2.大泉 仁志のミュージックG-LOC
三村は沈痛な顔つきのまま運転を続ける。
同期の二人を含めた営業部連中の、どこかよそよそしい態度を思い出さずにはいられない。
若手社員など、奇異な生き物を見るような上目遣いの眼差しだった。しきりにあれこれ詮索しようとすり寄ってきたものだ。
規則正しい平和な職場に、混入物がまぎれ込んだ空気。まるでアコヤ貝の中に異物が混じったかのように。
浮いた存在になっているのは、復帰初日で嫌でも気づいた。いたたまれなくなり、かろうじて5日勤めるのが精一杯だった。
土日を挟み、月曜の朝、体調が悪くなったと電話を入れて休んだ。そのままズルズルと1週間がすぎてしまっていた。
「私に連絡くれるのもいいけどね。ご近所付き合いでもそう。まんざら頼られるのも嫌じゃないよ」
「マチならそう言ってくれると思った」
「人は誰かの役に立ちたいっていうのかな。そんな欲求って、誰にでもあると思うけど」と、真智子はリクライニングシートを傾けながら言った。下腹の上で手を組む。「ご両親は、どうなの?」
「母はだいぶ前に亡くなっていた。親戚の人が言うには、一人息子を亡くし、長年生きる気力を失っていたんだと。子宮頸がんだったらしい。ずいぶん苦労させちまった。親父も、今じゃ老人施設で世話になってる。一度だけ見舞いに行ったよ。認知症の症状が進んでて、ろくに会話さえ成り立たなかったけど」
「そ。しんどいね。――だからつながれる知り合いは私しかいなかった。そういうわけね」
「おっしゃるとおりだ」と、三村はちらりと真智子の顔を見て洩らした。「迷惑なのはわかってる。別に今の夫と別れて、一緒になってくれだなんて言うつもりは1ミリも思っちゃいない。君には君の人生がある。これ以上干渉すべきじゃないってことは、充分わかってるさ」
――なんでこうなったんだ! 最後にマチと別れて、3泊4日のすてきな研修へ行ってる間だけだったのに! 命がけで島から泳いで帰ってきたと思ったら、恐ろしいほど時間だけがすぎてた!
「だから、いつでも声をかけられる関係でいたいわけね」
真智子に先読みされ、三村は片手で頭を抱えた。
「ときおり、不安で押し潰されそうになる。久しぶりに帰ってきたってのに、知り合いが少なすぎる。おれの社交性のなさも災いしてるんだろうが、今じゃマチしか頼れる人がいない。まるでおれの存在が、ロウソクの前の炎みたいに力なく揺れてるみたいだ。ひと吹きで消えちまいそうだ」
三村はどう表現していいか説明しかねた。
そのくせ真智子を呼び出したことに対し、正当化しようと慎重に言葉を選ぶあまり、かえって子どもっぽい言い訳になってしまう。
外は本格的な雨となり、フロントガラスを叩く音は大きくなった。視界も悪く、運転を疎かにはできない。
いずれにせよ、30年分の溝は埋まりそうにない。
◆◆◆◆◆
レンタカーはひたすら北東の国道を進んだ。
さほどスピードは出ていない。後続車がうしろに閊えると、三村は左に寄せ、抜かしてやった。
代わり映えのしない一直線の道路。前方に小高い山が近づいてきた。
木々が雨に叩かれ、枝葉が小刻みに揺れていた。
交差点ではときおり赤信号に捕まりながらではあるが、快適に進んでいった。
しばらく運転に集中した。
二人の間に沈黙が続きがちになる。
三村はなにか話題を探すのだが、うまくいかない。いたたまれないほど、話がまとまらないのだ。
――おいおい、墓場から甦ったはいいが、どこかへ脳みそを置き忘れちまったんじゃないか?
真智子は真智子で、ここにきてパートの疲れが出たらしく、口を開くのも億劫なようだ。水産加工場で魚をさばく仕事をしていると言っていた。
せめてかつての恋人が生ける屍として戻ってきたことに対し、これっぽっちの恐怖心を抱いていないと祈るしかなかった。
――26歳のころの、天真爛漫な真智子なら、笑ってやりすごすことができただろう! あのころは、こんなじゃなかったのに!
「ラジオ、つけてくれる?」と、気づまりした彼女はシートの上にぐったりしたまま言った。「この雨って、一晩中、続くのかな?」
「それもそうだな」
三村はカーラジオのスイッチを入れた。すでにFMの局にチューニングされており、ほとんどノイズのないクリアな放送が聴こえた。
尻切れとんぼの政治家献金問題のニュースのあと、20時の時報が鳴った。どうやら天気予報は聞き逃したらしい。
直後、サウンドロゴが入り、底抜けに明るいポップなテーマ曲が車内に響いた。それはあまりにも場違いすぎるほどだった。
「みなさん、こんばんは! はーじまりました『大泉 仁志のミュージックG-LOC』! 生放送でお送りします。デスクジョッキーは毎度おなじみ、健康だけが取り柄だったのに、先日の人間ドックで、ALT、AST、γ-GTPが、軒並み黄色信号の検査結果をくだされた大泉 仁志。お相手は――」
「香川テレビアナウンサーの桐島 佳南が、モリモリ元気をお送りしたいと思いまーす! 大泉さん、お身体は大事になさってくださいね。『ミュージックG-LOC』では、LIVE感あふれるみなさまの井戸端会議をめざして早10年。ご機嫌な音楽と、耳よりの情報、そして思わず、おっ!とするようなトークを中心に放送してまいります」
「夜の8時にしちゃ、わちゃわちゃしすぎのような気もするけどな。どうよ、カナン。本来だったら騒がしくいくんじゃなく、静かなジャズでも流しながら、しっとり話したいんだけど。おれも年のせいか、勢いで突っ走るのもきつくなっちゃった」
「大泉さんらしくない。わちゃわちゃやっちゃうのが、ウケてるんじゃないですか。これが『ミュージックG-LOC』のアイデンティティ!」
「そんなもんですかね」
三村はうめきそうになった。真智子と二人きりで、ましてやうまく噛み合わない空気の中で聴くには、いささか元気がありすぎて耳障りな放送だった。
奇しくも先日テレビで、大泉 仁志という俳優の特集を見かけていた。
なんでも、大泉の肩書は多岐にわたるという。――演劇あがりの役者で、今やテレビドラマや日本映画で引っ張りだこの売れっ子らしい。アドリブで笑わせるトークに定評があるため、バラエティ番組に重宝がられた。そのうえ声優もこなし、コメディアンとしての顔もあるのだとか。3年前にはエッセイの作家デビューも果たした。50歳を前に、マルチな才能を開花させているというから、あながち健康だけが取り柄というのも謙遜だろう。
なかでも、この自らの名前を冠したラジオ放送は、軽快なトークと、意外な薀蓄の広さで幅広い年齢層に人気を獲得していた。大泉にとっても肩肘張らず、のびのびできる仕事らしく、このラジオ番組は自宅でくつろいでいるようだからお気に入りだという。
ただし、今の三村からすれば、まるでハイボールでも一杯引っかけているかのように軽薄に感じられた。