれるファスシオン様はエルディオンにとって、大切な存在でしょう。
私は友達という仲がいい人はいませんので、エルディオンが羨ましいぐらいです。
「でも、一つ聞いていいかしら?」
「なんでしょうか?」
「エルディオンが出ていく前に、エルディオンに何かを吹き込んだ人は、いなかったかしら?」
前ネフリティス侯爵様もファスシオン様もガラクシアースのお人好しが招く問題を知っている方々です。エルディオンに言ってはいけない言葉ぐらい知っているはずです。
例えば、学園をサボっていつまで他の家の世話になっているのかとかですね。
このように言われてしまえば、エルディオンはいらないことを考えて、何か役に立つことをしようという斜め上の考えに行き着くはずです。
「確か一週間程前に何かを考え込んでいましたので、どうかしたのかと聞いたことがあったのですが、何もないと言われてしまったことがあります」
あのエルディオンが考え込むなんて異常事態ですわね。
「その日に何があったか知っている人はいないかしら?」
「執事なら知っているかもしれませんので、聞いてきます」
ファスシオン様は踵を返して、お屋敷の中に駆け込んでいきました。貴族であれば、走るという行動は、はしたないと咎められるのですが、今は誰もそのことに注意することはありませんでした。
「シア。中に入ろうか。それから、エルディオンの捜索には俺も付き合うからな」
アルが私の背を押して、屋敷の中に入るように促してきました。しかし、アルまで付き合わなくていいのですよ。
私はアルに背中を押されながら、屋敷の中に入っていきます。腕にクレアをくっつけながら。
「お姉様。クレアは役立たずです」
私にくっついているクレアがぽそりと、呟きました。
「ガラクシアースを馬鹿にしている奴らを締め上げていけば、お兄様は苦労しなくてすむと思っていましたのに……肝心なお兄様が行方不明だなんて、馬鹿お兄様はどこに行ってしまったのでしょう」
そんなことを考えていたのですか。最近、何かとお茶会に意欲的に参加していると思っていましたら、貴族の令嬢に喧嘩を売っていたのですか。クレアのやり方はあまりいい方法ではないと、言っておかねばなりませんね。
「クレア。お茶会は楽しかったですか?」
「楽しいというより、どうやって相手よりマウントを取るか考えるのが楽しいですわ」
楽しいの意味合いが違うことになっていますわね。
「お茶会は相手の令嬢たちと良い人間関係を築くために開かれるのですよ」
「それって建前だけってお姉様は気づかれていますよね」
気づいていますが、表面上は穏やかなお茶会を演出するのです。お互い同士で腹の中の探り合いをしていたとしても、笑顔でお茶を飲むのです。
何かの要因で悲鳴をあげようものなら、その主催者にケチを付けたといって、そのお茶会には次から呼ばれないでしょう。例え、紅茶の中に虫が浮いていてもです。庭園でのお茶会であれば、地面にすっと捨てればいいのですが、室内であれば亜空間収納の中に落とし入れるように、事前に用意していた容器にさっと移し替えるのです。
それだけで、お茶会は平和に終るのです。
「クレア。恐らく今は下位の貴族令嬢に手を出しているから、黙認されているだけで、高位貴族となれば許されませんよ」
クレアからの手紙には新興貴族の男爵令嬢とありましたので、主催者である高位貴族の令嬢も、その男爵令嬢に良いようには思っていなかったのでしょう。だから手を出しているクレアは黙認されていた。
ですが、誤って高位貴族に手を出してしまった日には、クレアが叩かれることになるでしょう。
「でも、みんな弱い子ばかり。あんな弱い子たちに、何故私達が言いたい放題されなければならないのですか!」
ガラクシアースは強さが求められます。ですから、幼い頃より強くなるための訓練が行われるのです。一種の洗脳教育と言ってもいいかもしれませんが、我々の力は国の為に奮われるものなのです。
「元々はお姉様も悪いのではないのですか! 時代遅れのドレスを平気で着るガラクシアース伯爵令嬢とか、顔でネフリティス侯爵家との縁談を取ってきたとか、虫入の紅茶を平気な顔で飲むゲテモノ令嬢とか、そんなことを言われて平気な顔をしているから、ガラクシアース家がナメられているのです」
まぁ、大体あっていますが、虫入の紅茶は中身は捨てて、飲んだふりをしていただけですわ。そのあと大抵カルディア公爵令嬢が突っかかってきましたけどね。婚約者を得たかったのであれば、一番初めの縁談に頷いておけばよかったのです。
「ほぅ。シアにそんな物を飲ませたヤツがいるのか、どこの誰だ?」
隣からとても低い声が聞こえてきました。その声にクレアは顔色を青くして、首を横に振ります。
「あ……アルフレッドお義兄様。私は噂を聞いただけですので、どこの誰かというのは知りません」
クレアに私の噂を吹き込んだ方がいらっしゃったようですわね。だから、クレアは手を出してしまったのかもしれません。これは、私が悪いのでしょうが、公爵令嬢とことを構えることは、避けるべきことでした。
「シア。誰だ?」
隣で怒っているアルにニコリと笑みを浮かべ、首を傾げます。
「アル様。私は虫入りの紅茶は飲んではいませんわ」
虫入の紅茶は出されましたが、飲んではいません。
「だったら言い方を変えよう。シアを陥れようとしたヤツは誰だ?」
あら? これはどうしましょう?
ここでカルディア公爵令嬢の名前を出しますと、ギルフォード様の一年後に控えたご結婚に水を差すことになってはいけません。どう答えればよいのでしょうか?
「アル様。ネフリティス侯爵家との縁談は皆様にとって魅惑的だったのでしょう。しかし事を荒立てると、アル様の婚約者として相応しくないと指を差されてしまいますから、アル様の婚約者としての立場を守るためには、笑顔で居続けることも必要だと思ったのです」
「シア……俺の為に?」
「はい」
誰かということを上手く濁せたようです。
「お姉様。ガラクシアースの為に耐えていたのですか。浅はかな考えを持っていた私が、恥ずかしいです」
あら? クレア。別に耐えるほどのことではありませんでしたわよ。にこにこと笑みを浮かべていれば、呆れて次の話題に移ったものです。相手が望む反応を返してしまった方が負けなのですよ。
「シア。シアの優しさに漬け込んだ奴らは絶対にあぶり出してやるからな」
アル。納得してくれたのではなかったのですか!