第13話 寝ぼけているアルに心臓がドキドキ
一眠りすれば、私の魔力は完全に復活しました。しかし、この状況はどうすればいいのでしょう。
確かに回復の陣がある部屋で眠ってはいました。目を覚ますと目の前にアルの顔があるではないですか。昨日は目を覚ますとアルの姿はありませんでしたので、この状況に困惑してしまいます。
身動ぎして、起き上がろうと試みましたが、アルに抱きつかれているので、動けない状況です。
取り敢えず、私の姿を元に戻しましょう。身体全体に魔力を巡らし、ヒトの姿になります。我々ガラクシアースの姿は、一族の者たち以外に見せないのが鉄則です。それは勿論、昨日の赤竜騎士の方のように、我々の姿は人々の心に恐怖を植え付けるのです。きっと、お母様は前回のときに色々あり、口に出すことを厭ったのでしょう。
私が身動ぎをした所為か、アルの瞼が動き目を開けました。するとアルがふわりと微笑みを浮かべたのです。
今まで見たことがない笑顔に、胸がドキリと高鳴ります。アルに表情筋があったのですか!
「シアがいる……」
はい、居ますね。昨日は私の方が先に寝てしまいました。ですから、アルが私の側に眠ったのでしたら、必然的ですね。
……あの? 笑顔を浮かべたアルの顔が近づいてくるのですが……。
「チュッ」
うきゃぁぁぁぁ!! キスされちゃいましたぁぁぁ! 心臓が飛び出そうなほどドキドキしています!
「シア。好きだ。大好きだ。食べてしまいたい」
え? 私、食べられてしまうのですか? ガジガジ噛まれたのは、そういうことだったのですか!
その言葉を聞いて高鳴っていた心臓が別の意味でドキドキしています。
「食べても美味しくないですよ」
これは言っておかないといけません。するとアルは目を見開いて、いつもの無表情に戻りました。
「本物……」
「本物ですよ、アル様。おはようございます」
寝ぼけていたのでしょう。ということは、あの笑顔は無意識だったのですか。
「……ちょっと待て、どこからが夢でどこからが現実だ?」
アルは夢と現実の境目がどこからかが分からず、ボソボソと言っています。どんな夢を見ていたのでしょうか?
「アル様。私の魔力は回復しましたので、起きて食事をとって、地上に戻りましょう」
アルが無意識でしたのなら、あの口づけのことは、ノーカウントでいきましょう。思い出しただけでも、顔が熱くなってドキドキしてしまいますから。
私はアルに起きてさっさと、ダンジョンから出ようと提案します。外で何か問題が起きているとは思いませんが、冒険者ギルドに完了の報告と弟の速やかな回収をしなければなりません。
……あれ? ちょっと待ってください。とても重大な問題があることに、気がついてしまいました。
「シア。キスしていい?」
「ふあぁぁぁぁ!」
突然のアルの言葉に先程の光景がフラッシュバックしてきました。
え? これは“YES or No”の返答しか駄目なのでしょうか?私が答えられずに、視線をウロウロさせていると、アルは額に唇を落としてきました。
「シアは可愛いな。そうだな、言っていた予定より遅れてしまったから、さっさと戻ることにしよう」
朝食をアルと二人向かい合って食べるのは、新鮮ですわね。いつもは弟のエルディオンと妹のクレアがその位置にいるのですから。
「美味しい。シアの作った料理が食べれるなんて、幸せだな」
「まぁ、アル様。私の作る料理など庶民の料理ですわ。ネフリティス侯爵家のシェフが作った料理の方が美味しいですわ」
アルは美味しいと言ってくれます。私の作る料理は素材の味を生かした料理といえば聞こえがいいですが、調味料は高くて手が出せません。だから庭で育てているハーブで香りを足したり、臭みを消したりしているので、貴族が食べる料理というよりも庶民感が出てしまっています。
「そんなことはない。……そう言えば、ジークフリートもシアの手料理を食べたのか?」
第二王子ですか?大抵は追い出していたので、お茶すらも出していませんわ。あとは、お母様に連れられて度胸だめしをされたときですか。
