#209 イルルとウジンの距離
アルがイルルに変身する際、ナナは課題を課していた。
「イルルになるからには心機一転、真面目すぎるぐらいに働くこと」
「ええもちろん、よほど不真面目にはなりませんが?」
「人からの評価がいいに越したことはない。ちょうどいい機会なんだから」
「はあ」
「今すぐいい返事を聞かないとうっかり1人分の食事を作り忘れかねん」
「すぐライフラインを人質に使いますね!? わかりました、誠心誠意努めます!」
(なお、これは相対的にアルの評価を下げることになるのだが2人ともそのことに気づいていなかった)
◇
イルル達は早速、朝食後に動くことになり、屋敷の前に集合することに。
初めに集まったのがイルルで、これはナナに催促されたのもあったがなにより装備が少ないからというのが大きい。
次いで現れたのが、一番装備が多いウジン。
しばらくの待ち時間があってレーネが現れた。
前衛に立ち味方の盾になる騎士のウジンと違い重装備は不要で、代わりに魔法と称される発雷能力を補助する身の丈ほどの杖を持っているくらいで、イルルの装備とは大差がない。
「それじゃあ行こうか」
遅刻はしていなかったのでイルルは特に指摘をすることはなかった。
そして出発を告げるウジンもそうだったが、イルルと違い時計を一瞥もしていなかった。
ハードベアという害獣の討伐は難なく終わったが、夕方ごろ屋敷の自室に戻った時にはイルルは多くの違和感を抱えていた。
『なにも頼まれなかったなあ……』
クエスト中、レーネからは指示の内容が難解なものもあって苦労したがそれでもなんとかできる限りのことをするように努めていた。
しかしウジンは文字通りなにも頼みごとをイルルにしてこなかった。
大事な連携も要所はレーネ頼りで『任せた』、『従うよ』という具合で、騎士という役割上、前衛に立ち守りに徹するのも仕方なかったが主体性を感じられなかった。
『ナナさんからの指示で意識するようになったけど、ウジンの無神経さの根幹にあるのは他人への無関心っぽいんだよね。感情を表に出さず、人間味がない感じ。かといって』
肩をすくめてため息をつく。
『ほぼ成人してるような、そんな歳になると手強いんだよなあ、このタイプ。しかも男となるとなおのこと』
ウジンとは同性、同年代のアルとしての感性を持つイルルは細かい境遇は知らなかったが今おかれている状況を肌で感じとり、そのややこしさに顔をしかめた。
『こういうのは女子がなにかしても逆に意固地になって聞く耳持たずの焼け石に水。妹のサジンにもああいう接し方をしてるんだからたとえ肉親だって……んん? そういやお兄さんがいたんだっけ。でもあの時のウジンはまるで別人みたいに愛嬌があったはず。あれは見間違いじゃなかった……よね?』
ウジンには双子の妹のサジンだけでなく、グレイズという兄がいた。
イルルはウジンと初めて顔を合わせた時に同時に接触していてその時の彼の様子はというと、いい歳をして”兄ちゃん”呼びをして、それを見られていると気づくと顔を真っ赤にして慌てて取り繕っていた。
兄のグレイズの雰囲気からして人前でないと普段はそういう間柄だったらしい。
『グレイズさんだけには自分を抑えず心を開いてることになるけど同性の兄弟だから特別なんだろうか。むむ……その感覚までは理解できないや。って、ナナさんからはパーティの友好を深めろなんてことまで依頼されてないから放置でも構わないか。お節介で無駄にことを荒立てる方が迷惑だもんね』
パーティの不和を招きかねないリスクを危惧したイルルは現状維持を決め込んだ。
夕食の時間が近くなり、女子の部屋が割り振られている2階からイルルは1階へ降りていく。
『よほどのことがない限りはウジンにとって私も興味関心のない有象無象に過ぎないから──』
ところで未だ女体の扱いに慣れていない(自分が操るものとしての意味でである)イルルはしょっちゅう転ぶことがあった。
女に変わったことで男の頃になかったものが胸部に生まれていて、足元が見えにくくなっていたのだ。
なので階段は特に気をつけなければならなかったのだが、屋敷は古い建物なので一つ一つの段差がやや高く、つい足を踏み外してしまった。
幸いなことが2つ重なって大きなけがを負わなかったが、同時に不幸にも見舞われた。
1つの幸運は低い段数だったことで、もう1つの幸運であり不幸は、倒れた先にいたウジンが受け止めてくれたことだ。
