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#190 昔話─のろのろカタツムリといそいそアリのかけっこ─

 数十万を超える人口の都市ユンニでは必然と早い時間から働き始める人間も多く、アルはジェネシスや他の脅威から避難していた宿を出られるのも比較的早かった。

 思いつきの外出のうえ緊急の避難だったので世話になっている屋敷には書置きなどしておらず、ウジンももちろんだったが心配しているであろうアンのために、息を切らしながら屋敷に帰っていく。


「ふっ、はあっ……」


 屋敷の前に着くと裏庭の方から、ウジンの荒い息とともにぶんぶんとなにかを振る音が繰り返されていた。

 早朝から剣の稽古に精が出ているな、と感心したが実際にその風景を目にすると予想していたものとはかけ離れていた。


「なんでバットの素振り……?」


 ウジンが握っていたのは刃のない安全な得物だったが、かといって木剣ではなくて野球で使うバットを、剣の代わりというわけでなく、確かに本来の使い方で振っていた。


「お、アルだ。どこ行ってたのさ。なかなか起きてこないと思ったら窓が開いてて、様子を見てみたけど姿がなくてびっくりしたんだから」

「……! アル兄!」


 アンも既に起きていて、二度寝中のツバキを撫でながらつまらなさそうにウジンの練習風景を眺めていたがアルが帰ってくると嬉しそうに抱き着いていった。


「ああ、おはようアン。まあ早い時間に目が覚めちゃってさ。気まぐれで朝の散歩してた。ほら、ちょっとした朝食も買ってきぞ。んで、そっちは?」

「見ての通りだよ。見知らぬ冒険者もいる共同の宿だと小さな音でも文句が来るけど、自分達だけの拠点なら朝早くから練習してても問題ないからね。まあ家主がいるからまだ少し抑えてるけど。そうだ、ご飯食べ終わったらキャッチボールしようよ」


 剣の素振りの方が大事じゃないか、という一流剣士の助言は、2人でしかできないことの方が大事、1人でいつでもできるという理由で後回しにされた。


「ボールに触れない日はあんまり作りたくないからさ。1日にまとめて練習とかしたらまた肩を壊しかねないし」

「また? ……そういやネラガに来なかったからこの日課は知らなかったけどさ。その、ネラガへの遠征を断った理由って確か……」

「あ、ははは……まあ、時期も悪かったんだよ。有志で開催してた大会の予定があって、張り切っちゃって」

「それで『肩に違和感がある』からやめた、ってなあ……冒険者の活動に支障をきたしてちゃあさ。冒険者を生業としている者としてその自覚が足りないんじゃないか?」

「う……でも、冒険者でもないアルに言われてもなあ」


 一流剣士のありがたい助言はまたも聞く耳を持たれなかった。


「あと俺は()()だから、キャッチボールは無しな」

「大丈夫、もちろん用意してあるよ」



 ◇



「いやー、左利きでいてくれてありがとうございます」

「彼なりに左利きを褒めているんだ。素直に聞いてあげて」

「ああ、仲良くはなれなさそうだ。すでに来たことを後悔してる」


 早朝から素振りにいそしむ様子に、本業に支障をきたすほど打ち込んでいたという話を聞いて、野球経験者ではなかったアルでもウジンのやばそうな雰囲気を感じ、左投げだからと嘘をついて逃げようとしたのだがまさかそういう事態までカバーをされてしまっていた。

