第11話 絶対に敵わない存在
その日は最終地点にある泉を確認して、一階層上に戻って、数時間の休息後、再びダンジョンの最深部に足を踏み入れたのです。
最深部は仄かに照らす小さないくつもの青い光を反射するように、青い水が波を立てることもなく静かに存在してました。神々しいというよりも、気味が悪いという印象が強いです。
「バカ王子。意識は保っていますか?」
「今のところ大丈夫ですが、耳鳴りが酷いですね。それからジークフリートという名があると言っていますよね」
第二王子は今朝からずっと耳鳴りが酷いと顔をしかめているのです。
「アル様はどうですか?」
「何も問題ない」
逆にアルは無表情で……いつもどおりの表情をしています。
二人には、死の森で生き抜く方法と同じ様に、外部からの干渉を防ぐ魔術を常時発動してもらっています。お母様が仰った『唯一の希望は死の森を生き抜けたことかしら?』という言葉をヒントにしたのです。
今回のことは意識誘導を起こしているという認識をしたのです。いわゆるアストラル体に対する防御です。
ただ、この魔術を常時発動し続けるというのは至難の業で、複数の魔術を発動出来る者でないと、実用的ではありません。
「この状態で戦闘になった場合、私は戦えないと断言しておきます」
第二王子が堂々と戦えない事を口にしましたが、よくこれで死の森を生き抜けましたね。
「お母様の弟子なら複数の魔術の発動ぐらいできて当然よね」
「ですから、何度も言っていますが、攻撃魔術との併用は強制キャンセルされると言っているではないですか」
「私も何度も言うけど、攻撃と防御と補助を同時展開できないなんて、不便過ぎてどうやって戦い抜くか聞いてみたいよね」
今朝から私と第二王子の魔術への意見は平行線なのです。母に弟子入りをしたというのであれば、精神防御もしながらの戦闘をこなすことぐらい、普通にして欲しいですわ。
「それでこれを沈めればいいのだな」
アルが背負っていた怪しい大きな箱を地面に置いて第二王子に聞いています。
「アルフレッド。ちょっと待て。一度息を整える時間を……」
言っておきますが、ここまで大した距離もないのに、精神防御の魔術を発動しながら歩いてきただけで、息切れを起こすなんて、ありえませんわ。
私は深呼吸している第二王子の横を通り過ぎ、アルの側に近寄っていきます。その足元に立ててある太ももぐらいの高さがある箱を思いっきり蹴り上げました。
「あ――――――!!」
第二王子が叫び声を上げる中、怪しく青く光を反射している泉の中央に、水しぶきを立てながら大きな箱が落ちていき、波紋を残しながら水底の沈んでいきました。
私は注意深く泉の中を見ますが、薄暗いのと水深が深いため、水底に何があるのかわかりません。
『我が弱っておるとわかっているのに、酷いヤツだな』
突然、背後から知らない声が聞こえて来ました。思わず空間から二本のショートソードを取り出し、声がした方に向けて振り返りざまに一本を投げつけます。
投げつけたショートソードは背後に居た人物の胸に突き刺さり……通り抜けていきました。
『そして相手が誰かと確認せずに攻撃してくるとは、無粋であるな』
そう話す人物は剣が胸を通り抜けたにも関わらず平然としています。そうでしょうね。まさか相手がエーテル体とは予想外です。そして、その人物はとても見覚えがありました。銀髪で紫紺の瞳を持ち、美人と言っていい顔つきですが、ガッシリとした筋肉質の体格から男性とわかります。
「バカ王子。さっさと成仏してくださいね」
「人を勝手に殺さないでいただきたい。あの姿は私ではなく、ギュスターヴ前統括騎士団長閣下ですよ」
いつの間にか近くに来ていた第二王子から反論が返ってきました。わかっていますよ。ドラゴンを倒したと凱旋した人物であり、現在は病に臥せっていると言われている王弟ギュスターヴ閣下の姿なのです。もちろん、第二王子より年上なのは見た目でわかります。その姿は背後にある岩肌が見通せるほど透けているので、実体ではありません。
『確かにこの姿はギュスターヴという者の姿だが、今はどうでもいいことだ。それよりも我の次の依代よ。こちらに来るとよい』
そのモノはこちら側に向かって手招きをしてきました。次の依代ですか。そのモノの視線の先には第二王子がいます。
『やはりジークが選ばれたのね』というお母様の言葉が頭をよぎりました。
これはもしかして、とても恐ろしい事が行われようとしていませんか?