「あー……、ええと……」
成り行きだったがウジンは自分の体を下敷きにして、反射的に腕も出してしっかりとイルルを支えていた。
ただ咄嗟のことだったので上方から来るイルルのどこを掴むかまでは配慮できなかった。
結果、上体だけ起こしているウジンに馬乗りになっていたイルルは、ちょうど胸にあった手ごろな膨らみを掴んで支えられている状態が数秒間過ぎて、やがていたたまれなくなって遠慮しがちに口を開いた。
「ありがとね。こっちは大丈夫だけどそっちもけがはない?」
「僕はー……う、うん、大丈夫。というかごめん、これはつい咄嗟のことで、その……」
「うんうん、事故ってことでこれは済まそう……? ね?」
イルルの提案にウジンは真っ赤にした顔で頷くことしかできず、それを了承とみなしたイルルは腕の拘束をそっと解いて逃げるように食堂に足を運んだ。
そして食事が終わって解散するまで2人の間には気まずい雰囲気があったのだった。
『これはー……少なくともただの有象無象とみなされなくなってしまったかな。はあ』
◇
食後の後片付けは当番制で1人がナナの手伝いをすることになっていて、今回はイルルだった。
人手が多ければ作業が捗るのだが台所は狭いのでそうはいかず、今はまさに肩を並べて食器を洗っていた。
「ナナさんってきょうだいとかいます?」
「もう婚約済みだぞ?」
「勝手にこっちの思考を決めつけないでください」
「というか私も一人っ子だ。たぶんイルルもそうなんだろう?」
「そうですけど、相変わらずいい加減なことを言って……」
「なんだ、相談なら聞くぞ」
話すきっかけを作ってしまった以上、不自然に取り繕うのは悪手だと判断、わずかでも助けにでもなればいいぐらいの気持ちで気になっていることを尋ねた。
「きょうだいでも同性だと特別仲が良かったりするのか誰かを参考にしたかったんです」
「姉弟ならフィアたちがいるだろう」
「アレはなんにも参考にならないです。いや、ある意味では必ず仲が良いわけじゃないというケースを見せてくれてますけど」
「でも私はあれが自然な距離感だとみなしているぞ。例えばだけど逆に、絵に描いたような仲が良い様子を見たならそれはそれで疑うんだろイルルは」
「絵に描いたような……けどあれは裏がある感じじゃなかったよね」
「どうした。前置きはそろそろいいから、肝心の相談を聞かせてみろ」
「……この前のことですけど、ウジンのお兄さんに会ったんですよ」
ウジンの兄というフレーズに目を見開いて反応したナナだったが、それまでのやり取りがあってイルルは気にも留めない。
「グレイズさんっていうんですけど」
「……グレイズ氏と、最近ってことはこのユンニで出会ったって?」
「ギルド職員だからやっぱり知ってますよね。駄目元ですけどどういう冒険者かわかりますか? その時は二、三言しか交わさなかったんで、初対面だったせいもあるんでしょうけど、面倒見がいい人かな、くらいの印象だったんですよね」
当時のイルルは予期せぬウジンとの対峙により挙動不審でいて、どちらかと言えば関わりたくはなかった人間のはずだったのだが──実際ウジンは気になったことを追及してきていた──グレイズは弟をうまくたしなめてイルルの味方をしてくれていた。
「もちろん個人情報をべらべらしゃべるわけがないだろ」
「ですよねー……」
「それに厳密に言えばグレイズ氏は冒険者ではないしな」
「はい? なにか言いました?」
「ううん。なんでもない。それよりもイルルこそ急にウジン君のことを調べ出して、どういうつもりだ?」
「それはほら、ナナさんの言いつけを守ってイルルの評価を上げるためにパーティの親交を深めるためです」
「そうか、偉いぞ。じゃあもう1つ頼みをするかな」
「ええー……」
「簡単なことだ。せっかくイルル状態なのに敬語だと変化した実感がないから、次からはため口な」
「なんのメリットが……?」
「返事は?」
「またどうせ脅迫するんでしょ……わかりました。じゃなくて、わかったよ」
◇
翌朝、次は表玄関の掃除当番だったイルルは早起きして現場に足を運ぶ。
寄り道して裏庭に行くと予想通りウジンが野球の朝練の一環として素振りをしていた。
「ちょっとだけ手伝ってくれるかな?」
普段のウジンでも二言返事で了承しただろうが、今回に限っては昨日の事情が関わっていてイルルからの頼み、という意識を特別持っていた。
