4話目
帰りの馬車で揺られながら、ブリジットは深く考え込んでいた。
(正直、考えすぎだと思うのだけれど……前世の創作ネタが、たくさん出てきてる気がするわ)
一つ目は婚約破棄。
そして二つ目は予想だが――魅了の魔法。
悪役令嬢の婚約者を惑わすために、物語の真の悪女が使う、洗脳魔法だ。
この世界にもそういう類の魔法は存在するが、どちらかというと魔族と呼ばれる女夢魔や男夢魔が、異性を誘惑するために使うことが多いとされている。ごく稀に魅了の魔眼を持つ人間もいるらしいが、その場合制約魔法を魔法省より義務付けられており、乱用はできないとされている。
たとえ孤児であっても教会経由で必ず魔法の適性を調べることになっているので、漏れはほぼほぼない。なので、ありえない、と思いたかった。
(でも……完璧なんて、それこそありえないわ)
だからブリジットは、何者かが王家、ひいては国を害するために攻撃しているのではないかと考えた。
トンプソン公爵令嬢を狙ったのは、王太子殿下よりも警備が緩いから。もしくは王家に近いトンプソン公爵家を乗っ取ることで、王家にダメージを与えようとした、とかではないか。
でなければ、あのトンプソン公爵令嬢がヒステリーになるのだろうか。王太子殿下から一方的に婚約破棄されたならまだしも。
色々なことがちぐはぐなのだ。さかしま。順番が合わない。誰かが無理やり順序を切り取って貼り付けているような、そんな気持ち悪さ。
だが証明できるだけの材料がなく、これはただの仮説でしかない。
それでも国の危機ならば、早く手を打ったほうがいいに決まっている。
そんな二つの考えの狭間で揺れていたブリジットの意識を現実に引き戻したのは、となりに座るアムニスだった。
「……ブリジット?」
「……あ、の。アムニス様……」
小首を傾げながら、アムニスがブリジットの手を握ってくる。じいっと金色の瞳で見つめてこられると、ドキドキしてしまう。
『どうかした?』
そんな声が聞こえてくるような仕草に、ブリジットはあたふたする。
「い、いえ、大したことではないのです。ただ……トンプソン様がこのタイミングで気を患ってしまわれたのは、とても作為的なものを感じるのです。トンプソン様が王太子妃になるのを止めたい方が、何かなさっているのではないかなと……たとえば、洗脳だとか」
そう言えば、アムニスは目を丸くした。
「……あんまりメジャーな魔法じゃないのに、よく知っていたね?」
(そ、そうだった。つい気になって調べてしまったけれど、この辺りは大学院辺りで習うものだったわ……!)
国で規制しているため、一般的な履修教科では習わないのだ。しかしブリジットは前世の記憶があるため思わず国立図書館へ赴いて調べてしまい、規制されている理由やその性質などに行きついてしまったというわけである。
だが、その間がすっぽり抜けている。
(いえ、そもそも何故魅了のことを思い出したんだったかしら……そうだったわ!)
ブリジットはハッと顔を上げた。
「そ、そうです! アムニス様の研究室に荷物を届けた際、精神干渉を防ぐための魔導具をお作りだったと仰っていたからです! そこで、精神干渉の魔法とはどういうものなのだろうかと疑問に思って、図書館に調べに行ったのです」
その言葉を聞いて、ブリジットは前世の創作ネタを思い出したのだ。そうだそうだと一人納得していると、アムニスが珍しく引き攣った笑みを浮かべている。
「……あ、ああーあれかー……」
「はい。……えっと、あの、いけませんでしたか?」
アムニスが妙にダメージを受けているので、不安になって問う。しかし彼は首を横に振りつつ、バツの悪そうな顔をする。
「いや……あれ、極秘の研究なんだ」
「……えっ」
「うん。だから、ね?」
唇に人差し指を当てて「しー」というポーズを取るアムニスを見て、ブリジットはこくこくと頷く。
(確かに、アムニス様は一言だけ言ってすぐ話題を変えられたわ。こ、これはあれね……社外秘だったのに、知らなかった情報というものね……)
その辺り、ブリジットはしっかりと弁えているので、絶対に口にしないと誓う。幸いというべきか、あまりに恐ろしくて両親にも話していないので、その辺りに関しては大丈夫だろう。
そう説明すると、アムニスはほっとした顔をした。
「ありがとう。……騒ぎが大きくなってるみたいだから、詳しい話は僕のほうで調べるね」
「はい、アムニス様」
「うん。……大丈夫、二日後、会いに行くから」
ブリジットが不安そうな顔をしているのが分かったのだろう。そう言って、アムニスは額にキスをしてくれる。
頬を軽く染めながら、ブリジットはこくんと頷いた。
「はい、アムニス様。アムニス様のお好きなお菓子をたくさん作って、待っておりますわ」
「本当っ?……嬉しい」
こつん、と額同士を合わせてから、アムニスは満面の笑みを浮かべてブリジットに口づけをしてくる。慣れない感覚に四苦八苦しながらも、彼女はそれを受け止めた。
(こ、こういうのはいつも、心臓に悪いわ……!)
嬉しくなったとき、アムニスは決まってキスをしてくる。場所によって嬉しさの度合いが違っていて、唇へのキスは一番嬉しいときにする。そんなことが分かるくらいには、何十回も数え切れないくらい触れ合いをしていた。
それが、甘くて柔らかくて、胸がキュッとなる。
(こ、こんなふうに扱われていたら……愛されていない、なんて、絶対に思えないわ……)
婚約者様との物理的に甘いやりとりを噛み締めながら、ブリジットは屋敷に戻る。婚約時の取り決めもあり、彼女が嫁ぐのは二十歳になってからだった。今年で十九歳になるため、残り二年ないくらいだろう。
(あともう少し……それまでに、アムニス様に相応しい女性になれるよう頑張らなければ!)
そして明後日はどんなお菓子を作ろうかなーと考えていたときだった。
「ブリジットお嬢様、申し訳ございません……お客様が、いらしておりまして……」
焦った様子の執事が、ブリジットの帰りを待っていたのだ。
「どうしたの? どなたがいらしてるのかしら」
「そ、それが……護衛をすべて薙ぎ倒された、大変お強いご婦人でして……」
「………………え?」
「その上、ご自身をトンプソン家の御令嬢だと仰っておられまし、て…………」
「…………………えっ⁉︎」
とんでもない話に、ブリジットの思考は停止したのだった。
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