第10話 バカ王子
数時間後、仮眠を終えた私達は再びダンジョンの最深部に向かって移動を開始しました。しかし、今日はペースを落とし、普通に歩く速度で進みます。
「少々お尋ねしてもいいですか。ガラクシアース伯爵令嬢」
「バカ王子。私は冒険者アリシアです」
今の私が黒髪黒目の冒険者アリシアの姿をしていることが、見てわからないのですかね。まぁ、フードを深く被っているので、私の背後から付いてきている第二王子からはわからないことかもしれませんが。
「はぁ。では冒険者アリシア。今日は昨日と違って進むペースを落としたのは何故ですか?」
最初のため息はどういう意味がこめられているのでしょうか?しかし、昨日は息が上がるほどのペースでしたから、それは疑問に思うかもしれません。その疑問は第二王子自身か、別のモノの意志かはわかりませんが。
「赤竜騎士団団長様が頼り無いからです。先頭を行くわけでもなく、殿を務めているわけでもない足を進めるだけの人がヘトヘトになって倒れるとは、よく今まで赤竜騎士団団長を務めていられたと思ったからです」
「うぐぅ。最初から思ってますが、その口の悪さは直したほうがいいですよ」
「私の口が悪いのではなく、体力がない赤竜騎士団団長が悪いのです」
噂というものは当てにはできませんね。お母様が剣の師を務めたので、それなりに使えると思っていました。しかし、実際はカスのような体力しかなかったということです。
「言っておきますが、五つある竜騎士団の団長の中で一番実力があるのが私なのですよ」
「え? 皆さんカス以下だと?」
「カス……いや、普通に強いですよ。いい加減に貴女の基準がおかしいことに気がついて欲しいですね」
私の基準がおかしいですか? 私はちらりと後ろを見て、アルの姿を捉えます。そして、首を捻ってそのまま第二王子に視線を向けました。
「アル様は普通に私に付いて来てくれますよ?」
「そこもおかしいことに、気がつくことも大切ですよ」
何がおかしいのでしょう?前方に視線を戻して考えても、昔から私が剣でボコボコにアルを負かしても、徐々に耐えられるようになっていましたのに、お母様を師にしておきながら、この二人の差は私には納得出来ませんわ。
「やっぱり、二人は仲が良すぎるよな」
後ろから、ボソリとアルの声が聞こえてきました。前方から魔物が近づいてくる気配がありましたので、炎の槍の魔術を放って、アルの側に駆け寄ります。
「アル様。仲はよくないと何度も言っていますよ。バカ王子は母の弟子のくせに、出来が悪いという話をしているだけですわ」
「俺にシアとジークフリートの仲を隠していたのにか?」
え? 隠す? 隠してはいませんが、アルがガラクシアース伯爵邸に来ることが無かったからであって、もしアルがガラクシアースの屋敷に来ることがあれば、出会っていた可能性はあったでしょう。まぁ、来られても何もおもてなしができませんから、アルが来ていればとても困っていたでしょう。
「バカ王子は母の弟子という関係で、私とアル様の方が仲がいいですよ」
「人のことを馬鹿呼ばわりするのをいい加減にやめていただきたいものですね。それから、バカップルするのであれば、人目が無いところで、していただきたいものです」
あ……仕事はきちんとしますよ。私は再び先頭に立ってダンジョンの奥に向かって行きます。
しかし、今まで不思議に思いませんでしたが、第二王子には婚約者の方がいらっしゃいません。お歳はアルと同じ二十三歳です。普通であれば、婚約者の方がいて当然だと思ったのですが……王族のことに口出しすることはできませんので、この話は忘れましょう。
「今日はこのまま進みますよ」
「私の馬鹿呼ばわりのことは無視するのか」
後ろから何か言っていますが、昔からバカなので、バカでいいと思いますわ。
しかし、第二王子の意志を確認しておきたいですわ。
「これは私は怒っていいと思う」
第二王子が突然何かを言い始めました。二度の小休憩を終え、そろそろ昼食にしようかと、テントを出して昼食を作って出したところで、文句を言ってきたのです。文句があるのでしたら、食べなくていいですわ。
私はアルの隣の席に腰を下ろして、食べ始めます。昼食は少しのお肉と野菜がたくさん入ったスープです。手軽に作れて腹持ちがいいので、屋敷でもよく作ります。父と母が屋敷に来て、他の使用人たちも王都のタウンハウスで過ごす真冬に出す料理です。特に干し肉とクズ野菜しか無かったときにです。
はっ! まさかこんな庶民が食べるような料理が食べれないと言っているのですか?こんなダンジョンの中でフルコースは無理ですわよ。
「そこのバカップル。尽く私を無視してくれますね」
「シアの料理に文句を言うヤツは食べなくていい」
アルが不機嫌そうな雰囲気をまとって答えます。そうですわ。食べ物に文句があるのでしたら、食べなくていいです。
「違う! アルフレッド。私が言いたいことは昨日、人には保存食を食べさせておいて、自分たちだけ温かいものを食べていたことだ!それに拡張テントなんて申請しても通らないもので快適に過ごしていることにもだ」
相当、お怒りのようですね。言葉遣いが乱れていますよ。
「これはシアの持ち物だ。それに食事もシアが用意してくれたものだ。部外者は出て行って欲しい」
「アルフレッド。私が上官だということをわかって言っているのか?」
しかしここで喧嘩を始めるのですか? この食事中に?
