#203 n通りのルート
「単刀直入に話をさせてもらう」
冒険者が数十または数百単位で集う組織体系であるユニオン──なかでも男子禁制、女性冒険者だけが集っているという、異色なものがあった。
その名も”サンクチュアリ”。
それは話題作りのためだけ、名ばかりの色者扱いというわけではなく、実に多数の害獣討伐を続けてきている誇らしい実績も有しており、社会的に強い信頼を得ていた。
歴史も長く、飲食店や道具屋、理容院などの施設をも組織内で開いており、一つの小規模な町とも言える広大な敷地の中で、文字通りトップに座する者のために設けられた最も高い建物に、初めて男が訪れた。
その男はアリュウル・クローズ、親しいものはアルという。
サンクチュアリ発足以来の異例中の異例だったが、彼が姿を消す特殊な武器を持っていたことよりもそれを手引きした協力者の存在もあったのが大きい。
知人の姉で、表向きは錬金術師を務めるオルフィアだ。
盗人という裏の顔を持ち、かつ元サンクチュアリ所属の冒険者でもある。
件のユニオンに所属していた当時はもちろんライリとも交流があったのだが今はすっかり疎遠で、そのかわりアルとの交流が盛んになり、互いに取り繕うことなく言いたいことを言い合ってはしょっちゅう小競り合いをして、まさに昨日も例に漏れず喧嘩をした。
そんな風に互いに相手をよく思ってはいないものの、顔を合わせたならば無視をすることなく必ず言葉は交わし、人によっては本当の姉弟かそれ以上に親しい間柄に見えていただろう。
アルは対峙しているサンクチュアリのトップ──見た目は人間の少女でしかないのだがその正体は長命の亜人種である”エルフ”のライリにそう切り出した。
「ご存知かと思うが改めて説明させてもらうと、今ここユンニには危険な害獣が迫っていてその対策のために上級役割──まあ、腕の立つ冒険者だな。冒険者を管理するギルドから公式に認められた。それらを対象にした集会が、本来それは昨日開かれていたはずなんだ。けど、脅迫状が送られたということで場所や日時を変更し延期になっている」
すらすらと現在のユンニの状況、私情など含まない事実だけを述べる。
ライリの態度はというと目を閉じてじっと聞くに徹しているだけで印象はよくなかったが、それは本題に至るまでの導入に過ぎないため構わなかった。
アルはオルフィアと視線を交わし合ったから、意を決して口を開いた。
「そこでだ。その犯人を捜してほしい。”時間を遡る能力”で」
「断る」
つんと素っ気無く突き放された。
これまで一方的に話しかけられただけで、初めて交わした会話だったのだが、あまりにも素気のないものだった。
『だめじゃねーかよぉ、お姉さん……』
ライリの部屋に着くまでに2人で話し合い、オルフィアから完璧な作戦だと示されたものだったのだが、全くいい返事は得られなかった。
恨めしい目でオルフィアを睨む。
──多くは謎に包まれているが人の手では破壊不能、かつ驚異的な能力を有するという特性を備えた武器、四竜征剣。
それらは4本1組で構成されるシリーズがあり、四大元素およびそれらの派生となる氷や雷までを意のままに操り伝説上の生き物たる竜をも滅するとされる、最も有名な表が代表で、アルが持つ姿を消す武器というのもまたシリーズの一つだ。
そしてライリはそれらと別のもの──刻のシリーズのうち、過去へと遡ることができるパストサーチを所持していた。
それによりライリは、過去の特定の時点で起こったことを、その現場に立ち会って自らの目と耳で見聞きすることができるのだ。
ちなみにアルがライリと顔を合わせるのはこれで2度目だが、現在のライリと顔を合わせたのはこれが初めてで、前回会ったのは未来から来たライリだった。
『いやそりゃ当たり前だよな。こっちからなんの対価も出さず、はいはい言うことを聞くなんてありえない』
「いい? ライリ」
自信があると勧められた策が失敗に終わり、あらかじめ自分で考えていた計画で交渉をどう進めようと、どう仕切り直したものか困っていると、提案を考えたオルフィアが口を挟んできた。
「いい機会なのよ? ここでこのアリュウル・クローズを犯人にでっちあげれば、いつかの盗難事件の容疑者として確保し損ねた恨みを晴らせる」