イルルとしてはぼんやりと、自然な距離感に戻したいくらいの意気込みだったのでウジンとははっきりとした温度差があったのだが互いにそれには気づいていなかった。
「ウジンってユンニの出身なんだよね?」
さっそく関係を元に戻そうとしてみるのだが、見た目は変わったが中身は友達1人だけのアル。
無難な話題で会話を始める。
「別にサジンと一緒なんだけど……聞いてないの?」
性別こそ違うがウジンたち兄妹はわずかな歳の差もない双子。
成人してからはともかく、まだ子どもの頃の生まれ育った環境はまず間違いなく同じはずだった。
そんなもっともな理論で返されてしまい、しかしここで妙な反応をすればサジンとは知り合いだということが疑われて嘘がばれてしまう。
ストレスからの回避行動でイルルは体が強張る。
「りょ、両者の話に齟齬がないかを確かめるためにね。隠したい情報は明かさない、または改変していることもあるから」
自分が嘘をついている人間だというのにイルルは開き直って相手を疑うような台詞を吐いた。
ただ実際、ウジンが野球狂いの変人だったことをイルルは知らなかったのだ。
「取り調べみたいなことをするね、君は……」
「……」
「うーん……」
ウジンが抱いている負い目を突き、じっと見るだけの沈黙で催促する強行手段を取り、観念したウジンは苦笑してから答えた。
「ユンニには違いないけど、西にあるキャタバ地方の境界のすぐ側で、そっちの方が馴染みがあるかな」
「ほおほお」
サジンとそんな話をしたことがなかったイルルは純粋に初耳の反応を示した。
それからおよそ定番の質問を記憶の中で探っていくが趣味は既に把握していたので抜きにして家庭に関するものを聞く。
「この前グレイズさんと会ったけど、ちなみにきょうだいはグレイズさん、サジン以外にいるの?」
サジンに聞いても同じ内容のはずなので無意味な問いに違いないのだが、イルルだけでなくアルもそもそもその質問をしたことがなかったので十分に有益なものだった。
『男のアルが異性のサジンになんのきっかけもなく家庭のこと聞くのは気持ち悪いもんね。絶対にひかれる。けど逆に女子のイルルとしての状態でなら冗談めかして特に不振がられず自然に聞ける』
それはアルの自意識過剰という事情ではばかられていたためで、先の『供述の裏をとる』という理論で無理を通してウジンに回答を迫る。
軽く指を絡ませてもじもじする、あまりウジンには見られない挙動を挟んでから口を開いた。
仲の良かったグレイズのことを突かれて動揺したのかは不明だが、少なくともイルルは事実だけを述べるだけのウジンとはわずかに変化があったのを認めた。
「妹のサジンと兄が2人だよ」
「へえ、あと1人いたんだ」
その次男の名前はアドニスだと紹介された。
つまりサジンが兄妹で唯一の女子となり、その立場の扱いをふと想像してみる。
『男2人が続いて、サジンが来たらまあ特別かわいいだろうけど……ウジンのその境遇は同情する……』
話が発展するのを期待しての質問だったが、やはりいつもの通り淡々と事実を述べただけで会話は途切れ、向こうから歩み寄る気配がない。
無言の間が5つ数えるほど過ぎると、ウジンはそれをさっきのイルルなりの催促ととり、とうとう口を開く。
「イルルはお姉さんがいるとは聞いたけど、そっちはどうなの?」
「ん? 私に姉が?」
「レーネに言ってたよね? 化粧を教えてくれたとか……」
「そ、そうそう。そんな設定にしてたねー……」
「設定?」
思いつきでしたその場限りの会話のことを思い出し、はっとしてイルルは手を叩いて同調する。
『そういえばその辺の設定を練ってなかったんだった……この流れだと出身とか聞かれてもおかしくない。うーん……アルのものをそのまま転用すれば楽なんだけどそれをきっかけにアルの行方を探られたら正体を暴かれる危険が……』
イルルが数瞬のうちにそれだけ考えて、そのついでに別の違和感にも気づいた。
『そういえば、アルは突然いなくなった状況なのに誰もなにも不審がってなくない……? いや、たぶんナナさんがうまく手を回してくれてるんだろうなあ』
真実を知らないままでいいものには目をつぶっていたイルルのそんな心境は知らず、またウジンから質問をした。
しかしそこに個人的な感情はなく、単にイルルからされた質問を繰り返していただけだった。
