1.再会と近況報告
「広場の中心で盛大な焚火が起こされ、おれたちは炎を囲むように車座になった。
じきに、たくさんの料理が運ばれてきた。
グレイビーソースしたたるうまそうな肉の塊、香草をふんだんに使って炒められた魚介、こんもり盛られた色とりどりの野菜、ありとあらゆるの珍味、そして今まで飲んだことのないような典雅な味の酒。
やがて、飲めや歌えやの宴がはじまった。
鯛や鮃の舞踊りとまではいかないが、負けず劣らずの天にも昇る歓迎ぶりだった。
あぐらをかいて座ったおれたちの隣で、それぞれに美女が侍り、料理を皿に取り分けてくれたり、酒を注いでくれたりと、至れり尽くせりの歓待を受けた。
が、いくらおれたちが若いからとはいえ、贅沢な食べ物を矢継ぎ早出されても、おのずと限界がくる。
なのに女たちときたら、げっぷが出て、食べるのをやめ、酒も休憩したいのに、どんどん口に運んでくるんだ。とても食べきれない。
けらけらと笑いながら肉をねじ込まれ、酒を飲まされた。
それこそフォアグラのガチョウみたいに無理やり食べさせられたんだ。まったく、とんでもないコンパニオンだと思ったよ。
どれほど時間がすぎていったことだろう。
宴会に夢中になって気づかなかったが、すっかり日は暮れていた。
胃袋が丈夫で、酒に強い男たちが女たちの要求に応え続けていたときだった。
やおら女を抱え、立ちあがった。
肩に担ぐ奴や、お姫さまだっこをする者もいた。
それぞれの美女を連れて、思い思いの小屋へ運んでいく。なかにはいっぺんに、3人の女を連れていく猛者もいた。
――なにを言わんとするかは言うまでもないだろ?
男たちは食欲を満たした。お次はそれだった。
誰もがそうした。
恥ずかしながら、おれも例外ではなかった」
◆◆◆◆◆
――19:22
香川県坂出市の国道186号線を車で走っていた。
いわゆるさぬき浜街道と呼ばれているコースである。はるか左は瀬戸内海に面した工業地帯が広がっている。
片側4車線のいちばん左端のレーンを走行しているため、仕事帰りの後続車に次々と抜かれていく。
天気予報はどんぴしゃだった。日が暮れた18時きっかりに雨が降り出したのである。
ちゃんと真智子は、傘を用意しているだろうか? 急に呼び出したのもいけない。おっちょこちょいの彼女のことだ。
もっとも、待ち合わせの場所はスーパーマーケットチェーン店だった。いくらでも雨宿りはできる。
フロントガラスを往復するワイパーの音だけが車内に響く。
オートマ仕様のレンタカーだった。驚くほど乗り心地がよい。
軽いステアリングや、アクセルを踏み込んだときのレスポンス、スムーズな加減速も申し分ない。昔に比べ、格段によくなっている。
三村 大知は備え付けのプレーヤーで、はじめから入っていたCDを聴いてみたのだが……。
現在の若者に絶大な人気を誇るJ-POPのアルバムらしい。
たしかに、ピアノによるバラードもあれば、ポップロックもあり、バリエーションに富んでいる。ボーカルの声がやかましく感じられた。三村は収録曲をひと通り聴いてみたものの、なにがそれほど世間受けするのか首をひねらずにはいられなかった。
時代に取り残された感が、さめざめと胸を満たす。
さっきから尿意を憶えていたので、左に見えたコンビニの駐車場に乗り付けた。
店員にひと言声をかけたあと、一目散に個室へかけ込んだ。
ジーンズと下着を脱いで洋式トイレにしゃがむ。
久しぶりに地元へ帰ってきた三村にとって、小便をするという他愛もない行為は、ひどく集中力を要するのだった。しっかり自分自身をつかみ照準を合わせないと、そこらじゅうを濡らしてしまう恐れがあった。
残尿感がなくなるまで座り続け、無事済ませると個室をあとにした。
以前ほどの鈍い痛みに悩まされなくなっただけでもよしとするしかない。
手を洗い、鏡で髪の毛を整える。
せめて髪型は今風に合わせてあった。服装もそれなりだった。
ひと月前に比べれば顔色はよくなったし、還ってきた直後はあんなにげっそりしていたのに、多少は肉もついてきた。
ただし眼に力は宿っておらず、どんよりと曇っている。
これでも26だった。内省的な顔つきには、いまだあどけなさをとどめているというのに。
陳列ケースに並んだ缶コーヒーとサンドイッチを手に取り、レジで支払った。
コンビニを出たところで気づいた。
もしかしたら真智子を拾ったあと、罪滅ぼしに一緒に食事をとるべきだったのではないか。――いつもながら気遣いの足りなさに、自身の頭に拳骨をやる。
