第19話 花の街でのデート
ネフリティス侯爵家で用意された新緑の色のワンピースを身にまとい、玄関ホールに行きますと、ブルーグレーのスーツを来たアルが待っていました。遠目から見ても相変らずキラキラ王子です。
「お待たせしました」
そう言ってアルの側に行くと、アルからつばの広い真っ白な帽子を被せられました。
「待ってはいない。今日は日差しが強いから、きちんと被っているように」
確かに、今日は良い天気ですわね。雲ひとつ無い青空です。
「ありがとうございます。今日はどこに行くのですか?」
昨日、アルから出かけるとは聞いていましたが、どこにとは聞いてはいませんでした。
それから、今日はお見送りの使用人の中に、あの執事の方がいらっしゃいません。もしかして、あの後で体調を崩されたのでしょうか?
「ああ、今日は街の中を見て回ろうかと思ってな、偶には外のデートもいいだろう?」
いつもは室内か庭でのお茶会ばかりでしたから、アルも飽きていたということでしょうか? それは申し訳なかったですわ。
「はい」
「それに、ここの者たちは教育が未熟だ。シアとのひとときに水を差されるのは嫌だからな」
教育が未熟ですか? しかし、領地の本家を任された方々なのですよね。
「私めの孫のサイファが至らぬばかりに、申し訳ございません」
アルの後ろで侍従コルトが頭を下げています。そこは侍従コルトは関係ないと思いますわ。
「いや、領地を回すことは完璧だったから、父もある程度のことは目を瞑っていたのだろう。ネフリティス侯爵家の縁者という者に惑わされたのだ。本来仕えるべきものを間違えていることに気づけなかった、愚か者だったということだ」
元々は優秀な方だったようです。このネフリティス侯爵領を任せられ、実際に管理できていたのでしょう。
「悪意のない悪意ほど恐ろしいものはない。本人は正論を言っていると思っているし、周りもそうだと勘違いさせる力を持っている。それに気づけ無い愚か者たちに信頼はおけない。さて、行こうか」
アルは私の腰を抱いて、外に行くように促します。玄関を出ると、今日は魔導式自動車ではなく、馬車で移動するのか、扉が開けられ待機していました。
そうですわね。魔導式自動車はまだ一般的ではありませんものね。
馬車に乗り込み、いつもと同じく私の隣にアルが腰を下ろし、向かい側に侍従コルトが席につきます。あら? 侍女エリスが居ませんわ。
先程まで私の後ろに控えていましたのに。すると、私の疑問を感じ取ったコルトが説明してくれました。
「エリスは仕事がありますので、残ってもらっています」
ああ、そうですか。私が居ない間にやるべきことがあるのですね。侍女という存在が身の回りに居ない私にはわかりませんが、使用人とは色々やるべきことがあるのでしょう。
そのようなことを考えていますと、ゆっくりと馬車が動き出しました。ガタンという振動の後に、ガタガタという振動が響いてきます。やはりあの魔導式自動車というものは素晴らしい乗り物だったのですね。
「シアは何処かに行きたいところはあるか?」
アルに聞かれましたが、特に欲しいものはありませんし、何があるかも私にはわかりません。ですから、私は首を横に振ります。
「と言っても、俺もあまり領地に戻って居ないから、幼い頃の記憶しかない」
「それでは、領都を馬車で巡って、気になるところがありましたら、私めに言ってください」
「ああ、それでいい」
コルトが馬車で領都を巡ることを提案してくれました。私は反対する理由がありませんので、構いませんわ。
一言でいうとネフリティス領都は不思議なところでした。何かと花屋が多く目につくのです。街の至るところに鮮やかな花々が視界に入り、街の風景を彩っています。そして、多くの冒険者の姿を見かけます。
ガラクシアース伯爵領はそもそもよそ者を排除する傾向にありますので、各地で依頼を受ける冒険者の姿を全く見かけません。それと比べるからかもしれませんが、多くの冒険者の姿を……それも王都で見かける者もいました。
ということは、冒険者が利用する無骨な店も存在しています。武具を扱う店や魔道具を扱う店があるのです。
あと、一番不思議なものがところどころに存在しています。丸い球状の水の玉のような物が宙に浮いているのです。
「フェリシア様。何か気になるものはありましたか?」
私が窓の外を凝視しているので、侍従コルトが気を使ってくれたのでしょう。
「あの、丸い物はなんですの?」
「丸い物でございますか?」
侍従コルトは首を捻っています。え? 当たり前過ぎて、疑問にも思わないということなのですか?