それは互いの調子を確かめるような社交辞令のようなものだ。
「まあまあ、私の話はまた後日時間を作るからその時にゆっくりとね」
「予定組まなきゃいけないの?」
「さーて今日も張り切って1日がんばろー!」
イルルが半端なところで話を切り上げたが、むしろウジンもそれを望んでいたことだったので食い下がることはなかった。
◇
その日のクエストも難なく終わり夕食後、今回の当番はレーネであり、ウジンに関することも元より時間をかけるつもりなのでイルルは自室でゆっくりできるはずだった。
「お腹空いたから買い食いしにいきたい」
白いイヌの姿をした聖獣ツバキがやってきて同伴を強いてきた。
夕食だけでは足りなかったらしい。
ツバキは普段聖獣としての正体を隠していて、会話を交わすのは限られた人間のみなので同伴者がいないと買い物ができない。
「うち門限があるからもう出歩けなーい。ざんねんざんねん」
屋敷の決まりを逆手に取ったイルルを手をひらひらと振ってツバキを追い返す。
「そう。分身もできるし変身もできるから特に問題はないからいわ。代償に翌日に奇行を繰り返す男の噂が流れるけど」
「なんで私はこんな弱味が多い!」
ナナに変身することも提案したものの知り合いに会った場合にうまく話しを合わせられないとのことで、ひとしきり嘆いてから手っ取り早くアルに戻ろうとするが、もしもイルルとして部屋に入りアルとして出てきたところを目撃されるのは正体が見抜かれる危険がある。
加えてイルルの部屋は男子禁制の2階にあって、無人の部屋に出入りしていることになるのだからそのリスクもある。
「今うちにいる男子はウジンだけ……」
「私と口を聞けるのはアンタかナナ、一応アンもいるけど」
「アンはあの歳じゃ無理だね。ウジンに迷惑もかけるし。ということでナナさんの手が空くまで待とう?」
「待てない」
「ええー……私が行くしかないの……?」
◇
「ツバキの散歩に行かない?」
「……日中に行けてなかったかあ。そうだよね。いいよ、じゃあ」
「ごめんね、この通りツバキが放してくれなくて……一緒に出ないといけないみたい」
イルルが訪れたウジンの部屋の中で歩き回ってみせると、ツバキはその尻をどこまでも追いかける。
それを見てウジンはやはり諦めて了承し、2人してナナに外出の旨を連絡しに行く。
「あ……いってらっしゃい、イルル姉……」
ナナに世話を任せているがアンが一番懐いていたのはアルおよびイルルであった。
ただ冒険者として活動を始めるようになり忙しくなり、昨日は家事の当番だったので満足するほど時間を作れておらず気づかぬうちにアンを寂しくさせていたらしかった。
しかし健気にも強がってそんな様子を見せないように努めている。
それなのにこれからイルルもツバキも外へ出てしまうのだ。
「……」
「夜に子どもを連れ歩くのはなあ……」
「う、うん」
同情を誘う雰囲気になったがウジンは冷静に、あくまでアンをおもっての指摘をした。
ここはツバキに大人になってもらおうとイルルは顔を寄せて交渉しようとするがウジンの話はまだ続いた。
「手をつなぐより肩車した方がはぐれたりすることはないからそうしようか」
アンは困惑し、イルルも申し訳なさを感じていたが断るのもウジンの顔が立たないので、全員が納得したものとして3人と1匹は屋敷を出る。
ただ、ウジンが肩車を提案したのは子どもの歩幅に合わせて移動が遅くなるのを避ける意図があったためで、それは本人しか知らない。
◇
ウジンは、イヌの散歩だというのにイルルが人混みを避けず露店の多い通りを進んでいるのが不思議でならなかった。
そして夕食後だというのにかなりの量の食べ物を買い込んでいて、いくつかはアンに上げているものの、イルル本人はあまり多くの他人の目があると気が散るというので一口も手をつけていない。
「そろそろ満足したー? ツバキ」
散歩に、ではなく食事の買い出しというイルルとツバキの間だけで通じる質問をすると、あらかた気になる匂いの調査ができたらしく体を翻してさっさと帰ろうと主張する。
自分勝手なものだとイルルは内心うんざりしていた。
「ごめんね長く付き合わせちゃって。そろそろ帰ろうか。アンも肩車楽しかった?」
「うん、楽しかった」
「お礼もちゃんと言おうね」
後は帰るだけになり、物理的に間近で過ごしたことでアンは少なからずウジンに馴染みだし、そんな彼女を介しながらイルル達は他愛も無い会話をしていた。
