誰そ彼
時々、都会の街を歩くことがあります。ふたりで歩いた道を歩くこともあります。どこか、あの頃よりも、よそよそしく感じます。もしかしたら、その人が受け入れてくれていたから、街も私を受け入れてくれていたのかもしれない。そんなことを思います。それでも、どこか懐かしいのはなぜでしょう。
別れの風景を書くということは、最後にみた二人の風景を人に読んでもらうということなので、私にはとても書けそうにはありません。ですから、この詩は心象的な事実ですが、場面は置き換えています。
いつか、実体験に頼らずに創造力だけで、詩が書けるようになるといいなあと思います。あっ、恋の詩についてです。
きみを探して、夕暮れの 都会の街を、また歩く
遠い別れにみた、きみの うしろ姿の淋しさの
いまも、こころに留まれば
痛みを秘めて「誰そ彼」の
見知らぬ人の人波を きみを探してひとり行く
人が溢れる夕暮れの 街は灯に暮れあぐね
ふたりが、あの日、急かされた 何かを、いまも探しつつ
歩けば、不意にすれ違う 黒髪長き、きみに似た
颯爽とゆく、足早の 女を、幾度も振り返る
人の溢れる、この街が きみの馴染みにあらざれば
きっと、ひとりを思い知り
まして、孤独の浮かびきて 流離うことの辛けれど
何処かにきみを偲ばせる
街の記憶が、この胸に 仄かな明り灯らせる
改札口で背を向けて 振り返らずに去るきみの
コートの白と黒髪の コントラストが鮮やかに
いまも記憶を浮かびきて
いるはずもなき、北口の 人の流れに、あの夜を
ひとり静かに思い出す
幾たび、ここを訪ねれば ただの街へと変わりゆき
きみがいた日を ひとコマの 遠き記憶に変えられる
記憶は、日々に遠ざかり
あまりに人も多ければ
きみを探して立つ道は むしろ果てなく広がりぬ