 もう逃げられないと諦めて冗談だったと訂正してから、きっかけとしては悪くはなかったので身近な左利きのシオンを招いて今に至る。


「私はジェネシスの決闘人形(デュエルドール)と同じ顔をした子どもを紹介したい、と言われてきたんだが?」

「そうそう、それが本命の用件なのは違いない」


 アンのことは昨夜、宿屋までの道中でも話していて、早速紹介する。


「は、初めまして……アン、です……」

「……驚いたな。なるほど……」


 シオンは目線をアンと同じぐらいに下げると、決闘人形とは決定的な違いである首のプラグの有無を確かめつつ、くしゃくしゃと頭や髪を撫でる。


「ふふ……きゃっ! えへへ……」

「なーに、ここがいいのか?」

「やあん、きゃー!」


 シオンの触診は長いこと続いたが、途中でアンは身をよじって暴れ出す。

 しかし乱暴された、という風ではなくてアルが今まで見たことがない笑顔でいて楽しそうであった。


「え、なにをした……?」

「こういう、子どもと接する経験は人より多くてな。緊張してそうだったからほぐしてやった」

「そういうことか、なるほど……」

「私はシオン。よろしく、アン」

「シオンお姉さん……うん!」


 動物のツバキを除いて新しく心を開ける存在ができて、それは喜ばしいことだったのだがアルは少し複雑な気持ちになる。


『アンがいつか自立するまでにはこういうことがたくさんあるんだろうけど、いきなり俺以上に仲良くされるのは、これはなかなか効くな……そして今でこれなら、ぶらうんに変身までされたらどうなってしまうんだろう……』



 ◇



「アル兄、今日はどこもいかない?」


 一汗かいたウジンがギルドに向かうのを見送ると、単純にアルの予定を確かめたい一心でアンはそう尋ねた。


「うんうん。今日はずっと一緒だ」

「ツバキがついてきちゃってジフォンに帰れずにいるという事情は聞かせてもらったがな……まずそこから疑わしい。イヌが自分で考えて密航するだって?」

「でもあり得たんだ。きっと飛空挺の底にくっついてきてたんだよ」

「なんだその土を介した感染症みたいな……まったく、冗談の適当さにもほどがあるぞ……いいや、別にイヌくらいなら、安い餌の調達なら楽だ。けどアンは人間で、まだまだ育ち盛りの子供だぞ。少しは働かないとまずくないか? 自分だけならがまんをすればいいけど、アンにそれを強いるならさすがに見過ごせないぞ」

「ま、まあ……そこはぼちぼちな。そっちこそどうなんだよ。ユンニに来たのならクエストの1つや2つ……」

「作家として取材の一貫で来てるんだ。冒険者? クエスト? はて、なんのことかな」

「ずるいなあ……ちぇっ」

「頼りないのに引き取られてしまった、そんなアンのために試したいことがあるんだ」


 シオンは言って、懐から出した手のひらほどのサイズの紙の束をめくる。


「今まで読んできた本の中でも記憶喪失というテーマは良く出て来てな。それで思い出したんだが、限られた地方にのみ伝わる昔話を聞いて、それによってもやがかかってている記憶が刺激されて全てを思い出す。そういう展開の話があるんだ。それを参考にさせてもらって……」

「アンにも色んな昔話を聞かせてみようって?」

「ああ、反応しただけで全てを思い出さなくても、どこかゆかりのある土地を絞れれば、それは確かな進展だ。で、資料として収集してきた本の中で覚えている限りの話を昨日のうちにまとめてきた。本人の無理のない範囲で調査したい」

「童話と言えど長々と聞かされたら飽きるもんな」


 ぎっしりと文字で埋め尽くされたメモを横目で見て、無関係の自分が寝てしまいそうだとアルは苦笑いしていた。


「そうそう、初めに頼みたいんだが、ジフォンのものまでまとめる時間がなくて、それだけは任せていいか? 私が把握してないのもあったりするかもしれないし」

「俺が? ジフォン昔話を?」

「……なんか語感いいな。ああ、無駄な労力を割くリスクを検討して、私はそれ込みで考えてきたからな」


 ということで、まずはアルより思い出せるものから話をすることになる。

 もしもジフォンのそれに反応されてしまったらそれはそれでツバキの聖域への侵入を許すことになるのでどうしても迷ったが、アンのために腹を決めた。


「『のろのろカタツムリといそいそアリ』から話そう」

「ああ……あれか」

「これは知ってるやつか。ま、代わるのも手間だしこのまま、ざっと話すけど」


 シオンの反応は、単に知っているというだけで、これと言って思い入れがない風だった。



 ──のろのろカタツムリといそいそアリ


 昔、あるところにとても動くのが遅いカタツムリがいた。

 そこへ、カタツムリとは対照的にあらゆる動きが俊敏で、どんなこともてきぱきとこなしてしまうアリがやって来て、山を駆け上がっていくという長距離走での勝負を挑んできた。