「私の手料理はありませんね。魔兎を第二王子に狩らせて、自分で捌かせて焚き火で焼かせるというのをお母様にさせられていました」
「なんか、楽しそうなことをしているな」
何故、ここで不機嫌になるのでしょうか?それにこれは楽しいと言う話ではないですよ。
「楽しくはなかったですよ。一羽の魔兎を狩るのに失敗を繰り返す第二王子のために、周りにいる魔物を始末しなければなりませんでしたし、スノーウルフ如きでギャーギャーと騒ぐ第二王子の鳩尾を殴って黙らせましたし、余波でスノーウルフが第二王子の側を掠めて行ったぐらいで、殺されるとか騒ぎ立てるので、スノーウルフのリーダーに向けて投げつけてたりと、全く楽しめませんでしたよ」
本当に魔兎一羽にどれほど手間取っているのかというほど、手間取っていましたね。逆に魔兎に反撃されるという始末。十三歳で魔兎に攻撃されるだなんて、あり得なかったですわ。
それよりも、私は一つ確認しなければなりません。
「アル様。一つ確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんだ? ……はぁ、何故俺はシアと一緒に遊べなかったのだ」
アルはボソボソと言っていますが、確かその頃はアルも十三歳でしたので、スペルビア学園の方に通っていたのだと思います。第二王子は授業をサボってお母様に弟子入りを申し込んできたのです。普通でしたら問題になることですが、問題に上がらなかったということは、全てがあの存在の手のひらの上で踊らされていたということでしょう。
ああ、そうです。聞きたいことですよね。
「アル様。昨日言っていたことは……その……本当に遠出をするつもりなのでしょうか?」
「なんだ? もしかして、行きたくないのか?」
アルが不安そうな声を出して聞いてきましたが、そういうことではありません。私は首を横に振ってアルの言葉を否定します。
「行きたくないということではなくてですね。問題は弟のエルディオンのことですわ。これ以上弟がお世話になるわけはまいりません。妹のクレアにお願いするべきなのですが、最近お茶会に積極的に参加していますので、妹の交友関係を阻害するのも気が引けてしまって、どうしたものかと、考え中なのです」
我が家で一番の問題は父と弟のエルディオンです。弟のエルディオンの監視は私がお母様から任されていますので、何かあると怒られるのは私であり、弟の後始末をするのも私になるのです。
「シア。俺たちは家族になるんだ。気を使う必要はない。エルディオンのことはファスシオンに任せておけばいい。エルディオンの裏表がない性格をファスシオンはかなり気に入っている。気を使わなくていいと」
貴族特有の心の内と言葉に出していることが違うというものですね。裏を読み解けという暗号のような言葉遊び。
確かに弟のエルディオンは素直でいい子ですが、貴族社会ではそれが仇になってしまっています。
「でも…」
「シア。お祖父様がいいと言っているんだ。誰も文句を言う者はいない」
確かに前ネフリティス侯爵様に文句を言う方は殆どいないでしょう。これはお言葉に甘えていいのでしょうか?後でお母様に相談して、何かお礼を調達するべきですわね。
「わかりました。お言葉に甘えさせていただきますわ」
そう、エルディオン自身がおかしな事を考えて行動を起こさないかぎりは、ネフリティス侯爵家でお世話になったほうがいいでしょう。
「さて、シア。そろそろ戻ろうか。今回シアに色々不安にさせてしまったからな。遠出はお詫びの意味もある。勿論、俺がシアとずっと一緒に居たいという理由の方が大きいが」
アルはそう言って立ち上がり、私に手を差し出してきました。
今回のことはアルが悪いのではなくて、全てあの存在が悪かったのです。その答えにたどり着くまで、モヤモヤとした感じを抱えていました。しかし、よくわからない存在が私達の理解できないことを繰り返しているということがわかっただけで、納得はできました。
私はニコリと微笑みを浮かべて、アルに手を差し出します。
