5話目
ブリジットを見送ってから、アムニスは自身の屋敷に戻って転移をした。
向かう先は宮廷、その中でも王太子の執務室だ。
普通の人間ならば使う魔力が膨大すぎて転移魔法など何度も使えないが、アムニスからしてみたらごくごく一般的な魔法だ。場所の指定も慣れたもので、いつも通り無事に転移を終える。
突如として現れたアムニスに、王太子・セオドアは呆れた顔を浮かべた。
「相変わらず、いきなり現れすぎではありませんか? アムニス」
金髪碧眼のいかにも王子様然としたセオドアに対し、アムニスは冷たい。
「そんなこと、どうでもよい」
ブリジットと一緒にいるときとは明らかに違った態度と、王太子と伯爵令息という立場からは考えられない真逆の対応。
だが、セオドアは何も言わない。むしろそれがいつも通りだと示すように、話を進める。
「それは失礼いたしました。……それで、何か情報はつかめましたか?」
「ああ。やはり何者かが意図的に、貴族間で婚約解消騒動を起こしているらしい。しかも、精神干渉をしている形跡が見られるな」
「精神干渉、ですか……厄介ですね」
「まったくだ。お前が穏便にことを進めなかったせいだろう、セオドア」
普段の無口はどこへやら。
口調までも変わって饒舌に、アムニスは語る。その姿は夜の月のように冴えた見た目同様、ひどく冷ややかだ。
どかりとソファに腰掛け足を組むアムニスに、セオドアは曖昧な笑みを浮かべる。そしてアムニスが腰掛けるソファの向かい側に座り、話を始めた。
「わたしとて、彼女と婚約解消などしたくなかったのですよ。彼女ほど、王太子妃にふさわしい女性はいませんでしたし」
「だろうな。彼女は僕の存在がどういうものなのか理解していたし、それを理解した上で王太子妃らしい行動をとっていた。そんな彼女があんなにも豹変するのだから、それも含めてお前のせいだろう、セオドア」
そう言われ、セオドアは苦い顔をする。いつも王子様然とした態度を崩さない彼にしてみては、珍しい表情だった。
トンプソン公爵令嬢・シエンナがおかしくなったのは、突然だった。
今より二週間前辺り。セオドアと一緒に大聖堂へ訪問した後に、まるで人が変わった。当たり前のように公然の場でセオドアに抱き着いてきたり、まるで客をたらし込む娼婦のような甘えた態度を見せるようになったのだ。
シエンナは、そのようなことは決してしない。
最近になってようやく、プライベートの場で甘えてくれるようになったくらいなのだ。その甘え方も慣れていない様子で、かなりたどたどしかった。それも含めて、セオドアはシエンナのことを愛していたのだ。
なのにまるで性格が変わってしまった。
中身ごと、入れ替わってしまったかのように。
痕跡を探してみたが、アムニスでさえ上手く探せない。だから致し方なく、婚約解消することになったのだ。
しかしセオドアは未だに、それが正しかったのか悩むことがある。
そもそも精神が強く、精神干渉などにかかりにくいとアムニスにまで太鼓判を押されているシエンナだ。そんな彼女が精神干渉を受けたのであれば、相手はそれ相応の人物であろう。
そして悲しいことに、セオドアにはその人物に心当たりがあった。
「……一人、シエンナに何かしそうな人物に心当たりがあります」
「なんだ、いるのではないか。誰だ?」
「……聖女様ですよ」
瞬間、アムニスが顔をしかめる。
「聖女か……ああ確かに、お前のことを妙に気に入っていたな」
「ええ、まぁ……しかし相手は神より選ばれし聖女様です。多少のおかしな言動はそういうものなのだと目をつぶっていましたし、王家としても、教会とことを構えるようなことはしたくありませんでした。なので今まで黙認してきたのですが……」
「ふぅむ。確かに相手が聖女ならば、シエンナに何かできてもおかしくない。痕跡を残さないこともできよう」
アムニスが頷く。事実、聖女というのはこの国において超次元的な存在だった。
神の代弁者として、普通の人間ではあり得ないくらいの特権を有しているのだ。それこそ、今のアムニスでは太刀打ちできない。
だからこそセオドアは、深々と頭を下げる。
王太子あるまじき行為だが、この場においてそれは正しい。
――なんせ目の前にいる生き物は、人間ではないのだから。
「ですので、王家を代表してお願いさせていただきます。アムニス様。――どうか、シエンナのことをお救いください」
その言葉は契約だ。王家と人でないモノとの間で交わされた、絶対なる契約。
同時にそれは、アムニスが制限していた力を解放するために必要なものでもある。
それを感じ取り、アムニスは金色の瞳を輝かせながら微笑む。
「良かろう、契約は交わされた。……これで僕のほうも、配下をある程度自由に動かせる」
それだけ言うと早々に帰る準備を整えるアムニスだが、思い出したように「あ」と声を上げた。
「僕がお前たちとの契約を継続する条件、忘れていないよな?」
「もちろんです。ブリジット・マクレーン嬢に、絶対に害をなさないこと。……その点はご安心を。必ずお守りいたしますから」
「ならよい。……それでは、またくる」
かつん。
踵を軽く鳴らせば、アムニスの姿は瞬く間に消える。
自身の部屋へ戻ってきた彼は、ふう、と息を吐いた。そして先ほど別れたブリジットのことを思い出す。
王家も聖女もどうでもいい。
「僕が一番恐ろしいのは――君を喪うこと。そして君から嫌われることだから……」
祈るような気持ちでそう呟き、アムニスは早々にこの茶番を終わらせるために、動き出した――