3.人生はお伽噺ではない
「では気を取り直して。本日もお便り、たっくさん届いております。随時、紹介していきますね。……ところで大泉さん、驚くことなかれですよ!」と、女子アナが明るい声で言った。「いま世間で話題の、妣島サバイバル研修集団失踪事件を取りあげてみたいと思います。と言いますのも、な、な、なんと! おなじみ、ラジオネーム『静けさの海』さんが衝撃の告白。実のお父さまこそ、失踪事件の一人だったらしいんです! そのお父さまが帰られてきて、ちょっとしたドラマがあったそうなんです」
「来ましたねー、例の妣島サバイバル研修集団失踪事件から30年。そこから56名もの失踪者が奇蹟的に帰ってきたという、あの一件」
打って変わって、大泉は神妙な口調で言った。
あわてて三村がラジオを切ろうとすると、真智子が手をかざし、無言で制した。
なおもデスクジョッキーの声が続く。
「連日、ニュースでも話題をふりまいてるよね。なかでも帰ってきた人たちは、なぜか見た目が以前のまんまというから驚きだよな。30年ぶりなのに! ありえないって! まさに現代の浦島太郎を地で行ってるという」
――おれにとってもありえないさ! 『異界』から帰ってきたと思ったら、恋人は56のおばさんになってて、しかもおれが死んだものと見做し、さっさと他の男と結婚してたなんて! 両親はおれの墓を建てて、実家の仏壇にはおれの、にっこり笑った遺影まであった!
「まさにリアル浦島太郎ですよね」と、桐島アナ。「当時、テレビに勢ぞろいしてた学者さんに、こう名付けられたそうですね――この失踪事件こそウラシマ現象だと」
真智子が無言で三村を見つめている。
なんの感情も汲み取ることができない。しばらく行方をくらませていた飼い猫に、今までどこほっつき歩いてたの?といった安堵と疑念の眼つき。
三村は視線をそらし、フロントガラスの向こうを睨んだ。
なおも大泉 仁志がしゃべる。
「おれね、個人的にこの一連の事故――それとも事件っていうのかな?――、すんごい興味あるのよ。だって無人島で研修に集まった人間のうち、3分の2が消えちゃったんだよ? 日本史上、最大人数にして、前代未聞の事案だわな。そして30年の時を経て、奇蹟的に全員が生還したんだ……。あまりにもミステリアスすぎる内容に、海外の報道機関も注目しているというから、いかに衝撃的かおわかりいただけるかと思う」
「不謹慎ですけど、平成生まれの私でも、惹き付けてやまない事件だと思います」
「だろ? ちょっと今夜は事件のことについて深く掘り下げてみようと思うんだ。番組の趣旨から、ちょっぴり脱線しちゃうかもしんないけど、今夜ぐらい大目に見てよ」
「どうせいつも時事ネタです。これ一本に絞ってオッケーだそうです。大石ディレクターからお墨付きをいただいております」
「よっしゃ、続けよう。とにかく、3カ月前のニュースはあまりにも衝撃が大きすぎた。事の発端は30年前だから、若いリスナーには、なんのことやらさっぱりかもしれない。さんざんテレビで時系列で紹介してるけど、あらためてざっくりおさらい。ってなわけで、カナン、どうぞ」
「そこは丸投げですか!」桐島アナは言いつつも、ガサガサと、原稿らしきペーパーをまさぐる音をさせ、声を落として続けた。別室のディレクターのしわざだろう、不協和音めいたBGMが流れた。「事の起こりは1992年8月11日のことでした。イベント企画運営会社『moss green』主催による、民間企業の若手社員を集めたサバイバル研修が行われたんです。場所は熊本県天草諸島、八代海にある無人島を貸しきって。その舞台となる島の名前が妣島でした。ちなみに面積は4.97km2。当初は3泊4日の予定だったんです。複数の民間企業――熊本県内のみならず、北は札幌市、南は鹿児島県のトカラ列島から、総勢84名が一堂に会しました」