「食べないのであれば、二人共出て行ってください」
すると二人の睨み合いはピタリと収まり、第二王子は席に付いて、黙々と食べ始めました。
そして、ぽそりと呟く声が聞こえて来ました。
「亜空間収納持ちの部下が欲しい」
「ジークフリート。いるぞ」
第二王子の心の声が漏れ聞こえた言葉にアルが答えます。
「どこに! そんな魔力持ち、お前以外居ないだろ!」
アルの言葉に思わずダイニングテーブルを叩きながら立ち上がって、アルを睨みつけていますが、また王子らしくない言葉になっていますよ。
「ここに」
「は?」
「俺は亜空間収納を持っている」
はい。アルは私と同じく亜空間収納の魔術を取得していますが、容量は私より小さく物置ほどの大きさだそうです。
「ちょっと待て! 初耳だぞ!」
「それは申告しても使えないからな」
「容積が小さいと言うことか?」
「それもあるが、シアからもらった物を仕舞っているから、他のモノを入れる余裕はない」
正確には私が渡したものを加工したものですわね。私がアルに渡すのは素材ですから。
「アルフレッド!それは申告するものだ!それがあれば、武器の運搬も食料の運搬も楽になるだろう!」
「いや、それよりもシアからもらった物の方が大事だ……あ」
アルは何かを思い出したのか、空間に手を入れて、小さな箱を取り出しました。そしてそれを私に差し出してくれます。
「これ、シアに似合うと思うから着けて欲しい」
まぁ、アルが私のために、何かを用意してくれたようですが、プレゼントをされる時期ではありませんわ。誕生日はまだ先ですもの。
受け取った箱を開けますと、虹色の涙型のペンダントがありました。これは私が一週間前にアルに差し上げた魔石ですわ。せっかくアルに渡しましたのに……。
私が戸惑っていますと、アルが箱から虹色のペンダントを取り出して、私の首に掛けてくれました。
「うん。とても良く似合う」
「フードを被って黒髪の黒目ですが?」
「シアだから似合うんだ」
「ふふふ、ありがとうございます。アル様」
するとアルは空間からもう一つ先程よりも一回り小さい箱を取り出します。そして、私に差し出してきました。これは?
「これを俺に着けて欲しい」
箱の中を開けると、同じ虹色の魔石で作られたカフスでした。まぁ。それなら喜んで着けさせていただきますわ。
「そこのバカップル。ここですることではないですよね」
第二王子が何か言っていますが、休憩中ですのでいいではないですか。それに今日は昨日ほど進みませんので、急ぐことはありません。
そうして、私とアルはお揃いの魔石の装飾を身につけたのでした。
「赤竜騎士団団長様。食後のお茶は別の部屋でいかがですか?」
そう誘い出し、私は紅茶を用意して、回復の陣がある部屋に入っていきます。今は休むという目的ではなく、話し合いをするべくこの部屋を使いますので、明かりは強めに設定します。
「この部屋は変わった力を感じますね」
そう言いながら、第二王子はクッションを背にしてラグの上に腰を下ろしました。
「そうですね。それでジークフリート殿下。精神干渉は受けたままですか?」
「精神干渉……ああ、これが誰も知らないと同じ答えが返ってきた理由ですか。指摘されるまで私自身がおかしいとは思いませんでしたね」
あら? アルは自力でその干渉を一瞬だけでも解除しましたのに、第二王子は気がつきもしなかったのですか。
そして、私は何故ラグの上ではなく、あぐらをかいたアルの上に座っているのでしょう?
