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私の、珈琲と本より大切な松葉牡丹。

作者: 椎名 朧

今日はとても良い日だ。

私は、いつもそう言って1日を始める


まず1杯の珈琲を淹れて

小鳥の囀りをかき消すように鼻歌を歌い

毎日ひとりで迎える朝を

強がりなんかではなく、確かに

一人の時間を満喫し幸せを感じる。

これでもか といった具合に

朝食のトーストにはチーズやバター、ベーコンを乗せ

それらを調子よく頬張る。

きっと、これを聞いた人達は

「何をそこまでしたり顔で居るのか」と

疑問に思うに違いない。


少しだけ昔の話をするので聞いてほしいのだが

私には、昔 愛する人が二人いた。

まだ28歳だった頃

とても愛らしく、まるで庭の松葉牡丹のように微笑む妻と

妻によく似た、無邪気に駆け回る娘だ。

彼女達は、いつも私を癒やし

私は、そんな二人を愛していた。


あれは、私が本屋へ行き新作の本を購入して

行きつけの喫茶店で趣味の読書をしていた

都会だからか、やけに救急車やパトカーなんかが

煩い日の事だった


妻や娘から数回の電話がかかってきた、が

「どうせ、おつかいでも頼まれるのだろう」などと

私は気にも留めず

優雅に珈琲なんかを啜り、ホットサンドをつまみつつ

また、手の上で広がる素晴らしい別世界に入り込んだ

それから数十分くらい経っただろうか。

見知らぬ番号から一件の電話が来て

ふと現実に引き戻される


流石に、気になって電話に出てみると

聞いたことのない男の声がした。


「もしもし、楠警察の者ですが。橘さんの電話でお間違いありませんか」

そんな警察からの着信と

普段、用がなければかかってこない妻と娘の電話に

私は嫌な予感がしてならなかった。


『はい、橘ですが。どうかなされたんですか』

「そうですか…信じられないかもしれませんが、橘さんの家で火事が起きまして、奥さんと娘さんが重症で病院へ送られました。」

『火事!?二人は、意識はあるんですか!なんで火事になんか…!!なぜ二人は逃げなかったんですか!!』


慌てて警察を問いただしてしまった

妻は慎重だし、少しでも危険があれば

すぐに支度をして家を出る判断くらいはできる人だった

娘も、賢い子だ。二人共が逃げ遅れるなんてことは

考えられなかった。


「それが、料理中、奥さんが娘さんを呼びに部屋へ行った時に火事が起きてしまったらしく、気がついた頃には煙が酷く意識を失ってしまったようで…」


確かにキッチンは1階で、娘の部屋は2階の奥だ。

気づくまでに時間はかかるかもしれない。

だが、臭いは?熱さは?少しでも違和感があったはずだ。

考えていても仕方がないし、今は二人の容態が心配でならない


『すみません、どこの病院へ搬送されたんですか?』

「楠病院です、病室は205号室です。まずは心配でしょうから、病院の方へ向かってください」

『ありがとうございます…それでは失礼します』


必死に震えを抑えながら荷物を持って病院へ向かう

幸か不幸か、楠病院は喫茶店から近かった

先程、聞き流していた救急車なんかの音は

もしかしたら彼女達だったのか。

二人が電話をかけてきたのは助けを求めていたからなのか。

そんなことを考えながら病院へ向かった


病院について看護師さんに説明して

病室へ案内してもらった


二人は想像よりも酷い状態だった

全身の火傷、意識も無く、呼吸も浅い

正直、助かる見込みがないことくらい

素人の私でも分かってしまうほどだった

でも現実を受けとめきれず。

私のせいで、二人が死んでしまう。と思うと

後悔しかなくて、せめて最期に

意識のある二人に謝るくらいはしたかった。


そんな希望は、私が思ってるより早く消え去って

命が消えたことを証明する機械の音と

バタバタとし始める医者と看護師達が

最期の会話すらできない現実を突きつけてきた


泣いても仕方がない事だ。そう言い聞かせながら

私の目から流れるソレは止まってくれなかった

泣き崩れる私を置き去りにして

それから葬式も四十九日も

素早く通り過ぎていった

買うことが当たり前になった 仏花、菓子、線香

まだ見慣れないリビングに置かれた仏壇と

そこに置かれた愛しい二人の笑顔の写真


火事で家は、ほぼ全焼したし

ひとりになったので引っ越した

新しい家は、すぐ線香の匂いが染み付いて

二人が夢にすら出てこなくて

化けてでも出てきてほしい。なんて

まだ懺悔のチャンスを求めているけど

きっと、こんな私を見て

妻は『何をバカなことを言ってるの?』と

かつて庭に咲いていた松葉牡丹のように微笑むだろう。


いつも私の傍らで微笑んだ妻も

私が仕事から帰ると真っ先に抱きついてくる娘も

今は居ない


長くなってしまってすまない。

少し、思い出して語りすぎてしまった。


まぁ、そんなところだ。

だからね、残った私が寂れてしまえば

二人は逝くに逝けないだろう、と思って


今はひとりだけど、私は元気にやっていけてるから

大丈夫だ。ってね


いつか、私も終わりを迎えて

二人に会えたときは、真っ先に謝罪したい

そして、願わくば、また

二人の笑顔のそばで読書がしたいんだ。



珈琲なんかを淹れてね。

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