「カタツムリはのろまだから負けっこないぜ」


 アリが考えた通り、スタートから2匹の距離はどんどん空いていて、いよいよアリは余裕でゴール前まで来た。

 ただ、アリはそのまま勝っても面白くないと、カタツムリが見えてくるまで昼寝をしてしまった。

 しばらくして目覚めると、今までずっと這い続けていたカタツムリは既にゴールしてしまって、アリは負けてしまった。

 アリは真剣に勝負をしなかったから負けてしまい、カタツムリは勝負を最後まで諦めなかったから勝つことができたのです。


 ──おわり



「……聞いたことない、かな。ごめん」

「そうかー、いいよいいよ謝らなくて。感想はなにかある?」

「あ、気になることは……あった」


 緊張や萎縮などさせず、むしろアンが話したくなるように興味津々であるという風な態度でその目を見た。


「カタツムリさんはアリさんを追い越す時、どんな気持ちだったのかな……って」

「……ほうほう。なら、アンがそういう場合になったら、どう感じて、なにをしてた?」

「あ、あとでアリさんから怒られないように起こしてあげたかな……お話の中だけだと意地悪してくる怖い子みたいだから……? ひゃっ! アル兄? なんで急に撫でてくるの?」

「いや、アル兄は今、感激してるんだ。なんて賢くて健気だな、って……」


 1人で天使のオーラに癒されていたところ、シオンもアンに同調しながら彼女なりの考察を主張する。


「これを初めて聞いたときから私も違和感があったんだよ。アンの言った通りの葛藤がカタツムリにはあったかもしれない。それで悩んだろうけど、結局それをしなかったんだ。……私は性格悪いやつだな、って考えてた時もあった」

「やめろ夢のないことを聞かせるな」

「まあ待て。まだ私の考察はある」

「アンがいるんだから言葉は選べよ?」


 鼻息が荒いシオンの態度を目の当たりにして、題名を聞いた時の微妙なリアクションの理由がわかった。


「カタツムリの性格について、考察ポイントは終盤のそこだけだが、アリはかなり考察できるところが多い。まず最初、いきなり勝負をしかけたところだ。カタツムリとはそういうことができるぐらいの関係だと予想できる。ほとんど接点がないのに、長距離走に付き合え、だぞ? そう、長距離走とかいうのもおかしい。足の速さなら短距離走でも事足りるしなにより楽なのに、ついてきてくれるかも保証できない長距離走をだぞ? アリを恐れて断れなかったなら妥当な理由だが、そうなると最後の展開が問題だ。後の報復を考えると──」

「待て、落ち着け」


 物騒な言葉が出始めたのでアンを一旦退席させ、面倒だがまだまだ興奮しているシオンのガス抜きにつきあってやる。


「で、以上に挙げた根拠からな」


『知らないうちに話進んでたか……』


「まずアリとカタツムリとでは面識は薄いながらある。そしてアリは、不公平な勝負をいきなりしかけるような、そういう性格のにんげ……虫だというのは妥当だ。それでだな。その設定を採用してみて新たに私が気になったことと、つい思いついてしまった結末があるんだ」

「どういうの?」

「まず気になったこと。アリのような輩には決まって取り巻きがいるものだが、話の中では一切登場しない。実際、昼寝したアリを起こす存在がいない」

「ふむ。やや偏見があるが、確かにそうだな」

「取り巻きがいれば昼寝は防げたし、長距離走を挑まれたカタツムリが逃げないように監視もできた。けど話の中だと昼寝はしてしまった。監視がなくてもカタツムリは最後まで勝負に付き合った」

「……うん。そのまま本来の結末に続くんだろ?」

「アリがカタツムリに負けた。確かに本来の結末はその結果と、そこから得られる教訓を添えて締めくくられる。けど描かれていないだけで、まだ続きがあったと私は考えた。その続きというのは……実はアリとカタツムリは親友だった。急に長距離走の勝負をしかけられるような、かつ道中の監視も不要なぐらいの」