しかしながら車内のデジタル時計を見れば、19時半に近づいていた。
きっと彼女は夕食を済ませているにちがいない。
ふたたびレンタカーをスタートさせ、左に車道を出た。186号線は二車線に減り、滑走路のように北東へ一直線に伸びている。
雨脚は衰える気配がない。
平日の帰宅時だけあって、車の流れはほどほどだ。反対車線も車列が続いているが、それでも東京に比べればそう多くはない。
ここは瀬戸大橋の四国側玄関口に当たる人口約50,000の坂出市。道路の両側にはさまざまな工場や店舗が並んでいるとはいえ、その背後には田畑が広がっていた。田畑のなかに家々が寄り添っていた。よくある風景だった。
片手にサンドイッチをつまみながらコーヒーで流し込み、しばらく走ると、オレンジ色の『H』の看板が右手に見えてきた。瀬戸内海に隣接する県で展開しているスーパーマーケットチェーン店だ。
交差点で右折し、駐車場に入る。
ぐるりと敷地をまわってから店舗の前を横切ろうとすると、赤い傘をさした女が手をふっているのを見つけた。
ハザードを点灯させ、店の前に横付けした。
女は助手席の窓越しに三村を認めると、傘を閉じながらにっこり笑った。
三村は身体を伸ばし、助手席のドアを開け、
「お待たせ。早く入って」
と、言った。
「直感でわかった。きっと三村君の車だなって。あいかわらず時間厳守ね。鉄道会社みたいに正確なところが、昔とおんなじ」
乗り込んできたのは、一見すると身体のラインこそ細く、そこはかとない色香を纏った女だった。
この暗がりでもごまかせはしない。小じわが目立った。ハンドバッグを持つ手にも、水仕事で酷使したらしく、老化が見て取れた。
それが波多 真智子だった。以前の恋人を知る三村にとって、旧姓とは異なる姓になっていた。
――たった4日の間だけだぞ! こんなことってあるか!
スーパーの前を行き来する、事情も知らない者が車中の二人を見れば、てっきり親子か、あるいは親戚のおばさんを送迎している甥っ子かともとれるだろう。それほどこの男女は年齢が離れていた。
三村は車を出し、川の流れに乗るように、国道の車列に割って入った。雨に濡れるフロントガラスの向こうには、色とりどりの光が滲んで見えた。
ふたたび北東の進路を選ぶ。
「……で、これからどこへ連れていくつもりなの?」
と、真智子はシートベルトを締めながら言った。
「そんなに遠出しないさ。少なくとも今日中には戻れるドライブだよ」
「修一さん――今の夫よ――、には内緒で出てきたんだから。あんまり長居できないの。そのつもりで」
「急に電話かけたりしてごめん。マチをどうこうするつもりじゃないんだが、フェアじゃないよな」
「いいってことよ、気にしなさんな。三村君の気持ちもわかるから、こうして付き合おうって腹くくってきたの」
「そう言ってくれると助かる」
「また深刻な顔して」真智子は足もとに放置されたビニール袋をつまんだ。さっき食べたばかりのサンドイッチの梱包ビニールが入っている。「せっかく帰ってきたんだから、もっと贅沢な食事をしなさいったら。隔離生活から抜けられたとき、見舞い金とか出たんでしょ。テレビで観たわ。記者会見じゃ、げっそりやつれてたけど、あれよりはましかな?」
「見舞い金なんて、たかだか知れてる。新しいアパート探したり、身のまわりのものを揃えてたら、あっという間に底を尽いたさ。贅沢なんかしていられない」
「もとの仕事に復帰できたって言ってたよね。よかったじゃない、昔の会社が続いてて。たしか清涼飲料水のメーカーだったっけ? 会社名、忘れちゃったけど」
「うん」
「当時勤めてた私の不動産会社なんか、とっくの昔に倒産しちゃって、いまじゃ更地のまんまだよ」真智子は淀みなくしゃべりながら、三村の横顔を眺めた。「あのころの同僚とか上司とか、今でも健在なの? どお、うまく溶け込めそう?」
「健在は健在だが」と、三村はステアリングを操りながら口ごもった。「なにせ、おれが顔出すの、ずいぶん久しぶりだからな。とっくに忘れられてると思ったけど、同期は憶えててくれた。今じゃ岡屋敷とか、齋藤さんも定年まで、あと数えるほどの大ベテランだ。近づくのも畏れ多い。尊敬してた室井課長は65すぎて、嘱託社員になってて、今でも会社にしがみついてる。なにか不祥事をやらかしたらしく、窓際族になってた。なんだか、現実の無常さを突き付けられた気がする」
「そ」
「復帰ったって、以前とは完全に仕事のやり方が変わってしまってる。おれなんか、とてもついていける自信がない。結局は新人扱いさ」