「イルルだー! イルルイルルー!」
「わあ!? って、ニコル?」
「よかったー、こうしてまた会えるなんて……」
「あははー……そんなに深刻な言い方しなくても……」
背後から突如肩にのしかかってきた衝撃にイルルは悲鳴をあげた。
その正体は知り合いの冒険者のニコルで、彼女とは前に一度会ったきりで次回会うことがあれば話をしようと一方的に約束されていた。
「……ふむふむ」
ニコルは突風のようにやって来たと思えば一転、まじまじとイルル一行を見て腕組みし考え込んでいる。
「どうしたの?」
「眩しい光景だな、って」
「……ちょっと待ってね」
2人の若い男女がそれぞれ少女を肩車し、イヌを連れて散歩しているのはその関係を邪推してもおかしくはない。
道中で道行く人からその類の視線を感じてはいたが誰も口にしないようにしていた。
しかしここに来てニコルがうずうずしているのを見て、イルルはニコルを連れてウジン達から距離を取る。
「そういうのはやめてね。ウジンが嫌がる」
「はてなんのことかなー?」
にやにや笑っているニコルをそれ以上相手にすると状況が悪化してしまう、そう感じたイルルはツバキをちょんちょんとつま先で叩き食べ物をゆらゆら揺らして、さっさと退散しようと促す。
「こんな時間だし、いろいろ話すのはまた今度にしようか。今度こそ。いつもアル君しかいないし」
「……悪かったね」
「どしたの? そうだ、ちゃんと約束ね。ウジンー、イルルってもしかして先約あったりする?」
イルル本人の意向など無視し、ウジンの方に近付いていき肩車されているアンと握手する傍らでそう尋ねる。
「ああ、僕は別にいいんだけどまとめた方が効率はいいか」
「ん?」
「自己紹介は後で時間を作ってしてくれるんだって。ニコルもそれを希望するんだったらちょうどいいってこと」
「ほおー……?」
イルルを振り返ったニコルの表情はにやけるのを堪えられておらず、激励のサムズアップをするのがもう限界だったようでさっさと走り去って、イルルは取り逃がしてしまった。
「たぶん私はしばらく忙しくなるからー! いろいろ捗って助かる!」
ニコルの捨て台詞は決して楽観できず、イルルは冷や汗をかいていた。
『どうしよう……時間が経てば噂は落ち着くけど、アレが帰ってくるまで、っていう期限が──』
「急いだはいいものの、夜になってしまいましたね。手紙によると宿の心配はないらしいですけど、この時間だとそのナナさんという方の負担になるでしょうから食事は自分達で用意しましょうか」
「うん。ゆっくりしたいから外食より買って帰ろう。挨拶用の菓子折りも……どうかした? じっと見て」
「……いや、やろうと思えば真面目にできるんだなって。アルがいないのが大きいか」
「そうですね、思えばだいたいアルさんがなにかしてたような……」
人混みの向こうから近づいてくる3人の男女の声は決して大きくなかったが、自分の名前が出れば自然と反応していた。
やがてその姿を認めると、今まで相手にしてきた強敵など比ではない戦慄を覚えた。
「あっ、兄さん」
男女の側もイルル達に気付いたようで、サジンが一番先に兄のウジンの元へ駆けていき、コトハとオルキトがそれに続く。
「……その方は?」
手紙にあったアンのことは実際目にして戸惑ったものの、すぐに別の不審な点に興味が向く。
初対面であるイルルにだ。
イルルは窮地にいた。
初めにウジンに接触した際、双子のサジンと知り合いだと言ったのだがイルルとしてはそれはその場しのぎの嘘。
双子の両方からその正体を疑われ、イルルとして今後の活動するのに支障が生じ、最悪はアルがイルルという関係も暴かれてしまうのだ。
「イルル・クローゼ、だよ。手紙では書けなかったけど最近知り合いから紹介された冒険者の見習いで、レーネと一緒に世話を見てるんだ」
『……あれ? どういうこと?』
◇
ウジンは初対面の時からイルルは不思議な人間だとは思っていたが、今朝の会話を通してサジンと接点がないことを確信していた。
イルルの質問には全て真実を答えており、確かにウジン達は4人兄妹だった。
ただし次男のアドニスは幼い頃で事故で亡くなっていたのだがそれを指摘されなかった。
『サジンは真面目だからそういうことは包み隠さず言ってるはずだし……警戒して様子見を続けるつもりだったけど、この前のことをチャラにしてくれるかな』