「すまん、ちょっと脇に逸らせてくれ。――そもそもさ、今さら白状するけど、おれ最初、『妣島』って漢字、読めなかったんだよな。『ひじま』って読んでたんですけど。学がないの、バレちゃうね。『比較する』の比と島で『比島』なら、フィリピン諸島ってことはわかるんだけど」
「いえいえ、大泉さん。音読みなら『ヒ』、でまちがいないそうです。訓読みで『はは』、もしくは『なきはは』だそうです。常用漢字ではありませんから、読めなかったとしても仕方ありません」
「なきはは。亡くなった母さんってこと?」
「調べたところ、だそうです」
「亡き母の意味を持つ島、妣島って……。なんだか匂うねえ。もちろん東京のはるか沖合、小笠原諸島の中のひとつ、母島とはまた別なんだよね。そこんとこ、混同しないように。そこから30年の時を経て帰ってきた失踪者たち。帰ってきたら自分は若々しいままなのに、まわりは30年分、年を食ってる浦島太郎状態だった。なんなの、この時間異常? そんじょそこらの都市伝説なんか、目じゃないったら」
「大泉さん、とりあえず一曲挟みましょうか」
「なら、そうしましょ。いずれにしたって、現代の浦島太郎たちよ――現代版は複数形っていうのが、なんとも――、久しぶりに帰ってこれておめでとう。そしてお疲れさま。戸惑うこともあるだろうが、絶望するにはまだ早い。早まって玉手箱を開けないでちょーだい。そんな生還者とリスナーに、ぴったりの曲を紹介したいと思います。クイーンで、『'39』」
◆◆◆◆◆
カーラジオからカントリー調の音楽が流れはじめると、真智子は手で『切って』との仕草をしたので、三村は従った。
車内にふたたび沈黙が落ちたなか、牧歌的なさぬき浜街道をひたすら北東に進む。
交差点にさしかかる直前、赤信号に引っかかったので、三村は停止線のところで車を停めた。
ステアリングを抱くように、もたれかかる。
三村を含め、失踪者56人があちらの世界ですごしたのは、3泊4日の研修へ行っている間にすぎなかった。ラジオが伝えたように、全世界は30年も年月が無情にもすぎ去っていた。専門家はあちらの世界を、『異界』と称した。
真智子が義理立てして、独身のまま待っていてくれるほど甘くはなかった。人生はお伽噺ではないのだ。
しかしながら、どれだけ考えても納得がいかない。
三村にとっては、失踪する直前まで、真智子と付き合っていたはずだ。研修へ行く当日の朝でさえ熱々の仲だったのに……。
やっと帰ってきたと思ったら恋人はすでに結婚し、相応の年齢を重ねていたなんて……。出社するため、バスに乗り遅れたどころの騒ぎではあるまい。
そもそも奇蹟的に生還し、2カ月に及ぶ隔離生活からようやく解放され、真っ先に電話をかけたとき、三村のことをおぼろげにしか憶えていないというのだから、さらに愕然とした。
――おれのことを、よく憶えていないだって? こんなことってあるか!
30年ぶりに電話をかけたとき、彼女はこう言ったものだ。
あの事件直後、三村君は、きっとどこかで生きている、いつか帰ってくると信じたという。
大がかりな捜索もむなしく、世間から忘れ去られようとも、その考えにしがみついた。
しかし時間が経つにつれ、両親や、周囲からあきらめるよう諭された。
そうじゃないと、あなたの幸せは見つけられないからと。
うずくまってばかりいてはいけない。前に進むべきだと。
それで真智子は現実に引き戻された。
喪に服すつもりで2年待ってから、友だちの紹介で、おない年の男性と交際した。真智子は新たな恋に引け目を感じつつも、相手が彼女の心の傷を包み込んでくれたおかげで吹っ切ることができたという。
信号が青になった。
三村はアクセルを踏んだ。