私は第二王子を守るように一歩前にでます。ショートソードを自分の前に水平に構え、何があっても対応できるように。
背後で、第二王子が呻く声と地面に倒れる音がします。もしかして、干渉を強められたのでしょうか?横目で状態を確認しようとすると、白い物が視界の端に映り込んで来ました。
「は?」
それが何か認識した瞬間、私はショートソードを王弟ギュスターヴに投げつけます。
『おや?もう気づかれたのか。残念』
何が残念なのですか!私は地面を蹴り、王弟ギュスターヴの背後に回り込み、頭部を狙って回し蹴りをするも、エーテル体である存在に攻撃が通用しません。
「これ以上は許さない!」
そう言いながら炎の矢を連続で撃つも、私の攻撃は通らない。
こんなの……こんなの……あり得ない!
これ以上は私の秘密が……我々、ガラクシアースの秘密がバレてしまう。
殴ろうが蹴ろうが魔術を撃とうが、幽霊には意味がないように、実体が無いエーテル体は、攻撃が通じません。
「ふっ……うっ……」
涙で視界が滲んで来ました。お母様が言葉に出すのを嫌がった理由が理解できます。
まさか、私の膨大な魔力を奪われるなんて……。
こんな失態あり得ないです。
レイスに効く聖水も銀の武器も何も通じず、聖魔術の浄化も効かない。目の前のモノはいったい何ですの?
私は使える手段は全て使い果たし、ただ涙が滲んだ目で睨むしかできません。
『気が済んだか?』
目の前のモノはニヤリと笑みを浮かべ、私を見下してきました。なんて卑怯なのでしょう。私の攻撃は一切通らないのに、魔力がドンドン奪われていっています。悔しさのあまり拳を握り込みますと、伸びた爪が手のひらに食い込みます。
視界に映る私の髪は既に色を失い、真っ白になっていました。そう私自身に掛けた変化の魔術が解けてしまっているのです。
『まぁ、これ以上は許してやろう。また二~三十年は保ちそうであるな』
許すですって!私が何を許されなければならないのですか!
私が王弟ギュスターヴに殺気を向けたと同時に、背後にある泉が爆発しました。薄暗い空洞内に響き渡る轟音。立ち上る水しぶきが重力に従い、雨のように降り注いできます。
思わず振り返りますと、泉の上空に打ち上げられた、木の箱が回転しながら飛んでいっています。
その木の箱が突然細切れに粉砕し、同じく細切れになった中身と共に再び泉の中に落ちていきました。一瞬だけ中身が見えましたが、中身はどう見てもヒトだったものにしか見えません。
「シアを泣かすヤツは絶対に許さない」
その言葉と共に引き寄せられ、私はアルの腕の中にいました。だ……駄目です。こんなに近寄られると……。
『スゴイね! あれの代わりに君でも良いよ!』
今度は軽い感じの別の声が聞こえて来ました。その声の主の姿を確認すると、先程まで王弟ギュスターヴが立っていたところに、飄々とした雰囲気をまとい長身の細身の体格をした青年が立っていました。それも銀髪に金の瞳を持っています。顔立ちは何処と無くガラクシアースを彷彿させる容姿です。
『やっぱり、ネーヴェの血族がかかわると、引き上げられているね。君、本当に良いねぇ〜。君が依代なら百年ぐらい保ちそう。どうかな?』
「断る!」
アルが言葉を投げつけるように返し、銀髪のエーテル体との距離を一気に詰め、剣で斬りつけました。私が何をしても無駄でしたのに、そのエーテル体は剣撃にゆらりと姿を歪め、一歩下がったのです。
いったいどういうことなのでしょう。
『いやー。ここ数百年、この状態で攻撃を当てたヤツはいなかったのに、やっぱり君にしようかなぁ』
それは嫌です! アルの中身がアレになるのだけは嫌です!
