11.交渉人、大石ディレクター
「他にもたくさんのお便りをいただいております。読みきれないのでラジオネームだけでも紹介しますね。『巷のタニマチ』さん、『しずく』さん、『鳩ゲーム』さん、『人間兵器・マッチョドラゴン』さん、『ミランダかーちゃん』さん、『君に喪中!』さん、『パムパム美紗リンの双子の姉、カンボジアへ行く』さん、『リケジョの鑑』さん、『イチゴ侍』さん、『納豆サイダー一気飲み』さん、『内部告発の常連ヨッシー』さん、『Z世代レボリューション』さん、『潮』さん、『トロピカル橋詰』さん、『ラブミーテンダーなに言ってんだー』さん、『厨二病全開!龍虎波斬虚空殲滅弾!』さん、『オットー・スコルツェニーの傷痕』さん、いつも応援、ありがとうございます」
「お次は天気予報に行ってみましょうか。夕方から降り出した雨、いつごろあがるんでしょうか。日本気象協会に繋がっております。お相手はなんと、我らがシブちゃんこと、天気予報士、澁澤さん。育休休暇から、本日復帰されたそうです。シブちゃん、さっそくお願いします」
大泉がガラスで隔てられた副調整室に目配せした。大石ディレクターがコンソールを操作。
スピーカーから、気象協会の天気予報士の声が流れた。舌足らずのアニメ声だった。
「こんばんは、澁澤です。ご無沙汰しておりましたー! 大泉さん、先日はわざわざお声をかけていただき、ありがとうございます。本日より職場復帰です。今後ともよろしくお願いします。そんなわけで、まずは各地の天気です――」
四国地方の天気予報が語られているあいだ、大泉はカフボックスをオフにした。これでマイクに声が乗らなくなった。
しばしの休憩なのか、防音ブース内の二人はくつろいだ表情を見せた。飲み物を口にする。
そのとき、副調整室から別室へ続く扉が開いた。
女性スタッフが電話の子機を手にして入ってきた。
大石ディレクターになにごとか話しかけ、子機を突き出している。
ガラス壁の向こうのやりとりを、桐島アナは見るとはなしに見ていた。
電話オペレーターの女の子だった。
桐島には嫌な予感しか湧かなかった。
電話オペレーターが電話の子機を持って大石ディレクターに話しかけているということは、経験則からしていくつか予想されるのだ。
大抵は放送中、大泉が失言してしまい、さっきみたいにリスナーから直接クレームが入る場合である。
あるいは時間配分でミスをやらかし、CMを流し損ねたりして、スポンサーからプロデュサーにお叱りの電話をかけたかであろう。そこからディレクターに報告するために繋いだケースと、相場が決まっていた。
むしろ、クライアントが番組を褒めちぎってくれるために、わざわざ放送中に電話をよこしたりはしまい。
大泉はこのところ、東京での仕事量が増え、人気がうなぎ登りになっていた。
そのせいか、やや慢心になり、放送中の細かなトラブルが増えつつあった。これでは早晩『ミュージックG-LOC』は突然の打ち切りを言い渡されかねない。スポンサーあっての放送局である。いくら人気俳優だろうが補正は働かない。
そのたびに桐島アナは、終了後の反省会で釘を刺すのだが、聞き流されるのがおちだった。
大石ディレクターは子機を耳に当て、なにやら話し込んでいる。
むろん桐島アナにはその内容は聞こえない。いつもの苦情ならディレクターは、コメツキバッタのように頭をペコペコしながら応対しているはずだ。
なのに眼を見開き、驚いた表情で電話にかかりきりになっている。そのうち懇願するような低姿勢になり、防音ブースには尻を向けてしゃべり続けた。
いつもと様子がちがうことに気づいた。
そのうち、大石ディレクターは話し合いの末、こちらに向き直り、白い歯を見せてニカッと笑った。ありがとうございます、と口にするのが唇の動きからわかった。
そして子機の通話を終えると、四番バッターを三振にしとめた大谷翔平みたいにガッツポーズを作った。
すぐにコンソールのもとに寄り、マイクを通じて防音ブースの中にいる桐島アナのイヤホンに直接言った。
大石は早口でまくし立てた。桐島アナは指示を聞き逃すまいと集中した。
伝達された内容に、我が耳を疑った。
「大泉さん!」と、桐島アナは身を乗り出し、精根が尽き果てた人のように、椅子にもたれぐったりしているディスクジョッキーに言った。カフボックスは切られたままだから、リスナーには声は乗らない。「大変です! ディレクターからの指示です。今から飛び入りゲストが来てくれるそうなんです!」
「あ……あんだって?」
大泉は天然パーマの頭をかきながら、片方の耳に手のひらを当てた。
桐島アナは両眼を剥いた。
「ビッグサプライズになるかもしれません! ついさっきまで、ラジオ局に、集団失踪事件から還られたお一人と、電話が繋がってたそうなんです!」
「マジで?」
「はじめはご本人さん、電話のみでの出演を希望されてたそうなんですが、ディレクターは聴取率を取りたいため、ラジオ局に出てくれないか交渉したとのことです。結果、条件付きならとOKが出たとか! ただ今、その方がこちらに向かってる最中みたいなんです!」
「でかした、正輝ちゃん!」
大泉は今までのお疲れモードもどこへやら、立ちあがり、副調整室へ拳を突き出し、グータッチのポーズをしてみせた。
髭面のバイキング然とした大石は、腰に手を当て、自慢げにそり返っている。アシスタントディレクターとミキサー担当に挟まれ、両手でヒラヒラされて称賛を受けていた。
そして恭しくコンソールを操作して、ブース内の二人に指示する。
「聞いてのとおりだ。先方は三村 大知さんと名乗った。たしかにニュースで報道された名簿で見かけた名前だったから、愉快犯じゃなかろう」と、大石は野太い声で言った。しきりに腕時計を気にしている。「奴さんはすぐ局の近くまで来てくれているそうなんだ。国道32号を左折して、御坊川沿いに車を停めて電話をくれたらしいから、ほんの1キロと離れちゃいまい。気象協会の中継はあと10秒で終わる。キューが出たら、大泉さんとカナンは、彼が到着するまでなんとか引っ張れ」
「ちょい、ちょい、ちょい、ちょい!」たちまち大泉はうろたえた。天パーをかきむしる。「またアドリブかよ。正輝ちゃん、楽曲で伸ばそ」
副調整室の大石は腕組みして頷いた。
「このチャンスをものにしない手はない。やむを得ん。音楽で引っ張るか。なら、おれの選曲で行こう」
気象予報士の澁澤のアナウンスが終わり、ブースに音声が切り替わった。
桐島アナがまず口を開いた。
「ついさっき、ちょっとしたハプニングがありました。つきましては、時間調整のためにしばらくお時間ください」
「やってやろうじゃないの!」と、大泉は甲高い声を出した。「とりあえず1曲お届けしてお茶を濁しちゃいましょう。――ジョー山中で、『もうなくすものはない』」




