#189 真夜中の刺客と竜の怒り
「気になってたけど、意外に面倒見いいんだな」
不思議な縁にて手に入れた拠点で初めて迎える夜、アルは前日の宿でそうしたようにアンとツバキとは寝室を別にした。
アンは寂しがって、3人で寝たがったがツバキはそれを頑として拒むので、寝相が悪いからどうしてもだめだ、という言い訳でアルは同衾を断り夜の間の世話はツバキに任せていた。
子どもと一緒に寝るのは嫌がると予想していたのだが、ツバキは今夜も文句は言わず、先にアンが寝室に行ったところでそれとなく聞いてみた。
周囲にウジンや夫婦がいなかったのを確認したツバキはこう答えた。
「聖獣として無垢な少女を侍らせているのは、なかなか悪くないものね」
『下品な富豪かよ』
◇
「ん……ふわあ」
夜中、不意に目が覚めた。
喉が渇いていたので一杯だけ水を飲んで、もう一度布団に潜ろうとするが途中で椅子に足をかけて危うく転がりかけると、それから心臓の鼓動が早くなってすっかり目が冴えてしまった。
考えたくはなかったが、1人の人間に過ぎないアルの意思など無視してやってくる翌日の計画を練ることにした。
「はあ……不自由なく働ける環境を手に入れてしまった。アンのために働くのはなんてことないんだが、あのイヌも養うことになるのは腹が立つ……とっととオルキトに返すつもりだが、変身の能力がなあ。バルオーガさんがそうだったように適当に体の模様を変えて別個体になりすますのを繰り返していつまでも寄生して、それを知らないオルキトは引き取りを断るんだろうな……あーあ」
油断をついて一度だけ一矢を報いることができたが、またそうやって腕ずくで屈服させらるかというと自信は全くなかった。
向こうが望んでいることである、行方不明の旦那を見つけ出せればきれいさっぱり関係は解消できるがそんなことに人生を懸ける気もなかった。
「……いくら鼻が利くといっても、寝てる間にどこかに行っていたことに気付くのか? ……ま、逃げ切れるわけはないし、なによりアンがいるからあくまで実験としてだけど、検証してみるか」
寝間着を着替えてそっと窓から抜け出すと、深夜の街を目指して歩き出した。
◇
「人っ子一人いねえ。たまにネコくらいだ」
屋内用で家主の夫婦から渡されていた頼りない明かりでおそるおそる歩いていたが、ある程度街の中心部まで来ても人に遭遇することがなかったので、アルは思い切ってブリッツバーサーを抜き、いい加減で広い範囲を照らし歩くペースを上げた。
『……売らなくて良かった』
外出の目的である追跡の有無を確認しながら、迷う可能性のない安全な行動範囲ぎりぎりまで来ると、元来た道を引き返していく。
「……まさかこんなところで見つけるごろとは」
「……? な、なんだ? なにか聞こえたような……」
若い、というよりも幼い女の声が聞こえた気がしてブリッツバーサーをそっちへ向ける。
「お、おいおい……だめだろ、アン。こんな夜に出歩いちゃ……俺についてきちゃったのか?」
路地の陰にいたのはアン──の見た目をした少女で、夜中の外出を咎めようとアルはそれに近付いていく。
「ブリッツバーサー、ごろか。死亡したという報告が間違いだったことも驚いたごろが、新しい四竜征剣を持っているがなによりの──ふふ、幸運ごろ」
「へ? ブリッツバーサー……四竜征剣……って、知ってるのか? というかどうしたんだ? その話し方……『ご《・》ろ』?」
「ふんっ!」
少女は、背丈の倍はある棒状のなにかを振り回してきた。
咄嗟に手にしていたブリッツバーサーで防いだが、少女の細い腕からは予想もつかない重い衝撃があって上体と足の運びがばらばらになってしばらく目が回った。
「なんで……? なあ、まさかギンナか? ネラガにいたはずの……」
「そうごろ。ブレン・ハザードの目撃証言があったからこうしてユンニに来たごろ」
「相変わらず全部説明してくれて助かる。じゃなくて、ネラガから? ユンニまでだって? まさか飛空艇に密航を?」
「ジェネシスの拠点を経由しながら陸路で来たごろ。ネラガのそれが落ちてからすぐ発ったごろが、だいたい10日ぐらい前にやっと到着できたごろ」