二度とこの場所には来たくないと心に決めて立ち上がりました。あの存在に今度会ったときは実体でしょうから、一発殴ることも心に決めました。私にアルに対して不信感を抱かせた罪は大きいですわ。
そして私とアルは二日掛けた道のりを数時間で駆け戻りました。途中で第二王子と赤竜騎士の人を追い抜かしたときに、後方から叫び声が聞こえましたが、そんなものは無視です。
それよりも、第二王子に私の方が大声で言いたいです。やっぱりアルは普通に私に付いてきているではないですか! と。お母様に教えを請うておきながら、そのカスのような体力しか無いのは何故なのか! と。
突然視界が広がり狭い空間から広い空間に出ました。白い外壁の神殿が横目で見ることができますから、入り口の場所まで戻ってこれたようです。
「おかえりなさいませ。アルフレッド様。フェリシア様」
声がする方に視線を向けますと、馬車を背後に頭を下げている侍従コルトの姿がありました。
「遅くなってすまない。コルト」
「滅相もございません。私めはアルフレッド様の侍従でありますので、これも仕えるものの務めでございますゆえ。ご無事に戻ってこれらたお二人をお迎えするのが、私めの役目でございます」
侍従コルトは頭を上げ、馬車の扉を開けてくれます。
「そう言ってくれると助かる。今回は予想外のことが多すぎた」
アルは愚痴を言いながら、私に馬車に乗るように促し、定位置の私の横に腰を下ろしました。
「そうでございますか。ダンジョン探索は危険だとお聞きしますので、ご無事でよろしゅうございました」
侍従コルトはそう言ってくれますが、今回のダンジョン探索は普通ではありませんでした。ダンジョンのランクで言えば、初心者でも攻略可能なチュートリアル仕様と言って良いダンジョンです。しかし、内容はとても濃いものでした。今でも理解できませんから。
馬車がガタンと動きだしたことに私は慌てて侍従コルトに言います。
「コルト。先に冒険者ギルドに寄ってもらえないかしら? 依頼の完了だけはしておきたいですの」
「承知いたしました」
帰りに冒険者ギルドに寄ってもらえるのなら、ありがたいですわ。再度赴くことをしなくていいですもの。
「それでしたら、フェリシア様、これをどうぞ」
侍従コルトは折りたたまれた黒い布を私に差し出してきました。なんでしょう?
「これは?」
「認識阻害が施された外套でございます。『黒衣のアリシア』としては外套から認識されますが、その姿が曖昧に認識されるものでございます」
魔術が施された外套ですか。それも認識阻害となれば、魔物の捕獲依頼とかに重宝します。このような外套は私では手を出すことができない高額商品です。その高額商品を何気ないように差し出してこないでください。受け取ってしまったではないですか。
「コルト。それはいい。デュナミス・オルグージョもシアにちょっかいを掛けなくなるだろう」
アル。金ピカとは元から性格が合わないと言っているではないですか。
アルは私が持っている折りたたまれた外套を取って、私が着ている外套の三つの金具を外していきます。
「アル様。着替えるのであれば、自分で着替えます」
「そう言うが、シアは高額な物は大事に取っておいて身につけないだろう?」
私がアルの手を押さえれば、的を射る答えが返ってきました。確かに身につけるのが恐れ多くてつけられないです。
私がアルの言葉に固まっている間に外套が外され、新たな外套がふわりと肩に掛けられました。
まるでベールを掛けられたように軽く肌触りもいいです。しかし生地が薄くて頼り無いかといえば、そうではなく、雨風が防げそうなほどしっかりとしています。不思議な生地です。長さも膝丈ほどあり、カバーできる範囲が広がりました。実際に動いてみないとわかりませんが、外套に動きが阻害されないといいのですが。
「コルト。素晴らしい出来だ。シアの美しさは俺だけが知っていれば良い」
アル。これは貴族の令嬢が冒険者をしていると色々問題になるので、侍従コルトが気を使ってくれただけで、私が美しいとかは全く関係ないですわ。