「お、おう……気になっていた2つの問題はそれで解消されるな」

「そんな関係だったカタツムリは当然、昼寝をしていたアリになにかしらのアクションをした可能性は高い。だがなにをしても無視して寝続けただろう。なにもしないならしないでそれもアリの目論見通りだった。そう、アリはわざと負けるつもりだったんだ。普通に闘えば勝ち目のないカタツムリを勝たせるため、寝たふりでゴールを譲った」

「親友に……まさか、諦めなければ報われることを教えるために……?」


 シオンは今まで話したことがなかった考察を、それはもう勝ち誇るように笑いながら語った。


「改めて私の考察だと、アリは昼寝をするふりをして、カタツムリに自信を持たせるために勝ちを譲ったんだ。親友だったから勝負を受けた。監視のための取り巻きがいなくても正々堂々の勝負をできた。カタツムリが寝ているアリを起こそうとしたか無視したかは定かではないが、アリがカタツムリを勝たせようとしていたならどちらでも話に違和感はない。こういう背景があったとしたなら、”のろのろカタツムリといそいそアリ”には気になる違和感がなくなる」


『たかが童話にそこまで考え尽くすとか、暇だったんだろうな……』


 心ではそう思いながらも、本人は楽しそうだったので水を差さないようにした。


 ◇



 シオンの興奮が収まった後、アンを再び呼んできて別の昔話をいくつか聞かせたが、望んでいた収穫はなかった。

 体が凝るので戯れ程度のキャッチボールを挟みながら昔話を聞かせたものだから、昼食を食べ終わるとアンはうとうとして、やがて眠ってしまった。

 残った昔話はまた後日に聞かせてやることにして、シオンとはそこで別れた。

 そうして()()になったところで、昨日確認したジェネシスの動きをツバキに報告した。

 オルフィアはそばにいないようで、返事をしてもらえた。


「レジスタンスがこの辺りに来ているのね?」

「ジェネシスの情報だから怪しいがな。俺がそうしたように、まだネラガにいるのかも」

「ちっ、人間は本当に自己中心的ね」

「……どの口がいってんだか。それでさ、頼りになるのはツバキさんの鼻なんだけど、アンのためにも協力をぜひ」

「そうね……ただアンタには監視がついてる時があるから、私が1人で分身を使って捜索を進めておくわ」

「あのさあ、思ったんだけどストーカーがいたならそれを教えといてくれないかな?」

「私の正体がバレる可能性があったから仕方なかったじゃない。鼻が利く私のどうやって意思疏通を図れるのか、徹底的に調べるでしょう。それになにより頼れる警護を自分から潰すこともないじゃない。実際、昨日は私に黙ってどこかにいってたみたいだし?」

「……それはほら、静かに寝てるところに邪魔したらいけないからで」

「そういうことにしておくわ」


 その日からツバキは分身を使ってユンニでのレジスタンスの捜索を始めた──らしい。



 ◇



『俺についてきたまではいいが、アンとの出会いという不測の事態に巻き込まれてからツバキの様子がおかしい。やたらレジスタンスとコンタクトを取りたがっている。偶然と言えばそれまでだけど、都合良くツバキだけで接触できるのも正直気にくわない』


 夜、アルは前回作った下書きのままのジェネシスについての報告書(※#139参照)を見つけると、それに新しい情報を書き加えながらツバキへの不信感を募らせていた。


()()()()|……ツバキが考えたはずのその固有名詞を、ギンナが自らそう名乗ったのは偶然か? オルフィアさんがヴンナの調査で知った情報かもしれないけど、バルオーガさんは確かツバキが考案したように言ってたはず……』


 味方がいない以上、半端な追及でははぐらかされてしまうのは目に見えていたのでそれはしなかった。

 代わりにツバキにはない自分だけの強み、世間ではそれが本物だとされている四竜征剣と、人づての情報収集(変身能力はあったがアル、もしくは他の誰かになりすましても同じ都市内に本物がいる以上頻繁に使うのは目立つし、少なくともツバキよりは人当たり良く接する自信はあった)をどうにか活かして、できるならツバキに先手をとろうと考えつつ、床についた。

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