「雑な聞き方だったのにそこまで言ってくれた……ええと、情報を整理するとどうなるんだ? この辺りでジェネシスがいろいろ動いてて……ネラガから出てきたのは十数日前にユンニに着いた……」
「知ったところで無駄ごろ。貴様はここで果てるのだからな!」
「やべっ……」
ブリッツバーサーを握り直して傾いていた体勢を直したが、ギンナが手にしていた巨大な棍棒の、鉤状の突起が大量に生えていたその異様なシルエットに気圧されて一瞬体が固まった。
その隙に思いもよらない速さで振るわれたその凶器は、いとも容易くブリッツバーサーの力が発揮できる有効範囲を通り過ぎてアルに迫る。
「『まじかる:びーむ』っ!」
夜の街に走る一条の光線がギンナの横っ腹に直撃した。
遠距離から放たれたそれは威力はそれほど高くなく、相手に身をよじって回避行動をとらせるほど余裕があったがアルからギンナを引きはがすには有効な攻撃だった。
「……! どうしてここにまで変なのがいるごろ」
「む、相変わらずやんちゃな子だなあ。変なの、じゃなくて『くま耳魔法少女ぶらうん』、だよ」
「俺もこのカオスな状況を説明してほしい」
「もう! せっかく助けてあげたのに。んーとね、ユンニでの深夜の雰囲気を堪能していた私の親友からの連絡を受けて、こうして困った人を助けに来たんだ」
「深夜の街の取材……って感じか。でも助かった」
突然の襲撃かと思うと心強い仲間の予想外の登場が立て続いて、夢の中にいるのを疑いかけたが、とにかくぶらうんと合流して改めてギンナの姿をよく観察した。
「あの武器ってなにか知ってるか?」
「狼牙棒だね。棍棒としての性能に加えて、あの突起で衣服をひっかけて相手を引きずり倒す、っていう」
「こわ! ……あんなの持って街中歩いてたわけないよな?」
「だよね、絶対目立ったはず。私も初めて見たよ……」
「ヴンナの特殊警棒といい、ガド階層はどういうセンスしてるんだか……親玉のジェネシスが決めてるのか?」
「ほら、無駄話は後で。……うん、獣人は連れてないみたいだ」
「そういえば探査系の能力なんてあったな」
敵が単身と確認できると、アルとぶらうんはそれぞれの構えでギンナに集中を向ける。
「ふん、余計なのがくっついてきたが、いいごろ。まとめて相手してやるごろ」
「ずいぶん余裕だな。別に1人ずつでもいいぞ? ぶらうんと1対1だ」
「アル! サボらないの!」
「ま、冗談だよ。向こうの狙いは俺だから、じっくりと隙を狙ってくれ」
「おお……そういうことね」
「ふふ……」
目に見えて不利な状況だというのにギンナは不敵な笑みを崩さない。
自信に満ちた顔のままで、腕に巻いていたバンドから小さな2本の剣を抜いた。
「な!? あれ、まさか……」
「知ってるの?」
「四竜征剣だ。”真”のシリーズ、消去法で言うと温度の次元を操作するワクケルビン、時間の次元を操作するキザムセカン……」
「はははっ! その通りごろ! その力、食らうがいいごろ……ふっ!」
ギンナが腕を振るうと強烈な熱波がアル達を襲う。
「ぐああ……ごほっ」
「あ、暑い……『まじかる:しーるど』……!」
高熱によりからからに乾いた空気によって、激しく咳き込むアル。
それをぶらうんは光の盾の後ろにやって、直接のダメージから守ってやるが形を自在に変える熱波はその隙間、上下左右から2人を覆い囲む。
「ジアースケイルがあったらこんなの屁でもなかったのに……壊さざるを得ないか。一気に距離を詰めてアイツを止める。ブリッツバーサーの速さならいける」
「待って、ここでもこれだけの温度……そうなるとギンナの近くはもっと高温だし、そこを一気に駆け抜けて無事でいられるの?」
「それはそうだが……ならダースクウカでここから狙い撃つ」
「その手でも……こんな街中だと周りの被害を考えると、威力は抑えられるほどの集中はできる?」
「ならぶらうんはどうだ、さっきの技は」
「こんな不快な環境だと、この防御以外にも集中を割ける余裕がないよ……まともな威力は約束できない」
2人の顔からは汗が絶えず滴り落ちて、ぜえぜえと呼吸も荒い。
