9.ラジオネーム『怨み晴らして候』のクレーム
「こんなこと言うとアレだけどさ」と、大泉は舌もなめらかに言った。「1972年、つまり昭和47年――おれが生まれる前年に、横井 庄一さんが帰国したのを思い出さずにはいられないね。思い出すったって、あくまでのちのVTRでだけど。太平洋戦争が終わったのに、グアムの密林に28年ものあいだ隠れてた残留日本兵のことだ。カナン、話ついてこれる?」
「お父さんに後学のためと勧められまして、動画で観ました。すごく衝撃的な話だと思います。戦争はこんなにも人の一生を狂わせてしまうんだと、考えさせられました」
「あそう! もう君らの世代って、YouTubeでふり返るのね」と、大泉はジェネレーションギャップを見せつけられ、甲高い声をあげた。「この横井さん――椅子なんかに座るときに、昭和世代が掛け声で、『よっこいしょういち』ってギャグをよくやったもんなんだ。その元ネタになった人だよ――、飛行機で28年ぶりに日本の地を踏んだときの第一声が、これまた印象的なんだ。『恥ずかしながら帰って参りました。』ってね。これには胸を締めつけられた」
「なぜ恥ずかしく思うのでしょうか? ちっとも恥じる必要なんかないのに」
「それには伏線がある。というのも、1941年、東条 英機陸相が示した陸軍軍人の行動規範で、『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ』って掲げてたからね。つまり当時の戦場では捕虜になるぐらいなら、玉砕覚悟で突撃したり、自決して潔く散ることを叩き込まれたらしい。1972年といや、太平洋戦争の記憶が薄れつつあったころだから、よけいに日本社会に衝撃を与えたといっても過言ではなかったのよ。それで、この『恥ずかしながら~』の言葉が、この年の流行語大賞に選ばれたってわけ。ところがこれで終わりじゃない。騒動の昂奮冷めやらぬ次に見つかったのが、フィリピンのルバング島で潜伏してた小野田さんだった――」
「大泉さん、とりあえず1曲挟みましょうか」
「おっと、脱線しちゃったかな。そんじゃま、ここで箸休め。お送りしましょう。ラジオネーム『ガガンボ松本』さんのリクエストです。加藤 登紀子で、『時代遅れの酒場』」
◆◆◆◆◆
カーラジオが歌謡曲を垂れ流したので、三村はボリュームを絞った。
さぬき浜街道はふたたび2車線になり、左右の街並みもにぎやかになった。おのずと車の数も増えたので、運転は気が抜けない。
このあたりは高松市香西本町だった。橋を渡り、すぐに郷東町にさしかかる。いよいよ高松でも繁華街に入った。
案内標識には『高松港まで3km』とある。反対車線から向かってくる車列も、家路に急ぐ者たちなのか、心なしかどの車もがせっかちな運転に見えた。
――帰る場所があるってのは羨ましい。だからおれは亡霊のように彷徨うしかないのか。
「30年ぶりに帰ってきたとき、おれたちみんなは、時代に取り残された感覚に戸惑った。そりゃ個人差もあって、うまくなじめた奴はなじめたようだけど……。しばらくは元の生活に戻ってみて、ほとんどが音をあげた。どこにも居場所がないんだ。やっぱり帰ってくるべきじゃなかったと洩らす奴までいた」
三村は運転しながら、独り言のようにつぶやいた。
56人の生還者たちは、言ってみれば運命共同体だった。数人の気の合う男たちとは今でも連絡を取り、たがいの近況を報告し合って、同じ悩みを交わしていた。
「考えすぎだったら」
「結局、体験者じゃないとわからないのさ。こちら側の人間は92年から戻ってきたことに、喜ぶふりして、そのくせ珍しい生き物でも見るような眼をよこしてくる。陰で噂してるのを聞いてしまったことだって一度や二度なんかじゃない。てっきり死んだと思ってたのに、なんで今さら帰ってきたんだよって。――こんなの、耐えられない!」
「ゴシップ好きの人って、どこにでもいるのに。じきにそんな人だって慣れれば、見向きもしなくなるはずよ」真智子は26歳の若者の肩に手を置いた。「人間はね、自分のことと、せいぜい家族のことで精一杯なものよ。一時、そんなふうに見られたとしても、5分もすれば憶えちゃいない。気にしすぎよ」