「シア? どれのことだ?」
私が見ている窓を同じ様に見ているアルが聞いてきました。ですから、私は指を差して丸い物を示します。
「人の背の高さ程の位置にある水球? でしょうか? 屋根の上の方にもありますし、至るところにあちらこちらに……」
え? わからないのですか?
「もしかしたら、ガラクシアースの方々しか見えないものではないのでしょうか? 以前、先代のガラクシアース伯爵様が『これがあるからネフリティス侯爵領は豊かなんだねぇ』と何も無いところで話していましたので、そういうものがあるのかもしれないですね」
あ……誰も見えていないという話だったのですね。お祖父様は人には見えない物を見て、何かを感じたということなのでしょう。侍従コルトの話を聞きますと、納得できました。ありえることでしょうと。
「では、花屋が多いのは何故ですか?」
私は色とりどりの花が売っているお店の一つを指して尋ねます。本当に数が多いのです。一区画に一つはお店がありそうです。
「それは花屋ではなく薬のお店だ」
「薬のお店なのですか?」
全くそのように見えません。そう言えば、冒険者が沢山いるにも関わらず、薬を扱うお店を見かけないと思っていましたら、花屋ではなく薬屋だったのですか。
「では冒険者が多いのは何故ですか?」
「それは領都の近くに珍しいダンジョンがあるからな。必然的に冒険者の出入りが多くなる。その分治安も悪くなるから、シアは一人で出歩いたら駄目だからな」
……アル。私もその冒険者の一人なのですが。出歩く理由がなければ、街の中をウロウロすることはありませんよ。
しかし、花屋の薬屋が気になります。私には薬は必要ありませんが、薬屋に花が飾っている意味がわかりません。
「しかし、代わり映えしない街並みだな」
アルが私が見ている馬車の窓からの風景を見て、ため息混じりで言葉をこぼします。しかし、アルのため息が頬にかかるほど近いのですが……少し近すぎませんか?
「何事も無くて良いではありませんか。四十年前はこの様に、人々が穏やかに暮らすことはできませんでしたから」
その時代を生きた人の言葉には、重みがあります。四十年前というと、ガラクシアース伯爵であるお祖父様が、ネフリティス侯爵領に助けに行ったときのことですね。ああ、そう言えば侍従コルトであれば知っているでしょうか?
「侍従コルト。知っていれば教えて欲しいのですが……」
「どのようなことでございましょうか? フェリシア様」
「暗黒竜の残滓とは、どのようなものなのでしょうか?」
お祖母様の言葉の中で、私の知らない言葉が出てきました。これが四十年前に人々を苦しめた存在だと、私は推測します。
「暗黒竜の残滓でございますか……四十年前はこの地に顕れたのは大地を凍らす獣でございました。二十年前はグラナード辺境伯領に顕れましたのは毒を吐くドラゴンでございました」
あれ? 姿が同じではないのですか? 私はてっきり『暗黒竜の残滓』と名付けられた存在がいると思っていたのです。ですが侍従コルトの話ですと、別々の存在のように思えます。
「なんだ? そんな話は今まで聞いたことがない」
「それは恐らく記憶に残らないからでございましょう」
もしかして、この話はあの存在と関わりがあるので、記憶が消されているということですか? それは危険なことだと思います。記憶がないとなれば、対処のしようが……二十年前ということはギュスターヴ前統括騎士団長閣下が全盛期のとき。ということは、暗黒竜の残滓というモノはあの存在自身が対応していた?