対して陽炎の奥に見えたギンナは汗ひとつかかず余裕たっぷりの涼しい顔でいた。
「決闘人形は温度を感じないからか……脱水症状の類も無縁だよな……このままだとじりじり焼かれるだけだ」
「待って? でもそれは、自分の危険がわからないってことだよね」
「どういうことだ?」
「自分の体の見えない変化に気付けないってこと。例えばカバーで覆われてる部分の精密な部品が熱で歪んでも気づかないんじゃ?」
「……なるほど。アイツらならあり得るかもな。もう少しだけ粘るか、ダースクウカの微風で多少は気を紛らせる」
アルがブリッツバーサーをダースクウカに持ち替えると、わかりやすくギンナは反応を示した。
「ダースクウカまであるとは……本当に私はついているごろ。くくく、それはそうと随分苦しそうごろね?」
「ふん。全然余裕だっての」
「なにを狙っているか知らないごろが、ワクケルビンは温度を上げるだけではなく、操作する。つまり、私がこうして体を常温に保ったままでもいられるごろ」
「……!」
「ふふ、持っている四竜征剣は研究を行い、そしてそれを用いた戦闘はシミュレーション済みごろ。決闘人形とて熱による体への影響も確認されていて、その対策も考案しておいたごろ」
勝ち誇ったように笑みを浮かべ、見せつけるように滑らかに手を握ったり開いたりする。
「……被害は出るのは仕方ない。このままだと俺がやられて、四竜征剣を奪われるとさらに被害が大きくなる。だから仕方がないんだ」
「アル……わかったよ。辛いだろうけど……私は決して悪くはない判断だと思う」
「ふ、出てきたごろか」
光の盾に隠れていたアルがダースクウカを手にしながらその姿を現すと、ギンナは無防備なままではおらず、片足を引きアルに対して半身になる。
「対ブレンのみで、ダースクウカを相手のシミュレーションはしていなかったごろからな。少し試させてもらうごろ」
ギンナは2本の四竜征剣をまとめてさっと振るい、それから狼牙棒を構えた。
「なんだ? なにかしたのか?」
「最期になるから別に教えておいてやるごろ。交戦中でも体を常温に保つための集中は欠かせないごろが、そうなるとこの広範囲の温度上昇への集中がおろそかになる。そこで今、ここら一帯の物体の”時間当たりの温度上昇の値”を設定してやったごろ。これで放っておいても温度は上がり続けるごろ」
「……時間が経つほど温度が上がる性質を、新しく定めたって?」
「ふっふーん! そうごろ。無いなら創ればいい。まさに発想の勝利、り、りりり──りー!」
「うおっ!?」
「り……い、いい、いっ……いぃ……」
突然奇声を上げたと思うと、次の瞬間にはごしゃん、と鈍い音を立ててギンナは頭から倒れていた。
異変に気付いたぶらうんは一層警戒を強くしたが、やがて熱波が収まっていたのに気づくと防御の技を解いてアルに近寄っていく。
「なにがあったの?」
「……ああ、たぶん俺には適性のおかげで直感でわかったが、竜の怒りに触れたらしい」
「竜の怒り?」
「”真”の四竜征剣は物体の長さや温度とか言った要素を操作できるが、存在しない特性を勝手につくって、それをいじるのはどうも許しがたい禁忌らしい。それをしてしまったギンナはどうやら、報いを受けた」
「えっと、命に関わるもの?」
「決闘人形だから”生か死”じゃなくて”壊れた”としか言えないから正確なことはわからん。ただ、一発で作動不能に陥るぐらいのものらしい」
「そっか……なにはともあれ、助かったんだ。ああ、よかった」
ほっと胸をなでおろすぶらうん。
アルも無事に生き延びたことを幸運に思ったのだが、目の前で起きた惨劇の処理を考えると頭が痛かった。
使い方を誤れば死に至るリスクがある代物を4本そろえて持ち歩くことになるので、ワクケルビンとキザムセカンを回収する気が全く起きなかったのだ。
「ぶらうん、相談があるんだけど──」
四竜征剣を1人が持ち歩くリスクを考慮しての提案なんだ、と言い聞かせてアルがぶらうんに声をかけようとしたところ、次の襲撃がやってきた。
「アル! 伏せて!」
頭上から降ってきたナイフに気付いたぶらうんがアルを地面に伏せさせる。