「それだけじゃない。納得いかないんだ。島へ行ってたのが、たった4日だったのに、こっちに帰ってきたら、あっという間に四半世紀以上すぎてたんだぞ! どう割り切ればいいってんだ!」
「なんで30年もの月日が経ってたのはわからないけど、今さらどうしようもないでしょ。だったら、前向きに行くしかない」
「簡単にできたら、苦労するもんか」
「他人の眼なんか気にしなくったっていい。あのね、三村君――君の立場が、時代に取り残されていようがいまいが、関係ないの。人が生きていくには、他人の眼なんか気にしてちゃダメ。生きてあの島から帰ってきたんだから、それはそれで立派なことじゃない。もっと胸張って生きなさいったら」
「忘れられるってのも辛いもんだよ、マチ。そうかと思えば、ひょこっと戻ってきたら気味悪がられるし……。すべて失ったんだ、おれは」と、三村は女々しく言い、ちらりと真智子を見つめた。「君さえも」
「言っとくけどね、三村君」真智子は慈しむ口ぶりで語りかけた。「私はあなたのお母さんじゃないんだから。今さら時間は巻き戻せない。すでに私には私の暮らしがある。どうにもならないじゃない」
「……わかってる。わかってるさ。先着一名さまかぎりだしな」
「せめて、君は若いままなんだから救いがあるの。もっと明るく振る舞いなさいって。今に年相応の相手は、いくらでも見つかるから」
「別に嫌味のつもりで言ったんじゃない」
30年分の食い違いが二人の間に決定的な溝があるように、どれだけ車中で言葉を重ねようが平行線のままだった。
埒が明かないと思った真智子は、ふたたびカーラジオのボリュームを大きくした。
◆◆◆◆◆
ちょうど歌謡曲が終わりにさしかかったところだった。
「お送りしました、加藤 登紀子で、『時代遅れの酒場』でした」
ディスクジョッキーは滑舌よく言った。
「歌の合間にメールを頂戴しております。大泉さん、ラジオネーム『怨み晴らして候』さんより、ご意見なんですが……」
と、桐島アナが硬い声で割って入った。
「おやまあ、『怨み晴らして候』さんが?」
台本にはない、イレギュラーが発生したにちがいない。大泉の動揺が伝わった。
「メール読みます。――『先ほどの大泉さんの発言で、先日の妣島集団失踪事件について、横井氏、小野田氏のご帰還の件とを引き合いにされていましたが、いささか違和感を憶えました。と言いますのも、この御仁らはお国のために、自身の青春時代を犠牲にしたうえで挺身されました。気が遠くなるような長きにわたる任務中、同胞も失う悲劇を体験した末での帰国だったのではあるまいか。このお二人と同列として括るのはいかがなものでしょうか。ましてや小野田氏の場合、スパイ養成学校として知られた陸軍中野学校出身の少尉。陸軍中将直々から『玉砕は一切まかりならぬ。必ず迎えに行くから、3年でも、5年でも頑張れ。兵隊が一人でも残っている限り、ヤシの実を齧ってでも生き抜け』と、従来の戦陣訓とは真逆の訓示を受けています。だからこそ小野田氏はたった一人になられても任務をまっとうできたのです。むろん、妣島で起きた事件に巻き込まれた56人も不幸な出来事でしたが……。あえて苦言を呈させていただきました。以上、怨み晴らして候、失礼仕る。』」
と、桐島アナは誠意をこめて読みあげた。
たちまち二人の間に打ち水をしたように沈黙が張りつめた。
先に口を開いたのは、桐島アナだった。
「このたびはラジオネーム『怨み晴らして候』さん、貴重なご意見、ありがとうございます……」
「いやはや、『怨み晴らして候』さんのご意見は、ごもっともだと思います。私の至らぬ発言により、誤解を招いたことを深くお詫びいたします。誠にすみませんでした」大泉は殊勝に言葉を選び、謝罪した。「『大泉 仁志のミュージックG-LOC』では、リスナーさまのご意見を真摯に受け止め、ますますの進化を遂げていきたいと思います。――先人を敬うのは大事ですね、ホント。人生の先輩があってこそ、我々が今こうして平和を謳っていられるわけですから」
「さて、気を取り直して! 20時45分になりました。道路交通情報にまいりましょう。日本道路交通情報センターに繋がっています。担当の角ケ谷さん、お願いします――」