「はあ!? おい待て待て!」
事前にしていた打ち合わせになかった話の流れへと変化するのに気づき、急いでそれを遮る。
初めから全てを把握した様子ですました顔のオルフィアを憎たらしく思いながら食い下がる。
「あのですね。たとえそうしたとして、真犯人はまだ犯行を続けるだろうし、それならすぐ冤罪は明らかになる。……あ。彼女がその真犯人と共犯で、お姉さんの言うとおりに犯行をやめさせるか、もしくは自らが……」
「いい着眼点だけど、それならさっさとそうしているわ。どう? もしも同じ能力をもっているライリの立場を想像して」
「うーん。そんなこと、ぼくおもいつかなかった」
アルのそんな白々しい演技は日常茶飯事なので無視してオルフィアは続ける。
「サンクチュアリは最近主要メンバーが抜けて、まだ悪い評判はないものの目立ついい評判もない、けれどそるでも一応、社会的に信頼されている組織。それに対して何でも屋──特に資格がなくても名乗れる役割のそんな冒険者がどれだけ必死に主張してもほとんどの人間は前者の言い分を信じる」
何でも屋、の単語だけで暗に名指しされていることに気づいているアルは苦笑でやり過ごす。
「しかしその真犯人にとって、恨みを晴らすよりも、傾きかけている体制を持ち直すきっかけを得るよりも、集会が延期されなくなる方が痛いのよ」
「それってどういう……」
「なぜなら、そこにいるライリは──」
「そこまでじゃ」
3人の前に音もなく来客が訪ねてきた。
扉からではなく、少女の背後の虚空から。
「!? これは……あの時の」
ライリと瓜二つの少女、もといライリ本人が出現したそのシチュエーションには見覚えがあった。
そのライリは未来からパストサーチにより過去へ──つまり今現在に訪れてきた個体である。
「……なるほど。これで確かに裏付けができた」
口は半開きで呆気にとられるだけのアルとは違い、オルフィアの目は落ち着いて据わっていた。
「アル君。今でしかできない大切な話があるの。聞いて」
「ええ? 道中いくらでも時間あったじゃないですか。お姉さん」
「仕方がなかったの。今に至るまで私も半信半疑だったから。これは、時の流れ方の理論について調査している時に得たもので、”刻の四竜征剣”という単語は出なかったけれど、代わりに”パストサーチ”という単語は見かけられた。そしてそれには強い依存性を持つという記述とともに」
「依存性……ですか?」
「そこにいる未来から来たライリは、おそらくそれに囚われていて、過去の自分を救うために必死になり、周りが見えなくなっているの」
「けど、時の流れ方としてお姉さんがみなしているのは”樹木の理論”……過去に介入して新しく分岐点を作って別のルートを増やしても、例の理論でいうとそれは枝と同じで、他のルートとは融合し直すことがない。本来の未来は決して変わらない、って」
時の流れ方の理論として、樹木に対し水流に例えるものも存在し、それによると新たな分岐点を作れば水流は別れることは同様だが、いずれは大河のごとく収束し、理解不能の大いなる力にて異なるルートで起きた出来事が影響し合う。
小さなものでは割れた食器が元に戻ることがあれば、より大きな規模の影響もあり得た。
「それを理解しているつもりでも、人間というのは欲に負けてしまう。……本来のルートではなにかの事件事故に遭うものの、わずかに行動を改めたら助かる場合があった。アル君はそれがとても親しい人ならどうする? 事故の規模が軽傷ならまだしも、もしも最悪の場合だったとして」
深刻なオルフィアの声色で発せられたその言葉に、先ほどまでの狼狽していた態度が強引に落ち着かされていた。
「……最悪の結果を知りながら、なすすべなく無視するしかない、なんて……」
「無意味な会話はやめんか」
「──あ?」
「……最悪の結果を知りながら、なすすべなく無視するしかない、なんて……」
「無意味な会話は終わりじゃ」
眼前に光沢のない黒い刃が迫り、咄嗟の反応でアルは無様にも転倒してしまうが、そそのおかげで無情な一撃を回避できた。