ナイフはギンナの残骸の側に刺さると眩い閃光を放って、暗闇に慣れていた2人の目に突き刺さった。
「そうか、相方がいたか……!」
「目が慣れるまで防御に徹しよう!」
ぶらうんが再び光の盾を展開し、アルとともにそこへ身を寄せ合う。
ざっ、ざっ、と何度か靴の音がした。
いつ来るかわからない衝撃に備え続けたが、やがて目が慣れるまで結局なにも起きなかった。
「あ、見て! ギンナの残骸と武器が無くなってる。仲間が回収したんだ。攻撃がなかったのは2人相手だと敵わないと判断したのかな」
「……迷ってたらだめだったか。負けたとはいえ闘った記録を次に活かされる。またアレを相手にしなくちゃいけないのか」
私情で四竜征剣を回収し損ねたアルは深いため息をついた。
理由が理由だけにやりきれない気持ちで、もう誰もいなかった住宅街の屋根を見上げて睨む。
「アル! ちょっと来て!」
「?」
「これってさっきの四竜征剣だよね? 2本ともある! 小さかったから回収し損ねたんだよ、きっと」
「お、おお……!」
ギンナが倒れていたところまで呼ばれると、そこには確かにワクケルビンとキザムセカンが残っていた。
不用心だったが興奮したアルはすぐに手に取り、体内にしまう。
その特性は紛れもなく本物の四竜征剣だった。
「目立ってたけど狼牙棒を優先して回収してくなんて……どうしてかな? 立派そうな武器ではあったけど」
「そんなんどうでもいいって。あー、殺されかけたり、生き延びたと思ったらまた肝を冷やされ、でも最後には円満解決! はあー……」
「あのね……まだジェネシスの仲間が潜んでる可能性があるんだよ? あれだけの荷物を抱えてるからまだ近くにいるとは思うけど……そうだ。アルって向こうでギンナの相方だったヴンナを倒して回収できてたんでしょ? どれぐらいの重さだったか覚えてる?」
「え? 直接は闘ってないし、回収したのだって──」
そう、ヴンナを倒し、研究のため回収していったのはアルではなかった。
「あ、でも決闘人形の性能と比べても意味は無いか。おや? このナイフ──付与がされてる」
「え……まじ……?」
「さっきの閃光はそういう仕組みかあ。すごく上等な付与の技術だけど、ジェネシスの決闘人形がこれを? もしかしたらジェネシスとは別の誰かって可能性もあるね」
停止した決闘人形を他の誰かに回収してもらうシチュエーションには既視感があった。
そこに付与が施されたナイフという要素が関わってくると、アルの背筋にぞくぞくっと寒気が走った。
暗闇という暗闇が怖くなり、とにかく辺りを照らして何者かが潜んでいないか確かめる。
「……ぶらうん。危ないし、宿まで送ってくよ」
「お? 紳士なところがあるんだね。じゃあお言葉に甘えて」
「あともし空きがあったら俺も泊ってく。……明るくなって人が出歩き始めるまで外に出たくない」
「そっか。確かに1人でいるのは危ないね」
『……鼻が利かない下等な生物は大変ね』
眠れなかった長い夜、考え事に没頭していたアルはツバキから言われた一言の意味をようやく理解できた。
ツバキがなかなか口を聞かないのは気まぐれなんかではなく、オルフィアの監視が無くなるタイミングを伺っていたためだったのだ。
◇
「やはり同じ作者の銘……」
ユンニで思いがけず手に入った戦利品を観察しながら、オルフィアはその結果をネラガの記録と比較していた。
『情報が得られないから有名な鍛冶師ではなさそうだけど、だからこそジェネシスの重要な関係者だと言って間違いない。特殊警棒に、こんな狼牙棒までとかいう珍しい武器まで、かなり上質なものを作ってしまう確かな腕を持っていながら、ジェネシスという組織に協力を? もしくは略奪された?』
間違いなくその鍛冶師は天才だった。
そんな天才の考えというのは、オルフィアがいくら悩んだところで見当もつかなかった。
「……こっち見ないでよね」
伸びをすると横たえておいたギンナと目が合い、その頭を向こうにひねった。
「しかしユンニは息苦しいわね。期待しないで古巣を覗いてみたけど、あの人は相変わらずだったし、見つかるわけにいかないから隠密生活は辛いわねえ、全く」