「ジークフリート殿下は今回の事はどこまで国王陛下からお聞きになっているのですか?」
もし、第二王子であるにも関わらず、国王陛下から何も話がされていないとなれば、増々おかしな話になってきます。
「陛下からは何も聞いてはいません」
聞いていない……己の血の繋がった子供にさえ言えないことなのですか? 色々な魔道具で防御されているとお母様がグチグチと文句を言っていましたので、その魔道具さえものともせずに、精神干渉を行ってきているとすれば、敵はかなり厄介な存在と成ってしまいます。
「ただ、叔父上が病に臥せったと耳にしたすぐ後でしたので、その病を治すモノを手に入れる為だと初めは思ったのです。しかし、調べてみても何も出てこない」
叔父ですか。現国王の王弟は三人存在していますね。
「どの方が臥せっておられるのですか?」
「ギュスターヴ前統括騎士団長閣下ですよ」
その名前は誰もが知る人物の名前でした。ドラゴンスレイヤーを単独で成したという御仁ですが、まだ四十歳ほどだったはずです。
「そうですか。殿下は箱の中身をご存知ですか?」
「いいえ。最下層の泉の中に箱ごと沈めるようにとしか聞いていませんね」
最下層に泉があるのですか。ではその泉が特別で、神水と言っていいものかもしれません。この回復の陣では駄目だと言われたのですからね。
そして、その泉を守るために入り口がどこかを隠し、ダンジョンの入り口をフェイクするための神殿を作った。それもここ数年ということではなく、もっと昔……そう建国時代から……?
そのモノが建国時代から存在するガラクシアース伯爵家が関わることを望んだ。
「結局、バカ王子も何も知らないと」
「その失礼な言い方をやめてもらえないかな?」
「御自分が精神干渉を受けていることに気が付かない者はバカ王子でいいでしょう」
「そんなことアルフレッドも気がついていなかったはずですよ」
「アル様は自力で一瞬だけ干渉から解放されましたよ。どこかのバカ王子とは違います」
「アルフレッドがおかしいことに、そろそろ気がつこうか」
失礼なのは第二王子の方ですわ。アル様は普通ですわ。
すると、後ろからギリギリと絞められてきました。アル、怒りは私ではなく、おかしいと言った第二王子に向けて欲しいですわ。
「ジークフリート。俺は兄上を蹴落として、次期ネフリティス侯爵に成ることに決めた」
何をここで宣言しているのですか。アル!
「アル様。お家騒動は駄目だと思いますよ。それにネフリティス侯爵様にはまだ報告されていませんよね」
アルが相談したのは前ネフリティス侯爵様であって、現ネフリティス侯爵様ではありません。
「まぁ、前妻の子のギルフォードより、アルフレッドが侯爵に立った方が無難でしょう。しかし、いきなりどうしたのですか?今まで爵位は望まないと言っていましたが」
「ジークフリート。シアは絶対にやらないからな」
アル。全く第二王子の質問に答えてはいません。それから、締め付け具合がキツくなっているのは気の所為でしょうか?これは背中の密着度合いにドキドキしているのか、圧迫具合に脈がドキドキしているのか……。
「いや、いらないからな」
「シアはこんなに可愛いのに!」
「見た目はいいかもしれないが、実際に身の丈より倍のスノーウルフを笑いながら片手でねじ伏せている姿を見た者からすれば、王命でも断る」
「その姿を見たかった。雪の中でスノーウルフと戯れているシアの姿を!」
「いや、白と赤しかない世界は戯れていると表現しない」
懐かしい記憶が走馬灯のように巡ってきますね。あのスノーウルフの毛皮はアルに渡すために、傷を付けずに倒したのですわ。他のスノーウルフは一撃で仕留めましたけれど……そろそろ末端に血液が欲しいですわ。手が痺れてきました。
「アル様。そろそろ力を緩めて欲しいですわ」