「その毒を吐くドラゴンはギュスターヴ前統括騎士団長閣下が討伐されたのでしょうか?」
「はい、その通りでございます」
やはり、あの存在が直接暗黒竜の残滓と対峙するため、他の者に記憶がなくても問題がないということだったのですね。でしたら、四十年前は誰だったのでしょう?
「では、四十年前は侍従コルトが見たという神王の儀式に出ていた人物が、大地を凍らす獣を討伐したのですか?」
すると侍従コルトは首を横に振りました。あれ? 違うのですか?
「あの御方は北の辺境の地に顕れた四ツ首のドラゴンの討伐に当たっていました」
「コルト。それは暗黒竜の残滓というものは複数存在するということなのか?」
アルが侍従コルトを問い詰めるように質問する。しかし、侍従コルトは困ったような表情をしています。どうしたのでしょうか?
「我々がその時に得られる情報はほんの僅かであります。各地で魔物の活動が活発化すれば、その対応に当たらなければなりません。言うなれば、領地の対応に追われ、他の領地のことに構っていられないのです」
この話は何度も耳にしました。護るべき領地よりも隣の領地であるネフリティス侯爵領を優先させたお祖父様の話です。ガラクシアースの多くの一族を引き連れて、助けに向かったガラクシアース伯爵の話。
しかし、結論としてはお祖父様の判断は間違っていませんでした。ネフリティス侯爵領にある世界樹を護ることができたのです。
ただ、この話のときに語られるのが、このときは何処の領地も魔物の対応に追われ、他の領地のことなど構っていられなかったというくだりがあります。
しかし、大地を凍らす獣ですか。それは植物である世界樹も多大なる影響を受けたでしょうね。
「その後で神王となった方がどのようなモノを討伐したかだけ、語られるのです。我々が知ることが許されたのは、それだけです」
知ることを許されたですか。そこの真意に何があるのでしょう?
「そうですか。よくわからないということが、わかりました」
「お役に立てずに申し訳ありません」
「いいえ、侍従コルトの話は助かりました。結局のところ、あの存在に直接聞かなければならないと言うことです」
すると、アルが横から抱き寄せてきました。
「では戻ったら、レイモンドを呼び出そう」
横からではありますが、私は馬車の窓の方に向いていましたので、後ろに倒れるようにアルにもたれ掛かってしまいました。こ……これはアルから後ろから抱きつかれていませんか?
「それからシア。窓に近づきすぎだ」
え? 窓に近づいたら駄目なのですか?
「馬車の中でも帽子を深く被っているように」
そう言って帽子を更に深々と被ぶらせてきました。あの……前が見えませんわ。
「アルフレッド様。それではフェリシア様が領地の風景を楽しんでいただけません」
侍従コルトがアルの行動を諌めてくれますが、アルは私のお腹を締め付けるように更に抱き寄せます。
「コルト。外からシアの姿が丸見えではないか。この馬車をチラチラ見る奴らがいるではないか」
「それは大丈夫でございます。この窓ガラスには認識阻害の魔術が掛けられていますから、外からでは中を覗き見ることはできません」
そのような魔術がこの窓ガラスには掛けられていたのですか? 確かに貴族の誰が乗っているとわかれば、良からぬことを考える者もいるでしょう。貴族の馬車には何かと予防処置がされているのですね。私も一応は伯爵令嬢ですが……。
「この馬車が注目を受けるのは、恐らくネフリティス侯爵家の紋が施された馬車だからでしょう。今は皆様が王都にいらっしゃるので、どなたが戻られたのか興味があるのでしょうね」
言われてみれば、納得できますね。普段見かけない領主の家紋が施された馬車が通れば、興味津々に視線で追いかけるでしょう。
ただ、私は今すぐ馬車を降りたい気分になってきました。ガタガタと揺れる振動と締め付けられるお腹に、気分が悪くなってきています。キラキラエフェクトを出すか、飲み込むかの瀬戸際ですわ。
次回7月11日(火曜日)投稿です