アルは攻撃を続けていますが、アルの攻撃が通ることを知ったエーテル体は、剣撃を避けるように移動していき、入ってきた入り口の方まで、アルに押されています。あの存在は私の魔力を奪ってきましたのに、何故、攻撃をしてこないのでしょう?
「うっ……。ぎもぢ悪い」
背後から地獄で蠢く亡者のような声が聞こえて、視線を向けますと第二王子が四つん這いで項垂れていました。アルが攻撃をしたことにより、第二王子に施されていた精神干渉が解除されたのでしょう。
しかし、そんな第二王子より大事なのはアルのことです。
アルが剣を振るうも器用に避けられ、どちらかと言えば、地面や壁の方に亀裂が入っています。このダンジョン壊れないですよね。
そもそもあのエーテル体は何なのでしょう。
今、わかっていることは人の精神に干渉し、意識の誘導をしていることです。それも複数の者たちに干渉できる存在。
次に今までは王弟ギュスターヴの肉体に入っていた。しかし、病に倒れたという噂から、肉体に不備が起こり、新しい体を求めて、この場所に誘導された。
これが、二十年から三十年周期で行われており、そこには我々ガラクシアースの存在が不可欠。魔力を奪い新たな肉体へその精神を移す存在。
これだけでは、何を目的として新たな肉体を求める存在かわかりません。私達に敵対しているかと言えば、私にもアルにも一切攻撃はしてきません。
箱の中身に意味があるのかと最初は思っていましたが、恐らく背後にある泉に秘密があるのでしょう。
そう思い背後の泉を見ようと振り返りますと、第二王子と目が合いました。第二王子は目を見開き私を見ています。
見られてしまいました。私はフードを更に深く被り、腰までしかない外套で身を隠すべく、しゃがみ込みます。
ここまで魔力が枯渇してしまいますと、私は生命維持と後一つぐらいしか能力を維持できません。ガラクシアースの秘密を守るか、亜空間収納の維持に力を回すか。
そう、我が一族の祖の姿を晒すか、倉庫一棟分の荷物を撒き散らすか。究極の選択です。
「シア。どうした!」
アルの気配を近くに感じました。しかし、これ以上近づかれるのは困ります。私は荷物を散乱させるよりも、姿を晒す事を選択したのです。外套をまとっていれば、ある程度賄えると考えたのですが……近づかれると、どうしてもわかってしまいます。
「アル様、それ以上は近づかないでくださいませ。それよりもあのよくわからないモノはどうしたのですか?」
「ああ、王族の血が入っていれば、別に誰でも良いと言って、消えてしまった」
え? 消えたのですか? 王族の血というと高位貴族であれば、少なからず入っているでしょう。
「それよりもだ。シア、どこか怪我をしたのか?」
「怪我はしておりませんから、近づいてこないでください」
私が近づいて来ないで欲しいと言っているにも関わらずアルは私の方に向かってきます。
これはどうすればいいのでしょう。このままダンジョンの外まで駆けて逃げますか? しかし、冒険者ギルドで私の行動を先回りされてしまいましたので、魔力が枯渇している今の状態では追いつかれます。
ではどうします?
1.素直に姿を晒す。
2.アルをぶん殴って気絶させる。
3.飛んで逃げる。
ああ、駄目です。どれも解決策には程遠いですわ。
この姿を見られて、嫌われて婚約破棄だと言われてしまったら、私はどうすればいいのでしょう。
「アル様。この醜い姿を見ないでくださいませ」
私は顔をさらさないように、両手で外套のフードの端を掴みます。しかし、その腕すら最早普通の腕ではありません。爪は凶器のように鋭く伸び、白い皮膚には薄っすらと鱗が浮かび上がっています。
「シア。醜いだなんて、誰かに言われたのか?」
アルの機嫌が悪そうな声がすぐ側で聞こえました。