先ほどまでアルの首があった場所なのだが、凶刃は空を切る。
「アル君! 未来のライリはこの時代でなにをしようと構わない。殺しさえもいとわない!」
「なっ……!?」
「逃げて……アル君だけは逃げて、今ここで目にした光景をより多くの人間に伝えて、ライリを止め──」
「お姉さん! 危ない──」
「お姉さん! 危ない!」
雷光の四竜征剣ブリッツバーサーを反射的に抜き、オルフィアに迫る刃を弾いた。
激しい剣戟で火花が飛び、痛いほど目と耳に響く刺激に鈍感なアルの闘争本能がやっと叩き起こされる。
体内に収納ができる四竜征剣はアルと一心同体と言っても過言でなく、考えた通り望んだ場所に刃を置けた。
『この雰囲気、本気で殺す気かよ……かといって俺はそうするわけにもいかない。無傷で制圧するとして、閃光や軽い雷撃で牽制して、体格差も利用して押し切る』
「──封印綴字」
『なんだ? 剣がやや重く……いやそれとは違う違和感が──』
最期にアルの耳朶を打ったのは、鉄の塊が風を切る音だった。
「──封印綴字」
『なんだ? 剣がやや重く……いやそれとは違う違和感が──未知の事態に対して警戒し過ぎるってことはない、下手にブリッツバーサーの能力を振るうより確実に凌ぐのがより安全か』
手にしたのは破壊不能の四竜征剣、相対するのは体格で勝っている少女。
アルが圧倒的に有利に見えた一合は、ライリに軍配が上がった。
巨大な岩石と衝突したかのような衝撃が手からアルに伝わり、手放してしまったブリッツバーサーは空中に舞った。
空手になったアルに、同じ威力の蹴りがみぞおちに入れられる。
痛みに悶絶し体がくの字になりその場でうずくまると、それはまるで処刑を待つ罪人かのようであった。
長く続くと思われたアルの苦痛は、前触れなくふいに途絶えた。
巨大な岩石と衝突したかのような衝撃が手からアルに伝わり、手放してしまったブリッツバーサーは空中に舞った。
空手になったアルに、同じ威力の蹴りがみぞおちに入れられる。
「うああ!」
しかしすんでのところで身を縮こませ腕で防御した。
真っ青な痣ができるほどけがを負ったが、行動不能になるのは免れた。
『大の大人どころかそれ以上の力だ……子どもとはいえ冒険者、なにかの能力を持ってるか』
注意してライリの姿を見ると、解読不能の文字列のようなものが全身に走り、淡く光っている。
『アレは……筋力強化みたいなものなのか? くっ、できるなら無傷と考えてたがそうも言ってられないな』
ただの得物として振るっていただけのブリッツバーサーの能力を解放せざるを得ないと判断した。
まず体勢を立て直すことを優先し、四竜征剣の共通の機能──視認できる距離にあればそれを引き寄せられる──を発動させようとしたところで、不審なものを目にした。
「ブリッツバーサーにもライリと同じような模様が……? ただ色はライリのそれと違って黒い……」
その光景は言われれば気になる程度の異常で戦闘を続ける集中力は途切れはしなかった。
いち早くブリッツバーサーをその手に戻そうとする。
「……なに? 応えてくれない……」
「……なに? 応えてくれない……」
「どういうことだよ!? くっ!」
深く考えるよりも先に体が動いていた。
みっともなく見えただろうが、這って自分から目的のものに近付いていく。
『なんか調子が悪いな……暴発には注意だが、なされるがままやられろ、なんてのは許容できるかよ』
ライリにけがをさせないように繊細な制御する、そんな配慮する余裕はほとんどなかった。
自身の被害を考慮して片目を塞ぎつつ、強烈な閃光を放つ──つもりが、思う通りにならなかった。
ライリの体格にそぐわぬ膂力の一撃によりアルの手から得物が吹き飛ばされる。
強烈な蹴りがみぞおちに入れられ、うずくまって頭を垂れる無防備なアルに最期の一撃が下された。
──無駄と言われようとわしは続ける。
本来のルートになにも変化が起きないのはとうに承知している。
じゃがそれとは別。
わし自身が醜態を晒しているルートは、わずかでも分岐したものも含めそれら全てで元凶を取り除いてやる。
このアリュウル・クローズ、唯一幸福なのはルートごとの記憶を共有せずに済むことか。